第三話 竜との戦い-10
メルディス達が竜の谷に到着した時には、既に竜は待ち構えていた。
野外に出て障害物が無くなった為、竜は既にアリアドリ以外は元の姿で広がり、半数は空に浮かび、その威容を見せつけている。
中々に絶望感のある風景だった。
これほどの竜が待ち構えている戦場と言うのも、文献の中でさえそうそう見つける事が出来ないくらいだ。
エテュセに率いられて来たメルディス軍の五十人は、今にも悲鳴を上げて逃げ出しそうになっている。
それも無理もない。
竜が一体であったとしても、素人集団のメルディス軍では五十人でも太刀打ちできないほどに脅威である。
それが二十数体待ち構えているのだ。
「エテュセ」
馬上でメルディスがエテュセを呼ぶ。
「はっ」
エテュセは飛竜ケヴィンに乗って、空中からメルディスの元へ行く。
メルディスは真っ直ぐに竜を指差す。
「私は怒っています! 私の怒りを、何も知らない獣共に思い知らせなさい!」
メルディスは大きな声で言う。
それはエテュセに聞かせる為ではなく、味方を鼓舞する事が目的であり、魔力を乗せた声は竜の軍勢にも聞かせる事が目的だった。
「わかりました」
エテュセはそう言うと、単騎で戦場に向かう。
しかし難しい事を言われたモノだ、と移動しながらエテュセは考える。
メルディスが宣言通り、本気で怒っている事は分かる。
他の亜人と比べてもメルディスの魔力の高さは極めて高く、常識の範疇に収まらないエテュセを除けば北西の地で、もっとも高い魔力を誇る。
そのメルディスが、自身でコントロール出来なくなるほどの感情の昂ぶりを見せた程に怒り、周囲の空気を凍りつかせるほどだった。
それを宣言して体現して見せろ、と言われては生半可な事では許されない。
さらにメルディスはシェルに長くはかからないと伝えていたので、ほとんど一撃で勝負をつけろと言っているようなものなのだ。
一体でも手に余るほどに強大な生物である竜、それの群れを一撃で撃滅すると言うのはいかにエテュセにしても厳しい。
頭の中によぎるのは、黒い剣。
しかし、圧倒的かつ凶悪凶暴極まる武器と言うより、呪いの塊である兵器であれば竜を退治する事も難しくない。
しかし、一体ずつに対する脅威であり、その群れを相手にするとなれば無尽蔵を誇るエテュセの体力をもってしても不可能だ。
あの黒い剣は触れるだけで呪いを撒き散らし、その一振りでも体力を大幅に削られる。並みの人間であれは握るだけで発狂しかねない呪いであり、エテュセであっても剣として振れるのはせいぜい五回。十回も振ろうとすると、おそらく握る事さえ出来なくなる。
なので、今回は黒い剣に出番は無い。
今後の一生の中で、出来る事なら黒い剣を頼るべきではないのだ。
出来る事を全力で行う。
その事に二三一は命をも賭けた。ならば同程度の覚悟をエテュセも持つべきだろう。
「二三一の仇。知らぬ仲ではない者もいないわけではないが、同情の余地も無い。我が女王が慈悲を下し、逃げる暇は与えたはず。今、私の目に映る全ては奪うべき命、殲滅すべき害獣。その命の惜しくない者だけが戦場に立て」
と、エテュセが言ったところで今さら竜が逃げるはずもない。
それどころか、エテュセのところまで笑い声が聞こえてくる。
目算にして百メートルも離れていないとは思うが、さすがの竜のブレスや羽ばたきでもここまでは届かせる事は出来ないらしい。
命を懸ける、か。
よく聞く言葉ではあるが、その言葉の意味するところは恐ろしく重い。
その言葉を体現した二三一、ガルムウィックの末路を見れば尚の事であり、それを見た直後のメルディスの言葉であればさらに、である。
即答じみた答えの速さは、たしかにメルディスは挑発に乗せられた事にもなる。
しかし、絶対に退くことが出来なかった事も事実。
勝算の有る無しではなく、必ず勝たなければならない。
エテュセは大きく深呼吸すると、ケヴィンから降りる。
そのままケヴィンを後方の下がらせると、腰から銀色の柄『ナインテイル』を抜く。
