終章 始まりの終わり
翌日、エテュセは収容所の亜人達を集めて西の大地の事を話した。
西の大地は死の呪いが蔓延している大地などではなく、人間と亜人が共存している事。そして、そこをかつて統治していた王族からその王位継承の証をエテュセが譲られた事。
それを皆が見ている前で、エテュセはメルディスに渡す。
「これで、メルディスはメルディス女王として西の大地の評議会に出る事が出来るわ」
エテュセが言うと、メルディスは目を丸くして驚いている。
エテュセは亜人達に指示を出す。
まずは壁を破壊する事と、長い縄梯子などの用意に取り掛かった。
エテュセには翼手竜ケヴィンがいるので壁や断崖を越える事は簡単だが、この収容所には亜人というだけで集められた者達が大半で、とても竜に乗る事など出来ない。また翼手竜とはいえ竜は誇り高く、自身が認めた者以外は乗せたがらない。
エテュセが強引に乗せて運べば不可能では無いだろうが、それに頼らなくて済むように収容所の面々にやってもらう事にして、エテュセはメルディスを一足先に評議会へ連れて行く事にした。
西の大地の亜人は、収容所より多種多様で、中には人と言うより魔物の類にしか見えない者も大勢いた。
西の評議会は、イリーズ達と行った町よりさらに北西へ進んだ所にある。
専用の建物は、見た瞬間に歴史のある建物だと分かる。
「その小娘が、かの王族の証を持つと? エテュセという武器を手に、またしても我らを弾圧するつもりか?」
メルディスに最初に声をかけてきたのは、収容所の二三一の様な大男だった。
「弾圧されたくないと思うのなら、その威圧的な態度は必要無いのではありませんか?」
メルディスは悠然とその大男を躱す。
ここはメルディスの戦場なので、エテュセは後ろに控えているものの口を開かずに見守っている。
並外れた美少女のメルディスだが、その見た目からは考えられない程豪胆なので、多少の威圧などにはビクともしない。
当たり前だ、とエテュセは思う。
確かに戦ったことも無い者達にとっては震え上がりそうな迫力だが、エテュセやメルディスにとって震え上がるほどの威圧感というのは、ギリクを基準にしているので足元にも及ばない。
逆にメルディスの方が周りの亜人達をひれ伏させる様な、高貴さを見せつけている。
イリーズとは違う存在感を示すメルディスに、周りの亜人達も興味を示している。
「あえて直接的な質問をさせて頂きましょう」
そう言ってきたのは、毛むくじゃらの男とも女ともつかない、そもそも人間には見えない者だった。
毛の長い直立した熊、という容姿で、声は理知的な男性の声である。
「貴女はこの世界でも有数の武器であるエテュセを手にしました。エテュセの力を使えば、この地はもちろん、世界の半分は簡単に手に入れる事が出来るでしょう。その上で、貴女の目的が聞きたいです。ああ、どうぞ。座って下さい」
男に勧められメルディスは席に着くが、毛むくじゃらの男の質問に対して、メルディスは首を傾げる。
「私達に必要なのは、受け入れてくれる社会であって支配地ではありません。それに私はここを、と言うより東の戦争の方が気になってます。もし私が彼女を武器として使うと言うのなら、その戦火を広げさせないため、食い止めるためのモノです」
メルディスはエテュセの方を見ずに言う。
「何か考えがおありの様ですな」
「私一人では大した事も出来ないですが、基本的に壁のこちら側に迷惑を掛けようとは思っていません。私にとって、世界はまだ分断されていて、私の世界は壁の向こう側でこちら側ではありませんから」
メルディスは堂々と、それでいて自然に、周りを威圧する事なく答える。
これはエテュセとメルディスの二人で話し合った事だった。
エテュセはもちろん、メルディスも収容所の東で起きている事を調べていた。二人が考えていたより事態は大きく、混乱していると言える。
彼女達にとって、この壁の向こうの世界は争いに巻き込みたくないという意識が共通した。
この世界はそれぞれ、東西南北と中央の五区画に分かれている。この壁の向こうはその区画の中に含まれていない。そんな地域を戦いに巻き込みたくないと言うのは、二人が話し合う必要も無く共通していたのだ。
「失礼な事ばかり言って、申し訳ございません」
