第四話 黒い剣-7
「よう、また見に来てるのか? お前はよっぽど暇なんだな。友達とかいないのか?」
「僕には近づかない方がいいみたいだから」
「今日は暗いな。何か嫌な事でもあったか?」
「今日から一人なんだ。乳母も母様も居なくなってしまったんだよ」
彼は赤い光に向かって言う。
「そっか。そりゃ大変だな。こんなところで剣なんか見てる場合じゃねえだろ?」
「どうしていいかわからないんだ」
「へえ、お前でも弱音を吐くんだな。大丈夫だよ、お前は強い奴だ」
赤い光に言われ、彼は黒い剣に目を向ける。
「強いって、どう言う事? 僕のご先祖様達はこの剣を使って敵を倒してきたって聞いた事があるけど、強いってそう言う事なの?」
「違うよ」
赤い光は彼に向かって言う。
「それは勝ってるだけで、強いとは言わねーよ。人によっては敵を倒してそれで強さを誇る奴もいるみたいだが、俺はそう言うの強いとは認めたくねーなー」
「じゃ、強さってどういうものなの?」
「そうだな。俺は自分の生き方に自信を持つ事が強さだと思ってる。例えば坊主、お前の母親ってのは恨み言を言いながら死んでいったか? 俺はお前の母親の事は知らないが、自分の事よりお前の事を心配しながら死んだんじゃないか?」
「僕に謝ってた。本当は僕に背負わせたくなかったって言ってた」
「まあ、そうだろうと思ったよ。それは自分の人生を受け入れて、そこに残る未練より大切なモノを見つけた者が言える言葉なんだ。それを見つけた者は例外なく強いさ」
「君も?」
「俺? 俺は超ツエーよ。最強じゃね?」
赤い光は彼の周りを飛ぶ。
「心配するな坊主。お前は強い母親から生まれたんだ。その強さはきっとお前の中にもある。一人を恐る必要はねえよ。多分、お前の母親はお前を一人残して死んでないんじゃないかな? 友達になれるような、身の回りの面倒を見てくれる様なモノを残してくれてると思うぞ?」
「母様は、僕の心の中で生きているって乳母は言ってた」
「だろうな。お前の心の中にはしっかりした存在がある。お前は自分の生き方に自信を持て。思う事に、自分の判断に自信を持っていい強さがある。超ツエー俺が保証する」
赤い光が、彼の前に浮かぶ。
「だから、泣いてもいいんだぞ? 涙を流す事は弱い事にはならないんだからよ」
「……夢?」
目を覚ました時、彼女が感じたのは疑問だった。
夢を見ていた事は覚えているが、それは彼女の記憶の中には無かった情景だった気がする。思い出そうとすればするほど正確な内容は消えて行き、自分の記憶と統合されない夢だった事しか思い出せない。
額に手を当てて、重い頭を振ると彼女は周りを見る。
何も変わった所は無いはずなのに、この部屋からは彩が失われていた。
彼女が間借りしている、二階の階段のすぐ近くの部屋。
ごく僅かな違和感のある部屋が気になり、彼女はその空間を見回す。
黒いコートやツバの広いとんがり帽子。銀色の柄も机に置かれ、黒い剣もその机に立てかけてある。
おそらく『銀の風』が持ってきてくれたのだろう。もはや無用の長物と化した、呪いの塊である黒い剣。
だが、彼女はその黒い剣から感じる脅威が薄れている気がした。
おそらく失う恐怖が減ったからだろう。
何があってもこの剣を持ち帰らなければならなかった重圧が無くなり、もういつでも手放していい、と言う程度の物になったからかもしれない。
彼女は簡単に身支度を整え、銀の柄をベルトに挿す。
黒い剣を背負うかどうか悩んだが、必要は無いものの、もうこの部屋に戻ってくる事も無いと思って、背負う事にした。
相変わらず嫌な存在感を示す黒い剣だが、痛みを拡散させる事も呪いで幻覚を見せる事もしてこない。
彼女は最後にもう一度、借り物の部屋を見回す。
忘れ物、といっても彼女には最初から彼女の持ち物など有りはしない。
全てイリーズ達から与えてもらったものばかりであり、本来の彼女の持ち物では無い。今身につけている衣服やコート、被っている帽子も、護身用と渡された銀の柄も全てが貰い物や借り物である。
この部屋に、彼女の持ち物は無い。そう、最初から無かったのだ。
そんな事実ですら、彼女の胸を抉る様な痛みをもたらす。
「……アレか、違和感の元は」
彼女は部屋を出る前にそう呟いた。
窓際に置かれた小さな花瓶と、その中の萎れた小さな花。
ウェンディーがこまめに面倒を見ていた小さい花は、これまでは萎れるような事は無かった。
主が居なくなり、この城もこの花と同じ様に急速に朽ちていく。それを止める事など彼女には出来ないのだ。
まあ、気にしなくて良いんじゃねーの? 世の中そんなモンばっかりだって。
この場にいない、赤い髪の妖精が軽く言うのが聞こえた様な気がした。
しかし居ない者の事を考えても仕方がない。
彼女は一階に降りると、普段使っていない部屋から声が聞こえてきた。
この城はイリーズとサラーマ、ウェンディーしか住んでいなかった。その彼らは機能だけを優先していたので、裏口近くであり機能的な使用人の部屋以外を使っていなかった。
