第二話 蜂起-5
運命の日の朝。
六の少女は、スパードではない所員に呼び出され、所員用の浴室で洗浄されて新しい衣服に着替えさせられた。
濡れた髪を乾かし、髪を梳くのはメルディスの他、十一、十二の同室の亜人の少女達だった。
普段の六の少女は髪は伸び放題のボサボサ髪なのだが、綺麗に梳いて整えると金色の神秘的な瞳と相まって、メルディスとは違う魅力がある。また、身に付ける衣装も収容所の擦り切れたみすぼらしい衣服では無く、美しく飾った服であるので近寄り難いほどである。
髪と衣服を整えると、六の少女はメルディスの手で手錠をかけられ、その手錠の先から伸びる綱を所員の男が握る。
通常の身請けが決まった亜人に対してはここまではやらないのだが、念には念を入れてこの処置となった。
また、メルディス達の六の少女との接触はここまでで、メルディスと十一、十二の獣人姉妹は部屋で待機が命じられている。
季節で言えばまだ初冬であるにもかかわらず、昨夜からかなり強い雪が降り続き、季節外れの積雪量となっていた。
本来来るはずだった研究機関の人物達も積雪に足止めされ、当初の半数ほどしか来ていないと言う。また、長期の滞在となると帰れなくなるので、研究機関の面々は早めに帰りたいと思っているらしい。
その天候さえも、六の少女にとって強力極まる味方となっていた。
「最後にルー先生にアイサツしたいんだけど」
「ダメだ」
「せっかくこんなに着飾ってるのに? これって誰かに見せるためじゃないの?」
「とにかくダメだ」
「なんでよ。噛み付くわよ」
「とにかく、ダメなものはダメだ」
所員が怯えていると言う事もあるのだが、所長から六の少女の行動には特に注意を払い、余計な事は何もさせるなと言われているのである。
「せっかくこんな服着てるのに、見せられないのか。ちょっと残念だな」
六の少女は本心からそう思っていた。
それがルーディールの役割と言う事もあるが、六の少女が収容所で一番世話になった人物がルーディールである。恩人と言っても過言ではないので、せっかくの晴れ着姿を見せたかったのだが、諦めるしかない。
六の少女は廊下の途中で立ち止まり、窓から外を見る。
「すっかり積もってるわね。私、雪って嫌いなのよね」
六の少女につられて、所員も窓の方を見る。
昨日から降り続けている雪はかなりの積雪になっている。おそらく小柄な六の少女であれば、膝上くらいまで積もっているだろう。
所員がそう思って六の少女を見た時、そこには破壊された手錠と手錠の先につながっている綱だけが残っていた。
六の少女が姿を消したのを合図にしたかの様に、寮に残る亜人達が一斉に蜂起した。
通常ですら、所員は亜人達より少ない。
それが今日は来客に合わせて外に警戒を向けていたので、寮に残る所員は通常よりさらに少ない。所員は全員が警棒とはいえ武装していて、亜人は全員が素手なのだが、そもそも強制労働組と所員を比べると身体能力に差がある。
しかもそれを先導しているのは、収容所内の亜人の中でも絶大なカリスマ性を誇るメルディスである。
亜人収容所内にいる亜人の九割以上は戦いに参加しているので、戦力は四百人程の亜人であり、寮を占拠した事によって所員達の装備も手に入れていた。
戦いに参加した亜人達は恐ろしく好戦的であり、所員達は撤退を余儀なくされる。逃げ遅れた所員は、一瞬の内に亜人達に飲み込まれる。
この一斉蜂起の間は、これまでと立場が完全に逆転していた。
今までは一方的に狩られる立場であり暴力に怯えていた側が、破壊衝動の赴くままに暴力を振りかざしてくる。
それは降り積もった雪と同じく、元は軽いものであり、触れると冷たいくらいのモノだったのかもしれない。だが、亜人達が募らせてきた怨みは、加害者側の立場だった所員達が予想していたより遥かに深く、重い。
