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第四話

十……


九……


八……


七……


六……


五……


四……


三……


二……


一……


「第一ラウンド、開始!!」


システムの声が淡々と響く。ほとんど感情のないそのアナウンスが完全に消え切るより早く、真っ先に動いたのは蓮司だった。


身体を低く滑らせるように砂の上を駆ける。摩擦音すら抑え込むような静かな動きの中、両手のダガーが短く回転し、やがて最も手に馴染む角度でぴたりと止まった。


「スピードは俺の領域だ」


呟きにも近い声だった。宣言というより、もはや癖のようなものだ。


その後ろでは、鈴木が迷いなく前線へ踏み込む。


重い足音を響かせながら、広げた盾で瓦礫の狭い通路を強引に叩き割った。


ドガァンッ!!


舞い上がった砂煙が視界を半分ほど覆い隠す。


「行けっ!」


叫び声はほんの一瞬だけ遅れた。砕けた石に足を取られかけたせいだ。


右側から明が現れる。


射撃のテンポは終始安定していた。焦りはない。一発ごとに細い角度を丁寧に潰し、相手に頭を上げる隙を与えない。


佐々木は小型グレネードを上空へ放った。


だが投擲の角度がわずかにズレ、壁へ当たる。


キンッ。


跳ね返った軌道は予定より数センチ外れ、そのまま敵プレイヤーの真上へ落下した。


直後――


ドォンッ!!


爆ぜたのは炎ではなかった。


冷気の粒子が空中で砕けた雪のように広がり、退避の間に合わなかった《The Red Devil》のプレイヤーを包み込む。


身体がその場で凍り付く。


細い亀裂が肩から胸へ走り、理解が追いつかないほどの速さで広がっていく。


そして、次の瞬間。


パキッ。


その身体は細かな破片となって砕け散った。


「一人ダウン!! 《The Rising Star》、電光石火のキルです!!」


実況の声が間髪入れずに響く。


平田はいつもより少し高めに手を上げた。視界を遮られないよう確認するような仕草。


空中に光のラインが走る。


一度だけ不安定に揺れた後、透明なエネルギー壁へと変化し、そのまま敵のローテーションルートを断ち切った。


「スペースを与えるな」


短く言った声は、本人が思っていた以上に呼吸が重い。


蓮司の姿は、もうどこにもなかった。


まるで最初からそこに存在していなかったかのように、瓦礫の隙間へ溶け込むように消えている。


そして次の瞬間。


前方へ意識を向けていた敵プレイヤーの背後に、何の前触れもなく現れた。


動きは綺麗だった。


だが、完璧ではない。


踏み込みがわずかに近すぎたせいで、砂が薄く擦れ、小さな音が漏れる。


敵が半身だけ振り向く。


――遅い。


二閃。


シュッ――


敵は最後の姿勢のまま停止した。


意識が途切れる寸前の表情を残したまま。


次の瞬間には、その身体も砕け散る。


「背後から《NONAME》!! クリーンキル二連続ッ!!」


観客の歓声が一気に膨れ上がった。


何重にも重なるその熱量が、まるで四方から押し寄せてくる圧力みたいに響く。


第一ラウンドは、あまりにも滑らかに進みすぎていた。


長く見ていると、逆に落ち着かなくなるほどに。


爆弾設置完了。


カウントだけが、何事もないように進んでいく。


「ディフェンダー、時間がない! サイトに入れない!!」


そして――


ドォォンッ!!


爆発。


だが広がったのは、ただの破壊ではなかった。


ボムデバイスの中心から冷たい光核が脈打つように膨らみ、一度だけ明滅した直後、衝撃波となって外側へ解き放たれる。


ブワァッ――!!


