第三話 竜との戦い-11
「おかしいですね、何故生かしているのですか?」
意識を取り戻したアリアドリが、目の前に立つセーラムに尋ねる。
セーラムは槍を肩に担ぎ、アリアドリを射抜くように見る。
「殺してやりたいわよ。生かしている意味は私にも分からないわ。今ならその目に一突きで脳までかき回せるでしょうから、私でも殺せるわ」
「ですね。では何故それを行わないのですか?」
「貴様ほどの大罪人を私の一存で裁く事は出来ない。それに、貴様の犯した罪は死なんて生易しい事で償わせない」
そう言うセーラムの息も上がっていた。
黄金の幼竜オルはセーラムの召喚獣であり、召喚している間はセーラムも魔力と体力を奪われていく。
短時間であったとはいえ、限界速度に近い速度でさらに複雑な動きを要求されたので集中力も必要だった為、通常より短時間で大幅に体力が激減していた。
それでもセーラムは槍を担ぎ、渾身の一撃でアリアドリの命を断つ事は出来る。
そこにエスカ、銀竜の姿のラーと騎乗しているメルディス、飛竜ケヴィンにもたれたエテュセが集まってくる。
「大罪人を前に全員集合ですか。ここまでしていただけたのなら、私も背いた甲斐があります」
アリアドリは薄く笑いを含む声で言う。
「貴方は背いたのですか?」
ラーは倒れたアリアドリを見下ろしながら尋ねる。
銀色の神竜は慈愛の目を、巨大な闇色の魔竜に向ける。
「この状況を見て下さい。これは私が背いたが為に招いた惨状ではありませんか?」
巨大な魔竜の表情はわかりにくいが、声は疲れていながらも笑っているように聞こえる。
「貴方が背くのなら、こんな方法では無かったと思います。貴方にはまったく別の目的があったのではありませんか?」
「ありませんよ。私は貴女に背いた。幼い頃から守役だった老騎士ガルムウィックも、客人である誇り高い騎士二三一もこの手にかけ、多数の同胞を肉塊に変えたのは全て私の浅はかな行動の結果です。それ以外の何だと言うのですか?」
その口振りから、最初から背く事が目的では無かった事はエテュセにも分かった。
幾つかの疑惑はあったのだ。
忠誠心に厚いアリアドリが、本当に女王に歯向かったのか。
知恵者であるはずのアリアドリが本当に背く事を目的として、ここまで直接的な手段のみを選ぶだろうか。
今回の一連の流れは、女王に背くためではなく、別の目的の元でアリアドリが計画して実行したとしか思えない。
それが何だったのか。
最初はエテュセと言うこの近辺では比類無き暴力と言う、強者との戦いを欲しての事かと思ったが、それも少し違う気がした。
戦う事が目的であれば一連の流れも理解は出来るのだが、アリアドリは最初から負ける事を前提にして戦いを挑んできたとしか思えない。
むしろ負ける事こそが、本来の目的であったかのように。
「貴方は負ける為に、滅ぶ為に戦いを挑んできましたね。竜を滅ぼす事の出来る存在、『ナインテイル』のエテュセを戦場に必ず呼び込む為に、二三一さんを犠牲にしてまで滅ぶ事を選んだ。それは何故か答えなさい」
ラーはアリアドリを見下ろして言う。
「敗者の私から語る様な事は、ありませんよ」
「エテュセ、貴女ならわかるんじゃないの?」
メルディスから水を向けられ、エテュセはケヴィンの上から考える。
「私が?」
「貴女なら分かるでしょう?」
メルディスに言われ、エテュセはアリアドリを見る。
アリアドリの方は、目を閉じて観念しているようだ。
エティセの疑惑は、ラーが言っていた通りあえて全滅する為の戦いを仕掛けていると思っていた。
それをアリアドリが率いる必要があったのは何故か。
彼の行動理念は、全てが徹底して女王の為である。その上で全滅する必要があったとすると、それは全ての竜が女王の邪魔になると判断した為だ。
「竜の限界を感じた、と言う事ですか?」
「正解ですよ」
アリアドリはすぐに答える。
「私を含む全ての竜が、女王の為にならないと分かったのです。私が女王の為に出来る事と言えば、大掃除くらいなモノでしたからね」
「そんな事の為に……」
セーラムが怒りに体を震わせている。
「そんな事?」
目を閉じ観念していたアリアドリが、目を開いてセーラムを見る。
「姫様にはそんな事に思えますか?」
「そんな事でしょう! そんな事の為に、貴様はどれだけの犠牲を出したのだ!」
セーラムが槍で突きかかろうとするのを、ラーが銀色の翼を広げて止める。
「私は女王の考えに賛成です。竜はもはや竜だけで生き延びる事は出来ません。人と共にある事は、竜にとっては絶対条件なのですが、あいつらはそれを理解出来ていなかった」
アリアドリはそう言うと、大きく息を吐く。
