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生命の花 改訂版  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 世界の果てに咲く花

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第三話 終わりを待つ日々-7

「名前が、無い?」

 イリーズ達が『黒い剣』と言う武器のある洞窟へ案内してくれるというので、彼女はついて行っていた。

 その道中でイリーズが彼女の事を知りたいと言って来たので、服や食事の恩もあるので答える事にした。

 亜人が迫害を受ける街での路上生活、そこで囚えられ収容所に入れられた事。そこでの生活と亜人の一斉蜂起の説明をしていたが、イリーズが食いついてきたのは、彼女に名前が無い事だった。

「ええ。私は生まれた時から親とかいなかったし、生きる上では必要無かったから気にしなかったんですけど、何か問題があるんですか?」

「そうですね。名前、特に本当の名前である真名が無い状態で魔術を使える事が驚きですよ。魔術、特に精霊の力を借りる時には、名乗って契約する必要がありますから」

 イリーズは驚いているが、それは彼女も同じように驚いていた。

 精霊魔術は最初から使えないので、そこは気にしない事にしたが、まさか名前にそんな効果があるとは思っていなかった。

「そうなの?」

 彼女は前を飛ぶサラーマに尋ねる。

「ああ。魔術ってのはほとんど全てにおいて、何らかの精霊の力を使うからな。自身で魔力を生成する場合ですら、体を巡る生命の精霊の力を借りる事になる。その際に必要なのが、自分を表す最重要の記号となる名前な訳だ。ああ、アレだ。名前が無い奴が精霊の力を借りるってのは、名前も知らない赤の他人に金貸す様なモンなんだよ。ほとんどの場合、借りられないんだが、お前は例外みたいだな」

 サラーマが苦笑いしながら言う。

 例えは納得出来ないところはあったが、名前というものには大きな意味があるらしい。収容所でも名前を使う事を禁じていたが、どうやら本当に意味があったという事だ。

「よほど魔術に適した資質があるんだと思いますよ?」

 ウェンディーも驚いている。

「そうなの? 名前って、そんなに大事なモノだったのね」

「イリーズ様、何か名前を付けてあげてはいかがですか?」

「僕が? 僕なんかよりウェンディーやサラーマの方が適任でしょう?」

「俺はパス。ガラじゃねーよ」

「私もここは遠慮させて下さい。私はイリーズ様が助けようとなさらなければ、この方を見捨てていたのですから」

 ウェンディーは本心を吐露しているが、彼女はそれを責めるつもりはない。

 元々助ける義理も無ければ、医療費を払えるワケでも、彼女を助ける事で何か得するという事も無い。それでも助けたと言うイリーズが例外の中の例外なのだ。

「僕で良いんですか?」

「正直、ここまでで十分過ぎる恩をいただいてますから、これ以上ってなると本当にどう返していいのか分からないんで。気が向いたらって事で」

 彼女は恐縮しながらイリーズに言う。

「気が向いたら、ですか」

 イリーズは複雑な笑顔を浮かべる。

「しかし、改めて聞くと、スーパーハードな人生送ってるよな、その歳で。って言うか何歳なんだ?」

「さあ? 正確な誕生日なんか知らないし、何回四季が巡ったかなんて覚えてないもん」

「だよな? 見た感じ、イリーズよりちょっと年下ってところか?」

「僕は十七歳になったところですよ。だから、十四か五というところじゃないでしょうか」

「ま、その辺かな? 今日から十五歳って言えよ」

 サラーマが彼女に言う。

 名前もそうだが、年齢も生きる上ではさほど必要の無い情報だと思っていた彼女だが、名前にも意味があったように年齢にも意味があるのかもしれない。

「じゃ、今日から十五歳? だいぶ中途半端な感じがするんだけど?」

「大体そんなモンだよ」

 サラーマの言葉からは、年齢にはあまり重要な意味は無さそうだった。

「私としては、名前を持たずに魔術が使えたり、これまでの事で回復魔術を駆使されながら、今でもまだ効果が高いっていう事が驚きです」

 ウェンディーが回復の専門家の意見を言っている。

(何か、ルー先生にも似た事言われた事がある気がするけど、私って眼以外にもけっこうな特異体質なのね)

