第三話 終わりを待つ日々-5
自分では少なからず警戒していたつもりだったが、彼女は驚く程熟睡していたらしく、目を覚ました時には自分に苦笑していた。
どれくらいの時間を眠っていたのかは分からないが、すっきりと目覚められる位にぐっすりと無防備に眠っていた事は間違い無い。
体が沈む程柔らかいベッドや、同様に暖かく柔らかい毛布、寒さを遮断している部屋などは彼女にとってまったく未知の感覚だった。
「おう? もう起きてんのかよ」
部屋に入って来たのは、赤い髪の妖精。
(確か、サラーマとか呼ばれてたな)
「服は着てみたか? そこの袋に入ってるんだが」
「服? そう言えば私、裸なのは何で?」
彼女は自分が着ていた服が脱がされている事に、ようやく疑問を持った。
「ああ、アレか? 背中がダイナミックに切り裂かれてたが、あの服に愛着があったのか? 悪いが修復出来る様な傷み方じゃなかったんで捨てたんだが」
「ああ、そういう事ね。そういう事ならしょうがないわ。でも、私に親切にする理由は何? まったく会った事も無い者同士なのに」
「さあ、それは俺も知りたい。家主が急に善行に目覚めたみたいで、その最初の実験体がお前みたいだよ」
サラーマは隠そうともせずに言う。
どうにも分かりにくい理由ではあるが、コチラを何かしら利用する下心があるのなら、まだ理解出来る。
「で、服を着てみろよ」
「そうね。毛布のままじゃ動きにくいし」
彼女はそう言うと、全裸のままベッドの脇に置いてある買い物袋から衣類を取り出す。
そこにはベッドと同じく、これまでの彼女の人生の中で無縁だった新品の衣服や下着が入っていた。
「多分ウェンディーの趣味だから、趣味が悪くても文句言うなよ」
サラーマが衣服を身に付ける彼女を見ながら、ニヤニヤと笑って言う。
(あの、青い髪の妖精の事よね? って事は家主はあの不健康そうな奴か)
衣服を身に付けながら、彼女は現状を考えていた。
この赤い髪の妖精サラーマは、気兼ねや遠慮と無縁の存在な様で話しやすいのだが、言動の割に頭の回転や切れが良く、どこか油断ならない雰囲気を持っている。
青い髪の妖精ウェンディーは、家主と思われる不健康そうな少年イリーズに対し絶対の忠誠心があるらしく、サラーマと違って仕えているという雰囲気だった。
不健康そうな少年イリーズは、サラーマが言うには善行に目覚めたそうで、この衣服や彼女の面倒を見るのはその一環らしい。
「そう言えば、何でこの部屋は暖かいの? 別に服とか毛布とかいらないよね?」
「いや、服はいるんじゃないか?」
彼女の問いとは違う事を答えて、サラーマは苦笑いしている。
「この部屋が暖かいのは、炎の精霊という側面も持っている俺のお陰でもある。感謝しろよ」
「そうなんだ、ありがと」
ぞんざいな言葉で、彼女は礼を言うと着替え終わる。
見た目には野暮ったいが、軽い割に暖かく、動きが制限される様な事も無い。手触りや肌触りも悪くない丈夫そうな服だった。
「似合うかどうかは、気にしないのか?」
「用意してもらった服に文句なんかつけられないわよ」
彼女は素直な感想を言う。
実際に見た目だけの話をすれば、十代の少女の私服と言うよりは作業服の様な見た目である。仮にスカートなら少しはマシだったかもしれないが、彼女は衣服の見た目より機能を優先する。
スカートでは、この季節に外で活動するには向いていないので、多少野暮ったくてもズボンの方が有難かった。
「サイズとかはどうだ? 多分ウェンディーの奴が無許可でサイズとか測ってたと思うんだが」
「ええ、少し余裕があっていい感じなんだけど、私にそんな施ししても何も返ってこないわよ?」
「ああ、無理矢理着せた恩は別の事で無茶ブリして返してもらうから、心配するな」