毛むくじゃらな男は、柔らかい声で謝罪すると頭を下げる。
「エテュセさんは、おそらくこの世界で一、二を争う戦闘能力を持っています。それこそ一人で一国に匹敵する軍事力と言っても良いでしょう。私達はそれが怖くて仕方がないのですよ」
「解ります。もし私も彼女と知り合いじゃなかったら、同じ様に、もしくはそれ以上に恐ていたはずですから」
メルディスが言うと、毛むくじゃらは軽く首を振る。
「貴女の前任者であったイリーズ公は、非常に賢く、柔和な少年でした。頭の回転も早く、全体の調和を求めた方でしたが、貴女からはイリーズ公に無かった強い覇気を感じます。覇気とは欲から来るものであり、貴女の覇気とエテュセさんの力が加わる事が怖かったのです」
「私に、覇気があると?」
メルディスは首を傾げているが、エテュセはむしろメルディスが気付いていなかった事に驚いた。
メルディスの周りを平伏させるほどの高貴さは、彼女自身の強い生命力から来る覇気の強さでもある。
今まではギリクと言う闇が強すぎたせいもあり、彼女は暗闇を仄かに照らす光源だったが、その闇が無くなってからは光が強くなりすぎる。その脅威的な光はあまりに強く、他の者の目を焼く事になる。
その光の強さに、メルディス本人が気付いていないとは思わなかったのだ。
「その覇気はイリーズ公には無かったモノです。貴女を信じていますよ、新たな評議会の参加者よ」
毛むくじゃらが言うと、他のメンツも席を立ってメルディスに頭を下げる。
「認めていただいて光栄です」
メルディスはそう言うと立ち上がり、同じ様に頭を下げた。
エテュセとメルディスは西の大地の協力を取り付け、多額の援助を受ける事に成功して収容所に戻った時、卓越した知能を持つ二人でもまったく予想もしていなかったトラブルが発生していた。
「あ、メルディス様!」
メルディスとエテュセが帰ってきた事に最初に気付いたのは、自称メルディス親衛隊の隊長を自負しているシェルだった。
診療所が問題の場所であり、シェルの他には妹のシャオと二三一、ルーディール、ベッドの上にスパードがいたが、問題を起こしているのはその誰でもない。
「我らの食べ物に不満があると? 冗談ではないのである!」
部屋で憤慨しているのは、食堂の地下に住んでいると思われる三人の小人の兄者と呼ばれていた者だった。
「ああ、その問題があったか」
エテュセは怒り心頭の小人を見て苦笑いしている。
「あの小人って?」
メルディスが不思議そうにエテュセに尋ねる。
意外な事にメルディスは、この小人の事を知らなかったようだ。
この小人達はギリクと契約していたはずだが、ギリクが死んだ後にもここに干物を届けに来ていたらしい。
そこで亜人達が小人に出会い、小人はあの時の様に干物自慢をしていたら、亜人の誰かがあの干物が不味いと言い出したそうだ。
それで憤慨した小人達が、責任者を出せと怒り始めたがメルディスとエテュセが壁の向こうに行っていたタイミングだったので、診療所の方へ回した。
で、今に至っているということだ。
「すっごいメンドくさい事になってるじゃない。どうしよう」
メルディスは苦笑いしながら、エテュセに尋ねる。
「ここは私に任せて」
エテュセがそう言うと、小人の方へ行く。
「久しぶりね。私のこと、覚えてる?」
「覚えておらぬ! 何者だ、貴様!」
「うわ、めっちゃキレてるじゃない。何言ったの?」
エテュセが見ると、二三一とシェルは目をそらし、ルーディールは肩をすくめて苦笑いしている。
確かに収容所ではこの小人が持ってきていた干物は、決して評判の良い物では無かった。
「兄者、この金目には見覚えがあるぞ。確か大怪我していた娘だ」
金目、とは些か失礼な覚え方だとは思うが、特徴で覚えるとしたらそうなるだろう。
「おお、あの時の小娘か! 怪我はすっかり治ったのだな!」
小人は大袈裟に驚いてみせる。
いや、こいつ話を合わせてるだけで、思い出してないな。
エテュセはそう思ったが、口にせずに小人の前に膝をつく。
「私は嫌いじゃ無かったけど、あの干物はあれで完成なの?」
「ウム、完成品である。栄養もあり、日持ちもする。満腹感も得られるというのに、これ以上何を望むか」
「それじゃまだ完成じゃないのよ」
「何? 何を言うか。ワシらの傑作である!」