 彼女は改めてそう感じる。

「でも、足は再生させなかったんですか?」

「その前にも色々あって、何回か再生魔術のお世話になってましたから。医療を担当されていた先生が無理は出来ないという事で」

 本当は義足でギリクの意識を逸らす必要があったからでもあるのだが、結果としては再生魔術のお世話になり続ける事になったので、足を戻す事が出来なかったという事実は変わらない。

「再生魔術を、何回か?」

「そりゃスゲー。よく原形保ってるよな。しかも、今でも治癒魔術の効果もあるってんだから、尋常じゃねーな」

 驚くウェンディーと、同じ様に驚きながらも笑っているサラーマが彼女に言う。

「そうなの? まあ、そう言われてはいたけど」

「再生魔法ってのは、禁術一歩手前だからな。ただ、回復速度の違う体組織を正常に再生させるのは驚く程困難なんだよ。しかも、一回毎にそれぞれの部位に異なった抵抗がつくから、余計に回復速度が変わるんだ。二回目から原形を留めるのは、術者に桁外れの技量を要求する。三回以上となったら、まず人の姿に再生される事は無い」

 サラーマの言葉に、彼女は驚く。

 ルーディールも彼女の体質には驚いていたが、こうやって改めて説明されると、どれほど無茶してきたか分かる。しかもサラーマの例えは直接的なので、伝わりやすい。

「着きましたよ」

 イリーズが言うと、そこは古城からさほど離れていないところにある洞窟だった。

「この奥です。場合によっては熊とかが冬眠してるかも知れませんけど、その場合はサラーマに何とかしてもらいましょう」

「熊鍋か?」

「食べきれないから、追い払うくらいで良いですよ」

 イリーズは苦笑いしながら言う。

 古城でも散々腕自慢していたサラーマだが、本当に実力があるらしい。

「この洞窟の奥に『黒い剣』はあります。少し休みますか?」

「私は問題無いですよ。貴方の方が休憩が必要じゃないですか?」

 片足で杖をつきながら歩いているので、彼女は常人より体力を使う。しかし、彼女はその小柄で細身の体型からは考えられない体力の持ち主なので、この程度の距離で疲れる様な事は無い。