「もうやめましょう。私はそんな独善で行動して、同胞を死に追いやった。その為だけに必要の無い血を流させた。それで良いでしょう」
アリアドリはもう話すことは無いと言わんばかりに、口を閉じる。
その気持ちは、エテュセにも分からない話では無かった。
竜ほどの生物であれば、どれほど説明を繰り返しても言葉だけで分かってもらえるような事は極めて難しい。
知恵者であるアリアドリですら、それが不可能なほどだ。
そして、竜はいずれ驕り高ぶり、女王さえ蔑ろにしてくる。
既にその前兆は見て取れていたし、竜はそのまま暴走を始めるのは目に見えていた。
その結果、女王さえもその凶悪な竜とみなされる事になる。
亜人でも同じ事は言えるのだ。
もし亜人に人間を圧倒する実力があり、メルディスが指示していないにも関わらず亜人が一方的に暴れた場合、女王であるメルディスの責任とされ、何があっても女王だけは討ち取れと言うほどに恨まれる事になる。
周囲にそこまで恨まれた後には、どんな事をしても立て直す事は出来ない。
その前に手を打った。
それは非常に短絡的で、救いようがない手段であったが、それでもアリアドリはその手段を選び実行した。
賢者アリアドリにしては、あまりにも安直に過ぎる手だが、エテュセでも同じ手段を取ったと思う。
もっといい手段があったのではないか、と言われるだろう。犠牲を出さずに済んだのではないか、犠牲にされた者達の事を考えたのか、と責められるだろう。
それでも、エテュセも同じ事を行った。
エテュセやアリアドリの立場では、絶対に失敗は許されない。
全員が幸福になれるかも知れないが、全員が不幸になるかもしれないと言う選択肢と、九割は不幸になるが、自分が重要視する人物を含む一割の人間が確実に幸福になれると言うのなら、エテュセは後者を選ぶだろう。
アリアドリが取った手段は、もっと極端なモノだった。
例えるなら、竜殺しの英雄。
何故竜殺しが英雄になったのかと言えば、その英雄が竜を殺したと言う一点に尽きると言っても過言ではない。
アリアドリは女王の名声を高める為だけに、自身で凶獣と化した竜を率いて倒される事を選んだ。
そうする事によって女王を崇拝している者達、特に竜の谷に住んでいた亜人達へ女王の存在感をさらに高め、圧倒的な戦闘能力を持つところを見せて亜人の女王メルディスにも侮らせないようにする。
その上でエテュセを戦力の比較対象として選んだ。もしくは亜人達との結びつきを強める為の剣として、エテュセを利用する事にしたのかもしれない。
問題があるとすれば、聡明な女王に気付かれずに始められるかと言う事だろう。
もし行動に移す前に女王に気付かれては、事前に握り潰される可能性があった。
そこで利用したのが、二三一である。
真面目で正義感が強く、裏表の無い性格ながらそれなりに頭の回転が速い二三一の行動は、比較的予測しやすいので誘導する事も出来なくはない。
正義感が強く面倒見の良い聡明な、もっとも戦闘能力の高い女王を真っ先に逃がす事と言うのは、かなり難しい事でもある。
女王が逃げなければならないと、女王を説得できる人物が最初に説得して逃がしてもらう必要があるのだが、その役割に二三一はうってつけだった。
装備さえ整えれば竜と戦う戦闘能力がある事は分かったし、本人も極めて正義感と責任感が強いのも都合が良かった。
その二三一であれば、女王が最強の戦力であったとしても最前線に出て一緒に戦ってくれではなく、メルディス女王に会う為に逃げてくれと願うはずだと言う予測も出来た。
さらに二三一を討ち取ればエテュセを戦場に引きずり出す事も出来るし、女王を逃げ出させさえすれば、その途中でラーがアリアドリの真意に気付いても、一緒に逃げているであろうセーラムまで一緒に戦場に戻ると言う判断はラーには出来ない事も、アリアドリであれば計算出来ただろう。
そうして今に至る、と言うところだ。
これでアリアドリの計画通り、ラーは竜の女王としての名声をそのままに圧倒的な戦闘能力を持つ絶対者の一人となった。
エテュセの考えはそうだった。
そう考えれば、全て納得が出来る行動だったし辻褄もあう気がするのだが、アリアドリの真意はアリアドリが語らなければ分からない事である。
そして、アリアドリがそれを話す事は無いだろう。
全てを語れば少しは同情の余地もあるだろうが、アリアドリは同情されるつもりは無く、自分は女王に対し反逆を企て、それに失敗した者だと言う事を譲ろうとしない。
「陛下、この者は自ら反逆者を認めました。裁きはいかがいたしますか」
エスカは剣を抜いて、女王に尋ねる。
この剣であれば、尋常ならざる鱗に守られたアリアドリであっても、その命を奪う事は難しくない。
