第五話 生命の花-6
彼女達は収容所に戻ると、メルディスの口から終戦を告げ、疲れきっていた亜人達はそれぞれの部屋で休む事にした。
本当なら祝勝会でも開きたいところだと二三一は言っていたが、この冬の間の疲れが溜まっていたので、まずは休息を優先する事になったのだ。
外には残存兵力も無く、逃げ散った者達の口から恐怖は伝染する事になるだろう。当分の間、この地に人間の兵力が攻めてくる事は無いだろうし、噂を聞きつけた亜人達もこちらへ逃げてくると思われる。
彼女達の次の戦いは逃げてきた亜人達の保護と、その仕組み作りを急がなければならない。
「休まないの?」
屋上で雨に打たれていた彼女に、メルディスが声を掛ける。
「休んでるわよ。ケヴィンも一緒だから安心だし」
「ケヴィンって言うの? 私はメルディスよ」
メルディスは彼女の横に佇む翼手竜に手を伸ばすと、メルディスの白い手に翼手竜は顔の側面を擦りつける。
「随分と慣れてるのね。貴女が躾けたの?」
「まさか。ケヴィンは最初っから頭が良いけど趣味が悪かったみたいで、何故か私に懐いてるのよ」
「天才的な先物買いの才能があるんでしょうね」
メルディスが優しく微笑みかけると、翼手竜はそれに応える様に彼女に翼を広げて雨を遮る。
「私は大丈夫。メルディスを心配してあげて。メルディスは私の五倍くらい重要人物なんだから」
「言い過ぎよ」
メルディスは笑いながら、彼女の横に立つ。
「ねえ、聞いていい?」
「それは聞いてる事にならないの?」
「イジワルね」
メルディスが言うと、彼女は微笑する。
「どうぞ。メルディス様に命じられては、私に反対は出来ませんから」
「本当にイジワルな事言うのね」
メルディスは苦笑いしながら言う。
「でも、本人の許しを得たから聞くけど、所長の正体って何だったの?」
「さあ。仮説しか立てられないから、私からは詳しく話せないわ」
彼女は隠そうとしているわけでなく、本当に調べても解らない事だったのだ。
ギリク・トゥリア・エンハンス。
もしそれが本当に所長であれば、それは二百年以上前の王家に連なる者であり、しかも直系の血筋だった。王位継承権の優先順位が低かったために王位につく事は無かったが、類稀な魔術の才能を持ち、エリート揃いの宮廷魔術師の中でも群を抜いた存在になるのに時間はかからなかった。
この時すでに西の大地は戦争状態だったが、ギリク王子は本気でこの戦争を止めようとしていた。
詳細な資料が残っていない為に確認は取れないが、ギリク王子には協力者がいたようだ。それも人間側では無く、亜人側にである。
亜人の協力者は存在を匂わせるだけで実在は確認出来ないのだが、ギリク王子はその謎の協力者と共に戦争を止める策を練っていた。
それがどんな方法だったのかも解らないが、それはあと少しのところで失敗する。その結果ギリク王子は生き残り、その時に謎の協力者は死に至った可能性が高い。
それから数ヵ月後、ずっと戦い続けていた人間と亜人は突然戦争を辞める事になる。
禁術『魔獣の落とし子』が西の大地で猛威を振るい、人口が激減する事態が発生したのだ。その時の犠牲者の数は、西の大地の人口の半数から八割と言う尋常じゃない数とされているが、それが大袈裟な数字なのか控えめな数字なのかも分からない。
ただ、この直後から王家の宮廷魔術師の一人が姿を消し、西の大地を遮る断崖と壁が築かれる事になった。
ギリクの行動の中には、不可解な行動が散見される。
その最たる例が、西の大地の断崖である。
大地を不自然に隆起させ、『魔獣の落とし子』が蔓延しないように地形を変えた魔術師がいたのは間違い無いのだが、その可能性が最も高いのが天才魔術師だったギリクである。
