第五話 生命の花-2
さすがメルディスだったな。
彼女は久しぶりに会った、収容所のカリスマを見て安心していた。
明晰な頭脳を持つメルディスなら、もうこの戦いに勝目が無い事など、とっくに気付いていたはずだ。
彼女が奇襲に失敗して、蜂起の序盤で敵戦力を撤退させられなかった時点で勝負はついていた事くらい、早い段階で気付いていただろう。
そして収容所と言う閉じられた場所に閉じ込められているという精神的圧迫は、生きる希望を急速に奪い取る。
並の指揮官なら収容所はパニックに陥り、とっくに同士討ちが始まっているはずだった。
ところが、いざその収容所を見ると、秩序はまったく失われていない。
なにしろ、あの人並み外れた小心者の十二の少女がまだ生きる事を手放さず、外敵に対して恐怖できるくらい正常な判断が出来ていたのだ。
メルディスと言う絶対のカリスマと、十二の少女の口から出てきた二三一という戦力が、まだこの収容所を支えていたのだ。
今度は間に合ったみたい。
そう思うだけで、彼女の胸は痛む。
まだ何か出来た訳ではない。これから行う事は、彼女と収容所の亜人達を決定的に離別させる事になる。それでも、彼女は折れずにいられる。
あとはあの時の失敗を取り返す事だけ。
それは最善とは言えない行動であり、場合によってはより大きく深い溝を築く事になるかもしれない。
が、それは些細な問題だ。
彼女は求めるモノを手に入れる為であれば、それ以外の全てを捨てる覚悟は出来ている。もう二度と巡ってこないはずの、挽回のチャンス。
彼女は翼手竜に乗ったまま、収容所の門を越える。
門の向こう、意外なくらい離れた所に野営地があった。
それぞれにテントが乱立し、相当数の人数が集まっている事が見て取れる。また、テントの集まっているところも区画分けされている。それは集まった研究所や暴動鎮圧の兵団など、勢力毎に分けられているのだろう。
冬の蜂起開始の時これだけ集まっていれば、と彼女は思う。
一見すると数が揃って戦いにならない様に思えるが、一つの指揮系統で集まった数では無く、それぞれが数を出し合った連合軍では実質戦力は数ほど機能しない。それどころか、集まった数が分散していれば一ヶ所に大打撃を与えるだけで簡単に無力化出来る。むしろ十分の一でも一枚岩の方が遥かに手強いのだ。
と思って、彼女は苦笑する。
戦術的に考えるとそうかもしれないが、ギリクという常識の通用しない絶対の恐怖が存在していれば、強引に一枚岩にする事が出来る。
集まった兵力が十分の一、集まった勢力数が十倍の烏合の衆であったとしても、外敵を遥かに上回る恐怖で指揮すれば良い。
指揮をギリクが取るのであればそれは一枚岩と言えるのだ。
あの時は、ただの護衛の兵力だったが、今回は亜人と戦いに来た集団である。
二三一率いる直接戦力と対抗するための戦力と、メルディス率いる遠距離攻撃のバックアップにも耐えられる装備を身につけた、戦いに来た兵士達。
蜂起を始めた頃の彼女達なら、一度の奇襲を成功させたとしても勝つ事が出来るかわからない戦力が集まっていた。
目視で確認する限りでは、数は三千から五千。多くはあるが、多すぎるという数ではない。収容所の亜人の数が四百前後である事を考えると妥当な数字である。
二三一やメルディスは誇張でなく、一人で人間の兵士十人分以上の戦力である。全ての亜人がそうでなくても、十倍の兵力を揃えてきた。
が、数が揃えば揃うほど、恐怖だけでは統制出来なくなってくる。
何しろこの戦いの戦利品は、敵である亜人達しかない。収容所には大した金品も無い。あるとすれば謎の干物と、多数の書物程度。簡素な防寒具や毛布など戦利品にもならないだろう。
全員を生け捕りにできても、せいぜい四百人。とても分配出来る数ではない。
そこへギリクと同等、もしくはそれ以上の恐怖をぶつけられた時、集団は集団として機能するのか。
指揮官の腕の見せ所になる。
彼女はテント群の中で、収容所に最も近い野営地の前に降り立つ。
もちろん、その陣地にいた者達は彼女の存在に気付いている。中には武装して様子を見ている者もいる。
『陣にいる者達、聞こえるか』
彼女の声が響く。
特殊な魔術で声を広めているのだ。
この声はここだけではなく、すべての陣と収容所にまで届いている。
『陣から竜が見えるか。その竜のいる陣を今から攻撃する。戦う意志の無い者、降伏の意志の有る者は十秒以内に陣から立ち去れ。それが出来なければ、陣にいる者は老若男女を問わず敵と見なし、皆殺しにする』
とてつもない暴論である。
降伏の意志の有無を問うにしても、十秒はあまりに短い。この氷雨の降りしきる中、防寒具を身につけて陣がら出るだけでも十秒では不可能である。十秒で降伏の意志を伝えるのは、防寒具などの装備を身に付けず、今すぐに陣を出て頭を垂れる他にない。
つまり彼女は、最初からこの陣にいる者を、言葉通り老若男女を皆殺しにするつもりだったという事だ。
彼女の意思を汲み取って翼手竜は飛び上がり、彼女が前に立つ陣地の上を飛び回っている。
