第四話 黒い剣-2
「イリーズ、行かせてよかったのか?」
サラーマは彼女を送り出したあと、イリーズに尋ねる。
「多分、彼女でも僕の結末を変える事は出来ないと思う」
イリーズは改めて横になると、呟くようにだがそれでもはっきりと言う。
「それでも、あれほどの生命力を持った人が、こんな所で燻っていて欲しくないんだと思うんです。それに壁の向こうには戦っている亜人の仲間もいらっしゃるんでしょう? あの人なら奇跡を起こせるんじゃないかって、期待したくなったんです」
「イリーズ様が彼女を行かせたのは、あくまでもあの人のためなんですか? ご自身の生きた証しを、あの人に見出しているのではありませんか?」
弱っているイリーズの額をタオルで拭きながら、ウェンディーがイリーズに尋ねる。
「そこまで大それた事は考えてませんでしたけど、あの人に会った時から僕は何かを感じていた。それにこだわってるだけかもしれません」
そう呟いた後、イリーズは苦笑いするような表情を浮かべる。
「違いますね。色々言葉を飾ってきましたけど、僕は多分女の子の前で良い格好がしたいんだと思います。ただ心配されるだけの病人じゃなくて、もっと頼れる大人の男のフリをしたかったんだと思います」
イリーズの言葉にウェンディーは難しそうな表情を浮かべたが、サラーマは吹っ切れた様に笑う。
「それで良いんだよ、イリーズ。男が命を懸ける時って言うのは、気に入った女の前でカッコつけたい時しかないからな」
「しか、って事は無いでしょう?」
ウェンディーはそう言うが、サラーマは首を振る。
「男の生き様ってのは、どれだけカッコつけたかなんだよ」
そう言った後、サラーマはイリーズを見る。
「イリーズ、正直に答えてくれ。彼女が帰って来るまで待っていられるか? 最期の最期までカッコつけていられるか?」
「分かりません。今の僕はそのつもりですけど、正直に言うと今日一日が限界だと思いますから」
「イリーズ様! そんな!」
ウェンディーが息を呑む。
「ごめん、ウェンディー。もう少し頑張れると思ってたけど、今も体内で呪いが蝕んでいるのが分かるんです」
この城から黒い剣のある洞窟まで、天気の良い日中でも半日近くかかる。それが今は彼女が城を出るのを待っていたかのようなタイミングで、外は吹雪になっていた。
まだ冬に入ったばかりなのに、強烈な風と雪が城の窓を叩いている。
彼女が城に戻ってこないところを見ると、彼女はこの吹雪の中でも洞窟を目指したのだ。しかし、もしそれで洞窟に着いたとしても、日中の倍近い時間がかかるはずだった。
戻ってくる時にこの吹雪が止んでいれば良いが、帰りもこの吹雪の勢いが収まらなければ凍死せずに帰ってくる事も極めて困難である。
どんなに早くても明日のこの時間、吹雪の程度によっては洞窟に閉じ込められる事を考えると数日帰って来れない事も、十分過ぎるほど有り得る。
「今日一日、か。俺が考えていた以上に悪化しているみたいだが、彼女がどれほど早く帰ってくるとしても明日の夜までは戻ってこれないだろう。それだと最期までカッコつけた事にならないどころか、約束も守れないからな」
「サラーマ、何か考えがあるの?」
「まあ、あるにはある」
サラーマの答えに、ウェンディーは不吉なモノを感じていた。
「悔しいけどあの女に言われた通り、たしかに今みたいな看病ではイリーズは弱っていくだけだ。剣を取りに行かせた事自体が賭けではあるんだが、事は彼女一人が頑張ったところでどうにもならないところまで来ている。ここまではわかるな?」
サラーマの言葉に、ウェンディーもイリーズも頷く。
「俺はイリーズに残された時間が少ないことを知って、せめてその残された時間くらい安らかにしてあげたいという考えは否定しない。むしろ彼女みたいな行動力が、却って事態を悪くする事を心配してるんだが、イリーズとウェンディーに確認しておきたい。ここで安らかな時間を過ごすか、どんな手段であっても延命して彼女を待つか」
「つまり、手段を選ばなければ延命出来る、という事なんですね?」
「そう言う事だ」
イリーズの質問に、サラーマは重々しく答える。
「私は彼女に酷い事を言いました。その彼女が命を懸けているんですから、私が命を惜しむ訳にはいきません」
「僕も自分の命なら惜しまないところだけど、サラーマが念を押してくるくらいだから、僕の延命の為に二人が犠牲になると言う事ですね」
「さすがイリーズ、察しが良いな。だとするとイリーズは王族として、主君として、自身の望みを叶える為に臣下に死ねと命じてもらう事になる」
サラーマは笑いながら言うが、イリーズは手を上げてサラーマの言葉を区切り、目を開いてサラーマを見る。
その目は本来輝く様な黒い瞳なのだが、今は極端に白濁し、灰色ですらなく乳白色に濁っている。
ほとんど視力は失われているだろうが、それでも目には力強さが失われていない。
「方法は? それがあまりにも無茶で無謀な自棄による賭けでしかないのなら、僕はそれに賛成は出来ない」
「イリーズ、情け深いのは良い事だが、それは必ずしも名君の条件とは言えないぞ」
「成功の見込みが無い臣下の無謀な暴走は、たとえ無能のそしりを受けてでも止めるのが主君の勤めだと思いますけど」
「なるほど、それは確かにその通りだな。それじゃ、プレゼンを始めるとしようか」
