第五話 生命の花-4
翌日、夜明けと共に兵が展開していくのが見えたので、彼女は翼手竜に乗って収容所の門を超え、門の前に降り立つ。
『収容所を攻めようとしている兵に告ぐ。命が惜しければ、この場から逃げ去れ。私は、私に武器を向ける者の命を保証するつもりはない。武器を捨て逃げ去る者を追う事はしないが、武器を持ち戦うつもりであればその命を奪う事に躊躇いはない』
彼女は収容所にも展開する兵士達にも聞こえるように、魔力によって拡声した声で宣言する。
これは降伏勧告と言うより挑発行為と受け取られたのか、兵士達にはさほど動揺は広がらなかった。
兵士達は彼女の戦闘能力を正しく認識していなかったのだ。
彼女の『ナインテイル』は魔術による攻撃であり、対魔術装備に固めていると言う事で安心感があったのだろう。『ナインテイル』を主とした魔術攻撃が無力化されてしまえば、そこに残るのはただの小柄な亜人の少女である。
とでも思ったのだろう。
それが大きな勘違いである事すら気付かず、その可能性すら考えていなかった。
展開された兵士達が前進した時、彼女は左手に持つ銀の柄を振る。
輝く程に高密度な魔力によって造られた九つの触手じみた鞭は、その長さも太さも物理的に振り回す事の出来るものではない。その上、その鞭は自らの意思を持っているかのような動きを見せる。
それに対し対魔術装備の兵士達は、盾を構えて鞭を防ごうとする。
『警告はした。受け入れられず、残念だ』
彼女はそう言うと、銀の柄を振る。
その直後、兵士達の甘過ぎる幻想と前進の為の陣形は打ち砕かれた。
考え方は間違ってはいなかった。確かに彼女の持つ銀の柄から繰り出される鞭は魔力の結晶なので、対魔術装備であれば威力を軽減する事もできる。その上で物理攻撃として防ぐために盾で身を守るという行為は、対策としては万全と言える。
問題は、防ぐ対策は間違っていなかったのだが、防げる規模の攻撃ではなかった事だ。
彼女の振る魔力の鞭は、常識の範囲に収まらない。確かに兵士達の身につけている対魔術装備であれば、亜人収容所で使われる攻撃魔術のほとんどを遮断出来たはずだが、彼女の鞭の威力はその十倍でも収まらない。
さらに盾で防ごうにも、長さや重さが防げるようなモノではない。その上、鞭の数本は上から振り下ろされたのに対し、別の数本は地面を這い回り、兵士の足に絡むとその兵士を持ち上げて振り回している。
その最初の一撃以降は、戦闘と呼べるものでは無かった。
伝説の『ナインテイル』の如く、武器を持つ兵士達などまるで無意味であると言わんばかりに蹂躙し、周囲は悲鳴と怒号、金属や鞭による打撃による衝撃音が響く。
小柄な黒いとんがり帽子の少女は、阿鼻叫喚の地獄を演出しながらも本人は眉一つ動かさず、無造作に歩を進める。
そこは戦場ではなくなっていた。
実質的な被害は全体の一割にも満たないだろうが、もう戦意を保つ事など出来ていない。集まった兵数はただ恐怖を伝染させるだけであり、こうなってはいかに指揮官が優秀であったとしても、もう意味が無い。
兵士達は悲鳴を上げて武器を捨てて逃げ出し、隊長クラスと思われる一般の兵士を叱責している者は、『ナインテイル』に捉えられ上空に放り投げられるか、その場で引き千切られていく。
彼女は宣言通り、その場から逃げ出していく者へ追撃する事は無く逃げるに任せているが、武器を手に彼女に攻撃を仕掛けようという素振りを見せる者へは容赦無く攻撃を仕掛け、その命を奪う事に躊躇いを見せない。
数千の兵団は僅か数分で霧散していき、その兵数は半数以下に減っている。
彼女はそのまま収容所から離れ、主要人物達が高みの見物を決め込んでいる野営地へ歩いていく。
彼女の歩みを止めようと試みる勇敢な兵士もいるにはいたが、その兵士達はその数秒後には犬死にする事になった。
「待て! その歩みを止めよ!」
ようやく彼女に言葉をかけてくる者が現れ、一時的に彼女は歩みを止める。
その隙を狙おうとした兵士もいたが、槍や弓を構えようとした時には彼女の『ナインテイル』の餌食になった。
彼女の前に立ちはだかったのは、大柄の男だった。
「私からの要求は伝えたはず。今さら話す事など無い」
「亜人の小娘が人間に歯向かう事など許されているとでも思っているのか!」
大男は怒りに任せて、彼女に怒鳴る。
「許されなければ、どうなるの?」