それはこの陣地にいる者達だけでなく、この集団全てに彼女の意思を伝えるためであり、士気を削ぐ為のパフォーマンスでもある。
攻撃を宣言された陣でも、敵意より先に戸惑いが支配していた。
竜、と言っても翼手竜が一匹。攻撃を宣言してきたのは見る限りでは魔術師。声を聞く限りでは女である。
それが一方的に降伏勧告をしてきた事に対し、現実感が無いのだ。
翼手竜は鳥とは比べ物にならない危険度とはいえ、伝説の竜の様に炎を吐く訳ではないので、武装しているなどでなければいかに頭上を取られたとしても、直接攻撃しか手段が無い以上、対処としては猛禽と変わらない。
また相手が魔術師で攻撃を宣言されているのなら、対魔術用の備えをしておくだけで攻撃を無力化出来る。魔術師が不意打ちしてくるのなら、攻撃宣言などまったく不必要な行動なのだ。
結局彼女のカウントダウンはそのまま終了し、その間には何も動きはなかった。
『降伏の意思無し、と受け取る。それでは宣言通り、一人残らず殲滅する』
彼女は無慈悲な宣言をする。
「おい、何ふざけてやがる。死にたいのか、亜人の小娘」
陣地を見張っていた兵士の一人が、見かねて槍を片手に彼女に言う。
相手の目的が見えてこない以上、挑発に乗らない事。これは鉄則であるが、見張りの兵士は目の前で好き勝手な事を言っている、とんがり帽子の女に我慢ならなかったらしい。
が、それは彼が人生で最後に発した意味のある言葉となった。
『それじゃ、始めましょうか』
彼女が左手に持つ銀色の柄を振ると発輝色の鞭が伸び、その兵士に絡みつくと、次の瞬間には兵士を空高くに放り投げていた。
それを合図に、彼女の振る発輝色の鞭は、鞭というより巨大な大蛇や触手の様に伸び、陣地内を縦横無尽に這い回る。
常識の範囲で考えるなら、アレは武器としては機能しない。まず、長過ぎる鞭を言うのはまともに振る事は出来ず、そもそも振ったところで武器にならない。長すぎる縄をいかに振ったところで力を伝える事はできず、相手にダメージを与えられないのだ。その長すぎる形状だけでも充分武器として機能しないのだが、それが複数となると、目一杯腕を振り回したところで根元くらいしか動かせず、先端はまったく動きはしないだろう。
が、魔力を帯びた武器に、物理の常識は通用しない。
彼女が銀の柄を振ると、発輝色の長過ぎる鞭は陣に襲いかかる。簡易の建物を粉砕し、そこにいる兵を捉えては上空へ放り投げる。
瞬く間に陣は破壊音と怒声と悲鳴だけが響く、阿鼻叫喚の地獄を作り出していた。
陣の中には少なくとも数十人はいたはずだが、その人物達は発輝色の魔力の鞭に捉えられては、高々と上空に放り上げられる。
その姿は恐ろしく不吉な何かに見えた事だろう。
発輝色の魔力の鞭が捉えた者を上空へ放り投げる時、その光が空へと立ち上がる。それが複数立ち上がった時、まるで巨大な複数の頭を持つ大蛇と言うより、複数の尾を持つ魔獣がいる様に見えるのだ。
それは、伝説として語られる、神のごとき力を持つと言われる最凶最悪の妖獣。
伝承の中にのみ見る事の出来る、その妖獣の名は『ナインテイル』と言われる。
伝承や伝説によってその姿は様々に語られ、特に有名なのは九つの尾を持つ狐の姿だが、その力は伝説級の竜であってすら比肩する事すら出来ず、不死王と並ぶ災厄として語り継がれている。
陣を破壊し尽くし、陣にいた者達を一人の例外もなく上空に打ち上げられるまで、驚く程短い時間で行われた。
『竜がいる陣に攻撃を仕掛ける。陣の上空に竜が見えたら、攻撃対象に選ばれていると思う事だ』
魔術師の声が聞こえた後、全ての陣の上空に雨を遮る程の数の翼手竜が飛んでいた。
一体一体は、見た目に物騒ではあるが、大きめの鳥と大して変わらない程度の戦闘能力しか無い。しかし、それが百匹単位となれば、戦力としても尋常ではない。
『徹底抗戦か、全面降伏か。よく考えて答えを出す事だ』
今度は十秒と言う無茶な条件はつけないが、陣の上空には小型とは言え翼手竜の群れが飛び交い、しかも一つの陣を見るも無残な何かに変えた直後である。これは交渉と言うより脅迫である。
『こうなりたくなければ、身の振り方をよく考えろ』
彼女の声に合わせるように、上空に放り投げられた者達が、それぞれの陣に降り注ぐ。単純に重力だけに影響されているとは思えない勢いで、放り投げられた者達は陣の中でも備品をまとめている簡易の建物を粉砕する。
『猶予は明日だ。降伏の意思を示すのなら立ち去れ。明日、敵対する意思を見せるのなら、自分達がどうなるか、今のでわかっただろう』
彼女はそれだけ言うと、翼手竜の群れを消し、指笛で一体だけ自分の元に呼ぶと何事も無かった様に竜に乗る。
これで、収容所に戻った時に歓迎は期待できなくなった。
もしかしたら、もっと上手い方法があったかもしれない。だが、彼女が選んだのは恐怖で彩られたメッセージを送る事だった。
ギリクにならきっと届くと言う確信があった。
正体を知る今となっては、それは間違いなく届く。
災厄の脅威を振りまくのは、ギリクだけではない、と。