またいかに微細とはいえ召喚獣である『魔獣の落とし子』を、地形や壁だけで防ぐ事などできる訳が無い。『魔獣の落とし子』を断崖の東まで蔓延させない為には、それ専用の結界が必要になるが、それを張る事が出来たのもギリクである可能性が最も高い。
彼女との話の中でも言っていた通り、ギリクは徹底的に悪役だった。
一切善人感を出さず、最悪の人物であり続けた。
呪いを蔓延させた人物として、大量虐殺者として彼は敵であり、悪であり続けたのだ。いずれ彼を倒す勇者が現れるまで、彼は悪でなければならず、それを貫いた。
理解者を求めずに戦い続けた男が、何故悪役であり続けたのか。その真実を知る事はもう出来ない。
その真の理由を隠したまま、ギリクはこの世を去っていった。
彼女が初めてイリーズを見た時に感じた既視感は、イリーズにギリクの面影を見ていたからかもしれない。
まったく違う人物であり、似ている様なところも無かったはずなのに、彼女はどこか同じところを感じたのだろう。
あるいは禁術『魔獣の落とし子』という共通点を。
「これからどうするの?」
メルディスは彼女に尋ねる。
「これから、か。どうしようか? 全部投げ出すのも面白そうだけどね」
「本当にそんな事を考えてるんだったら、わざわざ自分からキツい目にあってないわよね」
メルディスは笑いながら言う。
そうかもしれない。
彼女としては本気で全てを投げ出しても良いと考えていたが、全て投げ出す事が本当に出来たら、ここに戻ってきていなかっただろう。
あの城で腐れ落ちていたか、『銀の風』の元で書物の中で生活していたかもしれない。
「足の事もそうだけど、何があったか教えてくれないの?」
メルディスが彼女に言う。
ギリクとの戦いが終わり、彼女としては一つの戦いに区切りがついた。昨日は同じ質問をされても答える事を躊躇ったが、今は落ち着いている。
「あの蜂起の日、私は所長に負けたのよ」
彼女はそう呟くと、メルディスにというより、独り言の様に話し始める。
壁の上でギリクと出会い、ギリクはすでに蜂起を予見していた事を彼女に告げた。そこでギリクは亜人の皆殺しを宣言し、彼女は致命的な傷を受けて壁の向こうに捨てられた。
本来ならここで話は終わりになるはずだったが、奇跡的な幸運が彼女に降りかかる。
西の大地の王族最期の生き残りである少年、イリーズ。ギリクと同じ血筋であり、同様の意志の強さを持つ者と、彼の身の回りの世話をする二体の妖精。その一体に切断された足を再生してもらった。
「ルー先生が聞いたら驚くでしょうね」
メルディス自身も驚きながら言う。
それに関しては、再生魔術を使った側であるウェンディーも驚きを日記に記していた。
普通では考えられない回復能力は、人のソレではなく亜人と言うより魔物の類と言う方が自然と思う程だったと、ウェンディーの日記にはそう記されていた。
それを知った時、大した驚きは無かった。どちらかといえば、そういう特殊能力を持つ亜人だったんだという発見の方が大きく、この目だけでなく本当に研究対象としての価値があったのかもしれない、などと考えていた。
そこでの短期間の幸せな日々は、彼女の全てだったと言っても良い。
最初はこの収容所に戻ってこようと真剣に考えていたが、数日後にはここに戻らず、彼らと一緒に暮らしていきたいと思う様になっていた。
が、それも許されなかった。
何を企んでいたか分からないが、ギリクから禁術を受けた彼女を助けたイリーズは、その身に呪いを引き受けて彼女を助けたが、その代わり生命力を大幅に失う事になった。
彼を助けたかった。
だが、彼女にはその力は無く、受けた恩に報いる事も出来ず、彼女は生き残り、イリーズと二体の妖精はこの世を去った。
彼女に『エテュセ』という名前を与えて。
それから天空の騎士と呼ばれる存在の中でも最上位である『銀の風』に拾われ、ギリクと戦う事が出来る力を得る事が出来た。
