第三話 竜との戦い-4
「ねえ、もう名前教えてくれても良いでしょう? 実力を認められて、ドラゴン・シールドまでもらったのよ? 私でも持ってないのに」
「いや、姫様の場合盾いらないでしょう?」
「まあ、そうなんだけどね」
二三一の言葉に、セーラムは満足そうに頷いている。
「でも、ドラゴン・シールドって言われても、竜の皆さんはコレ級の鱗に全身を覆われてるわけで、姫様はそれさえ必要無いくらいで、この盾って実は要らなくなった物って訳じゃ無いですよね」
「そんなに失礼な事言うんだったら、私が貰う。私、剣だって使えるし、その時にはこの盾も役に立つし。ほら、貰ってあげるから。っていうか返しなさい」
「すみません、ごめんなさい、二度と失礼な事は言いません。こんな超一流の一品をお渡しいただいて、故郷でも自慢ができます」
セーラムが露骨に殺気立ったので、慌てて謝る。
「うむ。分かればよろしい。で、名前なんだけど」
話を逸らす為に、超一流の防具だと分かるドラゴン・シールドを貶めるような事まで言ってみたのだが、効果は無かったらしい。
「姫様、そう言う事にこだわる人なの?」
「貴方に言われたく無いわね。貴方も戦士と騎士の違いには、相当こだわってたみたいだし」
「はい、すみません」
セーラムがそんな感じで反撃してくるとは思わなかった。
もうちょっと直接的な反撃が来るかと思っていたが、より痛いところを攻めてきた。
「ねえ、何でそんなに名前を名乗りたがらないの? 女王から盾を下賜されるなんて、凄まじい名誉な事じゃないの?」
「それはもう、大変身に余る光栄なのですが、ちょっと身に余りすぎて実感が沸かないとでも言いますか、俺なんかが盾を下賜される栄誉に預かって良いものかと思いまして」
「ああ、なるほど。それはそうかもね」
根っこの部分は単純で純粋なセーラムなので、ごまかすのはチョロい。
「とでも言うと思ったの?」
思い違いだったらしい。
「よくもまあ、そこまで誤魔化すネタが出てくるとは感心するけど、そこまでして名乗りたくないの? 何か別の名誉を期待しているの?」
今日は思いのほか強く、ちょっとやそっとじゃ引き下がらないような決意さえ感じる。
それはそれは迷惑な話なのだが、相手が高貴な人物と言うのがさらにタチが悪い。
「いやその、今日はエスカの騎士任命の日で、主役はエスカでしょう? 俺の名前を披露して主役を食っちゃったら、エスカに嫌われそうだし」
「あー、それなら女王から盾を下賜された事で十分でしょう」
「ええ? エスカだって盾貰ってた上に、式典まで上げてただろう? 俺みたいにこっそり渡された訳じゃないし、どう考えたってエスカの方が上じゃないか」
「そこは私よりエスカに言ってよ。私関係無いから」
「まあ、無いかな」
二三一は借りている自室に戻るところであり、セーラムの自室は反対側である。
竜の谷の夜は早く、朝も早い。
基本的に住人達は、早寝早起きである。
いかにも娯楽の少ない竜の谷と言える生活習慣で、二三一は嫌いではない。
もっともエテュセは夜遅くまで細々と何か記録をつけていたみたいだが、そこは本人の生活リズムなので口は出さなかった。
エテュセの場合、いつ寝ているのか不安になるくらい睡眠時間が短い。
本人が言うには、半年毎に寝だめしてるから大丈夫、との事だ。
そんな馬鹿な、とも思うのだが、常識の通用しない体質であるエテュセなので、そう言う体質でもおかしくないと思ってしまう。
「俺は実感を得たいんだと思う。今回女王陛下から盾を下賜された事は本当に望外の事なんだ。身に余りすぎて、自分が何かやって手に入れた名誉だって実感が沸かないんですよ。もうちょっと、こう、ここに住んでいる亜人の集団とかから感謝される事をすると実感が湧く気がする」
二三一は本心を語っていた。
本質的には純度の高い戦士である二三一なので、やはり武勲こそが名誉であると考えているところだろう。
それだけにセーラムから何をどう言われても、それを自分の武勲として名誉を誇る事が出来ないでいるのだ。
「そんなワケで、ここで粘っても俺から名前は聞き出せないよ。また明日以降頑張ってみて下さい」
