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紫羅義  作者: 海道 睦月
109/125

その109

「間違いないのか? あの崇命秦が謀叛とは、信じられぬ」

 狼狽して立ち上がった皇帝を羽宮亜は冷静な目で見ていた。

「お気持ちはわかります。しかし、多方面から同じ報告があがってきております。謀叛はまず間違いのない事実と思われます」

 羽宮亜の言葉に皇帝は力が抜けたように座った。

 皇帝が愕然とするのは無理のないことだった。

 参内するとき、崇命秦は、幼い隆斗と流堅にいつも珍しい土産を持ってきてくれた。二人をまるで我が子のように可愛がり、二人ともこの国王が大好きだったのである。

「ただ、この謀叛は国王の意志ではないように思われます」

 羽宮亜が言葉を続けた。

「なに? では、軍が勝手に反乱を起こしたと言うのか?」

 青年皇帝は肩を怒らせて羽宮亜に尋ねた。

「いえ、指示を出しているのは国王です。しかし、その国王を操っている者がいるようなのです。間者の報告によると、半年ほど前、城下に二人の女がたどり着いたそうです。二人は姉妹だったそうですが、行く宛のない二人の面倒をみようと誰もが近寄っていったらしいのです」

「誰もが? なぜだ?」

 皇帝は食い入るように羽宮亜を見た。

「はい、二人ともに目の覚めるような美女だったとか。それで、誰もが行く宛がないなら自分が面倒をみようと思ったようです。金のある商人の家に暫く居たそうですが、二人の女の話は国王の耳にも入り、二人は城に召し出され、国王は二人を一目見て気に入り、片時も女たちを離さなくなったとか。数日で城内に話が伝わり、召し出されるなどいくらなんでも早すぎます。何者かが情報を操作したのでしょう。その女たちが宣国に反乱を起こさせるために来たのは間違いないと思われます」

 羽宮亜の話に皇帝も重臣たちも複雑な表情になり、場内は重い空気に包まれた。

「さあ、流堅よ、どうする? 我々を可愛がってくれた、あの優しい崇命秦おじさんを討つのか? 国王は女に翻弄されているだけだぞ」

 隆斗は弟である青年皇帝を見ながら呟いた。

 そのとき、一人の重臣が前に進み出た。

「陛下、わたしのところにも謀叛が確たるものである話が入ってまいりました。宣国の北に位置する、愁葉と義諒(ぎりょう)に食料と物資を集めよとの命が国王より出され、近隣の村人や商人たちはそこに集まり始めていると、我が都に出入りする商人たちが申しております」

 その重臣は危機感を露にして語った。

「愁葉だって!」

 隆斗は思わず声を出した。

「あるのか、宣国に愁葉という地が」

 隆斗は茫然としたが、羽宮亜の声で我に返った。

「陛下、途中に食料、物資を蓄えるとは、謀叛は間違いないものと思われます。そればかりではありません、間者の報告によると、宣国は隣接する(ほう)の国や(ごう)の国を抱え込んだようなのです。後方の憂いをなくし、宣国は全軍をもって一気に朱浬の都まで侵攻しくるつもりなのでしょう。おそらく兵力は六万から七万、いかがされますか?」

 羽宮亜の言葉に誰もが皆、固唾を飲んで青年皇帝に目を向けた。

 皇帝はゆっくりと立ち上がった。

「天子は天命を受け、その命をこの大陸に捧げる者であり、国王は民の信を背負い、その身を国に捧げる者である。その民の父たる国王が、女人の色香に惑わされ世を混乱に陥れるとは許すわけにはいかぬ。宣国討伐の軍を起こす。国防大臣!」

 青年皇帝は神羅威を呼んだ。

 神羅威が前に出て平伏すると、皇帝は更に言葉を続けた。

「二十万の兵を派遣し、反乱軍を鎮圧し、反乱に加担した者を全て捕らえよ。軍の編成、率いる将軍は国防大臣に任せる」

「は、早速準備に取り掛かります」

 神羅威は力強く答えた。

「朝議はここまでとする!」

 皇帝は足早に退出していった。

 皆は青年皇帝の心中を察しながら、悲痛な気を漂わせながら歩くその後ろ姿を見送った。

 外へ出ると隆斗は早速、先ほど発言した文官を捕まえ、愁葉の地に華保という村があるかどうかを尋ねた。

「いや、私も愁葉という地の名前だけは知っておりますが、華保という村があるかどうかまでは存じ上げません。華保という村が何か?」

 文官は怪訝そうな顔をしながら隆斗に尋ね返した。

「あ、いや、なんでもない。ちょっと聞いてみただけだ」

 逆に尋ねられて、隆斗はそそくさとその場から引き上げた。

 彼は自分の側近に情報を集めるように命じ、数日後、側近の一人が報告にきた。

「華保という村に何度か立ち寄ったという商人がおりました。愁葉の南の端にある小さな村だそうです」

「そうか、ご苦労」

 隆斗は焦点の定まらない目をしながらフラフラと中庭に向かった。

「あるのか、華保という村が」

 隆斗は池にかかる朱色の橋の上で腕を組み、空を見上げた。

 間が悪ければ、反乱軍と朝廷軍が愁葉付近で合間見える可能性もある。そんな場所に行くなどと話したら何を言われるかわかったものではない。

 将軍として軍を率いて、との選択肢もあることはあるが、自由奔放に生きてきた隆斗では軍を率いるのは無理なことであった。しかも、十万の大軍が後ろにいたら身動きもとれない。

「どうしたらいいものか」

 隆斗はため息を漏らしながら水面を眺めた。

 彼は惨霧の件で皇帝や羽宮亜たちから信用がないのだ。

 皆は青弧での出来事を聞いて絶句した。

「そんな恐ろしいことが起こっていようとは。そんなことなら、あのとき、なんとしても止めるべきでした」

 羽宮亜も神羅威もここぞとばかり身を乗り出して隆斗に説教をした。

 皇帝の兄である彼もこの二人と母である波流伽には頭が上がらなかった。

 青弧の地に旅立とうとしたときもこの橋の上で考えていた。そして、羽玖蓮と神澪に声を掛けられた。

 ゆっくりとした足音が近づいて来た。

「羽玖蓮と神澪か」

 隆斗は腕を組み、目を閉じて、小さな声で呟いた。

「兄上」

「うわっ!」

 聞き覚えのある声に振り向き、隆斗は思わず声をあげた。

 今、一番会いたくない三人がそこに居た。皇帝である弟の流堅が羽宮亜と神羅威を従え、そこに立っていたのだ。

 隆斗は慌てて平伏した。弟といえど、彼は家臣という立場であり、それは当たり前のしきたりであった。

「兄上、やめてください。本当なら兄上が皇帝になっていたのです。ここには羽宮亜と神羅威しかいないのです、ここで平伏などする必要はありません」

 流堅は首の辺りをかきむしりながら困ったような顔で話した。

「いや、突然の陛下のお姿に驚き、思わず声をあげてしまいました」

 隆斗は三人と目を合わさずに答えた。

「嘘だ!」

 流堅たち三人の表情はそう言っていた。


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