その105
村の中では十数名の兵が剣を振り回して村人を追いかけており、四人は彼らに向かって、一直線に駆けていった。
村人を追いかけていた兵たちは、紫羅義たちに気付くと左右に分かれ逃げ出し、四人も二手に分かれて彼らを追った。
羽玖蓮と史蘭は二人で敵を追ったが、少し走ると相手はさらに二手に分かれ、前方にいる村人に剣を振り上げた。
「史蘭、俺はこっちを助ける、君は向こうを頼む」
羽玖蓮はそう叫び、二人は左右に分かれて敵を追った。
敵の正体も数も不明な中で、単騎になるのは危険であることは彼らも十分理解してはいたが、目の前で村人が斬られるのを黙って見ているわけにはいかなかった。
前を逃げる敵兵が壁の角に吸い込まれるように消え、それを追って角を曲がった史蘭は馬を止めた。
彼女の視界に映ったのは、馬を止めこちらを見据える兵たちと、さらに子どもの両側に立つ二人の兵だった。一人が幼い女の子の腕を掴み、もう一人がその子に剣を向けていた。
「馬から降りて、剣を捨てろ」
女の子に剣を向けていた男は剣を両手で持ち直し、首を刺す姿勢を見せた。
「卑怯な!」
史蘭は叫んだが、男たちは無言のまま彼女を見ていた。
その頃、紫羅義は戦う素振りを見せながら、寄っては逃げる敵兵に疑惑を感じていた。
「おかしい、何だ、こいつらは?」
彼が逃げる敵を追うのを止めて戻ると羽皇雅も戻ってきた。
「罠かもしれん、羽玖蓮たちを捜そう」
羽皇雅の言葉に紫羅義も頷き、二騎は羽玖蓮たちと分かれた場所に向かった。
羽玖蓮も敵の様子がおかしいことに気付き、史蘭と分かれた所まで戻ってきて、紫羅義と羽皇雅に出会った。
「史蘭は?」
紫羅義は辺りを見回した。
「あっちだ!」
羽玖蓮が指差した方に向かって三人は全速で馬を走らせた。
暫く走り回り、史蘭を捜したが見つからず、困惑しているところに、敵が単騎で現れた。
「お前たちの仲間は我らが捕らえた。助けたければ一緒に来い」
男は自信に満ちた態度で紫羅義たちに呼び掛け、馬頭を返して、俺に続けと誘った。
「奴らの目的は史蘭を一人にすることだったか、策に嵌まったようだな」
紫羅義はそう言いながら男の後を追い、羽玖蓮と羽皇雅も彼に続いた。
村から出た草地に十数名の敵兵が集まっており、その中央には史蘭が左右と後ろの三方から刃先を首に突き付けられながら立っていた。
「お前たち三人は我らの総参謀長である巴錘碧殿の息子を斬った。つまりお前たち三人は息子の仇というわけだ。一人はあのときに討ち取ったが、巴錘碧殿は残る三人の命もご所望だ。お前たち三人が命を差し出すならこの女に用はない、解放しよう」
隊長らしき男が鋭い目で三人を睨みながら叫んだ。
「息子? あの時の双子か? やったのは俺だから、他の者は放免してくれと頼んでも無理だろうな」
羽皇雅が吐き出すように呟いた。
「私のことは構わないで。この者たちを斬って!」
史蘭が叫んだが、惨霧の兵たちも紫羅義たちも、無言で睨み合ったままだった。
紫羅義は付け入る隙がないか見極めようと、敵兵たちを凝視していたが、隙を見付けるどころか敵の覚悟を見る結果となった。
迂闊に動けば史蘭の首を剣が突き抜けるであろいことは、敵の眼光の鋭さから容易に想像することができた。彼らは命令を遂行するために相討ち覚悟でここにきた強者たちなのであろうと思い紫羅義も覚悟を決めた。
「剣を捨てれば、彼女を本当に解放するのか?」
「我らは盗賊団とは違う。約束は必ず守る」
隊長の言葉を聞き、三人は馬から降りて剣を捨てた。
「前に出て、両手を挙げて、掌をこちらに向けろ、お前たちは油断ならん」
隊長が命じた通り三人が手を上げると、その途端、兵たちの緊張が少し弛み、六人の男が剣を抜き、紫羅義たちに向かって歩み始めた。
「私のことはいいのです、どうか逃げて!」
史蘭は胸の前で手を合わせた。