「何でよ。今日こそでしょ? だって女王陛下から盾を下賜されたのよ? これほどの名誉は今後の人生の中で二度と無いでしょ?」
「無いだろうね。それは俺もそう思う。でも、それって俺の武勲って言うより、女王陛下の過剰評価としか思えなくて」
「陛下はそんな甘い方じゃ無いわよ。信賞必罰をこそ旨とする公明正大なお方。そのお方からの評価を疑うと言うの?」
「いや、俺を疑ってるんだって。だって俺がそんな評価を得られるような事が出来るはずが無いだろう?」
「それは、まあ、そうかもしれないけど……」
自分で言っておいてなんではあるが、セーラムにはそこは肯定せずに否定して欲しかった。
「そんなワケで、また明日」
「名乗る気無いでしょ」
「うん。もう長い事本名名乗ってないから、ぶっちゃけ忘れてるし」
「嘘はとことん下手みたいね」
セーラムはニヤリと笑う。
この姫様、悪い顔するよな、と二三一はちょっと心配になる。
「俺の部屋にも着いた事だし、今日は諦めてお休みください、姫君」
「そう言うところが様になってるのが、けっこうムカつくわね」
そう言うとセーラムは、大きくため息をつく。
これは彼女流の降参の意でもあるので、今日のところは諦めたようだ。
「じゃ、また……」
明日、と続くはずだったセーラムの言葉が出てくる事は無かった。
「姫、二三一殿、急ぎ装備を整えて下さい」
大急ぎで走ってきたのは、ガルムウィックだった。
「どうした、何事か」
セーラムは毅然とした態度で迎える。
「アリアドリの反逆です。今は反逆者の一団が亜人の集落を襲っているのです」
「何?」
それに反応したのは、セーラムではなく二三一だった。
この谷に住む亜人の数は多い。例え竜が強力無比であったとしても、あの亜人の集団全てを殺し尽くす事は、そう簡単な事では無い。
「罠だ。アリアドリが反逆したと言うのなら、標的は亜人ではなく女王のはず」
二三一の言葉に、ガルムウィックが頷く。
「その通り。しかし、亜人を見捨てる事も出来ない以上、私は亜人の集落を守りに行きます。姫と二三一殿は女王と共にこの谷を脱出していただきたい」
「亜人のところには俺が」
二三一が行こうとするのを、ガルムウィックは首を振って止める。
「おそらく私が行ったところで亜人は守れません。そこに二三一殿が加わっても、おそらく結果は何も変わらないでしょう。ですが」
二三一が何か言おうとするのを、ガルムウィックが遮る。
「女王陛下、姫、さらに客人の二三一殿が逃げ切るとなったら、アリアドリの奴は慌てて竜の大半をそちらに向けるでしょう。そうなれば、私は亜人の集団を率いてその背後を打ち、この谷に閉じ込める事も出来るでしょう」
ガルムウィックはそう言うと、二人を女王の方へ行かせる。
「ガルムウィック殿、ご武運を」
「二三一殿、その盾は飾りでは無い事を、お調子者の竜共に教えてやりなさい」
ガルムウィックはそう言うと、亜人の集落へと向かう。
「アリアドリが反逆となると、簡単には収まらないでしょうね」
セーラムは女王の元へ走りながら、二三一に言う。
「でも、何でこんなタイミングで? エスカの騎士任命がアリアドリにとって受け入れられなかったとでも言うの?」
それはないと二三一は思う。
執政官であるアリアドリは、エスカの騎士任命を阻止する事も出来る。
と言うより、今日の騎士任命の式典はアリアドリが取り仕切っていたし、何より騎士任命に辺り実力において問題なしとしたのはアリアドリである。
もし彼がエスカの騎士に対して反対であれば、そこで簡単に阻止出来る事であり、任命された後に反逆と言うのは考えにくい。
アリアドリのところをエテュセに置き換えた場合、そんな理由で女王に弓を引くような事は有り得ないと言ってもいい。
であれば、何か理由があるはずなのだ。
今日、この時である理由。
「……エテュセか?」
「え? 何?」
二三一の呟きに、セーラムは聞き返す。
エテュセが竜の谷から収容所跡地に向かってから、まだ一ヶ月も経っていないが、エテュセには翼手竜ケヴィンと言う騎獣がいる。
エテュセと二三一はここまで来るのに一月以上かかったが、エテュセ個人であれば移動時間は三分の一以下に短縮出来るはずだ。
