第二話 竜の谷-9
「で、二三一を竜の所に残してきたの?」
メルディスがエテュセに確認する。
「いや、二三一が自分で残るって言い出したのよ。逆に私が残って、二三一に報告してもらおうと思ってたんだけど、私の方が早いからってのと、どうしても残りたいって言い出して珍しく譲らなかったのよ」
西の元収容所に戻ってきたエテュセは、事の次第を報告していた。
「え? 二三一に勝てる女の子がいるの?」
御前試合の話をした時、メルディスは目を丸くして驚いていた。
「いやもう、けちょんけちょんにされてたわよ。本人も百回やって百回負けるって言ってたし」
「うわ、そりゃ凄い。エテュセは知らないかもしれないけど、二三一ってこの近辺ではめちゃくちゃ強い部類に入るのよ? 少なくともこれまでここでやって来た御前試合では、まったく苦戦せずに相手の心を折ってたからね」
確かにここで行われた御前試合の事は、エテュセには知りようは無いのだが、相手を倒すのではなく心を折っていたと言うのが二三一らしい。
その戦いをエテュセは見ていないので何とも言えないが、セーラムやアリアドリが舌を巻くほどの防御能力を持っていた二三一である。セーラムクラスの攻撃力を持っていなければ、二三一の防御の前に弾き返されてきただろう。
それにあの巨体でありながら、二三一はスピードもそれなりにあり、しかも器用な戦い方が出来る。
あの御前試合でもセーラムと至近距離で超高速戦闘を繰り広げていたくらいで、アレについていける戦士はそう多くないのはエテュセにも分かる。
「ちなみに、ここに二三一と戦えるヒトっているの?」
エテュセが質問すると、メルディスは少し考える。
「スパードさんならほぼ互角よ。あとはシェルが惜しいくらいかな?」
「アレが? 私としてはアレが強いってイメージ無いんだけど」
「まあ、エテュセは知らないでしょうけど、シェルは凄く強くなったわよ? スパードさんとか二三一とかから教わってるわけだし」
「えー? ちょっと私も試してみよっか?」
「やめときなさい。あんたの戦い方は試すとか測るとか、そう言う事にはまったく向いていないでしょう」
メルディスが笑いながらだが、はっきりとエテュセを止める。
「大体あんたって、勝つために手段を選ばないから試合とか演習とかには向かないでしょ?」
「そうなのよね。何て言うか、どんな状況であったとしても、戦うなら勝たないとって考えちゃうのよね」
そんな訳で、という訳ではないがエテュセはここ二年ほど戦闘訓練などを行った事が無い。
かつて天空の騎士と呼ばれる存在と訓練した際には、本当にどんな事をしてでも勝つ、もしくは生き残る必要があったと言う事もあり、それが身に付いてしまった。
「それに、あんたが接近戦ってその時点で色々戦い方間違ってるでしょう?」
「まあ、それもそうか」
エテュセの武器『ナインテイル』は中距離から遠距離でその脅威を発揮する武器であり、二三一やシェル、スパードが得意とする武器戦闘の間合いでの戦闘を必要としない戦い方こそがエテュセの戦い方でもある。
「で、姫様に惚れて二三一は残ったの? うわー、シェルが泣くなー」
「いやいやいや、まったくそんな感じじゃなかったわね。って言うか、何? シェルと二三一ってそんな感じなの?」
「あー、二三一はどうなんだろうね。シェルは頑張ってるけど」
「うーん、好みの差はあるだろうけど、姫様と比べると見劣りすると思うよ?」
シェルも収容所時代にはメルディスと同部屋だったので、収容所でも重要視されていた亜人の少女であり、見た目にも獣耳もあって愛らしさはあった。
しかし、セーラムと比べるのはちょっと可哀想でもある。
「エテュセはどうなの? 旅してる間に、良いかもと思うヒトはいた?」
メルディスはニヤニヤしながら言う。
「それがねぇ、私って怖いみたいなんだけど。私って怖いかなぁ?」