彼女はそう言うと、左手の鞭を振る素振りを見せる。それだけで凄みをきかせようとしていた大男は、恐怖に身を竦ませる。
「話にならないな。見逃してやるから、泣いて逃げ回れ」
彼女は蔑みながら言う。
大男はカッとなって怒鳴ろうとしたようだが、彼女が金色の瞳を向けるだけで喉元まで出かかっていた言葉は飲み込まれる。
「道を開けろ。言葉をかけるのはこれが最後だ」
彼女が左手を上げようとした時、大男は道を開ける。
「命も賭けられない者が、私を止められるとでも思ったのか?」
「では、命を賭ければ歩みを止める事が出来るのですかな?」
大男の後ろから姿を現したのは、初老の騎士だった。
「亜人蜂起の規模を調べる為に派遣された、東のクデベルから来た騎士、ボウディーと申します。その武器は収めていただけますか?」
「貴方に兵を退ける権限があるの?」
「いえ、自国の兵なら命じる事も出来ますが、全体にはソレを命じる事は出来ません」
「なら、私が武器を収める理由にはならないでしょう? 貴方はふらりとやって来た客人から自国の武装解除を一方的に勧告されて、それを受け入れるの?」
彼女は呆れた様に、初老の騎士に言う。
「なるほど、それはその通りでしょう。では、貴女は何のためにその武力を振るうのですか? 余りにも一方的な暴力だと思いますが」
「私達は貴方達と同じ生活を求めている。それを暴力で押さえつけようとしているのはソチラでしょう。この集団は暴力では無いと? 私は昨日も要求を伝えたはず。全面降伏か、徹底抗戦か。貴方達は武器を持って残った。それは徹底抗戦の意思表示ではないのか? それに先ほども逃げるか戦うか問うのは聞かなかったのか? 私は代表として来たのだから、貴方の問はここの代表からの問で無ければ、私が答える義理は無い」
「なるほど、これは困りましたね。貴方は戦士ではありませんでしたか」
ボウディーと名乗る騎士は苦笑いするが、彼女の前から動こうとしない。
「では貴女はここで敵対する者全てを死に至らしめると? その後、人間と亜人との共存の道を一人で閉ざすと言うつもりですか?」
彼女は鼻で笑うと、ボウディーを見る。
「私は道を示したはず。それを理解出来ない者にこれ以上話す事など無い」
「死か服従か、ですか。横暴な二択ですね」
「貴方達は、ここで蜂起した亜人にそれ以外の選択肢を与えてるつもりか? 私は貴方達と同じ選択肢を選ばせているに過ぎない」
彼女はそう言うと、ボウディーを睨む。
「対等に立つつもりも無い奴が、軽い言葉を積み重ねる事に何の意味がある。本当に命懸けで説得しようとするなら、私に軽い言葉を積み重ねるより、不況を買ってでも代表者を出す事が、部下の命を守る行為では無いのか? その程度の覚悟も無い者が、よく騎士を名乗れたものだな」
「弁舌は無意味ですよ。貴女を説得出来る人など、ここにはいないでしょう」
まだ振り続ける雨より冷たい声が、戦場に響く。
それは特に大きな声では無かったが、それでも周りに響く悲鳴や怒号を一瞬で凍りつかせる冷気を含んでいた。
「私の客です。これ以上の出血は必要無いでしょう。解散して下さい」
雨の中歩いてくるのは、収容所の制服に身を包むギリクであり、彼は兵士達を見る。
「まさか戦う覚悟がここまで出来ていないとは思いませんでした。私が許可します。皆さん、お帰り下さい」
ギリクはそう言うと、彼女の前に立つ。
「貴女の標的は私でしょう」
「貴方とはゆっくり話したいと思ってますけど、その命を奪うまで戦いは終わりませんよ」
「なるほど、貴方か私かが死なないと戦いは終わらないという事ですね。まあ、それもそうでしょう。では、その前にゆっくり話をしましょうか」
ギリクは『ナインテイル』を脅威に思っていないのか、悠然とした態度を崩さない。
その理由は、彼女には分かっている。
ギリクにとって『ナインテイル』は大した脅威では無いのだ。想像を絶する実力を誇るギリクにとって、『ナインテイル』は虚仮威しに過ぎない事は間違い無い。
「まさか収容所で話をする、なんて笑える提案をするつもり?」
「ああ、それは思いつきませんでしたね。そうしましょうか?」
「寒い上に雨の中で立ち話? 私は構わないけど?」
「私も構いませんが、周りの目と耳を気にした方が良い話になりそうですからね。向こうに野営地があります。そこで話しましょう」
ギリクはそう言うと、彼女に背中を向けて歩く。
