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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「名前を呼ばれて、行く人」【後半】

☆五十メートルの、花道


翌日の夕方。


ジョアンさんが、ブラジルへ帰る日。


慈念さんに案内されて、ジョアンさんは、山門手前の空き地に立っていた。


「……ここ、ですか」


「……はい。ここに、片桐家のお墓がありました」


ジョアンさんは、空き地の真ん中で、ゆっくりと、手を合わせた。


二十九年前の、おじいちゃんと、同じ場所で。


――そして、五十メートル先の、合祀墓の前に。


清一さんが、立っていた。


その足元から、もう、光の粒が、ほわほわと、立ちのぼり始めていた。


墓場中の霊が、合祀墓から空き地までの砂利道の両側に、ずらりと、並んでいた。


気づいたら、みんな、そこに立っていた。


――花道だった。


清一さんは、白いひげを、一度だけ、なでた。


それから、一歩、踏み出した。


「……ほんなら、行ってくるかのう」


一歩。


「――ジジイ」


源蔵じいちゃんが、腕を組んだまま言った。


「……向こうで、わしの増築の話、言いふらすなよ」


「ほっほっ。……傾いとる、と言うとくよ」


二歩。三歩。


「――清一さん」


トメばあちゃんが、にこにこしながら、お玉じゃくしを胸に抱えていた。


「……お疲れさまでした。……長いこと、よう待ちましたねえ」


「……トメさんこそ。……ご飯、うまかったよ」


四歩。五歩。


「……っ、おい、ジイさん」


鬼塚さんが、リーゼントの頭を、そっぽに向けていた。


「……『また来いよ』とは、言えねえからな。……向こうで、勇って奴に、会えたらよ。……ちゃんと、一発、殴ってやれ。……親父なんだからよ」


「……ほっほっ。……殴らんよ。……抱きしめるわい」


鬼塚さんは、それ以上、何も言えなかった。


六歩。七歩。十歩。


「――ごきげんよう、清一さん」


麗華が、日傘を閉じて、深々と、お辞儀をした。


「……六十年近く、この墓場で、ご一緒いたしましたわね。……会釈を交わすだけで、お名前を伺いそびれた、川べりのおじさま」


麗華の声が、震えた。


「……ようやく、お名前で、お見送りできますわ。……片桐清一さん」


「……麗華ちゃん。……ずっと、ありがとうのう」


――北の端の雷太さんが、見えないギターを、静かに鳴らした。


音はないのに、墓場中の誰もが、その音を、聴いていた。


二十歩。三十歩。


「……片桐、清一さん」


ふみ先生が、出席簿を読むみたいに、名前を呼んだ。


「――はい」


清一さんは、小学生みたいに、手を挙げて、返事をした。


「……よろしい。……ご卒業、おめでとうございます」


「わんっ」


ごまが、一度だけ、吠えた。


四十歩。


あたしは、空き地の、すぐ手前に立っていた。


清一さんが、あたしの前で、足を止めた。


足元の光は、もう、膝のあたりまで、のぼっていた。


「……貞子ちゃん」


「……うん」


「……最後に、もう一回だけ、呼んでくれんかのう」


――あたしは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、笑った。


四年前の冬から、毎晩、呼んできた名前。


一番最初に、あたしが、この人に返した名前。


「――清一さん」


「――おう」


清一さんは、ほっほっと、笑った。


そして、最後の十歩を、歩いていった。


☆遅うない


空き地の真ん中で、ジョアンさんは、まだ、手を合わせていた。


清一さんは、その隣に、並んで立った。


五十メートル。


二十九年前、父と子が、どうしても縮められなかった距離。


それが、今、ゼロになった。


ジョアンさんが、目を開けた。


誰もいない砂利の上に向かって、小さく、語りかけた。


「……ひいおじいちゃん」


「……おじいちゃんの、代わりに。……迎えに、来ました」


ジョアンさんは、少しだけ、言葉に詰まった。


「……遅くなって、ごめんなさい」


――二十九年前の、勇さんの手紙と、同じ言葉だった。


『父さん、ごめん。遅くなってごめん』


清一さんは、ゆっくりと、手を伸ばした。


