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生命の花 改訂版  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 世界の果てに咲く花

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第四話 黒い剣-6

「私の知った事ではないとはいえ、いつまでそうしているつもりだ」

 まったく感情のこもらない声で、『銀の風』は彼女に向かって言う。

 彼女はイリーズが横になっていたベッドの側で膝を抱えて、丸くなったまま動こうとしない。

 あれから三日。この世を去ったイリーズは、この地の最後の『魔獣の落とし子』を封印して、王族最期の末裔として消え去った。『銀の風』はその事を町や亜人達に伝え、遺体は灰になって残っていないとはいえ、埋葬を済ませた。

 それらを全て『銀の風』が行った。

 さすがに周囲は驚いていたが、神の使いと言われる『銀の風』の指揮であれば、反対意見も出ない。まして、誰からも感謝されていた最期の王族イリーズの埋葬という事で、誰もが進んで協力した。

 生前のイリーズは公正な政治家の一面もあり、王族の生き残りとして色々なアドバイスをしていた。それによって助けられる人も多く、その分感謝もされていた。一方で消えていく身を自分でも理解していたので、町の人達にとって厳しい事を言う時には町の政治家ではなく、イリーズは王族や自らの名を使って行なっていた。恨みや不満をその身に集めていたので、権力者達からも感謝されている。

 最期まで生き抜いた誇り高き呪われた一族の最後の一人として、墓石以外に名を残さなかった者。

「寒くないのか?」

 イリーズの住んだ古城の、彼らが好んで使っていた使用人室のベッドの横に膝を抱えた状態の彼女がいる。彼女はイリーズ達がこの世を去ってから、ずっと動こうとしない。

 イリーズの葬儀にも参列していない。

 意識を失って倒れた後、『銀の風』が別の部屋に寝かせていたのだが、いつの間にか彼女はここに戻ってきて膝を抱えていた。

 動かない彼女に『銀の風』は話しかけるが、彼女は答えるどころか身動き一つしない。

 凍死しているのかもしれないと思うくらい、彼女は反応が無い。

 そのくせに別の部屋へ移動させたりしても、気がつくとこの場所に戻っている。

「腹は減らないのか?飲まず食わずで何日過ごすつもりだ」

 彼女が眠っている訳ではない事も、『銀の風』には分かっていた。

 精神が崩壊しているかと心配になるが、もう手遅れかもしれない。

 そう思ったが『銀の風』は溜息をつく。

「イリーズ公も、今なら後悔しているだろうな。自分が最期の意志を託そうとした、自分の全てを託したはずの人物がこんなところでスネて腐っているのだからな。ウェウティア、ではなかったウェンディー達も、さぞかし落胆している事だろう。野良猫など拾うべきでは無かったとな」

 無感情に挑発する『銀の風』に、彼女はピクリとも動かない。

 だが、彼女の周囲に魔力の塊が発生する。

「聞こえてはいるらしいが、しかし情けない野良猫だな。自分を憐れむ事で精一杯の、惨めな小娘だ。自分が世の中で一番不幸とでも思っているのか? それも良い考えじゃないか。そうやって世界の中心にいるとでも思っていることだ。自分では何もせず、ただ周りが悪い、運が悪い、私は悪くないと思ってそこで腐っていけ。せっかく名前をもらったのにな」

 感情のこもらない声だが、容赦無く切りつける様な言葉を『銀の風』は叩きつけてくる。

 彼女は反応を示さない代わりに、六つの魔力の塊が『銀の風』に襲いかかってくる。その一発の破壊力は、数メートルの雪の巨人を粉砕した実績がある。それが六つ一斉に『銀の風』に飛びかかってきたのだ。

 が、『銀の風』は腰まで伸びる長い髪より銀の強い色合いのマントで、彼女の魔力の塊を払い除ける。

 それだけで魔力の塊は爆発する事なく、霧散した。

「どうした、野良猫。言葉も失ったのか」

 無造作に『銀の風』は、彼女に近付く。

「意地の張り方が違うだろう、野良猫」

 彼女に反応は無いが、もう一発魔力の塊が飛んで来る。しかし、その一撃の魔力の密度は前の六発と比べると極端に薄い。『銀の風』はマントで払おうともせず、面倒そうに銀色の手甲を着けた右手で簡単に防いで打ち消す。