「何か、とんでもない事を要求されそうね」
彼女は苦笑いしながら答える。
(向こうが勝手にやった事とはいえ、やっぱり意識するわね)
彼女はどうにも居心地の悪さを感じる。
考えてみると、収容所に居た時もメルディスやルーディールといった人物達より、あからさまに警戒していた十一、十二の獣人姉妹や、利害関係が一致してお互いに利用しあう関係だった二三一の方が接しやすかった。
ここの人物達は、どう考えてもメルディス達と同じ人種である。
純粋な善意による行動に対し、彼女は正しい反応というものにまだ迷いがあるのだ。
(まあ、直接お礼を言うべきよね)
着替えが終わると、彼女はサラーマを見る。
「あん? どうかしたか?」
「お礼を言わないと、と思ってね。家主さんは下にいるのよね?」
「おう。なんだったら俺に言っても良いんだぞ」
「そうね。部屋を暖かくしてくれて、ありがとう」
彼女が素直に礼を言ったので、サラーマは驚いている。
「あ、アレ? 何かイメージと違うな。そういう時は嫌味を言う様なキャラだと思ってたんだが」
「本当に感謝してるのよ。私、寒いの苦手だし」
「しかし、素直に礼が言えるんだな。ちょっと意外だった」
サラーマは笑いながら言う。
この妖精には亜人が壁の向こうでは迫害を受けている事を話しているので、善意を素直に受け入れている事に驚いているらしい。
「さて、それじゃ案内してもらえる?」
「案内とかいらねーよ。部屋を出てすぐ階段があるから、ソレを降りてすぐの扉がイリーズの部屋だよ。迷いようが無い」
「そうなの?」
サラーマの言葉は少し意外だった。
不健康そうだったとはいえ、イリーズには育ちの良さを感じさせるモノがあったし、この部屋も上品な部屋なのでかなりの資産家かと思っていたのだが、サラーマの言葉ではそうでも無いらしい。
ベッドの下にブーツが用意されていたが、彼女には右足が無いため、左足のブーツだけを履く。
杖や義足が無いので不便ではあるが、彼女は壁伝いに片足で移動して部屋を出る。
サラーマの言っていた通り、部屋を出てすぐ右手側に階段があったので、その階段を降りてすぐの扉に家主のイリーズはいるのだろう。
だが、明らかに情報と違うところがあったので、彼女は呆然としていた。
部屋を出て右手側にはすぐに階段があるのだが、部屋を出た廊下がすでに広く、左手側には長い廊下と扉がずらりと並んでいる。
サラーマは迷いようがないと言っていたが、単純な広さで言えば収容所の寮より広いかもしれない。目的地がはっきりしていると言う意味でサラーマは言ったのだろうが、この建物でなら迷う事はかなり簡単に出来そうである。
彼女は一度部屋に戻ると、片足で跳ねながら窓の方へ行く。
「お? どうした?」
部屋に戻って来た彼女にサラーマが声をかけてきたが、彼女はサラーマを無視して窓を開く。
身を切る様な冷気が入ってくるが、寒さが苦手な彼女であっても冷気も感じ無いほど、窓から見えるこの建物の外観に驚いていた。
城である。
城としてみると小さく古く、傷みも深刻で廃城の雰囲気が漂っているが、それでもこの建物が城である事は間違い無い。
「ちょ、え? コレ、どう言う事?」
「何が?」
彼女は慌ててサラーマに尋ねるが、サラーマは何を質問されているのか理解出来ないといった雰囲気である。
「だって、ここ、お城? 何でお城?」
「何でって言われても、イリーズは正当なこの城の家主な訳だからなあ。何か問題でもあったのか?」
「何か問題って言われても、正式な家主ってどう言う事?」
「いや、その通りの意味だぞ。イリーズは由緒正しい王族の最後の生き残りだ」
「王族? 王族が買い物っておかしくない?」
「何が?」
サラーマはイマイチ噛み合わない会話に困っている様だ。