以前イリーズを助けようと城の中に何か無いかをサラーマと探した時、一応この城の作りは知る事が出来た。
声が聞こえてきたのは、会議室のある方だ。
会議室と言ってもこの城の規模と同じ様に大きくはないが、イリーズは近付く事の無かった部屋。
おそらく『銀の風』がいるんだろう。
彼女はそう思うと、会議室の扉を開く。
「気が付いたのか」
会議室にいた『銀の風』は彼女に気付いて言う。
「何してるの?」
「特に何もしていない。くつろいでいる所だ」
まったくくつろいでいる雰囲気ではない『銀の風』が言う。
「アルジャントリー様、こちらは?」
お茶を運んできたのは、『銀の風』と同じ様な鎧とマント、同じ様な白銀の髪。しかし顔の鼻から上を銀の仮面で隠した、男か女かも分からない人物がいた。
「ああ、コイツはこの城の住人で、城主の意思を継ぐ者だ」
「ではフーディリウス様が仕えていた方ですか?」
「いや、それは城主だ。その女は城主が遺した者だ」
銀色の二人が彼女を見て話している。
「くつろぐって、ここ、何もないでしょ?」
「だからくつろげるんだろう。何かあったら何かしなければならない」
不思議そうに『銀の風』が答える。
別にくつろぐと言うのは何もしてはいけない、という事ではないのだが彼女はその説明はしない事にした。
「お茶をお持ちしましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
銀仮面は彼女に質問していたはずだが、『銀の風』が答える。
「気分はどうだ?」
「悪いわよ」
彼女は『銀の風』の質問に答えると、『銀の風』の向かいの席に座る。
「そうか。だが、会話は出来るくらいに回復したようだな。お前に話す事がある」
そう言うと『銀の風』は、二つの物を机の上に置く。
「それは?」
「城主の遺品だ。結晶の方は魔力で声を残す事が出来る品だ。私がイリーズ公の葬儀を行う際に見つけた物で、お前のために残したメッセージだろう。その旨を書いた遺書も残っていた」
彼女は机の上に置かれた二つの品を見る。
一つは黒い水晶の様な鉱石で、『銀の風』が言っていた物である。
もう一つが大粒の赤い宝石が付いた銀の指輪で、穏やかながら強力な魔力を感じる。
「遺書?」
「ああ、『エテュセへ』と書かれていたから、お前宛だ」
「エテュセ……。そうか、イリーズが最期にくれた、私の名前……」
彼女は、黒い結晶と赤い宝石の指輪を手に取って呟く。
彼女には名前が無い。
正直なところ、その事を恨んだことも無く、羨ましいと思った事もさほど多くない。
だが、この城に住み暮らす様になってからは、名前を持っていない自分が異物だと思うようになり、名前が欲しくなった。
自分では良い名前が思いつかなかったので、イリーズ達に考えてもらった。
その名前が、エテュセ。
実在するかわからない、生命の花。
素晴らしい名前であり、彼女が欲したもので間違いなかったが、手に入れた事よりそのために失った喪失感の方があまりに強い。
「彼はお前の帰りを待てるか不安だったはずだ。だからこそ、最期のメッセージとしてその魔力の結晶を残していた反面、お前に名前を告げるまで何が何でも待っているという執念を感じる。お前の名前で書き残していたのだからな」
腕を組んで『銀の風』は頷いている。
「聞かないのか?」
「一人の時にこっそり聞くわ」
「そうか。私も聞きたかったが、残された側がそう言うのであれば、私はお前からこっそり奪い取って聞いてから、こっそり返すとしよう」
真面目に宣言している『銀の風』に、彼女は肩を竦める。
「それで、天空の騎士様が私にどんな話があるの?」
「む? 私はそう名乗ったか? 確かにそう呼ばれる事もあるが」
名乗ったのは『銀の風』ではなくサラーマだったのだが、その知り合いだったのでそう呼んでみたのだ。
「アルジャントリー様は天空の騎士と言うより、それを率いる方ですから神将と呼ぶ方が正しいんですが」
銀仮面が戻ってきて言う。
目は仮面で隠れているので実際の表情は分からないが、口元と声は笑っている。
「神将? 胡散臭いわね」
「私はそう名乗った覚えは無い。私は監視者だ」
殊更否定すると言う事は、意外と気に入らないのかもしれない。
「どうぞ。お口に合えば良いのですが」
銀仮面が彼女の前にティーカップを置く。
上品なカップの中の液体は、カップと同じく上品な匂いが漂っている。
「アルジャントリー様は在り方が既に特別ですからね」
「そうなのか? 私はさほど差異は無いと思うのだが。どう違うのだ?」
そう言うところが相当な変わり者なのだが、『銀の風』はよほど浮世離れしていると思われる。
「大丈夫ですか、アルジャントリー様。私も冬が終わると任地へ行かないといけないんですから、ちゃんと出来ますか?」
「心配いらん。私は監視する事のみが仕事であり、それにサポートは必要無い」
そう言う事を言っているのとは違う気がしたが、『銀の風』は心外だとばかりに銀仮面に言っている。
(何この人達。天空の騎士ってこんな集団?)