魔力に呼応してその姿を変える、本来であれば地上に存在しないはずの武器。
エテュセはそれを高く掲げる。
命を懸ける。私に出来る事を、命懸けで。
エテュセは目を開くと『ナインテイル』に力を込める。
本来この武器には、過剰に魔力を吸収しすぎないようにリミッターを付けられている。その為限界値が設定されているのだが、エテュセの持つ『ナインテイル』はその機構が壊れている為、使用者の命を奪うほどの魔力を吸収して使う事が出来る。
本来人ではないモノが使う上で、さらにリミッターを設定しているような武器であるものが、その限界を超えて使う事が出来ると言うのだから、もはや武器としての限度を超えている。
それを常識では考えられない魔力の持ち主であるエテュセが使用すれば、歴史上最凶の妖獣『ナインテイル』の厄災を再現出来ると言われていた。
むしろこれまでの彼女の戦果が『ナインテイル』の再来と言われてきたのだ。
もう、竜の笑い声も聞こえない。
エテュセの掲げる『ナインテイル』の光は空を穿つほどの長さとなり、それが九本もの数で戦場から離れたところからでも見る事が出来る威容となっていた。
「エテュセ、私の怒りを表し、全てを灰塵に帰せ」
「御意のままに」
冷淡なメルディスの言葉と共に、巨大過ぎる九つの断頭刃が振り下ろされた。
地形さえも分断する一撃は、その一振りであらゆる刃も通さない強固な鱗を持つ竜であっても肉塊に変え、山間の谷を幾重にも切り刻む。
「我が女王の怒りを知れ」
エテュセがそう呟いて『ナインテイル』を振ると、九つの断頭刃は極大の大蛇のようにうねり、それぞれが絡み合い、光り輝く渦となって竜に襲いかかる。
それは周囲の地形をも大きく変える、天災の如き一撃。
全ての竜はもちろん、エテュセより前方の二キロ四方にも及び、山間の谷に不自然極まりない平地を生み出した。
意識を失いかけて倒れようとするエテュセを、飛竜ケヴィンがすかさず助け支える。
「陛下、我らも出ますよ」
「よろしくお願いします」
竜の女王ラーが人の姿から、銀色の光に包まれて竜の姿に変わりメルディスに乗るように言う。
ラーは大きさで言えば飛竜ケヴィンより一回りは大きいが、竜としてはかなり小型と言える。
白銀の鱗は陽の光を浴びて眩く輝き、四枚の翼も触れざる神々しさがある。
メルディスはラーに誘われるままにその角を手に、ラーの首辺りに乗る。
「落とされないよう、気を付けて下さい」
「はい、大丈夫です」
竜の女王と亜人の女王が、共に最前線に出て竜と戦う意思を見せる。
「陛下、無茶はしないで下さい」
息を乱し、まともに立っていられないほどに疲弊したエテュセが、飛び立つラーとメルディスに言う。
「大丈夫よ。陛下が守って下さるわ」
メルディスがそう言うと、銀の神竜と言うべきラーとともに無残な平地と化した竜の谷へ飛ぶ。
そこには、地形同様に見るも無残な竜の死骸が飛び散っていた。
エテュセの『ナインテイル』の一撃でほとんどの竜を絶命させるが、それでも全ての竜が死滅した訳ではない。
そこにラーが追い打ちをかける。
ラーは大きく息を吸い込むと、口を開く。
ゆっくり息を吐くようにすると、ラーの口の前に眩い光が集まってくる。
「メルディス陛下、直視すると目を痛めますよ」
ラーが優しくメルディスに言った後、一気に息を吐く。
集まった光が光線となって、戦場を切り裂く。
超高温の熱線であるラーの光線が走った場所は大地が溶け出し、その熱によって溶けた大地が爆発していく。
そのあまりにも現実離れした破壊力の攻撃は、エテュセの一撃でも常識を覆す破壊の跡を残すモノなのに、ラーに追撃までされては最強の生物であるはずの竜も原型を留めなくなる。
竜だけでなく、もはや地形が原型を留めていない。
ほんの僅か前まで、この地が山間の谷であった事が信じられないほどの規模で破壊され、とても生物が生き延びれる状況ではない。
エテュセの後方から、竜人の姿となったエスカと、黄金の竜に乗ったセーラムが飛び出してくる。
二騎の竜は女王の左右に控える。
「陛下、お下がり下さい」