「僕も大丈夫です。それでは進みましょうか。サラーマ、灯りをお願いします」

「うっしゃ。俺って便利だよな」

 イリーズに言われ、サラーマ自身が発光して洞窟を照らす。

 洞窟の入口付近はともかく、奥へ入っていくと外ほど寒くなかった。これなら確かに、冬眠しようとする猛獣には都合が良いかもしれない。

 そうは言っても、この洞窟はそこまで広くも深くも無いので、すぐに最奥に着く。

「アレが『黒い剣』ですよ」

 イリーズの視線の先には、無造作に捨てられた黒い剣があった。

「コレ? 特に変わったところは無さそうですけど」

「触っちゃダメ!」

 彼女が普通に剣を拾おうとしたのを、ウェンディーが慌てて止める。

「それは力の塊なんです! そのまま持ち上げようとしたら、大変な事になります!」

「え? そうなんですか?」

 驚いているのはイリーズである。

「イリーズ、知らなかったのか?」

 サラーマが驚いて尋ねると、イリーズは頷く。

「僕はこの剣を見ているだけでしたから、触れた事は無かったんです。すいません、危険な目に合わせたみたいで」

「この剣が、そんなに強いんですか?」

 彼女は自身の身の危険にも実感が湧かないので、原因となっている剣の方を疑いたくなる。

「ちょっと待って下さい。今、結界を張りますから」

 ウェンディーが彼女に両手を向ける。

 淡い青い光りが、柔らかく彼女を包む。

「これは?」

「特殊な結界です。物理的な攻撃には弱いですが、魔術や呪いの類を遮断します。おそらくこれで守れると思いますが」

 ウェンディーは自信が無さそうに言う。

 剣では無く、使用者に結界を必要とするというのも、妙な事だ。

 彼女はそう思いながら、剣を拾う。

 僅かな違和感だったが、彼女はその危機感をもっと考えるべきだった。

 彼女が黒い剣を拾う為に柄を握った瞬間、ウェンディーの張っていた結界は砕かれ、彼女の手は吹き飛んだかの様な衝撃と、激痛が襲ってくる。

 しかし、それだけではない。

 両手を焼かれているかのような痛みだけではなく、圧倒的な恐怖が彼女を飲み込もうとする。

 それは黒く、どこまでも昏く、彼女を飲み込みにかかる。

 彼女は悲鳴を上げて剣を手放すと、すぐ近くに立っていたイリーズにしがみつく。

「無理だったみたいだな」

 恐怖に震え、怯えきっている彼女を見てサラーマが呟く。

 彼女がこれまでに恐怖を感じた事が無い訳では無いが、この剣の恐怖はこれまでに感じた恐怖とは桁や質が違う。

 説明の付かない、根源的な恐怖。その恐怖には説明のしようが無い。

 精神力と言う意味では、彼女ほど強い者はそう多くないはずだが、それでも一瞬にして恐怖に飲み込まれる事になった。

「大丈夫ですか?」

 イリーズは困惑しながら、彼女に尋ねる。

 声は聞こえるものの、その言葉が今の彼女には理解出来ない。

 心を砕かれ発狂寸前の彼女だったが、絶望的な暗闇の中にある一筋の光りを、極寒の吹雪の中でも失われない温もりの様なモノを感じ、ソレにしがみつく事でかろうじて自我を保っていた。

「何か、イイもん見てるよな?」

「それどころじゃないでしょ? この人がこの剣を使えないとなったら、もう」

 ウェンディーが言うのを、イリーズは首を振って遮る。

「必要だったのは、僕達よりむしろ彼女です。でも、僕じゃ彼女の力にはなれないんですね。それが悔しいです」

「悔しい? イリーズにしては珍しい言葉を使うんだな。そう言う感覚は無いと思ってたけど、人並みにそんなところもあるんだな。ちょっと安心したよ」

 サラーマがイリーズに向かって言う。

「でだな、イリーズ。こんな風に女が怯えてる時は、肩とか抱いてやるモンだぞ」

「肩? こうですか?」

 サラーマに誘導され、イリーズは彼女の肩を抱く。

「そうそう、で、頭とか撫でてやりながら、優しい言葉をかけてやるんだよ」

「優しい言葉、ですか。具体的にはどんな言葉ですか?」

「そこは考えろよ。頭良いんだから」

 サラーマはニヤニヤしているが、イリーズは言われた通りに彼女の頭を撫でながらも困り果てている。

「大丈夫ですか?」

 イリーズは彼女に話しかけるが、彼女は激しく首を振ってイリーズに強くしがみつく。

 まるで子供の様な反応だが、結界を砕く程の力の直撃を受けてなお自我を保っているのだから、彼女の強さも大したものだ。

 イリーズだけではなく、結界を張ったウェンディーも同じ様に考えていた。

 あの剣の呪いの力は、サラーマもウェンディーもよく知っている。

 あの剣の呪いの直撃を受けて、剣から手を離せた事がすでに脅威的な判断力と精神力を表しているのだ。

 あの剣の呪いを受けて体が硬直した場合、反射的に柄を掴む手にも力が入り、そのまま硬直してしまうため、手放す事が出来なくなる。

 そんな中で手放す為には、その意思を持ち、その意思を正しく指に伝える事が出来なければならない。それは当たり前の事に思えるが、根源的な恐怖にさらされ体が硬直している中で出来るとなれば、それはもう特殊と言える資質である。

「落ち着きましたか?」

 イリーズに言われ、彼女はようやく呼吸を整えられるところまで落ち着いた。

 頼りなく見えるイリーズだが、彼の声はサラーマやウェンディーの声と違って、恐怖の闇の中でも導く様に響く。彼の細い体は弱いかもしれないが、何も見えない闇の中でもしっかりと存在感を示し、倒れそうな彼女の体を支えている。

 これまで彼女は他者をそう感じる事など無かった。

 彼は彼女の命を救ってくれたらしいが、彼女にとって、命を救ってくれたという恩より、今この場にいてくれた事の方が大きな恩に感じられる。

「ウェンディー、妬いてる?」

 サラーマがウェンディーを冷やかすと、想像以上に鋭い目をウェンディーに向けられる。

「……はい。すいません」

「あの方が来なければ、とは思ってます」

 ウェンディーはサラーマに向かって呟く。

「あの方が来た事は、皆にとっての不幸です」

「かもしれないけどよ、アイツはイリーズにとって俺達には与えられない事を与えてくれるかもしれないんだ。それがどんなモノであっても、イリーズの生きた証になるんだからな」