「ところで話ってこの遺品だけ? だったら私はこれで」
「何処へ行くつもりなのだ」
席を立とうとする彼女を、『銀の風』が呼び止める。
「お前が目的を持って行動するのなら、私も口を挟むような野暮はしない。だが、それであればお前はあそこまで取り乱さなかっただろう。これからどうするつもりなのだ」
痛いところを『銀の風』はついてくる。
「これから……」
「そうだ。私はお前に彼の託された想いを継ぎ、答えを探せと言った。具体的にどうするつもりなのだ」
考えていなかった。
ただ、この城に留まるつもりはない。より西へ行けば亜人の住む国があると言っていたので、そこへ行ってみようと思っていた。
最終的には、壁を超えて戦う事になるだろう。
呪いの元凶である、ギリクを殺して呪いを解消する。
今となってはこの地の呪いはどうなっても良いのだが、だが呪いの存在、『魔獣の落とし子』だけは存在する事を許すなど出来ない。
「ふむ。目的はあるようだが、黒い剣で倒すのか? それなら勝てるだろうが、そもそも相手を見つける事が出来るのか?」
見つける事は出来る。その自信はあるのだが、どうやって壁を超えるかが問題である。
彼女は空を飛ぶ事は出来ないし、いかに強力無比な魔剣であってもそれで断崖を越える事は出来ない。壁や断崖を切り裂く事は出来るかもしれないが、そこで移動が出来なければ意味がない。
それに壁や断崖を切ると言っても、先に被害を受けるのは手前にある収容所側である。
「どうだ、私の下で冬の間だけでも学んでみないか?」
「アルジャントリー様?」
銀仮面が『銀の風』の方を見る。
「どうした? 何かまずい事でもあるか?」
「いえ、アルジャントリー様が他者に教えられるモノがあるのですか?」
(え? そっち?)
さすがにソコに引っかかるとは思っていなかったので、彼女は驚いて銀色の二人を見る。
「何を失礼な事を言うか。私とて戦う技術を教える事くらい出来る。幸いにもこの女は頑丈で体力があり、回復も早い。そう簡単に死ぬ様な事は無いだろう」
「だからダメなんですって。これ以上神将ともあろうお方が、一般人に命に関わる怪我なんかさせられないでしょう」
前科持ちらしい。
「いや、だから良いのだ。この女は相当な特異体質らしくてな。体中の至る所に致命傷の傷がありながら、それを魔術で治している。しかも一切弱っている様子も無く、精霊も彼女を恐れている」
(何で知ってるのよ。しかも精霊に恐れられてるって何? それ良い事じゃないよね)
彼女は眉を寄せて『銀の風』を見る。
「驚いているようだが、種明かしをすると簡単なものだぞ。お前にイリーズ公の声が残されていた様に、私はウェウティア……ではない、ウェンディーの日記を見つけたのだ。それに事細かに記してあったのだ」
そう言うと『銀の風』は懐から一冊の日記帳を出す。
「中身が見たければ交換条件だ。イリーズ公の最期に残したメッセージを私にも聞かせてもらう」
「アルジャントリー様、素晴らしくカッコ悪いですよ」
銀仮面は溜息を付きながら言う。
「む? そうか? 私としてはしっかり等価交換を守っていると思ったのだが」
「そう言う時は譲るモノなんですよ。ウェウティア様のマメな性格のおかげだとかで」
「いや、それはおかしいぞ、ラナフリート。それだと私はイリーズ公が最期に遺した言葉が聞けないではないか。私はそれが気になって仕方がないのだ」
驚く程堂々と『銀の風』は宣言している。
彼女は余程イリーズの事が気に入っていたようだ。
「どうだ、エテュセ。私としては悪い取引ではないと思うのだが?」
「もう少し時間を頂戴。今はウェンディーの日記も受け入れられないと思うから」
そう言うと彼女は、銀仮面ラナフリートが淹れてくれたお茶を飲む。
「でも、『銀の風』が提案してくれた、あんたの下で命の危険に晒されるのは悪くないわ。それくらいの方が今は良いと思うから」
「危険極まりない考えだな。さすがにそう言われると私も喜べないが、余計な事を考えられない様にしてやろう」
上品にお茶を飲む『銀の風』だが、言っている事は物騒極まりない。
「アルジャントリー様。焚きつけたらダメですよ」
「いや、望むところよ。私の敵は禁術なんだから」
彼女は痛みと苦しさを感じる胸を押さえて、『銀の風』に言う。
だから、泣いてもいいんだぞ? 涙を流す事は弱い事にはならないんだからよ。
内容を思い出す事は出来ないのに、何故か夢の中の言葉が彼女の中で響いてきた。