「いい加減に現実に目を向けろ。悲劇のヒロインを気取ったところで、何も変わらない。現実を受け入れろ。自分の足で立て。それが出来ないのなら、死者の秘法を使ってまで待ってくれていた、あの誇り高き者達に会った時の言い訳を考えておく事だ。貴方達のやった事は完全に無駄でした、貴方達は無駄に苦しんだだけでした、という真実を伝えなくても良いようにな」

 これまで何を言われても反応しなかった彼女が、今度は反応した。

 膝を抱えて丸くなった状態から、予備動作も無く『銀の風』に飛びかかってきた。

 金色の瞳は狂気に濁り、そこに理知的な光は無い。口から発せられた声も、少女の雄叫びと言うより猛獣の咆哮であり、牙を剥き、涎を撒き散らし、そこに人間らしさは存在しなかった。ただの狂獣となった彼女が、『銀の風』に襲いかかってくる。

 その驚異的な瞬発力は、相当に訓練された戦士であっても不意を突かれる速度であり、下手をすると人の動体視力では追えない程のものだった。彼女自身は小柄で、瞬発力には長けているものの、腕力という点ではそれほど優れているとは言えない。

 しかし、喉を食い千切られては、腕力の優劣など無意味である。

 狂獣と化した彼女が噛みつく前に『銀の風』は捕らえ、喉を掴むと彼女の勢いを利用してベッドの上に叩きつける。

 柔らかいベッドの上とはいえ、喉を掴まれ背中から落とされては一瞬とはいえ呼吸が止まる。

 それでも彼女は痛みを感じていないのか、自らの喉を掴む銀の手甲に爪を立てる。力の加減も痛みも無いという事もあり、彼女は銀の手甲に爪を立て続けると、爪は割れ、手は瞬く間に血塗れになっていくが、それでも彼女は血塗れの手で足掻き続ける。

「愚かだな。貴様が足掻こうと、傷などつかぬ。それとも自傷の趣味があるのか」

 腕力で上回る『銀の風』に喉を押さえられ、それでも彼女はもがき続ける。

 それがまったく無意味である事すら、今の彼女はわかっていない。

「まだ現実を見る事も出来ぬか、狂獣。この声は聞こえているのだろう。恩人を愚弄されるのが許せぬのだろう。ならば自らを省みろ。他の誰より、今のお前がイリーズ公を愚弄している事に気付け」

「黙れ!」

「ようやく言葉を取り戻したか。魔術師の類と思っていたが、体を動かす方が向いているのではないか?」

 彼女は『銀の風』の言葉を振り払うように体をひねり、『銀の風』の腰辺りを蹴ろうとする。『銀の風』はそれを防ぐ事はせず、彼女の喉から手を離すとその蹴りを避ける。

 彼女は躱された蹴りの勢いを活かして立ち上がり、そのまま『銀の風』に正面から飛びかかっていく。

「愚かだな。考える事すら放棄して、私を黙らせられるとでも思っているのか」

 そう言うと『銀の風』は、肘で彼女の額を突いて迎撃する。

 肘でのカウンターなど頭蓋骨が陥没してもおかしくない。

 彼女の額が割れて顔を血に染め、さらに狂気を彩る。

「まだ現実を受け入れられないのか?」

「黙れって言ってんのよ!」

 まるで両目から血の涙を流しているかのように顔を血に染めながらも、彼女は『銀の風』を睨みつける。

「ほう、ようやく相手を見る事も出来る様になったか。お前は呪いさえ打ち払った強さを持っていたはずだ。現実を受け入れるのは、呪いを払うより楽だろう? お前は生きているのだから。呪いを常に背負い続ける覚悟のあるものでなければ、呪いを払う事など出来ないのだと言う事を分かっているだろう」