小人は憤慨しているが、エテュセは首を振る。
「あと一つ足りないから、不評なのよ」
「何と! 我らの用意した物に足りないものがあると! それは何か!」
「味よ。それが揃えば、貴方達の用意してくれた物は今より完成した物になるわよ」
エテュセが言うと、小人は俯いてプルプルと震えている。
「うおおおおおおお!」
「今度は何よ」
突然叫びだした小人に、エテュセは呆然とする。
「聞いたか、弟達よ! 我らのやって来たモノが、この時を経て、さらなる高みへと上る時が来たのだあああ!」
「うおおおおおお、兄者ああああ!」
三体の小人が雄叫びを上げている。
テンション高いな、おい。
「こうしてはおれんぞお! さっそく戻って開発するぞ!」
「うおおおお、兄者あああああ!」
三体の小人は大騒ぎしながら、診療所から出て行く。
「礼を言うぞ、金目! 我々は! 今! この時より! 更なる高みへえええええ!」
「うおおおおおお! 兄者ああああああああ!」
三人の小人は雄叫びを上げながら、診療所を出て練り歩いていく。
「……何?」
エテュセが振り返ると、診療所の面々はそれぞれに苦笑いを浮かべていた。
二三一とシェルとシャオ、メルディスはそれぞれの持ち場に戻り、エテュセはルーディールとスパードに頭を下げる。
「お久しぶりです、ルー先生、スパードさん」
「久しぶりだな。帽子を除いても、随分と印象が変わった」
「スパードさんこそ。だいぶ痩せましたね」
エテュセが言う様に、スパードは随分と細くなっていた。
元々細身ではあったが、引き締まった体型だったのに対し、今ではやつれている印象の方が強い。
「ルー先生のおかげで生き延びているよ」
「スパードさんの体力があったからですよ。あとは、あの干物のお陰ですか?」
ルーディールはそう言って笑うと、エテュセを見る。
「アレは凄く栄養あるらしいですからね」
エテュセが笑いながら答えると、スパードは苦々しい表情になる。
所員であったスパードはまともな食事を摂っていたので、あの謎の干物しか口に出来ないという食生活はきつかっただろう。
「でも、スパードさんも悪いんですよ? 勝手にリハビリとか始めようとして。まったく、私の周りには手のかかる患者さんばっかり」
ルーディールはエテュセの方を見ながら言うが、スパードはそそくさとベッドに横になる。
二三一も似た様な感じだったな、とエテュセはかつての事を思い出す。
「元気みたいね」
「ルー先生も、お変わりなく」
エテュセはそう言って頭を下げるが、ルーディールはエテュセの右足に注目していた。
「足、治してもらったの?」
「はい。私はよほど特異体質だったみたいです。色んな人から驚かれてます」
エテュセも、この体質が相当異常だと感じたのは『銀の風』から話を聞いた時や、ウェンディーの日記を見てからである。
それまでは術者に恵まれてきたのだと思っていたが、『銀の風』の所にいた時に治癒魔術や再生魔術の研究資料を見て驚かされた。
ルーディールが再三注意していた拒絶反応や習慣性なども、エテュセが考えていた以上に反動が大きく、回復させるつもりが死に至らしめる事は珍しくない事も知った。
ほぼ際限無く回復魔術を受け付けるエテュセは、並外れた異質な体質だった。
ウェンディーが日記で魔物を例に記していたのも、よくわかる話だ。
「色んな人に助けられてます。ここではルー先生やメルディス、スパードさん。壁の向こうでも、他のところでも迷惑のかけっぱなしです」
「それを良しとしていないのなら、それは悪い事じゃないわ。いつか返してもらう事になるでしょうし、少なくともここにいる人達は貴女に助けられてるんだから」
ルーディールは優しく言う。
この人は情が深い分、深入りを避けようとしている。これまでのここでの生活で、自分の身を守る為に身に付けた術だ。
だからこそ、優しく背中を押してくれる。
エテュセの求めるモノはここにはない。ここにあるのは居心地の良い揺り篭であって、遠からず旅立たなければならないとルーディールは分かっている。
「明日には立ちます。その前にルー先生達に挨拶しておこうと思って。あの時は挨拶もできませんでしたから」
それが蜂起の日だと言う事は、ルーディールも分かっている。