エスカやセーラムはアリアドリを生かしておくつもりは無く、アリアドリ自身もそれを受け入れている。
「そうですね……」
ラーはそれに対し、あまり積極的ではない。
エテュセは部外者なので口出し出来ないのだが、ここでアリアドリの命を奪う事には反対だった。
アリアドリにはアリアドリの考えがあり、それは女王の為に行った事であり、同情の余地がある。
などと言うつもりは無い。
アリアドリの計画は自身の死をもって完結としている。ここでどんな形であってもアリアドリの命を奪うのは、アリアドリにとっては自身の計画の完遂となり、ある意味ではアリアドリの完全勝利となる。
それが気に入らなかった。
それで償いまで済ませた、などと言う安い行為を認める訳にはいかない。
そう言いたかったのだが、具体的にどうするべきかが思い浮かばない上に、そこまで干渉するわけにもいかないとエテュセは思っていた。
メルディスも同じように考えているのか、特に何も言おうとはしない。
エテュセと違ってメルディスは自身の従者である二三一の命を奪われているので、その罪は問う事も出来たはずなのだが、それをする事は無かった。
竜の間で全て決める事を見守る、と言う事だ。
ラーが答えを出そうとした時、ぞくぞくと避難していたはずの亜人達が集まってくる。
「女王は無事ですか!」
竜の谷から避難してきたはずの亜人達と、メルディス軍でも避難民を守護していたはずの亜人が集まってきた。
「どうしたのです?」
メルディスが亜人の方に尋ねる。
「エテュセの『ナインテイル』が見えましたし、その後に凄い爆発や巨大な竜が見えましたので、私達も助力に来ました」
シェルが代表して答える。
ここに集まってきたのは全員では無さそうだが、いくらなんでも自殺行為である。
エテュセとしては呆れるところもあったが、離れたところからも見える脅威だったにも関わらず、女王を心配して武器さえ持っていないのにやって来ると言う行動は大したものだと、感心もした。
「助力になっていると思えるのは幸せですね」
目を閉じたまま、アリアドリが呆れた様に言う。
だが、アリアドリの言う事ももっともだ。
仮に武器を持った亜人の集団であったとしても、アリアドリの鱗を通す様な武器を人数分は用意出来ないし、そのブレスを防ぐ防具もまともに無いと言う事を考えると、数千人の亜人の集団でも文字通り一息で全滅させる事が出来るのだ。
これだけの人数が命を懸けて作れる隙があったとしても、その一息分でしかない。
だが、それでもその一息の隙を作る為だけに命を張れる覚悟を持つ者が、これだけいるのだ。
もし生きていればこの中にガルムウィックや二三一、追ってきた竜から命を懸けて皆を助けようとして犠牲になった亜人達も含まれていただろう。
女王ラーのカリスマ、と言えた。
「では、皆さんで居住区から生活必需品を回収して下さい。見ての通り戦いは終わりましたが、この様な状況になってしまいました。今後、メルディス女王に庇護していただく事になりますので、そこまで移動する為にもよろしくお願いします。メルディス女王、お受け入れいただき、ありがとうございます」
ラーに頭を下げられ、メルディスも笑顔で頷く。
まったくそんな話は無かったのだが、北西のメルディス領には余裕は充分にあるので受け入れる事は出来る。
が、移動するだけで一ヶ月はかかるので、その為の食料や衣類、防寒具は必要になる。
「私達も協力します。おい、戦闘は終わったと伝えてこい」
馬上のシェルがメルディス親衛隊の一人に言う。
その一人は伝令として走り、シェルは馬を降りるとアリアドリの前に行く。
「陛下、コイツが二三一の仇ですね」
怒りに震えるシェルが、倒れたアリアドリを見下ろしていう。
「フッフッフ。亜人如きが私に勝てると言う夢でも見たのか? 最後は無様に命乞いをしていたぞ? 見せてやりたかったモノだ」
目を閉じたままのアリアドリが、シェルに向かって言う。
シェルは剣を抜いてアリアドリに切りかかろうとするが、メルディスに止められる。
メルディス以外にもエスカ、セーラム、ラーも反応していた。
正直なところ止めようとしたのは条件反射のようなモノで、シェルであれば残念ながらアリアドリに傷一つつける事は出来ないのだが、とエテュセは考えてしまう。
「ここは私に預けて頂けませんか?」
ラーに言われ、シェルは震えながらも剣を収める。
「貴女も皆さんの手伝いに行ってきて下さい」
「……分かりました」
シェルはそう言うと物資の回収作業の手伝いに行く。
「アリアドリ、貴方への処罰は保留にします。エテュセさん、アリアドリを見張っていて下さい。下手な事をしようとしたら手足を引きちぎってもらって構いませんよ」
ラーはサラリと凄い事を言う。