ジョアンさんの、くしゃくしゃの黒髪の上に。


十九の勇の頭を、撫でるみたいに。


「……遅うない」


「……ちょうどええ。……ちょうど、ええよ」


手は、すり抜けた。


でも、ジョアンさんが、ふっと、自分の頭に手をやった。


「……あれ。……なんか、あったかい」


――ふわあっ。


清一さんの体から、光が、溢れ出した。


鬼塚さんのときよりも、雷太さんのときよりも、ずっと、やわらかい光。


清一さんの足が、砂利から、離れた。


「――清一さん!!」


あたしの体が、勝手に動いた。


清一さんの足首に、しがみついていた。


――いつもの、癖だった。


この墓場では、誰かが浮いたら、みんなで足をつかんで、引きずり下ろす。

四年間、ずっと、そうしてきた。


あたしの足に、麗華がしがみつく。

麗華の足に、源蔵じいちゃんが。

鬼塚さんが。

いつもの、鎖。


――でも。


「……貞子さん」


「……見送るのですわ」


――見送るのは、置いていかれることとは、違う。


いつか、麗華が、教えてくれた言葉。


相手が前に進むのを、いちばん近くで、見ていられるということ。


光の中で、清一さんが、こっちを見下ろして、笑っていた。


あたしは、ゆっくりと、手を、開いた。


「――いってらっしゃい、清一さん」


「――おう」


いつもの返事だった。


「……勇を、探しに行ってくるわい。……今度は、わしが、迎えに行く番じゃ」


清一さんの体が、金木犀の香りの中を、ゆっくりと、昇っていった。


本堂の屋根を越えて。杉の木を越えて。


夕焼けの空の、ずっと、ずっと、向こうへ。


――誰も、止めなかった。


この墓場で、初めての、見送りだった。


空き地では、ジョアンさんが、空を見上げていた。


見えていないはずなのに。まっすぐに、清一さんが昇っていった、その方角を。


「……オブリガード、ひいおじいちゃん」


合祀墓の前の、醤油の瓶から、ほんの少しだけ、樽の匂いがした気がした。


☆金曜日の朝


山門を出る前に、ジョアンさんは、慈念さんに、一つだけ、お願いをしていった。


「……金曜日の、名前。……これからも、呼んでもらえますか」


「……え」


「ひいおじいちゃんの名前で。……僕の名前でも、あるので。……ブラジルでも、毎日、呼ばれてますから。地球の、表と、裏で。……ね」


慈念さんは、深く、頭を下げた。


「……はい。……毎週、呼びます」


――そして、次の金曜日の朝。


――ごおん。


慈念さんのお経が、流れてくる。


最後に。


「……片桐、清一さん」


――返事は、なかった。


西の端の、合祀墓の前には、誰も、座っていない。


白木の名札と、小さな醤油の瓶だけが、朝日を浴びていた。


「…………」


墓場中が、しんとした。


「……返事がねえと、調子狂うな」


鬼塚さんが、ぼそっと言った。


「……毎週、これかよ」


「……毎週、これですわ」


麗華が、日傘の陰で、目元を押さえた。


あたしは、西の端の名札を、見つめていた。


――もう、返事は、返ってこない。


それは、やっぱり、少しだけ、寂しい。


でも。


慈念さんが、呼び続ける。


地球の裏で、ジョアンさんが、呼ばれ続ける。


清一さんの名前は、どこにも、消えていかない。


――成仏するっていうのは、忘れられることじゃ、なかったんだ。


「――こらぁぁぁ、鬼塚ぁぁぁ!! わしのおはぎを返さんか!!」


「――うるせえジジイ! 金曜くらい、しんみりさせろ!」


――ごつん。


――すぽーん。


「――おまえさんたち」


――かぽーん。


「「「……チッ」」」


いつもの朝。いつもの音。


一人分だけ、少しだけ、静かになった朝。


縁側の下で、おはぎが、ふわあ、とあくびをした。


――それから、西の端の名札のほうを、ほんの一瞬だけ、振り返った。


墓場は今日も、成仏しない。


――ただ、金曜日の朝だけ、返事のない名前が、ひとつ、空へ届いている。


(第二十六話 完)


(第四部 完)

最後までお読みいただきありがとうございました。

ストック的な意味合いで、ここからが頑張りどころです。

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