第三話 竜との戦い-9
翌朝になっても、メルディス達は軍を進める事は出来なかった。
早朝出発の準備を行っていたのだが、そこへ竜の谷から逃れてきた者達が雪崩込んで来た為である。
竜の谷の亜人達の方がメルディス軍より圧倒的に多く、メルディス軍はその受け入れに追われる事になったのだ。
逃げて来た亜人達の話によると、厳密な意味で追撃に出た竜は一体もいなかったと言う。
殿軍を引き受けたガルムウィックと二三一、僅かに残った決死隊によって竜を食い止めたためである。
だが、昼頃になって逃げて来た亜人達の様子は大幅に変わってきた。
殿軍の全滅によってアリアドリは谷の占領を宣言し戦闘を終結させたのだが、血を見足りない竜が二体ほど勝手に飛び出し、非戦闘員に襲いかかって来たと言う事だった。
襲って来た竜は手負いが二体であったとはいえ、亜人達では戦いようが無く、この時には多くの被害を出した。
竜の脅威に晒された亜人達は、さらに被害を出しながらも反撃を試みるものの、まったく手も足も出なかった。
だが、この時の多くの犠牲の元に成り立ったごくわずかな足止めの時間が、より多くの亜人達を救う事になったのだ。
避難組の最後尾の者達は自らを殿軍と認識し、盾となるべく竜に挑みながら足止めもまともに出来ていないと言う事はわかっていたらしい。
二三一は最期に、近くにエテュセ達が来ているのでそこに助けを求めるように言っていたが、竜の谷の亜人達は二三一に対するほどエテュセを信じられるほどに知らず、メルディスなど名前しか知らない状態だった。
その藁のような光明に縋る事でしか生きられない事が分かり、その事に命をかけたからこそ作る事の出来た僅かな時間。
二体の竜の内の一体は、その亜人の殿軍を蹂躙していたのだが、突然その戦場に現れた閃光の如き一閃に首を跳ね飛ばされた。
誰もが目を疑う中に現れたのは、たった一人の若き竜の騎士。
その一騎が全てを引き受ける事で、亜人達はここまで逃げて来る事が出来た。
最期の一人であるその一騎がエテュセ達の前にやって来たのは、昼過ぎになっていた。
「エスカ?」
セーラムが亜人達を掻き分けて到着者を迎えた時、その人物を見て驚く。
「姫様、女王陛下もご無事なのですね」
エスカは膝をついて言う。
「僕で最後です。ガルムウィック様も、二三一様もアリアドリの手に掛かりました。二三一様から、女王陛下にコレを返してくれと」
エスカはそう言うと、剣と盾を返上する。
「約束を果たした、と言う事ですね」
「エスカ、立てる?」
セーラムやラーがエスカとの感動の再会の中、エテュセが後ろから言う。
「はい」
「ならば、立て。私達はこれから反逆者を討つ」
エテュセの言葉に、エスカはすぐに立ち上がる。
「我らはこれより、竜の谷へ攻め入る。すぐに決着は付かないでしょうから、亜人達は充分に休んでから合流したい者はそれから合流を。陛下、姫、エスカは同行願います」
エテュセの言葉に、名前を呼ばれた三人は頷く。
また、メルディス軍も少数とはいえ竜の谷から避難してきた多数の亜人達の保護が、形だけだとしても必要になる。
エテュセは三十人ほどをここに残す為に手配する。
出来るだけ足が速く、万が一の際にはすぐにエテュセ達に報告が出来るようにと言う配慮であったが、その手配が済む頃に竜の谷から竜が一体やって来た。
どんな形であったとしてもその竜は来客なので、メルディスとラー、その傍らにエテュセとセーラム、エスカが控える。
本陣のテントに通された竜は女の姿をしていた。
「ルードレイ!」
後ろに控えるエスカが切りかかろうとするのを、エテュセとセーラムが止める。
その剣が女王の持つ剣であれば、ルードレイも一刀の元に切り捨てられていただろうが、今エスカが持つ剣ではギズ一つつけられないかもしれない。
それでもここでは止める必要があった。
礼には礼を尽くすと言う事を、どんな形であったとしてもこちらからそれを崩す訳にはいかない。
メルディスの新興国は一般的に圧倒的な武力をもって敵を押さえつけると思われているが、それはエテュセと言う規格外の兵器があるだけであり、実際に動かせる戦力や軍事力は周りが思っている以上に少ない。
なので疑念を持たれる事は非常に苦しい立場に立たされる事になる事を、メルディスは知っている。
エテュセから回ってきた看板であったとはいえ、メルディスにとっては義と善の女王でなければならない。
「この度はどのような御用向きでこのようなところに?」
メルディスが竜の使者としてやって来た女、ルードレイに尋ねる。
「私は必要無いと思ったんだけど、どうしてもアリアドリ様が挨拶しておきたいと言う事だったから、来てあげたのよ」
態度の大きいルードレイに対し、エスカは今にも暴れだしそうだった。
さほど気が長い方とも言えないセーラムも露骨に表情を険しくさせているが、エテュセが二人を抑えている。
このあからさまな人選から、アリアドリのメッセージが伝わってくるからだ。
戦え、と。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。これより谷へ攻め込みます。貴女は急ぎ帰って、その旨お伝え下さい」
失礼な態度のルードレイに対し、メルディスは丁寧に応対する。
緩やかで柔らかい対応が気に入らないのか、ルードレイは眉を寄せる。
「余裕ね。竜を相手に何が出来るつもりなの?」
「出来る事を行います。貴女達こそ、女王を敵に回して勝てるつもりでいるのですか? 頭を垂れるも、逃げ出すも今のうちですよ?」