そこで彼女は戦う力と知識を手に入れる事は出来たが、その力を得れば得るほどに彼女の考える強さとはかけ離れ、忌み嫌うギリクに近付いているという自覚はあった。
彼女はギリクと戦った時、自分はギリクと同じ道をなぞっていると知った。
「で、終わり。楽しかった?」
彼女はそう言ってメルディスを見ると、メルディスは驚いて彼女を見ている。
「どうしたの? 面白い顔してるけど」
「いや、貴女が泣いてるところを初めて見たから」
「え?」
メルディスに言われ、彼女は自分の顔を触れる。
雨の中に立っていると言っても、魔力でコーティングした帽子を被っている彼女に、雨が直接当たる事は無い。
それでも、目から溢れる液体のせいで濡れていた。
「私、泣いてるの?」
メルディスが見た事が無いのは、無理もない事である。彼女自身が泣いた記憶が無かったからだ。
四の少女、モーリスと別れた時、胸に穴があいた様な痛みを感じた。イリーズを失った時には精神の均衡を失ったが、涙は出なかった。
それが今は、止めどなく溢れ出している。
「何? 何が起きてるの?」
メルディスより、彼女の方が混乱していた。
今は胸の痛みも無い。悲しい訳でも、感極まっている訳でもない。そのはずなのに、涙が止まらなかった。
「慌てないで」
必死に涙を拭う彼女を、メルディスが優しく抱きしめる。
「多分、貴女は今、エテュセとして生まれ変わったんでしょうね。ずっと名前の無かった貴女はここで六の番号を与えられた。でも、それは貴女の真の姿じゃ無かったのよ。イリーズと言う人が、貴女にとって真の姿を見せる事になった運命の人だったんでしょうね。彼に名前を与えられて、貴女は蛹になった。今、羽化してるのよ。多分その涙は、過去の貴女を洗い流しているんじゃないかな?」
メルディスは彼女を胸に抱き、背中を優しくさすりながら、柔らかく言う。
もし自分が他者より優れているところがあるとすれば、彼女は自身の回復能力だけだと思っていた。どこまでもその程度だと感じていたが、それは彼女が『彼女』であって、まだ『エテュセ』に成りきれていなかったのだ。
それが今、起きているとメルディスは言っている。
随分とメルヘンチックな話ではあるが、肉体的な変化ではなく精神的な変化が起きているのは、確かに自覚出来る。
イリーズと出会う前と後では、彼女の考え方は大きく変わってきた。
強さとは、彼女にとって敵をねじ伏せ、叩きのめす事だった。それこそが絶対の強さの証しであったはずだったのだが、イリーズやサラーマは少し違う形で彼女に強さを見せてきた。
ねじ伏せるだけが、勝ち方では無いという事。彼らはまったく別のやり方の、別方向の強さがある事を教えてくれた。
それに憧れたが、結果として彼女が選んだのはイリーズ達の見せてくれた強さではなく、ギリクの選んだ流血と怨嗟の力。即物的な、武器頼りの戦闘能力。
自分の真の力ではなく、その武器さえ使えば誰でも同じ様に手に入れられる、簡単に手に入りすぐに手元から離れていく力。
そこで手に入れた力でギリクを倒す事は出来たが、あのタイミングでメルディスが来なかったら、それこそギリクと同じ様に呪いを積み重ねる道を歩んでいたはずだ。
彼女は泣き続けながらも、冷静な部分で考えていた。
この涙は、メルディスが言っていた様に決別の涙だと。
イリーズが遺してくれた、左手薬指を彩る赤い宝石の付いた指輪の事もある。
イリーズの遺品の一つであり、左手薬指を彩るのも『約束』の意味を持つ。
これからは迷わない。
イリーズも言っていた。
後悔さえも自分を支えている、と。
決断して進む事。それによって後悔する事になったとしても、それを受け入れてより良くしていく。その為に誓った『約束』の指輪。
彼女は泣き疲れるまで泣いて、そして決断した。
これからは自信を持って名乗っていく。
自分は『エテュセ』だと。