「残党もいないとは思いますが」
「油断してはなりません。まだ終わってはいないのですから」
ラーが言うと、残骸しか残っていない竜の谷跡から巨大な闇が地面から持ち上がってくる。
陽の光さえ吸収していくような漆黒の闇はやがて形となり、凄まじい大きさの竜となる。
それはまるで山のように巨大であり、その姿は避難している竜の谷の亜人達からも見る事が出来るのではないかと思うほどだ。
その竜は満身創痍でありながらも雄々しく、大きく首をもたげ、翼を広げ、その巨体を見せつける。
「あれこそが竜の谷の最強の竜、アリアドリです」
ラーはその闇色の巨体を誇る竜を見て言う。
想像を絶する化物と言える存在である、竜。
山を削り、大地を爆散させる攻撃を受けてなお立ち上がり、大地を揺るがす咆哮を上げる巨体。
その翼を羽ばたかせるだけで、戦場からまだ百メートル以上離れているエテュセや亜人達を吹き飛ばそうとするほどの強さである。
「これが、アリアドリ?」
エテュセは驚いているが、同じようにセーラムやエスカでさえ驚いている。
「面白い! 行くよ、オル!」
吠えるように言うと、セーラムが黄金の竜に乗って巨大な闇の巨竜アリアドリに向かっていく。
「姫様!」
「エスカ、これを使いなさい」
銀竜となったラーが爪の先からエスカに剣と盾を渡す。
「かの騎士達が力を貸してくれます」
「御意」
エスカは盾と剣を受け取ると、セーラムを追うように飛ぶ。
今のアリアドリを前には、五十人程度の亜人の軍勢では何の役にも立たない。それが五千人であったとしても、変わらないだろうと思わされるほどの迫力である。
セーラムとエスカはその場で攻撃を始めるのではなく、一度アリアドリを通り過ぎ、アリアドリの背後から攻撃を仕掛ける。
それはアリアドリのブレスによって亜人達に被害が出ないように配慮したと言う事もあるが、巨体であるアリアドリは小回りが効かないのではないかと言うところもあった。
が、アリアドリはその巨体からは考えられないほど鋭く方向転換をすると、巨大な闇色の翼を広げ、セーラムとエスカの連携を分断する。
セーラムは黄金の竜を前に飛ばしてアリアドリの背後に抜け、エスカはその翼に激突しないように急上昇する。
急上昇したエスカを待ち受けていたのは、アリアドリの炎だった。
尋常ならざる炎が空を焼き、その炎はエスカを捉える。
直撃であれば鎧をも溶かし、消し炭も残さず蒸発していたかもしれないが、その炎でさえ二三一が下賜され、今はエスカが借り受けている盾は防ぎきる。
まったく熱を通さず、その背後のエスカにはまるで被害を与えない。
そのままアリアドリは体を回し、セーラムを角で突き、エスカに対し尻尾を打ち付ける。
セーラムは黄金の竜オルを巧みに操りその角を躱したが、エスカは盾で尻尾を受けるしかなかった。
空中で尻尾の攻撃を受ける事になったエスカは、そのまま地面に叩きつけられる。
セーラムはエスカの事も気にかかったが、そこに意識を向けてはアリアドリの反撃を許すので、アリアドリ攻撃に集中する。
セーラムは槍を突き出すが、アリアドリの予想外な俊敏さに避けられる。
さらに突き掛かるが、腕などの特に鱗の硬い部分においてはセーラムの槍で貫く事は出来ずに弾かれてしまう。
セーラムの槍で決定打を取るには、アリアドリの目か喉を狙う必要があるのだが、巨体のアリアドリの間合いに入りピンポイントで狙うのは、極めて難しい。
並外れた機動力を誇る黄金の竜オルは、セーラムの騎獣としている幼竜で、大きさはラーと同じほどの大きさである。
大きさはともかくまだまだ幼竜なので、機動力はあってもブレスなどの威力はほとんど無く、鱗の硬度もまだまだ育ちきっていないので、騎獣としてしか機能しない。
と言っても、それでも別格の能力と言えるのが竜である。
アリアドリをして、セーラムの動きを捉える事は出来なかった。
万全の状態であれば捉える事も出来たかもしれないが、今は片方の目に血が流れ込んでいる為、セーラムはその死角へと回り込みながら攻撃を続ける。