メルディスの柔らかいながらも痛烈な挑発に、ルードレイは怒りに表情を歪める。
こう言うやり取り好きだよな、とエテュセは心の中でため息をつく。
メルディスは気が長く心も広いのだが、何が何でも戦いを避けると言うような事はない。それどころか相手の隙を見つけた瞬間に、これまでの大人しい美女の印象のままに氷の槍の一撃を突き出す容赦の無さがある。
それを知らない者は、メルディスの見た目で侮ってくる。
ルードレイも言葉での攻撃で先手を取られたので簡単に挑発に乗って暴れるかと思ったが、ニヤリと笑って見せる。
何とも不吉な笑顔だ。
「そっちにこそ、同じ言葉をかけてあげるわよ。私達を敵に回して本気で勝てると言う夢を見ているのなら、今のうちに現実に帰ってきなさい。臆病者の女王と幼い竜が一匹、さらに有象無象の亜人がいたところで、我ら竜に勝てるはずもないでしょう?」
ルードレイは挑発してくるが、セーラムやエスカはともかく、メルディスやラーといった女王は微笑みすら浮かべて受け流している。
こりゃ役者が違い過ぎるな、とエテュセは苦笑いする。
メルディスとラーの二人を相手にするとなると、最低でもアリアドリでなければ話にならない。
ただしそれは交渉事での話であり、アリアドリが求めているのはソレではないのだから、この女ルードレイでもこなせる役割があると言う事だ。
その為の人選であるはずなのだ。
ルードレイも引きつってはいるが、一応笑顔は浮かべている。
この女も使者を任せられるだけあって、中々に豪胆だ。
「そう言えば、土産があった事を忘れていたわ。わざわざこちらから手土産を持ってきてやる必要なんて無いと思ってたんだけど」
ルードレイはまた改めて勝ち誇った笑顔になると、特殊な魔術で異空の扉を開き、メルディスとラーの前に大きめの箱を一つずつ置く。
「是非ともその土産を受け取って下さいませ、両陛下」
恭しく頭を下げるルードレイに、エテュセは嫌な予感がする。
「では、受け取りましょう」
そんな嫌な予感を読み取っているはずだが、メルディスは箱を開ける。
蓋が箱の支えとなってたらしく、蓋を持ち上げると箱全体が開く作りとなっていた為、箱の中身が全員に見える。
それは二三一の首だった。
セーラムとエスカが息を呑むのが分かる。
ラーの方を同じように箱を開けると、そこにはガルムウィックの首が入っていた。
「せめて命を掛けた女王の元に帰りたいと思ったでしょうから、それを叶えてあげたのよ。私達って優しいでしょう?」
「貴様ぁ!」
セーラムとエスカが飛びかかろうとするのを、エテュセとラーが止める。
「ここまでしていただかなくても、私達は逃げも隠れもしませんよ」
メルディスは優しく二三一の頬を撫でると、ルードレイを睨む。
それは劇的な変化だった。
ラーやエテュセが止める必要があったセーラムとエスカが、相手を蔑んでいたルードレイですら凍りつく。
本陣とされているテントは風も無いのに震え、呼吸を忘れるほどの冷気が周囲を凍りつかせた。
それほど周囲の雰囲気を一変させたのは、竜の女王ではなく、ただ一人の亜人の女性である。
「なるほど、心尽くしの品、確かに受け取りました。使者殿、私からの伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
亜人の女王は上品な口振りではあるが、相手が竜であっても有無を言わさぬ雰囲気である。
「私達はこれから出発し、竜の谷に篭る逆徒を一体残らず殲滅します。今すぐに逃げなさい、と伝えて下さい。貴方達は、私を怒らせたのだ、と。私の怒りに触れたくなければ、今すぐに逃げ出せ、と。間違いなくお伝え下さい」
感情の無い声で言うメルディスに、ルードレイは何も答える事は出来ず、一度鼻を鳴らすと翻って去っていく。
「すみません、陛下。出過ぎたマネをいたしました」
メルディスはルードレイが出て行ったのを確認すると、ラーに向かって頭を下げる。
「陛下の許可も得ずに相手の挑発に乗って、戦いを決めてしまいました」
メルディスはそう言うと、二三一の首を箱に戻すと、同じようにガルムウィックの首も箱に戻す。
「いえ、元を正すと私達が巻き込んでしまった事です。本来であれば私共で納めるべきところ、助力を請い、このような悲劇を招いてしまったのです。恨まれる事はあっても、陛下から頭を下げられるような事はございません。ですが、まずは弔いを済ませてから、出陣しませんか?」
ラーの言葉に、メルディスは首を振る。
「今すぐに出発します。シェル!」
「はっ!」
外に控えていた親衛隊長のシェルが、テントに入ってくる。
本来ならエテュセのところに立つべき人物なのだが、今は守備隊の手配を済ませていたのでテントの外に出ていたのである。
「残念ですが、二三一は竜の手にかかってその命を落としました。これよりその弔い合戦に向かいます」
「……え?」
キョトンとして意味を飲み込めずにいるシェルに、メルディスは二三一の首の入った箱を預ける。
「戦いは長引く事はありません。早ければ夕刻までに戻ります。それまで、ここで待っていて下さい。エテュセ、今すぐ動ける者を集めて出発します。女王陛下にも御足労、よろしくお願いいたします」
メルディスはそう言うと、真っ先にテントを出て馬に乗る。
元々出発直前だった事もあり、エテュセは五十人を率い、それにラーとセーラム、エスカを含めてメルディスの後を追った。