「うるさい!」

 彼女はさらに『銀の風』に飛びかかろうとするが、前のめりに倒れる。

 この城に戻った時の彼女はほとんどの体力を失い、意識を失っていた。『銀の風』が言った通り彼女はイリーズの死に精神の均衡を失い、この数日食事も取らずまともに眠れもしなかった。その上で自身の生命力を削ってまで魔力の塊を打ち出し、爪は割れ、額は割れ、血塗れになりながら牙を剥き続けた。

 もはや動く事もままならないのだ。

「どうした。限界か?」

 そんな彼女に対し、『銀の風』は見下ろして言う。

「動けないという事を理由に諦めるのか。まあ、上出来じゃないか」

「ふざけるなよ」

 よろめきながらも彼女は立ち上がり、『銀の風』に言う。

「随分と上から言ってくれるじゃない」

「ようやく知性が戻ったか。そろそろ現実に目を向ける気になってきたか」

「黙れって言ってるでしょ!」

 彼女はコートから銀の柄を出すと、『銀の風』に鞭を振るう。

「ほう、まだソレが使えるか」

 呆れて言うと、『銀の風』は右手で鞭を払う。

「だが、せっかくの魔力も制御出来ていないのでは、話にもならない」

 ほとんど回復の見込めていない彼女は一度鞭を振るだけで膝を付くが、それでも彼女は『銀の風』に鞭を振るう。

「その程度では無駄だとわかるだろう」

 魔力の鞭を掴むと、『銀の風』は無造作に引きつけて彼女から魔力の鞭を奪う。

「いい加減に目を開け。お前は生き延びたのだ。彼らの残したものを、お前は背負ったのだ。それはお前自身がわかっているだろう」

「私は、背負いたくない。背負いたくなかったのよ」

「その荷はいつでも下ろすことが出来るのだ。今この場でもな。それが出来ないから苦しんでいるのだろう。後はお前が選択する事だ。それでも荷を担ぐか、今すぐ荷を降ろすか。いや、もう選択しているのからこそ、お前は私に対してすら譲ろうとしないのだろう」

 彼女は、無理にでも壁に背を押し付けて立ち上がり、立ち続ける。

「私は、こんな事のために帰って来たんじゃない!」

「ならば、お前の望む答えを見つけてみせろ。わがままを言い続けるのなら、そのわがままを押し通して見せろ。望むにしろ望まぬにしろ、お前は力を手に入れたのだ。全てを失い、重荷を背負い、それでも力を得た。後はお前次第ではないか」

 彼女の前に立ち、『銀の風』は言う。

「お前の望みは、ここでは叶わなかった。だが、ただそれだけではないか。託された想いをいかに伝えていくか。それが出来ずに、イリーズ公に会わせる顔があるのか?」

 彼女は壁に寄りかからないと立っていられないが、それでも『銀の風』を睨む金色の目の力は衰えていない。

「私を黙らせたいのならば、方法はあるぞ」

 あえて『銀の風』は彼女に言う。

「お前の持ち帰った黒い剣だ。アレを使えば、お前でも私を切り殺す事が出来るだろう」

「何よ、死にたいの」

 彼女は黒い剣を見た後、『銀の風』を睨む。

「いや、お前ごときで私を殺す事などできないが、あの黒い剣を使えば別だ。お前は何を託されたのかを理解していない」

「いらないわよ、そんなもの」

 彼女は黒い剣を見る事なく、『銀の風』に答える。

「私は黒い剣が欲しかったわけじゃない。ソレがあればイリーズを助けられるはずだったから、剣を取りに行っただけよ」

「ほう、その剣はこの世に現存する武器の中でもおそらく二つと無い強力無比な武器だ。その剣があれば世界を破壊する事さえ出来る武器だぞ」

「なおさらいらないわよ」

 彼女はそう言うと、ズルズルと壁に寄りかかりながら床に座り込む。

「立っていられなくなったか」

「あんた、何でそんなに必死なの? イリーズの知り合いだったりしたの?」

「いや、死の間際に立ち会っただけだ」

 そう言うと『銀の風』は、彼女を叩きつけた時に乱れたベッドを見る。

「私が知っているのは、あの僅かな時間だけだが、それでもイリーズ公は王族を名乗るに相応しい覚悟を持つ人物だった。私はそう言う人物が好きだが、その覚悟を蔑ろにしているお前を見るのが嫌だった。彼の覚悟と期待に応えさせたいと思ったのだ」