それでも知恵者のアリアドリはセーラムの動きを先読みし、巨大な爪がセーラムを捉えようとする。
間一髪で爪の間をすり抜けたセーラムだったが、そこにはアリアドリのブレスが待ち構えていた。
躱せるタイミングでは無かったのだが、そのセーラムの前に尻尾を切り裂いて飛び上がってくるエスカが割って入り、盾でそのブレスを防ぐ。
エスカ自身が貰っていた盾は歪んでいたが、二三一が使っていたドラゴンシールドは埃もついていない。
さすがに切断する事は出来なかったとはいえ、アリアドリの尻尾を切り裂き、その場から抜け出す事に成功したのである。
だが、このブレスですらアリアドリにとっては本命の一撃ではなかった。
驚異的なブレスを受け止める為にエスカはその場に留まる必要があり、またその炎を防ぐ盾の範囲から抜け出すわけにはいかないので、セーラムも動けない。
非常に効果的な足止めの一撃である。
その動きを止めたところに、アリアドリの鉤爪が襲いかかる。
それが切り裂く為の攻撃であれば盾で防ぐ事も出来たかもしれないが、掴みかかられては盾では防ぎようがない。
が、アリアドリの巨体に光り輝く魔力の鞭が絡みつき、その動きを止める。
アリアドリは一瞬で魔力の鞭を引きちぎったが、それによってエスカとセーラムは逃げ切る事が出来た。
「ごめん、もう、無理っぽい」
飛竜ケヴィンに乗った状態ではあったが、エテュセは息も絶え絶えに言う。
「いや、充分過ぎるって言うか、ちょっと信じられないんだけど」
「そうですね、凄まじいですよ」
メルディスとラーが言う。
普通に考えればエテュセの最初の一撃は、命を削る一撃であり、今後二度と魔力を生成する事が出来なくなってもおかしくなかった。
それが僅かな休憩時間で、威力も強度も無かったとはいえ、百メートル単位の魔力の鞭を作り出し、アリアドリを一瞬でも止める事など考えられないのだ。
「これは私も休んでいられませんね」
ラーはそう言うと、再度光線のブレスを準備する。
その圧倒的な熱量や光量は、恐怖すら感じるのだがその溜め時間はアリアドリに当てるには致命的だった。
アリアドリはラーが溜め動作に入っている事に気が付くと、羽ばたいて強風を起こす。
「さすがに通用しませんか」
ラーはそう言うと溜めを解除して、四枚の翼を羽ばたかせてアリアドリの起こした強風を相殺する。
「メルディス陛下、大丈夫ですか?」
「はい、私は問題ありませんが、エテュセとケヴィンは流されました」
ラーの起こす風はアリアドリの風を相殺するが、そこから少し外れていた飛竜ケヴィンは飛ばされると言うより流されたと言った方が正しい。
大きなダメージは無いと言うよりダメージはまったく無いのだが、もはや体力の限界であるエテュセは、そのまま戦力外になる。
意識を保っている事が奇跡のような状態のエテュセなので、ケヴィンの首にしがみついているのが精一杯であった。
だが、同じように限界を迎えていた者もいた。
アリアドリがついに二本足で立つ事も出来なくなり、闇色の巨体が前のめりに倒れこむ。
無理もない。
アリアドリは最初のエテュセの攻撃とラーの光線ブレスと言う、二つの地形を変える非常識な攻撃を受けているのだ。
その上で戦闘を継続していたのだから、想像を絶する化物と言って良いだろう。
しかもまだ、絶命した訳ではない。
この世界で最強の生物である、竜。
アリアドリはそれでもまだ首を持ち上げ、エスカやセーラムの接近を阻む。
だが、ブレスを吐く事も出来ず、巨体に似合わない俊敏さも影を潜め、高くもたげる首も徐々に落ちてくる。
そこに黄金の矢となってセーラムが襲いかかる。
自身の体支える事の出来なくなったアリアドリに対し、セーラムは高々度からの急降下を仕掛ける。
アリアドリは見上げようとするのだが、それはエスカに対し無防備に喉元を晒す事になる。
アリアドリは最後の力を振り絞って首を振り、エスカの接近を妨げる。
だが、これがアリアドリの最後の抵抗だった。
眉間を貫くような一撃が、アリアドリを打ち抜いた。