空気の温度が一気に落ちた。


風の中で舞っていた砂が、途中で静止する。


範囲内のすべてが時間を無理やり引き延ばされたように硬直し――その直後、淡く輝く結晶片となって崩れ去った。


「BOOM!! スパイク爆発ッ!!」


「《The Rising Star》、一本先取です!!」


時間が飛ぶ。


ラウンドは次々と流れ、断片的な光景だけが重なるように積み上がっていく。


鈴木は三人を同時に抑え込む。


盾は少しずつ亀裂を増やし、腕も一瞬だけ沈みかけたが、それでも無理やり持ち上げ直した。


明は高精度で角度を封鎖し続ける。


一発だけ僅かに外したものの、即座にリズムを修正する。


佐々木は連鎖爆発で進路を断つ。


一度だけ想定より半拍早く起爆したが、それすら相手の足を止める結果になった。


平田はフィールド全体を制御していた。


エネルギー壁が時折揺らぎながらもすぐ安定を取り戻し、敵を自分の描いた動線へ追い込んでいく。


そして、その全ての間を縫うように――


蓮司。


常に、最も正しい場所へ現れる。


ほとんど狂わないタイミングで。


そして、一撃で終わらせる。


「なんだこれ……」


実況は息をつく暇すらない。


「13対0!! 完封ッ!! 《The Rising Star》、第一ラウンドを完全支配です!!」


観客の歓声がアリーナを揺らす。


波のように何度も押し寄せ、いつまでも収まる気配がない。


誰も、本気では驚いていなかった。


あるいは最初から、こうなると分かっていたのかもしれない。


「第二ラウンド突入!! 《The Red Devil》、この流れを断ち切れるのか!?」


答えはすぐに返ってきた。


あまりにも、早く。


試合は再び動き出した。


だが今度のテンポは少し違う。


より長く。


より激しく。


そして、わずかに荒れていた。


いくつかの動きが互いに噛み合わず、正面からぶつかり始める。


連携も、これまでのような完璧な滑らかさを保ててはいなかった。


――それでも。


結果だけは変わらない。


「また《NONAME》だ!!」


「《RECKLESS》が前線を止める!!」


「《ZENITH》、ローテーション封鎖!!」


《The Red Devil》も二ラウンドを奪い返し、試合を以前より少しだけ長引かせることには成功した。


だが、その綻びが大きな流れになることはない。


「13対2!! トータルスコアはこれで2対0!!」


「あと一歩――《The Rising Star》が王手をかけています!!」


ゲーム内で、蓮司は一瞬だけ静止した。


呼吸は安定している。


むしろ、安定しすぎているほどに。


ゆっくりとダガーを回す。


刃先が一度だけ普段の軌道から微かに外れ、すぐ元の位置へ戻った。


視線が戦場をなぞる。


もう見慣れ始めた景色。


だが、どこか噛み合わない。


本当に些細な違和感だった。


リズムがほんの少しだけズレているような、うまく言葉にできない感覚。


最初は気のせいかと思った。


だが、ある一瞬。


敵プレイヤーの一人が、本来より半歩早く立ち止まった。


まるで次に何が来るか、最初から知っていたかのように。


蓮司の眉がわずかに寄る。


本当にわずかで、見逃してしまうほど小さな変化。


困惑。


疑念。


だが、まだ確信には至らない。


「そして今――運命のラウンドです!!」


カメラの視点が現実へ戻る。


光に満ちたステージとアリーナをゆっくり映しながら降下し、そのまま整然と並ぶプレイヤー席へ。


静かに横たわる選手たちの姿が映し出される。


VRヘルムが顔を完全に覆い隠していた。


規則的に点滅するインジケーターだけが、人工的な呼吸のように淡く明滅している。


カメラは再び動き出す。


今度は少し慎重に。


まるで無意識に引き寄せられるように、《The Red Devil》側へ向かっていた。


ゆっくりズームが入る。


黒いバイザーに覆われた顔が、一人ずつ近づいていく。


ステージライトの反射が表面にはっきり映るほどの距離。


そして――そこで、異変が見えた。


赤みを帯びたオレンジ色の細い光。


