第三話 終わりを待つ日々-4
この建物が森の何処にあるのかは分からないが、彼女が凍死する前に彼女を発見して救護出来た事を考えると、収容所からそれほど離れていない事になる。
それでもお互いの情報がほとんど無いのは、やはり世界を分断する壁の存在である。
赤い髪の妖精はそれを『断崖』と呼んでいた。
直線距離で言えば、この建物と収容所は一キロと離れていないだろう。それでもお互いの情報を持ち得ないのは、距離とほぼ同等の高さの差があるためである。高さの問題はそう簡単に克服出来ない。
彼女はそれも込みで、赤い髪の妖精に説明する事にした。
まず、壁の向こうでは亜人が迫害されている事。その迫害されている亜人を集めているのが、ここから遠くないところにある亜人収容所である。
彼女はそこで亜人による一斉蜂起を企て、蜂起する事それ自体は成功した。
しかし彼女は所長であるギリクに敗れ、壁の外へ投棄されたのである。
「とすると、お前の背中の怪我は、そのギリクとか言う奴がつけたのか」
赤い髪の妖精はこれまでにない、重く真剣な声で言う。
「知ってるの?」
「いや、直接は知らないが、俺にとっては敵だ」
「だとすると、私達は協力出来るって事じゃない?」
彼女としても望んだ事だった。
今のまま戦ったところで、ギリクには勝ち目が無い。それは彼女は嫌というほど思い知らされた。
だが戦いが終わり、蜂起した亜人側が一時的にではあれ勝利したと言うのであれば、この亜人達を押さえるのは春になるはずである。
「で、ここはどこなの?」
彼女の質問に赤い髪の妖精が答えようとした時、彼女のいる部屋の扉が開く。
「すっかり元気になられたみたいですね」
そう言って入って来たのは、どう見ても彼女よりベッドで横になっていなければならない様な、不健康そうな少年と、青い髪の妖精だった。
「お、イリーズお帰り。ちょうどお前を待ってたんだよ。コイツが、俺達が助けた事を信じてくれないんだ」
赤い髪の妖精は、彼女の胸の上から動こうとせずに言う。
「そう言う話だったっけ?」
彼女は赤い髪の妖精を睨む。
「いえ、僕は何もしてませんからね。貴女を助けたのはこの二人の妖精さんです」
「そんな、私はイリーズ様に言われたからです。ですから、謝辞はイリーズ様へお願いします。って言うかサラーマ、あんた何処に座ってるのよ。降りなさい」
「あん? 大して立派なモンじゃないから迷惑にはなりゃしねーよ」
「そういう事じゃないの。とにかく降りなさい」
「えー、だって」
「いいから。いいから降りなさい。黙って降りなさい。さっさと動きなさい」
「……はい」
青い髪の妖精に怒鳴り散らされ、赤い髪の妖精はしおしおと彼女の胸の上から移動する。
ただ、重量の話をすると彼女の上には毛布と防寒用のシーツがあり、その上に妖精が乗っていたので特に重みがあった訳では無い。
しかしどんなに軽くても胸の上に乗っているのを見せられては、気分的に息苦しくなるのも当然なので、妖精が移動した時には大きく深呼吸してしまう。
「ほら、苦しがってたじゃないの」
「え? いや、そういうわけじゃ無いだろ?」
青い髪の妖精が思いのほか怒っているので、赤い髪の妖精は驚いている。
「どこか具合の悪いところはありませんか? アレから何かされませんでした?」
青い髪の妖精が心配そうに、彼女に尋ねる。
された事と言えば安眠を阻害された事と、額に飛び蹴りを受けたくらいだが、どちらも冗談の範囲内なので余計な事を言って騒ぎにはしない方が良いだろう。
「体の調子はいかがです? 急激な治癒魔術の施術による拒否反応などはありませんか?」
「それは無いですよ。私、回復魔術との相性が良いですから」
こう言うふうに心配される事には慣れていないので、彼女も困りながら答える。
「衣類を買ってきました。ですが、体力が戻ってから着替えて下さい。元気そうですけど、まだ意識を取り戻されたばかりなのです。まずはゆっくり休んで下さい」
「は、はあ、ありがとうございます」
彼女は話しかけて来た少年にそう答えるが、この部屋でもっとも休む必要がありそうなのは、彼女より少年の方に見える。
収容所では劣悪な生活環境で、謎の干物以外には水くらいしか口にするモノが無かったが、それでもこれ程不健康そうな亜人はいなかった気がする。
瞳には力や輝きはあるものの、それは生命力の現れと言うより、燃え尽きる前のロウソクの様な不吉なモノに見えた。
見るからに不健康そうな少年で、極端に痩せ型。腕力ですら小柄な彼女にも及ばないのではないかと思えるが、ただひ弱というよりはどこか上品でもある。笑顔も柔らかく、声の響きにも安心感がある。
にもかかわらず、この少年からはどこからか会った事がある気がしているのだ。
口に出来ない何か、雰囲気の様なモノを収容所でも感じていた気がする。
収容所内にいた絶世の美少女、メルディスも高貴な雰囲気があったが、この少年と比べるとメルディスの高貴さは平伏させる様な、ある意味威圧感さえ感じさせるものだったので、この少年の持つ上品さとは少し違う。
「それでは僕達は下にいますので、ゆっくり休んで下さい。何かありましたら呼んで頂ければすぐに来ますから」
「あ、ありがとうございます」
どうにも調子が狂う彼女に、少年は笑顔で頷くと妖精を連れて部屋を出て行く。
色々思うところはあるのだが、確かに体力が戻っていないのは間違い無い。
体力が戻らなければ考えもまとまらない。