しかも今度は場所も道も分かっているのだから、それほどの時間をかけずに来る事が出来る。
そう考えると、収容所跡地からここまで一月を必要とせずに移動出来ても、何の不思議も不自然なところも無い。
だが、アリアドリはそのタイミングで挙兵したのか、と言う疑問が残る。
もしアリアドリの反逆がこの竜の谷の支配であったなら、女王ラーを討伐するか捕縛するか、追放しなければならない。
ラーの戦力は正直に言うと予想も付かないのだが、その分どれほどの戦力を有しているかも分からない。
しかし、並外れた戦闘能力を持つと言う事は簡単に予測出来るラーを相手に、アリアドリが油断するはずもない。
それでなくとも戦う敵は少ない方が、勝利に近づく事は疑いない。
メルディス女王の軍が近付いて来たのを察し、合流する前にケリをつけるつもりなのかもしれない。
だとすると、エテュセが近くにいる。
そうと決まった訳ではないが、準備はしていたはずのアリアドリが行動したのには何かしら理由があるはずで、このタイミングと言うのはそれが一番考えられると二三一は予測した。
そこに希望的観測が無いとは言えない。
「二三一、何をブツブツ言っているの?」
「エテュセが近くに来ているのかもしれない。それを恐れてアリアドリは行動したのではないでしょうか」
「なるほど、それは有り得るわね。と言うより、それでしょうね。エスカの騎士任命とは関係無いと思ったけど、エテュセが来たのを恐れたってわけか」
恐れた、と言うのは違うと思うが二三一はそこに口を挟まなかった。
アリアドリがエテュセを恐れたとすれば、あの男なら牙を剥くような馬鹿な真似はしない。本当にエテュセを恐れたとするなら、アリアドリならばメルディスとエテュセの仲を引き裂く為の策を練るはずだ。
竜の鱗がいかに固く、爪や牙が鋭かったとしても、そんな物理的な強さで『ナインテイル』と戦おうとするほどアリアドリは自信過剰では無い。
もしエテュセやメルディス軍が近くにいて、それに合わせて行動したとするのなら、アリアドリはそこと戦おうとしていると言う事になる。
(勝てるとでも思ってるのか?)
二三一はそこに疑問を感じる。
竜が強いのは分かるし、知っている。だが、竜はエテュセの強さを知らないし、知ろうとすらしていない。
ラーは情報を集める為に、エテュセを手元から離さなかった。
しかし、結果としてその行動があった為に、ラー以外はエテュセの事を知る機会を失った。
それはアリアドリも例外では無い。
もし二三一を強さの基準と考えているのなら、それはとんでもない勘違いだ。
メルディス軍の亜人の戦力を考える場合なら、間違いではない。
だが、エテュセとメルディス女王は別次元の強さであり、二三一を何倍していったとしてもあの二人の強さには近付かない。
何かよほどの切り札を用意しない限り、あの二人を倒す事など出来ないと言う事を、アリアドリほどの知恵者が気付いていないのだろうか。
二三一がラーとアリアドリが別格だと感じているのと同じ様に、ラーやアリアドリであればエテュセが別格だと気付いていないはずは無いと思われる。
何かおかしい。
二三一の中で、違和感が消せなかった。
この谷でガルムウィックやエスカ、その他の竜とも少しは話したが、本質的には戦士と同じ考え方で、発生した問題は腕力で解決するという思考で、勝つためであればその為の作戦も立てる。
だが、自分達に強力無比な武器があるのだから、相手など気にしないと言うほどの自信過剰は想像以上に少なかった。
それを取り仕切るアリアドリは、まったく異質な政治家で、戦士ではなく戦略家である。
ガルムウィックはその事で毛嫌いしていたほどなので、逆にアリアドリは戦士の思考とは違う考えと行動を取ると言う事の証明にもなっている。
アリアドリが何を考えているか分からない。
智者であるアリアドリの考えの全ては読めないにしても、何を企んでいるかを把握しなければ張られた罠に気付く事など出来ない。
それはどうしようもなく致命傷になる事を、二三一は収容所の乱で知っている。
アリアドリは禁術級の切り札を持っている、と言うくらいの事は考えるべきだ。
この時の二三一はそう考えていた。