 妖精達が話している時、イリーズはずっと彼女を慰めていた。

「気分転換に、街に行きましょう」

 彼女がようやく落ち着いたところで、イリーズが提案する。

 今は落ち着いているが、彼女はイリーズの手を握ったまま離そうとしない。

 ここでイリーズと言う精神的支柱を失ったら、またあの形の無い根源の恐怖に苛まれるのではないかと、恐れていたためである。

「街ですか? イリーズ様は大丈夫なんですか? 今からなら夜になりそうですけど」

「僕なら大丈夫ですよ。それより、今心配なのは彼女の方です」

 イリーズが困った様に彼女の方を見て言う。

 彼女自身も、情けないとは思っているのだが、今イリーズと離れる事の方が怖い。

 収容所では小馬鹿にしていたところはあったが、今なら十二の獣人の少女が姉と思われる十一に依存していた事も理解出来る。どうしようもない恐怖の中にあって、頼り甲斐のある存在というモノがあれば依存せずにはいられない。

 自分にそれほど弱いところがあるとは思っていなかったが、それでも彼女はイリーズがいればそれに潰されずに済んでいる。

「っしゃ、じゃ、移動しようぜ。こんな陰気臭い剣見てても面白くないからよ」

 サラーマが促すと、全員で移動を始める。

 あの『黒い剣』が強力無比な魔剣であり、ウェンディーが言う様に、無警戒に剣を持ったら本当に命を落としたかもしれない。

 確かにこれ程の武器なら戦力として申し分無いと言えるが、それが扱えないのであれば意味が無い。

(私は、何で肝心な時に何も出来ないの?)

 収容所でも全て上手くいっていると思ったが、それは手の平の上の出来事であり、ギリクの前には何も出来なかった。

 今も、この『黒い剣』が手に入れば春には再開される亜人収容所の戦いでも、十分過ぎる戦力になるはずなのに、ギリクに一矢報いる事も出来るだろうが、剣は持つ事すら出来なかった。

(私は、何でこんなにも弱いんだろう)

 今までは一人で生きてきた。何をやるにしても、自分が主導者であり誰かに頼る必要など無いと思っていた。収容所の蜂起では協力が必要ではあったが、頼ると言う感じではなかったと自分では思っている。

 それが今では、自分より体が弱そうな少年に縋っていないと、立ってもいられない。

「なあ、歩きにくくないか?」

 サラーマが彼女に話しかけてくる。

 片足の彼女は歩く時にも杖をつかないといけないのだが、今はイリーズの手を握って離そうとしないので、見た感じではかなり歩きづらそうである。

「心配しなくても、僕はすぐにいなくなる様な事はありませんよ」

 イリーズに言われ、彼女は右手で杖を持って歩くが、左手はイリーズの手を掴んだままである。

「足はやっぱり戻してあげたいですね」

 イリーズは片足の彼女を見て言う。

「では、街は辞めて城に戻りませんか? この方の足を戻してからの方が、イリーズ様も負担が少ないでしょうし、この方も今は落ち着いていますけれど体力だって相当消耗されているはずですから」

「僕の負担はともかく、たしかにそれはその通りでしょうね。では、街は明日にして城に戻りましょうか。それで良いですか?」

 イリーズの質問に、彼女は小さく頷く。

 いつもの彼女なら街の方に強い興味があったので反対したかもしれないが、今は確かに疲れはあるし、それよりイリーズが疲れる事の方が問題なのもわかる。

 ウェンディーほど理解しているとは言えないが、それでも彼女の中でイリーズの占めるウェイトは大きくなっていた。

「え? 街じゃねーの? 俺はちょっと期待してたんだけど」

「うるさいから、一人で行けば? 私達は城に戻るから」

「……はい、すいません」

 ウェンディーに突き放され、サラーマはしょぼくれて言う。

 そのやり取りに微笑むだけの余裕が、彼女にも出てきた。


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