第二話 竜の谷-2
「そっち側、もう少し上げてくれないか?」
二三一は反対側で柱を抑える、大柄の亜人に向かっていう。
「こうですかい?」
「そうそう、そこで固定するから抑えててくれ。姫様、ちょっと待ってて下さい」
二三一は近くに立っていたセーラムに言うと、慣れた手付きで柱を固定する。
「よし、もう放して大丈夫。ここから先はやれるよな?」
「ええ、旦那。ありがとうございます」
大柄な亜人がそう言うと、二三一は汗を拭いながら相手の胸に拳を軽く当てると、セーラムの方へ来る。
「すみません姫様。待たせましたね」
「貴方は一応客人としてここに来てるワケですから、別にここの亜人と同じ生活をしなくても良いんですよ?」
少し呆れたような表情で、セーラムは二三一に言う。
初日に亜人の居住区へ来て以来、二三一は亜人の生活と同じ生活を送る事を希望し、周囲から同意を得る前に馴染んでしまっていた。
二三一は朝早くからここへやって来て、亜人達と一緒に畑仕事や土木作業の手伝いをしている。食事も女王やエテュセ達とではなく、ここの亜人達と一緒にとっている。
夜になると部屋に戻りエテュセと情報交換をしているが、それも別に隠れてこそこそ何かしている訳ではなく、ほとんど雑談に終始していた。
一度セーラムも同席した事もあるが、仲が良いのか悪いのか分からないエテュセと二三一の会話に、何度も首を傾げさせられた。
セーラムはこの二人、エテュセと二三一は竜の谷に災いをもたらしに来たと思っていた。
これまでも竜の谷には、間違った正義感を振りかざす自称勇者の御一行が数回やって来た事がある。
もちろん簡単に追い払う事は出来たし、セーラム自身もそれに参加した事もある。
ご丁寧にセーラムの解放が目的だったらしいが、当然ながらそんな事を望んではいない。
日常とは言わないまでもさして珍しくもない事だったが、そこへ今回現れたのが『ナインテイル』と恐れられる黒衣の魔術師だった。
噂では一人旅だと聞いていたが、見るからに戦士だと分かる連れと共にやって来たのだから、また麓から竜退治の依頼を受けてやって来たものだと考えた。
ところが、国同士の同盟が目的だと言う。
セーラムも噂でしか知らないが、新興国の女王メルディスの片腕であるエテュセが暴威を奮って国土を広げていると言われ、急激に大きくなった為に敵も多いとされている。
そこで竜と言う新たな暴威を手に入れようと、策謀に巻き込みに来たのだとセーラムは警戒していた。
どちらかといえば戦士の二三一より、『ナインテイル』のエテュセを見張りたかったが、この谷の中でも最強の竜である事は疑いない女王が責任を持ってエテュセを見張ると言うのだから、セーラムも二三一を見張る事にした。
したのだが、二三一は特に破壊活動や諜報活動をしている様子も無く、本当に亜人の生活を調べていると言う感じだった。
念のため亜人達にも聞いてみたが、二三一の方から仲間に入れてくれと言って、農作業や土木作業に従事したらしい。
しかも妙に手際がよく、気さくな性格と柔らかい言動の為、最初に彼に懐き始めたのは年少者や少年達で、わずか三日で亜人達の一員、それどころかちょっとしたまとめ役になってしまった。
「騎士様は、随分と器用なようね」
セーラムが皮肉を込めて言うと、二三一は不思議そうな表情をする。
「騎士って、俺の事?」
「他に誰がいるの? 貴方、女王の近衛なんでしょう?」
「ああ、まあ、確かにそんな事もしてるけど、騎士ってのとはちょっと違うな」
二三一は頭を掻きながら、照れくさそうに言う。
「俺はたまたま女王様の身近なところにいたからね。その縁でこの立場にいるってだけだから、騎士ってワケじゃないんだよ」
「貴族の道楽って事?」
セーラムは眉を寄せていうが、二三一も同じように眉を寄せている。
「貴族? 俺が? メルディス女王が?」
「王族でしょう? そこに近いと言う事は、貴方は貴族の生まれなんじゃないの? 私みたいに、人間から襲われて竜に拾われたって事じゃないんでしょ」
