その115
紫羅義たちが入って行くと村人たちは怯えるような目で遠巻きにして一行を見ていた。そして、一行は村に入ると直ぐに周囲とは釣り合わない建屋があることに気がついた。
「まだ新しいようだな」
紫羅義は訝しげにその建物を見ていた。
建屋の前まで来ると一人の男が進み出てきた。
「この村の長でございます。何か御用でしょうか?」
村の長と名乗った者は身を小さくしながら馬上の紫羅義を見上げた。
「宣国の使者が来て、戦で使う物資や携行する食糧を溜めるようにと言わなかったか?」
紫羅義が尋ねると、長は目を大きく見開いた。
「失礼ですがどちら様でございましょうか、宣国の方ですか?」
長は小さくなって紫羅義に尋ねた。
「我らは朝廷の軍だ」
紫羅義が答えると、長と彼の周りにいた者たちはそのままペタリと地に尻を着けて、口をパクパクと開閉させた。
「正直に言え! 包み隠さず話せば天子様には慈悲というものがある。だが、隠せば天に弓引く者として末代まで天と地の加護は受けられなくなるぞ」
馬元譚が大声で叫ぶとそこにいた村人たちは全員が地に頭を擦り付けるように平伏した。
「お許しください、国王様の使者という方が来られて、ここに物資を溜めると一方的に言われたのです。ここに建屋を作れと命ざられ、作ると商人たちが来てここに次々と色々なものを運び込みました。商人たちも命ぜられて強制的に荷を運び入れているようでした。私たちは宣国の使者に言われた通りにやったまでです」
長は必死で弁明した。
紫羅義は馬元譚や神澪を見て、ため息をついた。
「村人に罪がないのはわかる。だが、このまま物資を保管すればお主たちも謀反の罪に問われることになるぞ」
紫羅義が言うと、長は目を三角にして息を呑んだ。
「どうすればよいのでしょう?」
長は顔を歪めて紫羅義を見上げた。
「この建屋の中にある物資と食料は暫しの間、封印せよ。時が来たら商人たちに返せ。朝廷は二十万の軍勢を高陽城に向けた。それが何を意味するかお主たちにもわかるであろう。宣国の目論見は発覚した時点で終わったのだ。ここに、国王から次の指示が来ることはない。ここにある物資のことは忘れ、いつも通りの生活をおくればいい、それでいい」
紫羅義がそう言うと、長や他の村人は安堵したように肩を落とし体の力を抜いた。
「村長殿、話を聞きたいことや調べたいこともある、二日ほどここに滞在したいのですが」
「はい、十人ほどでしたら、一緒にというのは無理ですが、数人づつに別れていただければお泊めできると思います」
神澪が尋ねると、長は何度も首を上下させながらそう答えた。
「いや、まあ、外に五百人ほどいるので、この中に泊るとかそんな話ではないのですが」
神澪が言うと長は口を開けて目を泳がせた。
「ご、五百? それはこの村の住人より多い数ですが」
長はそう言ってひっくり返った。
神澪と羽玖蓮を中心にして宣国の使者が来たときの状況や建屋の中にある物資の内容が克明に調べられた。
「ここは我らが調べる。紫羅義は阿美華という娘の手掛かりを探した方がいい」
「あ、うん、あ~わかった、後は頼む」
羽玖蓮に言われ、紫羅義はそそくさと単独行動にうつった。
「この村に阿美華という娘がいないか?」
紫羅義が村人に尋ねると、村人は一軒の家を指さした。
「あそこにそんな名前の娘がいますよ。あの家の本当の娘ではありませんが」
「本当の娘ではない?」
紫羅義は首を傾げながら、その家に向かった。
村人に教えてもらった家の前に立ち、中の様子を伺っている紫羅義に後ろから声を掛けた者がいた。
「私の家に何か御用でしょうか?」
紫羅義が振り向くと一人の男が立っていた。
「私は宣国の物資に関して何も絡んでおりません」
男は不安そうな顔で紫羅義を見た。
「いや、あの物資の件で来たわけではない。この家に阿美華という娘がいると聞いて訪ねてきたのだ」
「阿美華、阿美華の知り合いなんですか?」
男は目を丸くして尋ねた。
「いや、知り合いというわけではないが……知り合いかもしれぬ」
紫羅義は歯切れ悪く答えた。
「しかし、なんでそんなに驚くんだ?」
紫羅義は憮然とした顔で男を睨みつけた。
「あ、いや、失礼をいたしました。もし、知り合いならばあの娘を引き取ってもらえるかもしれないと思って」
「なんだって? いったいどいうことなんだ。引き取ってくれとは。わかるように説明してくれ」
「こちらへ」
男は道を隔てた川縁に紫羅義を誘った。
「申し遅れました、私はあの家の主で東太苑という者です。阿美華はうちの娘ではないのです」
「それは村人に聞いたが、それにしても引き取ってくれとは、なぜなんだ?」
「発端はこの川なのです」
東太苑は川面を見下ろした。
「川が発端と?」
紫羅義も川面に視線を落とした。
「ええ、もう一ヶ月以上前になりますか。十五人ほどの芸人一座がこの村を通りがかったのです。旅から旅への一座を束ねる座長は魏趙刻という者で、その一座の中に阿美華もいました。彼らがこの付近を通りがかったとき、うちの息子が足を滑らせてこの川に落ちたのです。前日の雨で川は増水し、私が息子の叫びを聞いて川の中を見たときはすでにだいぶ流されていました。そのとき阿美華が川の中に飛び込み息子を助けてくれたのです。でも、息子をなんとか岸に掴まらせた阿美華は力尽きてそのまま流されました。一座の者がなんとか下流で捕まえて引き上げたのですが」
東太苑は首を左右に振った。
「しかし、阿美華は家にいるんだろう?」
紫羅義は怪訝そうな顔で東太苑に尋ねた。
「ええ、あのとき、息の根は完全止まっていたのです。みんな、彼女を囲みへたりこんでいました。私もどうしていいかわからず、息子を抱いたまま、その場に座り込みました。とにかく弔わなければと魏趙刻が言いだし、寺に運ぶことにしました。そして、数人で阿美華を持ちあげようとしたとき、彼女が突然呻き、目を開けたのです。そこに居た者はみんな仰天しました」
「息を吹き返したと?」
紫羅義は目を細めて東太苑の顔を食い入るように見た。
「ええ、その通りです。息を吹き返しはしましたが、茫然としたままで、何を聞かれても憶えてないと言うばかりで」
東太苑は大きなため息をついた。
「一ヶ月ほど前……息を吹き返し、何も憶えてないか」
紫羅義は川面を眺めながら呟いた。
「それでまあ、家に留まることになったのです」
東太苑は首を小さく左右に振った。




