その116
「なんでまた?」
「ええ、魏趙刻と仲間たちは一生懸命に阿美華にいろいろなことを思い出させようとしたのです。ある程度のことは阿美華も理解したようでした。しかし、肝心なことは思い出せなかった。阿美華は一座の中で双剣の演舞と短剣投げの技を見せていたらしいのですが、それを一切忘れてしまい思い出すことはなかったのです。それで、魏趙刻は私に阿美華を預かって欲しいと言いだしたのです」
「双剣の演舞と短剣投げか。阿美華はお払い箱、旅を続けてもお荷物になるだけと?」
「そうです。阿美華がそんなになってしまったのは息子のせいであり、私も嫌とは言えなかった。いくらかの金も置いてはいったのですが、それで二年も、三年も食わせられるわけでもない。家には十三歳の娘を筆頭に三人の子どもがいるんです、生活は決して楽じゃない、簡単な畑仕事しかできない阿美華をこのまま置いておくのは辛いのです。わかってもらえましたか?」
東太苑は悲痛な声で訴えた。
「そうか、とにかく、その阿美華が私の知っている阿美華かどうかはわからない、一度会わせてはもらえないだろうか」
「わかりました。では、家の中へどうぞ」
東太苑は家の中に紫羅義を案内した。
「今、帰ったぞ」
家の中に入り、東太苑が言うと、子どもたちが顔を見せ、彼の妻も姿を現した。
「こちらの方は?」
東太苑の妻が首をすくめるようにして尋ねた。
「ああ、もしかしたら阿美華を知っているかもしれないと訪ねてくださった方だ。今、騒いでいる物資や食糧に関してここに来られたわけではないよ」
東太苑の言葉を聞くと彼女は安心したような表情をみせた。
「阿美華はいるのか?」
東太苑がそう言ったとき、一人の女が姿を現した。
「阿美華、お客さんだよ」
東太苑が言うと彼女は無表情のまま紫羅義に近づいた。
「これが、阿美華。似ている、史蘭の面影がある」
紫羅義はそう呟き、自分に近づいて来る女を凝視した。
阿美華は紫羅義の前で立ち止まり、無言のまま頭の先から足元までを見てから再び紫羅義の目を食い入るように覗き込んだ。そして、体を少し斜に向けると手を紫羅義の顔に向かって伸ばした。
紫羅義は手を挙げ、阿美華の手に重ね合わせるようにした。
阿美華は、暫しの間、重なり合った手を見ていたが、五本の指を折って紫羅義の指を掴み呟いた。
「……来世で」
阿美華の言葉を聞いて紫羅義は目を見開いた。
紫羅義の瞳の奥で、惨霧と戦う前、川の縁で、「来世で」と言った史蘭と、目の前の阿美華の姿が重なった。
「史蘭!」
紫羅義は思わず声を出した。
「史蘭?」
阿美華は、不思議そうな顔をして、重なり合っていた手をほどくと後退りをして、怯えたように小さくなって両手で頭を抱えた。
東太苑と妻は顔を見合わせ、子どもらは口を開けてその光景を見つめていた。
「いかがでしょう? あなた様の知ってる娘でしょうか?」
紫羅義は東太苑の言葉で我に返った。
「あ、ああ、知っている娘だ。ただ、私のことも忘れてしまっているようだが」
紫羅義は阿美華を見つめたまま答えた。
「そうですか、それで、あの……どうなされます? 連れてゆかれますか?」
東太苑は妻の顔を見てから紫羅義の顔を覗き込むようにして見た。
「知っている者だったし、この家の事情も理解した。連れてゆきたいとは思うが、本人の意思もあるだろう、今ここで、無理やりに連れだすわけにはいかない。私は数人の仲間と寺に泊めてもらうことになっている。仕事が終われば日暮れには寺にいるから、後で、そこへ連れてきてはもらえないだろうか。それまでに、彼女に事情を説明し、納得した上で連れて来て貰いたいのだ」
紫羅義がそう言うと東太苑は二つ返事をしながら頷いた。