セーラムの言葉に、二三一はしばらく反応しなかったが、それから大きく頷く。
「ああ、なるほど。姫様はそこから大きく勘違いしているみたいだね」
「勘違い? 貴方達みたいに、生きる事を約束された連中には私の苦労も分からないでしょうね」
「うーん、確かに俺達と姫様とでは違いがあるから、俺に姫様の苦労が分かるわけじゃないけど、それは別に俺達が楽をしてきたから、と言う訳じゃなくて、単純に生まれと生活が違ったからってだけだと思うよ?」
二三一はセーラムに優しく諭すように言う。
その余裕のある話し方も、セーラムは苛立ちを覚えた。
「新興国の女王に仕える騎士と、『ナインテイル』の異名を持つ黒衣の魔術師。そんな組み合わせで現れて、話し合い? 一体何を考えてるの?」
「何って、別に裏も真の目的も無くて、言葉通りの意味だよ。ウチの女王陛下とそちらの女王陛下で末永く友誼を結びたいと願ってる。それが今回の目的だよ。あと、本物の竜が見てみたかった事くらい」
馬鹿にしているのかともセーラムは思ったのだが、表情を見る限りでは二三一は真面目に答えているように見える。
もし演技でやっているのなら大したモノだと思うし、その分ではエテュセはどれほどのモノかと恐ろしくもなるが、二三一は体型のせいかそう言うタイプとは思えない。
それに、ここに住む亜人の中には妙に嘘に敏感なモノもいる。
その亜人は竜の面々には絶対に近付こうとしないが、二三一をさほど恐れる様子も見せていない。
見た目通り、バカ正直な性格と言う事だ。
「竜見物の為に、西の果てから? それ本気で言ってるの?」
「まあ、本心ではあったんだけど、極端に言えば噂の竜の谷を見に来て、竜なんていなかったってなれば、それはそれで良かったとも言えるんだけどね」
苦笑いしながら二三一は言う。
この表情はエテュセと話している時にも、よく浮かべていた。
相手を説得する事を諦めたと言う、困った時の表情だ。
「ただ、誤解があるみたいだから、それは解いておきたいな。どこかで話せるかい?」
「話ならどこでも出来るわよ。別にこの場でも良いし」
「まあ、俺もどこでも構わないんだけど」
二三一はそう言いながら周囲を見ると、作業の手を止めて聞き耳を立てている亜人達が、慌てて作業に戻る。
「旦那、痴話喧嘩ですか?」
先ほど柱を支えていた大柄な亜人が、聞き耳を立てていたのがバレて開き直って聞いてくる。
「痴話喧嘩ってほどお互いを知らないから、それじゃない事は確かだよ」
「旦那、姫様と腕比べやるんでしょ? 今からあんまり虐めないで下さいよ」
からかうように言う亜人に対し、二三一は苦笑いしながら肩を竦めてみせる。
やっぱり余裕綽々だ。
二三一が戦士として優秀そうだという事は、セーラムでなくても見ただけで分かる。
それに対しセーラムは、見ただけで分かるほど強力な戦士、と言う風には見えないのは自覚している。
その見た目のせいで侮られているのかと思うと、腹が立ってくる。
何も好き好んでこの見た目に生まれてきた訳ではない。
出来る事なら、セーラムは竜に生まれたかった。
竜として女王の側にいたかったが、それは叶わず、亜人として生まれてしまった。
「どちらかと言えば、それは姫様の方に言ってくれよ。あまり虐めるなって」
「旦那、アウェーはそちらなんスから、そこは覚悟して下さいや」
軽口を叩くと、大柄の亜人は作業に戻る。
亜人達がこんな軽口を叩くのを、少なくともセーラムはあまり見た事が無い。
亜人達は竜を恐れ、竜の前にはあまり出てこようとしない。
女王ラーは例外であるが、それでも女王の前では平伏し、報告などはあっても日常会話を女王とする事は無い。その側にいるセーラムに対しても同じだ。
だが、二三一に対する態度は、すでに仲間と認められている事に他ならない。
「まあ、こんな感じなんで場所変えた方が良いと思うんですよ」
「良いわ。行きましょう。人気の無いところが良いのよね」