最初は、バイザーの縁に浮かぶただの反射にしか見えなかった。


偶然映り込んだだけの光線のように。


だが、その光は止まらない。


ゆっくりと。


確実に。


まるで地中を這う根のように。


あるいは、自ら意思を持って広がる光の亀裂のように。


それはヘルム全体へ広がっていく。


表面だけではない。


もっと奥へ。


まるでバイザーの向こう側――本来、外部から触れられるはずのない場所へ直接繋がっているかのように。


カメラマンの眉が無意識に寄った。


「……は?」


手がゆっくり動く。


長年の癖で自然にピントを調整しながらも、思考だけが半歩遅れていた。


さらにズームを寄せる。


「なんだ、あれ……?」


今度ははっきり見えた。


光が脈打っている。


不安定。


だが、決して無秩序ではない。


まるで独自のリズムを持っているような明滅。


ただの視覚エフェクトではない。


反射的に、身体が先に動いた。


カメラを素早く別方向へ振る。


《The Rising Star》側。


比較対象を探すように。


だが、そこには異常は何一つなかった。


同じヘルム。


同じインジケーター。


奇妙な光など、どこにも存在していない。


不審な動きは何もない。


あるのは、妙に普通すぎる静けさだけだった。


カメラマンの眉間に皺が深く刻まれる。


呼吸が一瞬止まり、遅れてそれを思い出したように吸い直した。


再びカメラを動かす。


今度は少し速く。


もう一度、《The Red Devil》側へ。


光は、まだそこにあった。


脈打っている。


さっきより少し強くなったようにも見えるし、単に目が慣れただけかもしれない。


だが、さらにズームしようとした瞬間――


「おっと、そこは映さなくていい」


誰かがフレームの中へ入ってきた。


偶然とは思えないほど正確な位置で、レンズの真正面に立つ。


スタッフ用ジャケットを着た運営スタッフだった。


口元には薄い笑みが浮かんでいる。


だが、目だけはまるで笑っていない。


「中央を撮っててください。指示通りに」


「え? いや、でも今――」


「いいから。後で」


口調は軽い。


ほとんど雑談のようですらあった。


けれど、言葉の途中に生まれたわずかな間が、不自然なほど急いで考えた痕跡みたいに引っ掛かる。


カメラマンは黙り込んだ。


何かがおかしい。


はっきりそう感じるのに、どこがどうおかしいのか説明できない。


さらに問い詰めようとした、その時。


ぽん、と軽い手が背後から肩に置かれた。


「おい」


振り向く。


別の男が立っていた。


通信ヘッドセットを着けたその男は、ただ業務をこなしているだけの人間みたいに無表情だった。


「交代の時間だ」


「は? 交代って――」


「お前の上司から連絡が来てる」


最後まで言わせず、男は素早く被せる。


「今すぐ部屋に来いってさ。話があるらしい」


カメラマンは眉を寄せた。


思考が別々の方向へ引っ張られる感覚。


「今? まだ本番中だぞ?」


「ああ。今だ」


返答が早すぎる。


整いすぎていて、疑問を差し込む隙がない。


「……でも――」


「置いてけ」


男の手はすでに伸びていた。


奪い取るほど強引ではない。


だが、その距離感が逆に逃げ場のなさを感じさせる。


「早く」


声に荒さはない。


それなのに、拒否を許さない圧力だけがはっきり存在していた。


カメラマンは最後にもう一度、《The Red Devil》側を見る。


無意識に目が細くなる。


あの光は、まだそこにあった。


外の騒ぎなど意に介さないように、静かに脈打ち続けている。


「……くそ」


ほとんど独り言みたいな小さな呟き。


結局、彼はカメラから手を離した。


指先だけが、ほんの少し遅れて名残を引く。


「……分かったよ。行けばいいんだろ」


歩き去る背中は、いつもより遅かった。


胸の奥に張り付いた嫌な感覚が、最後まで消えない。


カメラは別の人間の手へ渡る。


新しい担当者は、それをしっかりと構えた。


だが数秒間、彼は何もしなかった。


ステージへ向け直そうともしない。