「怖いわよ。超怖い。エテュセより怖いモノってこの世に存在しないかも知れないって言うくらい怖いけど、それがどうかしたの?」
「うん。別に問題無い。ちょっとショックだっただけだから。それはともかく、そっちはどうなのよ。スパードさんと結婚するの?」
エテュセから反撃されて、メルディスは言葉を失っている。
「女王陛下、お子様の予定はいつですか? 二世が誕生すれば、この国も安定します」
「ちょっとこの話はいったん置いておきましょう。今のところ、シェルが泣くような事にはなってないのね?」
「私が出発する前までは、少なくとも二三一の方にそれっぽい感じは無かったわよ。姫様の方はどうか分からないけど」
あの御前試合が終わった直後から、セーラムの態度は極端に軟化していた。
実力を認めたからこそ、だとは思うのだが、それで言えばシェルが二三一に抱いているのもスタートラインは同じだったはずだ。
そこを考えると、これから竜の谷まで行く間にどういう心境の変化があるかは、エテュセには保障出来ない。
特に二三一には不思議な人心掌握術があるように見えるので、それが竜には通用しなくても亜人であるセーラムであれば効果があるかも知れない。
「それはシェルには聞かせられないわね。それじゃさっそく準備しましょうか。私単身で良いの?」
「あー、それはさすがに対外的にマズいかな。最低限の護衛として、百人くらいは一緒に行ってもらわないと」
「そんなに? エテュセも一緒なんだし、あんまり大々的にやると逆にここが手薄ですってアピールになりそうだけど」
「だから対外アピールだって。私のせいだってのは自覚してるけど、私達って敵が多いでしょ? だから、何か用がある時に女王を呼べば、ごく少数の護衛しかつけないで呼び出せるとか思われたくないの」
エテュセに言われ、メルディスは軽く腕を組む。
「でもそれだったら逆手に取れそうだけどね」
「私が常にメルディスの近くにいるんだったら、私とメルディスの二人で行動すれば済むけど、私はメルディスと一緒にいない事の方が多い訳だし」
「ふむ。なるほど」
メルディスは大きく頷いている。
よほどの事が無い限り、エテュセが近くにいればメルディスを守る事が出来るが、事実上それは無理である。
そこをカバーするには、どうしても数が必要になる。
数が多くなれば裏切りのリスクも無くはないのだが、ここにいる元収容所メンバーは結束も固いので心配ない。
戦力も二三一がいないとはいえ、相手が竜やセーラムの様な例外でもない限り、問題はないはずだ。
もっとも、今から向かうのがその例外のところではあるのだが。
「エテュセ、念の為聞くけど、戦いに行くわけじゃないのよね?」
「うん。話し合いよ。竜の女王様が美味しい料理を振舞ってくれると思う。あー、それ考えると、二三一は食べ物が美味しいから残ったのかも」
「え? 竜って料理とかするの? 私のイメージでは口に入れられるモノならなんでもガブガブ食べてそうな感じだったけど」
「うん。ほとんどの竜はそうみたい。女王は料理が趣味みたいだけど、美味しそうに食べてくれるヒトが少ないって嘆いてたわよ」
大食漢な二三一が残って、ラーは腕の振るい甲斐がありそうで喜んでいた。
「メンバーの人選はメルディスに任せるわ。まあ、自称でも親衛隊を称してるなら、シェルの親衛隊は来てもらった方が形にはなるでしょうね」
今回に対しては対外アピールがメインなので、メルディス女王の親衛隊を宣伝するチャンスでもある。
エテュセはその実力を知らないのでどうしても評価は低いのだが、メルディスや二三一が実力をつけたと言うのであれば、その存在を表に出す事で恥をかく事もないだろう。
「そう言えば、二三一は竜の谷を昔の収容所の雰囲気に似てるって言ってたわね」
ふと思い出して、エテュセがメルディスに言う。
「え? でも、女王様は優しい方で、料理まで振舞ってくれたんでしょう? どう考えてもギリク所長とは違うと思うけど」