もちろん彼女にも王族の知己など無いので正確な事は分からないが、文献などの王族と言うのは数多くの従者を従え、身の回りの世話をする者がいると書かれていた。
サラーマやウェンディーがその役回りなのだろうが、王族が従えているのが二体の妖精しかいないのも、彼女がイメージしていた王族とは違う。
彼女が今身に付けている衣服は、その王族のイリーズが買ってきたもののはずだが、決して高級品では無い。おそらくではあるが、収容所で着せられた研究機関に引き渡される予定の時に着ていた服の方が、高価だっただろう。
「まあ、イリーズに関わる事だから、俺は詳しく知らないんだよ。気になるなら本人に直接聞いた方が早いぞ」
サラーマがそう言って話を区切る。
確かにここでサラーマを挟んで話すより、本人に直接尋ねた方が詳しく分かるのは間違い無い事でもある。
間違いは無いのだが、本人には聞きにくい内容でもある。
「王族、か。凄い知り合いが出来たんだ」
少女は窓から古城を見る。
この古城は森の中にあり、森の木々はこの古城より背が高いので、収容所の壁の上から見下ろしてもこの古城を見つける事は出来なかったのだ。
「王族って聞くとちょっと気後れするから、ついて来て」
「ま、この部屋に残ってても面白くはないからな」
サラーマは彼女と共に部屋を出る。
最初に彼女が部屋を出た時に動こうとしなかったところを見ると、最初からからかうつもりであんな情報しか与えなかったのだろう。
本当にイタズラ好きな妖精そのものである。
それが分かると腹も立つが、これは相手が有利だった以上は避けられない。
彼女はグッと我慢して、苦戦しながら階段を降りる。
階段は寮や収容所の本館でも散々上り下りしたが、ここの階段の様に移動だけで緊張する様な事は無かった。
城だとか王族だとかの情報が無ければ、この緊張感は無かったと思われる。
階段を下りきると、確かにすぐに扉があった。
「降りてすぐの扉って、ここ?」
「おう。何だよ、俺はまったく騙してないぞ?」
確かに騙してはいない。意図的に情報を隠していただけである。
しかし、悪意という点では大差無い。
この扉は王族の個室というより明らかに使用人用の部屋と思われる、目立たないところにある扉を開いて、遠慮勝ちに覗き込む。
「ああ、おはようございます」
扉が開いた事に気付いたイリーズが、彼女に向かって笑顔でアイサツする。
「おはようございます。と言ってもお昼前ですけど、服のサイズとかは合ってましたか?」
イリーズと共に部屋にいたウェンディーも、笑顔で彼女に尋ねてくる。
「お、おはようございます。服はちょうど良かったです」
先手を取られた彼女は、戸惑いながらも部屋の外から答える。
「今食事の用意をしているところです。中で待っててもらえますか?」
イリーズが、部屋の外にいる彼女を招く。
この部屋はやはり王族の個室というより、使用人の控え室といった作りに見える。食事を作っているのも、本格的な調理場などではなく、賄い食くらいは作れる様な簡易な調理場である。
「いいから、入れ。まず部屋に入れ」
後ろからサラーマが、彼女の背中を蹴ってくる。
「ああ、ごめん」
彼女は部屋に入ると、部屋の中央にあるテーブルの隅に行く。
先にこの不健康そうな少年、イリーズが王族であると聞いたせいか、どうしても気後れしているのが分かる。
(おかしいな。私、そう言うのは気になしないと思ってたんだけど)
実際に収容所では傍若無人と呼ぶに近い態度を取っていた。所員はもちろん、所長に対してすら遠慮はしていなかったと思う。
その面子と比べるとイリーズは迫力など皆無だし、多少態度が悪くても笑って済ませてくれそうだが、何故か気後れして遠慮してしまう。
(生まれついての高貴さとか、上品さとか、そう言うの?)