サラーマは頷いて、説明を始める。
サラーマとウェンディーの二人は、その戦闘能力においては相当な実力者である。しかしそれでも『魔獣の落し子』には歯が立たなかった。それは、まともにぶつかってはどんな事をしても敵わない程、明確な差だった。
それが今回は二体もいるのだから、真正面から戦っては勝目どころかそもそも戦いにならない。だが目的は撃退では無く、イリーズの延命のみである。
イリーズを蝕む『魔獣の落し子』の活動を滞らせる事が出来れば、イリーズの延命は可能ではないか、というのがサラーマの計画である。
もちろん、今のままでは成功の見込みは無い。
「そこで、俺自身を強化アイテムに変えて、ウェンディーを徹底的に強化する。そのウェンディーなら時間稼ぎ出来るだろう」
サラーマの言葉に、イリーズもウェンディーも言葉を失っていた。
自らを別の何かに作り変える秘術は、確かに存在する。ある者は武器に、ある者は装飾品に転成した場合、術者が強力であればあるほど転成した後に残る物品も強力な物になる。
だが、文字通り『物』になるのだ。
封印の秘術などの様にいずれ解除され、元に戻るような事も無く、やがて生命であった事すら忘れられる秘術。余りに多くの悲劇を生み出したがために封印される事になった秘術をもって、サラーマはイリーズの延命に当たるという。
「待って、サラーマ。それだったら攻撃に優れる貴方を強化した方が、あの化け物を倒せるかもしれないじゃない。だったら、私が強化アイテムになった方が良いわ」
「ダメだ」
サラーマはウェンディーの提案を一蹴する。
「やり直しが出来るのなら、俺も試したい方法だとは思う。やり直しがきかない状況で、そんな中で回復要員のウェンディーが居なくなったら話にならない。それに、一体でも勝算は低いのに二体いたんじゃ、俺ではどうしようもない。ウェンディー、俺の考えている事はお前にとてつもなく残酷な事を伝える事になる。俺では絶対に出来ない戦い方を、お前にやってもらいたいんだ」
サラーマはウェンディーに言う。
確かに個人の戦闘能力の強弱だけの話をすれば、攻撃に優れるサラーマの方が強いと言えなくも無い。しかし、一撃で相手を倒せなかった場合を考えるとウェンディーの方が戦略に幅が持てる。
回復に優れるウェンディーの場合、サラーマには出来ない戦い方である消耗戦で戦況を膠着させることが出来る。『魔獣の落し子』に対し、有効に時間を稼げるのは、攻撃力の高いサラーマではないのだ。
「俺がお前に頼みたい事は、イリーズの体内で二匹の魔獣を食い合わせる為の餌だ。それが目的である以上、適任なのは攻撃力の俺より回復と防御に優れたお前だ。俺もこれがベストだ、とは言い切れないが、それでも俺には効果が見込める方法を考える事が出来なかった。ウェンディーにもイリーズにも辛い思いをさせる事になるが、彼女一人に重荷を片っ端から抱えさせる訳にはいかないだろ? ウェンディー、一番痛い目にあうのはお前だが、どうだ?」
「こういう事で私は貴方には敵わないわ。貴方がこれ以上無いと言うのなら、私はそれを実行するだけよ」
「イリーズ、後はお前の決断次第だ。だけどな、イリーズ。臣下にとって、自分の命で主君の望みを叶えられるのであれば、それは言葉に出来ないくらい贅沢な事なんだ。イリーズが死ぬ前に彼女の前でかっこつける事が出来るのなら、俺はその為に死ねる。俺のお陰でこいつはこんなに恥ずかしい事言えるんだって、胸を張れるくらいにな」
「サラーマ、他に方法は無いんですか?」
目を閉じ、眉を寄せるイリーズは、苦しげに言葉を搾り出す。
自分でもサラーマの提案は、分の悪い賭けを五分近くに引き上げている事もわかるだけに、それに代わる代案を出せない自分の無力を嘆くしかなかった。
「イリーズ。主君が臣下を死地に送り出すときの言葉としては、それは下の下だ。こういう場では、もっと相応しい言葉があるだろう? 彼女に対してかっこつけるってなったら相当恥ずかしい事言う事になるんだから、せめて俺にも何か良い言葉をかけてくれよ。恥ずかしさに慣れる練習も込みで」
役回りとしては、死ぬ事さえ出来ない状態で戦線から途中離脱という形になるサラーマは、おそらく最悪の役回りである。それでも自らそれを買って出て、イリーズに負担にならないようにいつも通りに振舞おうとしている。
それはサラーマの意地でもあった。
それが分かったのなら、イリーズは自らを臣下と言ったサラーマの期待に応える義務がある事も、それから逃げる事はサラーマの信頼に対する裏切り行為である事も理解できた。
「サラーマ、約束しますよ。僕は彼女の帰りを待つ。その場を君に見せる事は出来ないけど、君が命を捧げたことを後悔させたりしない」
「それでこそ、王族ってもんだ。魔剣の見張りなんて辞めて、お前に付いて来て良かったよ、イリーズ。ウェンディー、後の事は任せるぞ。要はお前なんだ」
「私も約束するわ。あの人の帰りを待つって。それが二日であっても、一週間であっても、必ず諦めたりしないって」
「っしゃ、頼むぞ」
「でも、サラーマ、その前に一つ僕からのワガママを聞いてもらえますか?」
「ワガママ?」
「彼女からの宿題です。僕は彼女に言いました。ウェンディーとサラーマにも協力してもらうって。コレも約束のウチですから」




