第五話 生命の花-1
第五話
冬の終わりを告げる雨が降り続けている。
この地方では長い冬の終わりに、長雨が降る。身を切る様な氷雨は、降り止むまで外での行動を大きく制限する。
だがその雨は、亜人収容所側の最後の防壁でもあった。
収容所の外には冬の到来と共にやって来ていた研究所の戦力の他、周囲の国の戦力までも集まってきている。
亜人一人一人の戦力は、人間の兵士の強さと比べると数人分の働きが出来るのは間違いないが、収容所の戦力は今では四百人を切っている。それに対し、収容所の外には数千人、あるいは一万人を超える兵力が集結してきていると、収容所内の亜人達の中には不安に感じている者も出てきた。
今になって降伏しても、受け入れられる事も無く、受け入れられても死んだ方がマシだと言う事を、亜人達は知っているので士気はまだ高い。
だが、それは滅びの美学を求める、死者の行進である事をメルディスは分かっていた。
「また一人で悩んでるんですか、メルディス様」
以前は十二の少女と呼ばれていた獣人姉妹の妹、シャオが声をかけてくる。
もうこの収容所において番号で呼び合う様な事はしていない。ほとんど全員が本名を名乗っている。
今でも番号で名乗っているのは、かつての六の少女のように名乗る名前を持っていない人物だが、さほど卑下されている訳ではない。
中には自分で名前を考えて名乗る者も少なくない。
番号の名前にこだわっているのは、最前線で戦闘部隊を預かっている二三一くらいなものだろう。
「悩んでいるわけではないわよ」
メルディスは薄く笑顔を浮かべようと努力して、シャオに答える。
この反乱が起きて、メルディスには近寄りがたい雰囲気が出てきたせいか、メルディスの周りに人が集まらなくなっていた。
これまでメルディスは収容所内において絶対のカリスマではあったが、それは所長という圧倒的な恐怖に対する存在として安心感を与える存在だった。
それが収容所内の絶対の存在となったメルディスは、収容所の亜人達の命を背負ってからは元々あった高貴さも、近寄りがたいモノになっている。
それだけにメルディスの身の回りの事をやっているのは、同部屋だった十一のシェルと十二のシャオの仕事になっていた。
十一の少女だった獣人姉妹の姉、シェルはメルディスの親衛隊を引き受けている。
元々同室だった少女達でさえ近寄りがたい雰囲気のメルディスは、かつての収容所のカリスマから、女王の風格を醸し出していた。
それは独特の重さであり、時に冷たくすら感じさせる強い責任感である。
「メルディス様、すごく難しそうな顔されてましたよ」
「そ、そう?」
メルディスは驚いて、自分の顔に触れる。
これも反乱以後によく言われるようになっていた。
反乱を始めた直後やそれ以前であれば、その責務の大半を六の少女がその小さな背中に背負っていた。
反乱初日に六の少女が消息不明になってから、その責務はメルディスの細い肩に全てが乗り、同じ覚悟を持っていたと思っていたメルディスは六の少女が背負う重みが想像以上のものだと知った。
自分の決断で収容所に収容された亜人が皆殺しにされるかもしれない。
六の少女はその全てを眉一つ動かさず、駒として配置して、その命を背負ってみせた。
「大丈夫よ。これからの事を考えてただけだから」
「それ全然大丈夫じゃないですよ。私、お姉ちゃんと二三一さん呼んできましょうか?」
「呼ばれても話せるほど内容がまとまってないから、やめといて」
苦笑いしながら言う。
しかし、もう悩んでいる時間は無い事はメルディスが一番よく知っている。
降り続く雨はまだ身を切るほど冷たいが、この雨は春の到来を告げる雨。まもなくこの雨は温かい雨に変わり、その時が外に集まる戦力の総攻撃が始まる合図にもなる。
いくら亜人が戦力として優秀と言っても、一万人と言われる圧倒的な物量差を覆せるほどではない。
地の利があったとしても、個々の戦力が高かったとしても、回復が見込めない以上は物量の波に飲み込まれるしかない。
亜人を救うには、数を機能させない事。
もっとも効果的なのはリーダーを無力化して、その数を全て烏合の衆としてしまう事だ。リーダーシップが強ければ強いほどそれは困難になるが、その時の見返りは極めて大きい。
実際に亜人側は六の少女という片翼を失って、瓦解寸前である。
今はメルディスというカリスマのおかげで集団として機能しているが、それもいつまで持つかはわからない。
相手のリーダーの無力化、そのためには奇襲しかない。