しかし、イリーズは貴族と言うより半死人であり、ベッドで寝たきりで介護を受けている方が自然な印象なので、高貴さも何も無い。
強力な力を感じるのも分かるが、二人の妖精や所長などと比べると恐るべき何ものも無いのだが、やはりメルディスと同じカリスマ性かもしれない。
考えるとメルディスにはそこまで大きな態度を取っていない気もしたし、やはり善意に対して免疫が無い事が大きい。
「ところでイリーズ。飯って何作ってんの?」
「何と言われても、食材は限られてますから。野菜のスープをトマトベースで作ってますけど。あ、何か受け付けない食べ物ってありますか?」
イリーズは鍋の中身をかき混ぜながら、彼女に問う。
「いえ、そういうのは無いと思います」
彼女は自信無さそうに言う。
少なくとも、街で路上生活をしている時には空腹を満たす為であれば、おおよそ口に入れる様なモノでは無い物で飢えを凌いできた。
収容所では、あの謎の干物と水以外の食料は非常に貴重な物だったので、それ以外のモノはほとんど口にしていない。
なので好き嫌いはもちろん、まともな食事自体が彼女にとっては極めて珍しいのだ。
(でも、すごくいい匂い)
イリーズが鍋をかき混ぜるたびに、香ばしい匂いが漂ってくる。
こういう匂いは、街では嗅いだことがあった。逃亡生活をしている時は、この匂いを嗅ぎながら樹皮を噛んで飢えをごまかしたし、他の亜人と逃げている時にも無縁なモノだと思うように言われてきた。
「お待たせしました」
イリーズが重そうに鍋を抱え、テーブルの上に置く。
その鍋には驚く程赤い液体が入っていた。
(うおっ、なんじゃこりゃ。こんなに赤いの、食べれるの?)
ウェンディーが器を用意して、イリーズがその器に赤い液体を入れていく。
液体の中には野菜を小さく切ったモノが入っているのも見える。
(食べ物、なの?)
警戒しながら彼女は周りの様子を見ると、イリーズやウェンディーも美味しそうにその液体を口に運んでいる。
その様子からは、特に問題は無さそうだったので、彼女も器に添えられていたスプーンですくってみる。
「どうした? クソでも我慢してんのか?」
食事時である事を一切考えていない発言に、彼女より別の人物の方が大きな反応を示した。
「サラーマ! イリーズ様が作って下さった食事中に、そんな下品な事言わないで!」
少女より激しくウェンディーが怒り、サラーマを怒鳴りつける。
「お、おう、悪かった」
口論を始めるかと思ったのだが、サラーマはあっさりと引き下がる。
「ウェンディーの奴がキレたら、手がつけられないからな」
「そう思ってるなら怒らせないでよ」
小声で言うサラーマに、少女も小声で答える。
ウェンディーの方はまだ怒りが収まらないようだが、さすがにイリーズの手前で食事中に怒鳴り散らすのは躊躇われるらしい。
周りを見ると、美味しそうに食べているので、少女も未知の料理を口にする。
「あっつ!」
「え? そんなに?」
口に手を当てる少女の反応に、イリーズが慌てて尋ねる。
収容所での生活の中で食べてきた謎の干物は、基本的に『冷たくない』程度に温めて食べる事が多かった。
このスープの様に『温かい』食べ物を口にする事が久し振りだったので、予想外に熱を感じてしまった。
「少し冷ましますか?」
「大丈夫」
心配そうにしているイリーズにそう答えると、彼女は改めてスープを口にする。
(え? 何コレ)
改めてスープを口にすると、これまで彼女が口にしてきたモノのどんなモノよりも美味な味が口の中に広がった。
春や秋に川で獲れた小魚を焼いたものや、街の店から盗んだ果物も美味ではあったが、このスープにはその味だけでは無いものがあった。
単純にスープが温かいだけではない。食べているだけで、体の内側から温めてくれる様な、幸せすら感じる味だった。
彼女は周りから注目されている事にも気付かないくらいに、スープにがっついていた。