本来の配信進行に合わせる気配もない。


ただ静止したまま。


まるで、何か見えない合図を待っているみたいに。


――カチッ。


画面が落ちる。


そして、何も知らないまま歓声を上げ続けるアリーナの中心で――


本来、誰かが見るべきだったものは。


完全に隠された。


     ◆


「運命のラウンド、スタートです!!」


実況の声が再び空間を満たす。


最初は、何も変わらなかった。


蓮司はいつも通り動いている。


軽く、無駄のない足運び。


試合開始から身体に馴染み続けてきたリズム。


前では鈴木が道を開く。


何度も反復した通りの角度で盾を構え、迷いなく前へ出る。


後方では明が射線を固定する。


一発だけ僅かに弾道がズレたが、すぐに修正した。


佐々木はほぼ完璧なタイミングで圧力をかけ続け、平田も一瞬だけ揺らいだエネルギー壁を即座に安定させ、空間を制御していく。


すべてが、いつもの形で進んでいた。


――あまりにも、いつも通りに。


その時。


「……え?」


鈴木が止まった。


迷ったわけじゃない。


思考より先に、身体だけが何かへ反応したような止まり方だった。


盾は上がっている。


角度も正確。


立ち位置にも問題はない。


本来なら――安全なはずだった。


バァンッ。


その攻撃は、説明が追いつかないほど速かった。


鈴木の身体が後方へ吹き飛ぶ。


妙な姿勢のまま硬直する。


まるで二つの動作の間で、無理やり止められたみたいに。


亀裂が走った。


段階的にではない。


一瞬で、全身へ。


――パキィンッ。


身体が砕け散る。


「なっ!? 《RECKLESS》が開幕でダウン!?」


実況の声が裏返った。


明らかに、この展開を想定していない。


「今のポジション、安全だったはずです! 一体何が――!?」


蓮司は眉を寄せる。


目を細め、今見えたものを頭の中でなぞり直そうとした。


「……速すぎる」


そのまま回り込む。


いつも通り、フランクルートへ。


だが最初の一歩だけ、これまでのリズムよりわずかに遅れた。


たった一秒。


それだけで、感覚が変わる。


そのルート――


本来なら索敵されないはずの経路。


何度も使い、一度も捕捉されたことのないルート。


半歩手前までは、確かに安全だった。


だが、その位置で。


すでに敵が待っていた。


真正面から。


調整する様子もない。


敵を視認した瞬間に出るはずの細かな反応すら存在しない。


まるで最初から、そこに立っていたかのように。


バァンッ。


迷いなく撃たれる。


蓮司は反射的にダガーを持ち上げた。


だが反応が半拍遅い。


衝撃が防御の端を叩き、身体が大きく揺さぶられる。


「《NONAME》が読まれてる!?」


「いや、あれは……あり得ねぇだろ!!」


「蓮司、集中しろ!」


明の声が鋭く割り込んだ。


普段より明らかに速い。


直後、明の射撃が続く。


積み重ねた訓練そのままのリズム。


弾道は綺麗で、精密だった。


だが、敵が動く。


反応して避けたわけじゃない。


弾が到達する前に、最初からそこへ移動すると決めていたような動き。


まるで射線そのものを事前に知っていたみたいに。


「……」


明の目が細くなる。


指が一瞬だけ止まり、次の引き金を引いた。


佐々木がグレネードを投げる。


タイミングは完璧。


角度も、いつも通りなら逃げ場を奪える軌道。


グレネードは狙い通りの地点へ落ちた。


だが爆発の一秒前には、敵はすでに範囲外へ抜けている。


動きに焦りはない。


慌てる様子もない。


ただ、最初から決まっていたルートをなぞるだけのような足取り。


「なんでだよ……」


佐々木の呟きが漏れる。


呼吸が少しずつ乱れ始めていた。


平田が即座にルートを封鎖しようとする。


焦りに押されるように、いつもより高く手を動かした。


光のラインが走る。


不安定に揺れながらも、エネルギーフィールドが形成され――


安定する前に。


二発の弾丸が、正確に核となるポイントを撃ち抜いた。


――ガシャァンッ!!