最大の問題として、少数の奇襲でギリクを討つ事など出来そうにない、と言う事だ。
収容所の亜人達は、所長であったギリクの恐怖を嫌というほど思い知らされている。
逆らった者は見るも無惨な最期を遂げ、あの六の少女は所長に歯向かった訳ではないのに、片足を失った。その恐怖に打ち勝てる者は、残念ながらこの収容所内にはいない。
それはメルディスであってすら、例外ではない。
奇襲でしか勝目が無いのだが、その奇襲すら成功の見込みがない。
そんな話を親衛隊のシェルや、前線に立つ二三一にできるはずもないのだ。
消息不明となっている六の少女は、冬が終わり春の到来も近いこの時期になっても、姿を表現さない。
もう彼女はこの世にいないと考える方が現実的だろう、とメルディスは思っていた。
この蜂起は六の少女が密かに作成していた、蜂起の計画書の通りに行動していた。六の少女の先見の明は、未来視かと思う程の正確さで所員や研究所側の戦力の動きを読み切っていた。ただ一つ、六の少女の計画通りに行かなかった事があるとすれば、今この場に立案者がいない事である。
彼女の計画では、彼女は相手の備蓄、特に防寒具関連の物に打撃を与え、相手に冬を越させない計画だった。仮にそれが失敗したとしてもメルディス達と合流して、新たな策を考える予定だったのだが、六の少女は蜂起を起こした初日に姿を消し、それ以来消息不明である。
冬を越えても彼女が姿を現さないと言う事は、おそらく六の少女は作戦に失敗して命を落としたのだろう。
六の少女が簡単に死ぬとも思えないのだが、もし捕らえられているのならば、相手は派手に宣伝しているはずだが、それもない。討ち取っているのであれば、それも宣伝しそうなモノではあるのだが、それもない。
死体が残らない、例えば壁の向こうへ落とされた、と言うのが最も考えられそうな事だった。
もちろん、彼女の消息が不明である以上、生きている可能性はある。想像を絶する生命力を持つ六の少女であれば、奇跡的に壁を越えて西の大地で生きている事だって十分考えられる。
考えられるが、それだといよいよここには戻ってこないだろう。
そこで生きていけるのなら、敢えてこの絶望的な戦場に戻ってくる必要も無いのだから。
どちらかといえば、そうであってほしい。
この収容所に入れられた亜人達は、全員例外なく幸せとは言えないが、そんな中でも六の少女の送ってきた短い人生はあまりにも壮絶だった。
そんな彼女が奇跡的な幸運に恵まれたとしたら、彼女一人が自由になったとしても、収容所の亜人達はソレに口を出す事は出来ない。
もし、それに文句をつけようという者がいても、六の少女に直接伝える事など出来ないし、出来る者もいないのだから。
そこまで考えて、メルディスは軽く首を振る。
今考えるべきは、消息不明の六の少女の幸せではなく、勝敗の決したこの戦場をどの様にまとめるかである。
負ける事は決まったが、どのように負けるかは今後の亜人の生活にとって極めて重要な意味を持つ。
今すぐ降伏した場合、この反乱の首謀者であるメルディスと実戦部隊長を務めた二三一の二人の首で、被害は済むかもしれない。
しかしその場合、これまで以上の弾圧と迫害を受ける事を感受しなければならない。だが、ほぼ確実に大多数の亜人がこの場を生き延びる事は出来る。
もう一つの負け方は、最後の一人、それはおそらくメルディスになるだろうが、この収容所の亜人全てが死に絶えるまで抵抗し続け、亜人の尊厳を示すか。
亜人を本気で追い詰め、怒らせた場合には想像を絶する被害が及ぶという恐怖で戦意を奪い、今も息を潜めて生きている亜人達に手出しさせないように出来るかもしれない。逆に、亜人の危険性を示す事で一人残らず駆除されるという事態を呼び込む事にもなりかねない。
ここでの戦いで、この地域にいる無関係な亜人達の命も一方的に賭けのテーブルに乗せる覚悟。
一度地獄に落とされるくらいでは消えない罪と怨嗟。今まで流してきた血を無駄にして、より劣悪な環境を作った責任。
それを背負わなければ出来ない決断だが、これはメルディスが背負うべきモノであって、他の誰かが肩代わり出来るものではない。
そして、メルディスはそれを覚悟したはずだった。
六の少女が行動すると決めた時、メルディスも彼女と同じ覚悟を決めたつもりだった。
だが、片翼を失ってからというもの、その責任の重さは羽ばたく事はもちろん、責任を背負って立つ事すらもままならなくなってきている。
六の少女はこの重みの中、片足を失い、所長の恐怖を誰よりも近くで感じさせながらも全てを立案し、もっとも危険な奇襲を敢行しようとしていた。