「いや、別に人気の無いところって訳じゃなくて、要はゆっくり話せる所であれば良いんですけどね」
「ええ、とっておきの場所があるわ。ゆっくり話せる、邪魔の入りにくい場所が」
セーラムは二三一と共に、亜人の生活居住区から移動する。
竜と亜人は生活空間を分けてあるが、別に亜人が狭いところに集められていると言う事もなく、単純に生活リズムが違うというより、そもそも大きさが違う為である。
亜人が竜を恐れている、と言う事も大きな理由でもあるのだが、そこはセーラムが説明するまでもない。
セーラムが二三一と一緒に来たのは、竜の谷の墓地だった。
巨体を誇る竜だが、墓標は人のモノと大差無い。
墓標に使われているのは、竜の角の一部だと思われる。
亜人も同じ場所に弔われるが、竜が角を使われているのに対し、亜人の方は爪を使われている。
竜の爪も相当高価なモノであり、ここの墓地を野盗や自称勇者が狙ってくる事すらあるのだが、亜人や竜によって撃退されている。
「墓、か」
二三一も、セーラムが説明するまでもなく気が付いたようで、墓の前に片膝をついている。
「確かにここでなら、邪魔は入らなさそうだけど、ゆっくり話す場所としてはどうだろう」
「私は気にしないわよ」
困っている二三一に、セーラムは言う。
「じゃ、ここでいいか。話す内容もそんな楽しいモノじゃないけど」
「だったら、こういう静かなところの方が良いでしょ」
「ところで何の話だったっけ?」
思わず武器に手を伸ばそうとしたが、セーラムはいつも武器を持ち歩いている訳ではない。
まして今は客人をもてなす立場なので、武器を持ち歩くのはさすがに失礼と思ったからだが、今のは武器を向けてもいいだろうと思ってしまった。
「冗談だよ。姫様、意外と短気? エテュセにからかわれないように気をつけてね」
「私の事は良いのよ。それより、誤解がどうとか言ってたけど、貴方は女王の側にいる騎士なのよね? 『ナインテイル』のエテュセは女王の片腕で、宮廷魔術師なんでしょ?」
「そこから大きな誤解があるわけだ。どう説明したらいいかな?」
二三一は腕を組んで考え込む。
「たぶん姫様は、女王ってのを竜の女王陛下のイメージで話していると思うけど、俺達の女王は、生まれついての王族じゃないんだよ。ああ、いや、もしかしたら生まれついての王族だったかもしれないけど、少なくとも二年前まで女王ではなかったし、俺達だって収容所に集められた亜人の中の一人でしかなかった」
「収容所? 収容されるような事をしたの?」
「亜人に生まれたから、それだけで収容される理由になるだろう? 姫様だって似たような環境だったから、女王陛下に育てられたみたいだし」
「覚えてないわよ」
二三一の言葉に、セーラムはぶっきらぼうに答える。
ラーから助けてもらったのは、まだ物心つく前の話であり、ここにはセーラムの本当の両親の墓もある。
「俺も生まれが違えば、ここに埋められていたかもしれないな。それはそれで悪くないとも思うけど」
二三一は近くの墓を見ながら言う。
墓標が爪と言う事は亜人の墓なのだろうが、セーラムもここに眠る者の全てを知っている訳ではない。
二三一の関係者ではない事は確かだろう。
彼らの住む新たな国は、ここから北西にかなり離れている。逃亡してきた亜人の中に、もしかすると知り合いがいたのかもしれないが、それはセーラムには知りようがない。
「メルディス女王は、歴史ある王族の一員じゃない。俺達が生きる為には、新たな国を作って、これまでの常識とは違う常識を持つ国を作らなければならなかった。その結果、メルディスは女王に、俺とエテュセは今の地位についたってだけさ」
「……エテュセもそうなの? そうは思えないけど」
「俺の事ならいくらでも答えられるけど、エテュセの事はあまり答えられないな」
「本人の許しが無いから?」
「いや、エテュセの事を聞かれても答えられるくらい知らないからだよ。彼女は別格だからね。俺の身の上話で満足してくれないか?」