「お待ち下さい、ギリク殿。貴方の勝手には」
ボウディーが止めようとするが、ギリクはボウディーを見て軽く手を上げる。
「もうそういう話ではない事くらい分からないのですか? ここから先、貴方達兵士に出来る事はありません。ありがとうございました。お帰り下さい」
露骨にぞんざいな態度を取るギリクにボウディーは言葉を失っているが、周囲の兵士達には安堵の空気が流れている。
もう、この魔獣を戦わなくていいという安心感が漂い始めていた。こうなっては戦意の維持など出来るはずもない。
「そちらから呼んでおいて、非礼が過ぎませんか、ギリク殿」
食い下がるボウディーに、彼女は笑う。
「だってよ、所長。逃げる口実だけでは足りないってさ。何か手土産が必要なんじゃないの? なんなら私が皆殺しにして、逃げ帰る口実を与えた方はいい?」
「言わなくても分かると思っていたのですが、この程度の騎士モドキの覚悟はこんなモノなのです。貴女のソレとは根本的に違うのですよ」
ギリクはボウディーではなく、彼女の方に言う。
「へえ、所長って私の事をそんな風に評価してくれてるの?」
「私は正しく評価しているつもりです。クデベル程度の小国にとって、物語に出てくるような勇猛果敢な一騎当千の騎士などは無用の長物で、必要ありません。むしろこの程度の舌先三寸の小物の方が有用なのも知っています」
「そうなの? とてもそうは思えないわね」
彼女は露骨にボウディーに蔑みの目を向ける。
「若い貴女には分かりづらいかもしれませんが、寄生する事でしか生き残れない小国にとって、大した才能も無いにしても恥ずかしげもなく戦利品を入手してくる者は貴重です。大した才能も無いので切り易いという事もメリットです」
ギリクは彼女に向かって説明する。
「へえ。こんなのにも使い道があるのね」
「勉強になりましたか?」
移動していたはずの二人は、足を止めてボウディーの前で彼の方を見ながら話している。
ボウディーは眉間に皺を寄せ青筋を立てているが、それでも口を開かずに暴言に対して我慢している。
「所長は、こういうの使いたいの?」
「まさか。ただ、小国だと使わざるを得なくなるものです。クデベルで人事を担当している者は、その辺りをわきまえた人物のようですから、そちらなら使いたいですね」
「えー? 所長、言っちゃなんだけど、収容所ではまともな仕事が出来る人って数人しかいなかったわよ?」
「そこは認めますが、部下が上司を選べない様に、上司も部下を完全に望みのままには出来ないものです。それは私であっても変わりません」
ギリクはため息混じりに答える。
「じゃ、ここに集まってるのはどうなの? 結構な数がいるけど?」
「おそらく貴女一人の方がマシでしょうね。貴女は亜人収容所のメンバーを見てどう思いましたか?」
「ああ、そう言う事。だったら、収容所の全員より所長一人の方が戦力になるでしょうね。でも、私の部下に所長は要らないわ」
「それは残念ですね。私は貴女の様な部下でしたら歓迎してあげますが」
そうは言うものの、ギリクの研ぎ澄まされた殺気は彼女に向けられている。
気の小さい者はそれだけで意識を失いかねないが、彼女はその殺気を感じながらも恐る事無く、ギリクに対してすら軽口を叩いている。
「で、聞いていい? いつまでついてくるの? 解散しなくていいの? これ以上は本当に命の保証は出来ないんだけど」
「まだいるんですか? 彼女の言うように、これから先はもう貴方達の入り込む余地はありませんよ」
ギリクと彼女は呆れて、怒りに震えているボウディーに言う。
「私がやりましょうか?」
「いえ、ここは私が引き受けましょう」
ギリクがそう言うと、ボウディーに向かって人差し指と中指を伸ばして向ける。
「ギリク殿、どういうつもりですか」
「せめて部下くらい守って見せろ」
冷たい言葉の後、指を横に振る。
「コレを持っていけば逃げる口実にはなるでしょう」
ギリクは横に振った指を縦に振ると、その動きに合わせてボウディーの首が飛ぶ。
その直後、ボウディーの首の無い体から大量の鮮血が噴水の様に吹き出し、しばらくして周囲から悲鳴が上がると共に、首の無い体は力無く倒れこむ。
「これで静かに話が出来そうですね」
「逆にやかましくなったりしないの?」
「コレがあれば黙らせられますよ」
ギリクの手の中には、飛ばされたボウディーの首が乗っていた。