寮から逃げ出した所員達は本校舎で籠城しようとしたが、二三一率いる亜人の先発隊がなだれ込む方が早かった。
亜人を締め出すどころか、正面の出入口を亜人達に抑えられ、所員達は我先にと逃げ出そうとする。
二三一は無理に所員を追う事より、本校舎の中でも重要拠点を抑えていく。
最優先は一階にある診療所と所長室、三階と四階にまたがる巨大な図書室である。
一階の診療所の占拠は簡単で、自宅から出勤してきたばかりのルーディールは目を丸くして驚いていた。
形の上ではルーディールは人質となるので二三一は二人の亜人を保護に付け、診療所を出ると、予想外の人物が診療所の外で待っていた。
「メルディスさん? どうして前線へ?」
「ここは急がないといけないでしょう。二三一、貴方達はすぐに図書室を押さえて。私は所長室へ行きます。本館の占拠が済んだら、正面の門を閉じないといけないわ。一刻一秒を争うのよ」
メルディスの戦力を考えると、収容されている亜人の中では桁外れな魔力を有している。その上、彼女はルーディールの下で治癒魔術を身に付けているだけでなく、授業の補助などで協力するために攻撃魔術も身に付けている。
さらにスパードと共に図書室にいる事もあったので、六の少女の様に図書室にある禁書類も目にしている。
肉弾戦では強制労働組には及ばないものの、遠距離戦や援護面を考えると総合力ではメルディスは間違いなく最強の一角である。
しかし、彼女に何かあっては収容所の亜人の集団は接点を失い、ただの烏合の衆となってしまう。
二三一はその事を警戒していたのだが、メルディスの戦力を寝かているのは亜人側の戦力を見ても有り得ない。
それはメルディス自身が最も理解しているので、前線にやって来たのだ。
「私は所長室へ向かう。急いで」
総指揮を執っているメルディスが最前線に出ている以上、他の亜人達も遅れを取るわけにはいかない。
「メルディスさん、所員の処置はどうしますか?」
「最優先は急ぐ事よ。それ以外の事は考慮に値しないわ」
メルディスは、所員の命は考慮しなくていいと言う。
所員には人質としての使い方があるのだが、時間的に余裕が無いと言う事でそれは考えないらしい。
二三一はそう考えながら、数人の亜人と共に図書室へ向かう。
一方のメルディスは診療所の隣りの所長室へ向かう。
無人と思われる所長室なので、メルディスは一人で入る。他の亜人達の大半は正面の門を閉じに向かう。
積雪もあり、長期で戦闘行為を行う事は建物を占拠している亜人達はともかく、研究機関に帰らないといけない外の戦力は戦闘どころではない。
正門さえ閉じる事が出来ればほぼ勝利は確実なのだが、メルディスが所長室に急いだ事にも理由がある。
所長であるギリク・トリアは何かを隠している。
所長室には何かの魔術的な罠が仕掛けられている可能性が高いため、それに対処出来るのはメルディスくらいであると言う事も原因である。
本来ならメルディスも正門を閉じる側に協力するべきではあったのだが、収容所内でも所長の情報はトップシークレットとなっている。
メルディスとしても対策を練る為には、所長の情報は手に入れておく必要もあった。
以前亜人の中に所長を調べようとした者もいた。その人物は、この収容所の中でも他に類を見ない残酷な手法で拷問、処刑された事があった。
余りに残酷な処刑法だったので、収容所内でもソレを口にする事自体がタブーになるほどだったが、メルディスはそこに引っかかりを感じていた。
所長にはそこまでして隠したい事があるのではないか。
六の少女が残した作戦が書かれたメモの中にも、所長は正体が知れないと警戒する文章があった。彼女も所長には何か秘密がある、と思っている様だった。
所長も収容所や寮に住んでいるわけではなく、この近くの何処かに住んでいるのでいかに所長室であったとしても、秘密を残しておくとは考えにくい。