だとすると、全責任を背負うメルディスが取るべき行動は一つ。
いかな侮蔑を受けようと、千年に及ぶ怨嗟を受ける事になっても、ここで流した血を無駄にする事など出来ない。
「メルディス様、何か怖い顔されてましたけど……」
シャオが少し怯えた表情で言う。
この小心者の獣人も、メルディスの理想の生贄にする事になる。
いや、理想のためであればまだマシだ。
これはただの滅びの美学であり、その妄想に全員を無理矢理引きずり込んでいるだけなのかもしれないのだから。
だが、メルディス一人が決めたとしても、最低でもあと一人は一緒に死を先導してもらわないといけない者がいる。
メルディスに次ぐ亜人達からの信頼のある、実戦部隊の長。多くの人間を蹴散らしてきた実力者である二三一。
彼には話をつけなければならない。
もちろん彼だけでなく、一緒に死ぬ亜人達全員の意思を確認しなければならない。
「皆に話をしないとね。今後の事を考えたから、皆に伝えないと」
「は、はい……」
メルディスの表情から、シャオにもそれが明るい未来の話では無い事は分かった。
メルディスが立ち上がった時、彼女が今まで眺めていた窓が不自然に揺れる。
そこだけに強風が当たっているのだ。
「メルディス様!」
シャオが悲鳴を上げる。
窓の外には黒い大型の鳥の様な生き物が見えた。
驚く程近くで滞空し、こちらを見ているその生き物はすぐに鳥ではない事が分かった。
夜の闇に紛れる黒い体に羽毛は無く、雨に濡れる鱗が見える。まるで翼の生えた蛇やトカゲに見えるその生き物は、この近辺に住むはずのない魔獣。
竜だ。
メルディスは窓の外を見て思う。
竜の中では小型で低級とされる、翼手竜と言われる種だとメルディスは本で得た知識からそう判断する。
竜という種族の中では低級とはいえ、ソレは猛禽類や猛獣と比べても危険度は比べ物にならない程高い。しかも本来この種は群れで行動するはずであり、一匹だけが冬の雨の中を飛び回る事など無いはずだ。
実際にメルディスはこの収容所に長くいるが、翼手竜など見た事が無かった。
しかも、よく見ると翼手竜には鞍や手綱が付いていて、誰かがその背に乗っているが分かる。
小柄な人物で、ツバの広い大きな黒いとんがり帽子と同色のマントを身に付けた人物で、暗闇の中でも光る金色の瞳でこちらを見ていた。
「メ、メルディス様! 敵です! 魔物が……。私、お姉ちゃんを呼んできます!」
「慌てなくてもいいわよ。敵ならあそこに留まる必要も無いんだから」
パニック状態のシャオの頭を撫でてやると、メルディスは窓を開ける。
冬の終わりとはいえ身を切る様な冷気が部屋に入り込んでくるが、メルディスはその寒ささえも感じないほど上気して、窓の外の招かれざる客を見て微笑む。
「随分と遅かったわね。まったく連絡をよこさないで。心配させてくれた事、どう責任を取ってくれるの?」
「コッチも色々あったからね。随分と苦戦してるみたいだから、手を貸してあげましょうか? 亜人のお姉さん?」
久しぶりに耳にする、低音で深みのある声。
「手を貸してもらえるの?」
「私のやり方で良ければ、ね。全てを私に任せてもらえるのなら、全責任は私が取る。ただし、一切口出ししない事。それが手を貸す条件よ」
「メルディス様、あの方は一体……」
シャオは怯えながら、メルディスに声をかける。
「分かった。私の名の元に、貴方に全てを任せるわ。ただし、責任は私が取る。貴方は自分の行動に最善を尽くす事。それが私からの条件よ」
メルディスの言葉に、竜に乗る魔術師風の人物は答えない。
メルディスの提案は、外の魔術師からすると一切のリスクの無い提案だったはずだが、翼手竜に乗る魔術師は考え込んでいる。
「や、やっぱりお姉ちゃんとか、二三一さんを呼んできた方が……」
「随分な条件をつけてくれるわね。どうなっても知らないわよ」
外の魔術師は少し笑いを含んだ声で応えるが、それはどこか呆れている様にも聞こえる。
「なら、私の勝手にやらせてもらうけど、一つお願いがあるの。私は一人で戦う事に慣れているから、そこから誰も出さないで。私の周りで動くモノがあれば、それは全て敵と判断するから」
「ええ、それは約束するわ」
メルディスが頷くと、翼手竜は雨の中を飛び去って行く。
「メルディス様、良いんですか? あんな得体の知れない奴を頼って……」
「得体の知れない、ね」
メルディスは苦笑いしながら、シャオに言う。
「貴女も同室だったでしょ? あの人は六番よ」