史蘭はもう何を言っても紫羅義たちは動かないだろうと思い、敵に気づかれずに懐から短剣を取り出すために胸の前で手を合わせた。
剣を首に突き付けている兵たちも、多人数で女を人質にとるなどという屈辱的な命令は嫌なのだ。人質から目を背け、紫羅義たちと彼らに向かう六人の背を見ていた。
「二人ともすまない、あの世で十分に詫びる」
羽玖蓮と羽皇雅にそう言って、史蘭を見た紫羅義の表情が変わった。胸の前で手を合わせる史蘭が短刀を握っていたからだ。
首には三本の剣が触れるほどに迫っていて、短刀を振り回せば間違いなく首が大きく切れる。
史蘭の唇が微かに動き、紫羅義に何かを伝えようとした。その瞬間、彼は史蘭が何をしようとしているのかを悟った。
「やめろ史蘭!」
紫羅義が叫んだのと同時に、史蘭は短刀を自分の胸に突き刺し、崩れ落ちるようにその場に倒れた。
彼女の胸には誰が見ても致命的と思える位置に短刀が深々と突き刺さっていた。
「おお! なんということを!」
周りの兵も仰天し、紫羅義たちの目の前まで来ていた六人の兵も後ろを振り返った。
「しまった!」
そう叫び、再び振り向いたとき、紫羅義たちは既に自分の剣を拾い上げており、六人の兵は一斉に斬りかかった。
二人は羽皇雅の放った鋼弾により額に穴をあけられ、残りの四人も紫羅義と羽玖蓮の剣で瞬時に斬り倒された。
残った兵たちも斬りかかってきたが、怒りと悲しみで修羅となった紫羅義と羽玖蓮の振るう剣、そして羽皇雅の使う裂指鋼牙の威力は凄まじく、風狼天翔、雲竜天舞の剣は空気を切り裂く音とともに敵の体を寸断し、羽皇雅の飛ばす鋼の玉は敵の額から入り、後頭部から飛び出すほどの威力をみせ、戦いは一瞬にして終わった。
紫羅義は剣を捨て史蘭に駆け寄り、彼女の首の下に手を差し込んで頭を起こした。
「史蘭! 史蘭!」
紫羅義の呼び掛けに史蘭は目を開けた。
「ご無事だったのですね、よかった」
今にも消えそうな史蘭の言葉に紫羅義は何と答えていいかわからず何度も何度もただ頷くだけであった。
「隆斗様の命が尽きれば、私はもう生きる価値はないのです。私だけが生き残るなんて想像したくもなかった」
史蘭の顔は苦痛に歪み、最後の力を振り絞るように右手を僅かに持ち上げた。
紫羅義はその手に自分の手を重ね合わせ、十本の指は折れ曲がり、お互いの手を覆うように重なり合った。
「来世で私を見付けてください、必ず……必ず」
「わかった必ず捜す、どんなことをしてでも」
紫羅義の言葉を聞くと、苦痛に歪んでいた史蘭の顔は微笑み、そして、手から力が抜けていった。
「史蘭、行くな! 行かないでくれ、史蘭!」
紫羅義は自分の額を史蘭の額に押し付け、何度も何度も名を呼んだが、史蘭の目が再び開くことはなかった。
羽玖蓮も羽皇雅もそばに座り込み片手で大地を掴み、もう片方の手で目を覆っていた。
史瑛夏の娘としてこの世に生を受け、隆斗という若者に自分の全てを捧げようとした史蘭はここにその短い生涯を閉じた。
暫く三人は動かなかったが、羽皇雅がゆっくりと立ち上がった。
「唯国の軍勢はもう近くまで来ているはずだ、俺が行って先導してくる。お前達が史蘭のことを報告するのは辛かろう、俺が行く。二人は彼女の傍にいてやってくれ」
羽皇雅の言葉に二人は力なく頷いた。
羽皇雅は馬に股がると東に向かって全速で駆け出した。
紫羅義と羽玖蓮は枝で台を作り、中央に史蘭を乗せ、彼女の回りを花で囲み始めた。
この台が何を意味するのか、それを考えると二人の胸は張り裂けんばかりに痛み、二人は言葉を発することもなくただ黙々と花を摘んできては史蘭の回りに並べた。
夕闇が迫り、二人は台を挟んで座り、無言のまま動かず夜が明け、日が昇っても動こうとはしなかった。見ていれば、史蘭が目を開け、起き上がるような気がして目を離すことができなかったし、空腹を満たすことが史蘭に申し訳なく、二人とも何か食べようという気にもならなかったのだ。