 見た目の割に、『銀の風』は妙に人間臭いところがある。

「だからお前を許せなかった。あれほどの覚悟を見せられ、その後を託された人物が自分のみを哀れんで腐っていくのを見ているのが腹立たしかったのだ」

「監視者ってそう言う仕事なの?」

 彼女が呆れて言うと、『銀の風』は軽く息をつく。

「もう頭の方は本調子に近いようだな。今ならゆっくり休めるのではないか?」

「夢なら覚めて欲しいんだけど」

 本心からの言葉ではあったのだが、彼女もそれが有り得ない事は分かっている。

 目の前で消えていった二人の命は、黒い剣が見せた呪いの幻影より彼女に深い絶望を刻みつけた。

 何もしなければ『銀の風』が言っていた通り、ただ朽ち果てていくだけだった。

 強引ではあっても、『銀の風』の策は見事に的中して彼女は立ち上がる事になった。

「まだ現実を受け入れられないか? 呪いに耐える強さがありながら、受け入れる強さは無いのか? お前は想いを託されたのだぞ」

 わざわざ『銀の風』に言われなくても、彼女にも分かっている。

 イリーズは彼女に名前を伝えるため、彼女との約束を守るためだけに死してなお待ち続けていた。

 目の前でウェンディーが、その前にはサラーマがイリーズの前から消えていったというのに、イリーズはそれでも彼女の帰りを待っていた。

 あの優しい少年が、屍の上であっても約束を果たす為に待っていたのだ。

 苦痛で言えば、黒い剣の呪いなどより辛かったはずだが、それでもイリーズは帰ってきた彼女に恨み言を言うでもなく、いつも通りを演じてみせた。

 何故そんな事が出来たのか、彼女には分からない。

 イリーズと彼女は出会って、共に生活していた期間はとても短い。

 それなのに彼は彼女の為に命を削り、彼女は彼のために命を懸けた。

「想いとはそう言うものだ。お前は生きて託された想いに応えなければならない。それが例え重荷であっても、お前はそれを背負うと決めた。託された想いというものは、そういうものだ」

「イチイチうるさいわね」

 どうしようもなく胸が痛む。

 もうイリーズ達はいない。

 託された想いというモノがまったく分からない訳ではないが、それが何のためのものなのかを見出すことができない。

 生きる事を強要されても、何故、何のために生きるべきかが分からない。

 彼女はずっと抗う者だったが、今となっては何に抗うべきかすらも見失っている。

「まず休め。幾つか話すべき事があるが、今のお前に必要なのは休息だ。お前には全てを受け入れても、立ち上がれる強さがあるはずだ」

「買い被りよ。私にそんな強さなんてあるわけないでしょ」

「いや、自分の足で立ち上がる強さがあるからこそ立ち直れるのだ。それが出来る者だからこそ、怒りが正気を支えたのだろう」

「私がブチ切れて黒い剣であんた切り殺してたらどうしたのよ」

「その時には殺されるしかないだろう」

 さも当然の様に『銀の風』は答える。

「言っただろう。イリーズ公の見せた覚悟は見事だった。ならば私も同等の覚悟を持たなければ、とてもお前に声は届かなかったはずだ。私はお前に死より辛い生き方を強いているのだから、私も当然命を賭ける。それで殺されるのなら、それは背負うべきリスクの駆け引きだったからな」

「あんたの方が百倍強いでしょ」

 彼女はため息混じりに言う。

「ゆっくり休ませてもらうわ。私は生かされたんだから」

 彼女はよろめきながらも立ち上がり、自分の足で彼女が最初に寝かされていた二階の部屋へ向かう。

「ここで休めばいいだろう」

「ここはイリーズの部屋なの。私は私の借りた部屋があるから、そこで休ませてもらうわ。それくらいの意地は張らせて」

「これまででも十分な意地っ張りだったと思うが、好きにすればいい」

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