彼女はそうやって自身を納得させると、休んで体力を回復させる事を優先させた。
良くも悪くも、収容所の戦いは終わっているのだから。
「元気になって良かったですね」
「お前は見事に不健康だがな」
ニコニコしているイリーズに、サラーマが苦い顔で言う。
「確かにイリーズ様、呪いを移してからお痩せになりました」
ウェンディーも心配そうに言う。
「うん。正直に言うと、呪いの効果は僕の予想を遥かに上回ってた。自覚している限りでは、春まで持たないんじゃないかな」
イリーズは他人事の様に言う。
「どうなんだ、ウェンディー。俺も実はイリーズの自己診断と大差無い様に感じているんだが」
サラーマに言われて、ウェンディーは泣きそうな顔で俯いた。
「……これから言う事は非常に不愉快かもしれませんが、呪いをあの女性に移せませんか? そうすればイリーズ様は助かるじゃありませんか」
ウェンディー自身、非道な事を言っている事は分かっている。だからこそ、瞳に涙を浮かべながらも自分の優先するべき事を伝えてくる。
「あの少女を私達が助けられたからこそ、今生きている訳じゃないですか。だとすると、これは天意じゃないんですか?」
「逆ですよ」
イリーズはウェンディーに言う。
「僕は多分、彼女を生かす為にこれまで死なずにいたんだと思います」
「そんな事ありません!」
ウェンディーが、イリーズに対して珍しく感情的になって言う。
「イリーズ様はどうして生きる事を諦めているんですか! 私は認めません!」
「すいません。今のは僕が悪かったですね」
イリーズはウェンディーに素直に謝る。
イリーズ自身は、とうの昔に生きる事を諦めていた。それだけに生きる意味を見つける事を最優先にしていた。
イリーズにとって、空から降ってきた少女は運命そのものだった。
あの呪い、『魔獣の落し子』から救えるのはイリーズだけである。
能力の高さはサラーマ、ウェンディーと比べるまでもなく、イリーズは一般人と大差無い。それどころか、身体能力で言えば水準を大きく下回る。
それでも禁忌の魔術に対する知識に関しては、二体の妖精を大きく上回り、今回行なった様に呪いを移すなどはイリーズにしか出来ない。
「だけど、僕は呪いの影響で長く生きられませんから。少しでも人の役に立ちたかったんです」
「イリーズ、諦めの良さと最初から諦めているのはまったく違うぞ。今のイリーズは、生きられない事を盾にして、自棄を起こしているとしか思えない」
「僕が自棄に?」
イリーズとしては驚いていた。
本人は良かれと思って行動していたつもりで、それが最上の行動だと判断しての行動だったのだが、第三者から見たらそうでも無かったらしい。
「お前は何のためにあの女を助けようとしたんだ?」
「何の為に?」
サラーマに言われて、イリーズは首を傾げる。
「人を助ける事に理由が必要でしたか?」
「建前はそうでも、人が行動する時には行動理念があるもんだ。ちょっと悪意的な言い方になるが、見返りや下心って奴だ。それが無意識であっても、ソレはある。そこを見つめ直すんだよ」
「何よそれ、サラーマ。あんた、馬鹿にしてるの?」
「そんなつもりかどうか、イリーズなら分かるだろ?」
噛み付いてくるウェンディーを、サラーマはいなす様にイリーズに言う。
「生きた証ってのはさ、生きる事を諦めた人間に立てる事は出来ないんじゃねーの? 生きてこそ立てられる、死ぬ時に誇れるモノの為には、まず生きてないと」
「どうしたの、サラーマ。らしくないくらいマトモな事言ってるけど」
「真面目な話してる時に、失礼な事を言うね君は」
サラーマは首を振って、ウェンディーに言う。
生きた証。
確かにソレはイリーズを突き動かす事でもあった。
ただ死を待つだけだった存在であるイリーズは、生きた証と言うモノに憧れがあった。自分が何故生まれてきたか。これまで生きてきた理由を、呪いを受けながらでも幸せだったと思える生き方をしたかった。
だから、イリーズは少女を命懸けで助けようとした。
「違う違う。その後だよ」
サラーマがイリーズに言う。
「助けた事に成功した、その後だよ。お前は助けたあの女をどうしたいんだ?」
「どうって?」
「お前の言葉を借りて言えば、あの女を生かす為にお前は生きてきたんだろ? 空から降ってきたのを拾って、呪いを移して、ハイ終わりか? それが生きた証なのか?」
「サラーマ、口悪いわよ。イリーズ様に向かって」
「分かりやすいだろ?」
まったく悪びれた様子の無いサラーマは、ニヤリと笑って言う。
「そこは確かに考えてませんでしたね」
「重要だぞ。そこを考えていないから、お前は生きる事を諦められるんだよ」
「サラーマ! いい加減にしなさいよ」
「え? どっちかと言えばブチ切れたお前のフォローだったんだけど?」
「それにしたって、言い方とか言葉遣いとか気遣いとか遠慮とか常識とか」
「イリーズ、こいつ殴っていい?」
「まあ、僕は止めませんけど、ケンカでサラーマがウェンディーに勝てますか?」
「今日のところはこれくらいで勘弁しといてやる」
サラーマはそう言うと、部屋を出て行く。
おそらくあの少女のところに行ったのだろう。
「イリーズ様、サラーマの言った事ですけど、あまり気になさらないで下さい。私も気が動転してしまって」
「いえ。よく言ってくれました。確かに僕は勘違いしていたみたいですね」
どうせ、と言う言葉がイリーズを支配していたのも、今なら自覚出来る。
(何が出来るか、か。この冬が僕にとって大きな転機なんだろうな)