本当ならルーディールにも報告したかったのだが、その時間が無くて巻き込んでしまった。もっともそのお陰でルーディールは敵味方共に巻き込まれた被害者、という立場である事は知られる事になった。亜人蜂起の捕虜第一号として、ルーディールは最初の非戦闘員になる事が出来た。
「また帰ってくるの?」
「解かりません。そもそも、何をするべきかを探そうと思っての事ですから」
エテュセの言葉に、ルーディールは微笑む。
「貴女なら、きっと納得のいくモノが見つけられますよ」
「こんな夜中に何処に行くつもり?」
収容所の門の前に、メルディスと二三一が立っていた。
「皆をこれ以上怖がらせたくないのよ。十二……、シャオとか私を見て凄く怯えてるし、そのせいでシェルには睨まれるし。アレって結構キツいわよ」
「まあ、あの姉妹の事は許してやってくれよ。特別小心者なんだから」
「あんたやメルディスが怖いもの知らずなだけよ」
「そんな事は無いさ。俺は干物の小人にビビってたし」
二三一は笑う。
「いや、アレは私もビビったって」
エテュセはそう言うと、ふと思った事を尋ねる。
「ところで、何でまだ二三一なの? 本名とか名乗らないの?」
「これは俺のケジメだよ。俺はここでまだ何も成していない。そんな俺が名前を名乗ることは出来ない。何か成した時に、俺は胸を張って名前を名乗ることが出来ると思うんだ」
「つくづく戦士なのね」
エテュセはそう言ったあと、メルディスを見る。
「メルディス、貴女の戦場はまだここよ。四季が一周するくらいまでは、貴女を頼ってここを訪れる亜人も多いはず。西側との連携もしっかり取って、地盤固めをしてもらわないと。女王メルディスの真価が問われるわね」
「先手を取られたか。本当は私も貴女と一緒に行きたかったんだけど」
メルディスは苦笑いして言う。
「私は留守役って事ね。蜂起の時と同じで」
「留守役って、留守して無かったですよ、メルディス様」
二三一がさらっと言う。
「え? そうなの? メルディス、どう言う事?」
「え? わ、私、ちゃんと留守役してたでしょ?」
「いやいや、してなかったですよ? 留守役どころか最前線に出てたじゃ無いですか。大体奇襲があるかもってエテュセがいってたのに、ギリクとエテュセの戦いの場に行こうとしたり、蜂起の初日でも最前線に出てましたよね? そのお陰でスパードさんは助けられましたけど」
「ちょっと待って。スパードさん助けるって、門を閉めるとか閉めないとかの話の時よね? 何でそんな所にメルディスがいるのよ?」
エテュセに言われ、メルディスはわけもなく空を見上げる。
雨はやんでいるが、厚い雲に覆われた夜空は星どころか月も見えない。
「あ、あれ? そ、そうだった?」
「エテュセ、女王は俺が見張っていてやるから、お前はお前の思う事をやって来ればいい。ま、俺ごときが言うまでない事だとは思うけどな」
二三一はエテュセに右手を伸ばす。
「何かあったら呼んでくれ。エテュセで手に負えない事は俺にも手に負えないと思うが、それでも協力は惜しまない」
「その時には助けてって泣きつくわよ、ありがと。でもまずは私より、そこのわがままクイーンを監視しておいて。親衛隊長様はどうにも頼りないし」
「また怒らせる様な事を」
エテュセは二三一の右手をしっかり握る。
「まだ、絶対安全とは言えないわよ。油断しないでね」
「ああ、心配無い。そっちこそ不必要に敵を作って、恨みの山を築かない様にしてくれよ。我らが女王様でも、容量を超えては受け入れられないんだからな」
「ええ、気をつけるわ」
エテュセもそこは分かっている。
メルディスに呪いを背負わせる訳にはいかない。それら負の部分を背負うのはエテュセの役割であり、メルディスは人や亜人を問わず希望の光でなければならないのだから。
「いつでも帰ってきても良いんだからね。ケヴィンに乗って」
「ええ、そのつもり。もしかしたら、私の所に呼ぶかもね」
メルディスの言葉に、エテュセは笑顔で答える。
収容所の門を出ると、エテュセは翼手竜を呼んでその背に乗る。
一度振り返ると、メルディスも二三一もエテュセに頷いてみせる。
後に歴史に名を残す人物の中でも、謎の多い人物である『生命の花』の名を持つ少女。
その人物が表舞台に上がるための最初の一歩を踏み出したのは、正にこの瞬間だった。