しかしヒントがあるとしたら、ここしか考えられない。
所長室に入る際に、メルディスは魔術的な罠が無いかを調べる。入口には何も仕掛けられていない事を確認すると、所長室に入る。
「え? どう言う事?」
メルディスは所長室に入った時、驚きのあまり声を上げる。
所長室には驚く程何も無かった。
机や棚などの家具や備品類は残っているが、昨日まで棚に並べられていた書類や名簿類が全て無くなっていた。
メルディスは亜人の中では、六の少女と同じくらい所長室に呼ばれる事が多かった。昨日も六の少女を送り出すための食堂の準備が整った際に所長室に来たのだが、その時には確かに書類などはあった。
考えられる事は一つ。
この一斉蜂起は予見されていた。所長は今日行動を起こす事に気付いていたとしか思えない。
行動が読まれていたにしては所長は後手に回っているが、逆に亜人達はこの先手を活かしきれないと一気に苦しくなる事も予想出来る。
だとすると勝利の鍵は正門である。
アレを閉じて時間を稼ぐ事が出来れば、降り続く雪や急激に下がってきた気温の問題もあり、時間を稼げればそれだけ外の戦力は戦闘を続けられなくなる。
メルディスは空になった所長室を出ようとした時、所長室の机が気になった。
特に理由は無いのだが、何か机の中が妙に気になってきたのだ。
(何か、ある?)
導かれる様に、メルディスは所長の机に向かう。
机には特に魔力は感じられず、罠が仕掛けられていると言う事も無さそうだった。
メルディスは所長の机の引き出しを開けると、一枚の紙が入っていた。
『亜人の諸君。祭りは楽しんでもらっているかね? この祭りで君達は自分達の処刑執行書にサインした事になる。春までの短い期間、勝利に酔っていたまえ』
メルディスはその短い文章が書かれた紙を手の中で焼却して灰にすると、所長室から出る。
「あ、ちょっとゴメン」
メルディスは診療所とルーディールを守る亜人の一人に声をかける。
「はい、どうしました」
「急いで六番を呼び戻して。寮の裏から奇襲に向かっているといると思うけど、急いで止めて私のところに来るように伝えて」
メルディスはそう言うと、代わりに診療所の守りにつく。
「メルちゃん、何がどうなってるの?」
「ルー先生、すみません。本当は前もって声を掛けておきたかったんですけど、その機会がなくて」
「それはいいけど、一体何をやってるの?」
「反乱です。私が指揮を執ってます」
「え? メルちゃんが黒幕? 六番じゃなくて?」
「はい。今のところ、上手くいってます。勝利はほぼ確実です」
メルディスは所長室で見つけたメモの事は黙っていた。
この場にルーディール一人なら、メルディスも相談していただろう。しかし、今は診療所を守る亜人の一人もいるので下手な事は口に出来ない。
だが、今日の事を予想していた所長が何も手を打っていない事は考えられない。寮の亜人に対してほぼ手を出していないが、必ず六の少女に対しては警戒しているだろう。
メモは六の少女に宛てたモノでは無く、他の誰かが見る事を予想していた。それは六の少女が別動している事を予測しているからだろう。
メルディスが亜人達の統括だとしたら、六の少女は実行役であり、先導役でもある。彼女を失う事は、道標を失う事になる。
蜂起を成功させたとしても、所長の予想通り春までである。そこから先の戦略は、六の少女無くして進める事はもちろん、戦略を練る事すら出来ない。
それだけは避けたかった。
「メルディスさん、大変です!」
診療所に亜人の少女が一人走り込んできた。
「どうしたの?」
「正門にスパードさんが来ました! 皆が押し返されてます!」
亜人の少女は、泣きそうになりながら訴えている。
六の少女のメモの中にも注意があった事だったが、メルディスは眉を寄せる。
戦う覚悟を問われる。
それはメルディスにも容赦無く襲いかかってきた。