「いや、女王が所長に似てるって訳じゃなくて、竜の谷の雰囲気よ。まあ、私もなんとなくそれは感じたわ。竜とはほとんど会ってないけど、会った竜は偉そうなのが多かったし、亜人を虐待してるわけじゃなかったけど蔑んでるのは感じたし」
エテュセの言葉に、メルディスは眉を寄せる。
「二三一がそう言ってたの?」
「いえ、二三一はそんな事は言ってなかったわよ。私がそう感じてたって話。二三一は、元収容所に似てるって話で」
エテュセの話を聞きながら、メルディスの表情はだんだん険しくなっていく。
「え? 何かマズイ事?」
「可能性の話だから何とも言えないけど、二三一って見た目にはあんなだけど、慎重で勘も鋭いでしょ?」
「うん。見た目で言えば、勘とかまったく信じなさそうだけど」
メルディスは何か考え込んでいる。
二三一が言っていた収容所に似ていると言うのは、あの蜂起の直前の雰囲気とも言っていた。
エテュセがわざと所員を怒らせていたのは、確かにタイミングを計る事が目的だった。
その時の空気は確かにエテュセには分からないし、強制労働組だった二三一も漠然としか分からないと言っていたが、メルディスなら分かるかも知れない。
それに、エテュセはアリアドリが自分に似ているとも感じたので、メルディスであればアリアドリの真意も見抜けるかもしれない。
「シェルの親衛隊とスパードさんにも来てもらった方が良さそうね。留守は壁の向こうの評議会の協力をお願いしましょう」
メルディスは指示書を作る為に、メモを走らせる。
「エテュセ、竜の谷までどれくらいかかるの?」
「二三一と途中で馬車とか使いはしたけど、のんびり行って一ヶ月くらい。行動人数が増えれば全員馬で移動しても、一ヶ月くらいかかるかも」
「一ヶ月、か。出来ればあと三日のウチには出たいわね」
「三日? いくらなんでも慌て過ぎじゃない?」
エテュセの言葉に、メルディスは頷く。
「うん、私もそう思うんだけど、二三一は収容所ではもっとも過酷なところで生き延びたと言える人物の一人よ。その人がその時の収容所に雰囲気が似てるって言うのは、私達が考えているより危険かも知れない」
メルディスは真剣な表情で言う。
そんな雰囲気では無かったが、二三一が収容所時代にもっとも過酷なところで生き延びた一人だ、と言う事はエテュセも知っている。
エテュセの場合、わざと所員を挑発して大怪我をする必要があったので命懸けになっていたが、二三一の場合は送られていた強制労働の現場が命懸けの現場だった。
治癒魔術の使い手であり、西の諸国の中でも名医として知られていたルーディール女医がいなければ、二三一は確実に命を落としていた。
そんな名医のルーディールですら、二三一にはもう治癒魔術をかける事は出来ないと念を押していたくらいである。
また、エテュセと二三一の違いとして、二三一は一緒に働いていた亜人達を守る事も多く、その為に大怪我をする事もあったと言う事だ。
ある意味では徹頭徹尾自分の為だけに行動していたエテュセとは、真逆と言えるかも知れない。
だが、もしも竜の谷がメルディスも心配する様な状況であったとしたら、事態は収容所の比ではないほどに危険である。
収容所時代も危険極まりない状態だったが、それでも亜人側から見て手に負えない様な存在は所長のギリクくらいのものだった。
竜の谷ではその状況が違う。
竜の谷において、竜にとって恐れるべきは女王のみであり、亜人がどれほどの集団になっても脅威にはならない。
もし竜の谷に住む竜のウチ、二十体以上が反乱を起こしたとしたら、いかに女王といえども手に余るだろうし、なにより亜人の犠牲はかなり多くなる。
二三一の性格を考えると、その犠牲を減らす為に無茶をする事は、むしろごく自然な事と考えられた。
「私の取り越し苦労である事を祈ってるけど」
メルディスはそう呟くが、彼女は自分の言葉の不安を消す事は出来なかった。