紫羅義は一旦、その家から離れ皆と合流し、仕事が終わると村の中ほどにある寺に、神澪、羽玖蓮とともに向かった。
「来るかな?」
話を聞いた羽玖蓮は落ち着かない様子で外の様子を伺っていた。
「来ると思う。いや、東太苑はなにがなんでも連れてくるだろう。彼にとって俺は厄介払いを引き受けてもらえる福の神のように見えたろうからな」
紫羅義、神澪、羽玖蓮は寺の廊下に三人並んで外を眺めていた。
「一ヶ月ほど前ですか、魂が転生するなどということが本当にあるんでしょうか?」
いつも冷静な神澪が珍しく声を荒げて言った。
「現世に強い想いがある者は残ろうとするのか、あるいは残そうとするのか。たまたまそのときに、うまい入れ物があればそこに入り込む」
紫羅義が言うと、神澪と羽玖蓮は両側から不思議そうに彼の横顔を見た。
「うまい入れ物。史蘭が選んだ基準てなんだ。残りたいという想いの理由はわかるけどな」
羽玖蓮は腕を組みながら視線を外に向けた。
「何か阿美華と通じるものがあったのか。だが、それだけじゃない。現世に彷徨っていた史蘭の魂を誰かが導いたんだろう、そうとしか思えん」
紫羅義は神妙な顔て語った。
「誰か?」
神澪と羽玖蓮は同時に声をあげた。
「ああ、夢の中で俺に史蘭の転生を告げたあの女人、おそらくあの女人が力を貸したんだと思う。名を翅苑と言った。現世に留まろうとする史蘭の魂を保護し、新しい器を捜していた……そんな気がする」
「翅苑か、聞いたことがある」
紫羅義が口に出した名に羽玖蓮が反応した。
「どこで聞いたんだ?」
紫羅義と神澪は羽玖蓮の顔を覗き込むようにして見た。
「俺が巴錘碧の手下に捕まって史蘭に助けられたときだ。最初に一羽の鴉が飛び込んできて見張り兵に襲いかかり、その後に史蘭 が入ってきた。その鴉に史蘭は、ありがとう翅苑と言ったんだ」
羽玖蓮は目を泳がせながら興奮したように言った。
「翅苑という者に我が父も助けられたと母が言っていた。史蘭は霊を見る力があったのかもしれない。語り合うこともあったのかも」
紫羅義は放心したように空を見上げた。
「魂となった史蘭が転生を翅苑に頼んだと?」
「わからん」
神澪が尋ねると紫羅義は首を大きく左右に振った。
「しかし、まだ史蘭の魂が阿美華に転生したかどうかわからん。その兆候らしきものは確かにあったが」
紫羅義が言うと、神澪と羽玖蓮は複雑な表情で頷いた。
「来たようだぞ」
羽玖蓮の言葉に紫羅義と神澪が入り口の方を見ると東太苑が阿美華とともに立っていた。
阿美華の姿を見て紫羅義は首を傾げ、二人が近づくにつれ落ち着かない様子で体を右に左に揺するように動かした。
「どうしたんです?」
神澪が不思議そうな顔をして尋ねた。
「さっき会ったときと顔が違うような気がする。さっきも史蘭に似ているとは思った。だが、今の彼女の顔は」
紫羅義は目を見開き阿美華の顔を凝視した。
二人が近づくに連れ神澪も羽玖蓮も目を見張った。
「史蘭」
神澪と羽玖蓮は同時に言葉を吐いた。
三人に近づく阿美華は史蘭の面影を強く表していた。
「東太苑殿。ご苦労様をかける」
紫羅義が声を掛けると東太苑と阿美華は深々と頭をさげた。
顔をあげた阿美華は廊下に並ぶ紫羅義たちを上目遣いで見上げ、三人を順に見ていった。そして、目を細め不思議そうな顔で視線を何度も往復させた。
「これは阿美華が使っていた剣と短剣です。売ればいくらかにはなるだろうと、魏趙刻が置いていったものです」
東太苑は一本の剣と二本の銀色に輝く短剣を差し出だすと、挨拶もそこそこに阿美華を置いて立ち去った。
「中へ」
紫羅義は阿美華を中に招き入れた。