フィールドが一瞬で崩壊する。


修復する余地すら与えられない。


「《SPARK》、エリアコントロール崩壊!!」


一人、また一人と倒れていく。


正面からの撃ち合いに負けたわけじゃない。


作戦が間違っていたわけでもない。


ただ。


彼らの選択すべてが、必要なタイミングより半拍だけ遅い。


毎回、必ず。


その半拍。


「このラウンド、《The Red Devil》が奪取!!」


観客の歓声が変わっていく。


さっきまでの確信に満ちた熱狂ではない。


ざわめきと困惑が混ざり合った、落ち着かない波。


次のラウンドが始まる。


リズムを立て直す暇すらないまま。


「今だ、入るぞ!」


鈴木が再び突っ込む。


さっきより速く。


さっきより攻撃的に。


勢いを押し通すように、肩が少し前へ流れすぎる。


だが。


本来なら死角になっているはずの角度から――


先に攻撃が飛んできた。


前兆はない。


間もない。


まるで、その場所は最初から死角などではなかったかのように。


「RECKLESS、またしてもダウン――!!」


レンジは奥歯を強く噛み締めた。顎にかかった力が、そのまま首筋にまで伝わってくる。


手にしたダガーはさらに鋭く、さらに速く振るわれていたが、その動きは少しずつ均衡を失い始めていた。


攻撃ポイントへ姿を現すたび、相手はすでにこちらを向いている。


構えている。


待っている。


まるで、彼らの動きを最初から知っていたかのように。


「なんで……?」


気づかないうちに、その呟きが漏れていた。


アキラがいつもより早口で指示を飛ばす。


「Aローテ――いや、待て、もう読まれて――」


遅い。


いつだって、一歩遅い。


「ZENITH、完全に読まれている!!」


ササキはタイミングを外し、投擲の直前でわずかに手が止まった。


ヒラタはフィールドコントロールを崩し、展開したエネルギーラインも普段より一瞬遅れる。


スズキは無理に押し込み始め、動きが荒く、雑になっていく。


そしてレンジも――迷い始めていた。


「スコアはこれで……2対2!!」


実況の声には、本人ですら信じ切れていないような戸惑いが混じっていた。


「まさかの大逆転! The Rising Starに一体何が起きているんだ!?」


観客席の歓声は、いつしかまとまりのないざわめきへ変わっていた。


誰も答えを持っていない。


「おい!?」


「今の何だったんだ!?」


「バグじゃねぇの!?」


「あり得ねぇだろ!!」


レンジはほんの一瞬、その場で立ち尽くした。


だが、この高速の試合展開の中では、そのわずかな停止ですら異様に感じられる。


視線がフィールドを走る。


速く。


鋭く。


パターンを探す。


突破口になり得る、ほんの小さな綻びを。


だが見れば見るほど、ある違和感だけが強く浮かび上がってくる。


彼らの動き自体に、不自然な点は何一つない。


変わったのは――彼らじゃない。


一定だ。


あまりにも一定すぎる。


本来なら無数の可能性が入り乱れるはずのこの速度域で、その“パターン”だけが異様なほど鮮明に存在していた。


「……知ってるのか」


声は低く落ち、足音と銃声の残響に紛れて消えそうになる。


最終ラウンドが始まった。


「さぁ来た!! これが最後の決着戦だ!!」


「勝つのはどっちだァ!?」


レンジは深く息を吸った。


いつもより少し長く。


胸の奥で一度引っかかり、それからゆっくり吐き出す。


ダガーの柄を握る手に力が入る。


指先をわずかにずらし、一番安定する位置を探った。


「いつも通りで行くぞ」


努めて平坦な声でそう言う。


返事はなかった。


無視したわけじゃない。


ただ、この状況で“いつも通り”がまだ通用するのか、誰にも分からなかった。


最初の一歩が踏み出される。


慎重に。


いつもより遅く。


レンジですら、普段なら反射で動く場面で、一瞬だけ動きを止めた。


状況を読み直すための、ほんのわずかな間。


だが、それでも変わらない。


安全だったはずの角度は、もう以前のように守ってくれない。


隠しルートだったはずの進行ラインは、今では踏み込むのを待つ罠のように感じられる。


完璧だったはずのタイミングは、必ず最後の一歩手前で崩される。


まるで。


彼らが決断するより先に、何かが動いているみたいに。


一人、また一人と倒れていく。


何度も。


何度も。


何度も。


「これは……ヤバい……」


実況は自分のペースすら見失い、途中で言葉を詰まらせながらも無理やり続けた。


「THE RED DEVIL、すべてを読んでいる!! 一つ一つの動きも、ローテーションも――まるで最初から全部知っていたかのようだァ!!」


残ったのは、レンジ一人。


舞い上がった砂埃が、ゆっくりと周囲を漂っていた。


もう爆発も高速移動もない。


重く淀んだ空気の流れに従うように、静かに揺れているだけだった。


夕暮れの空も、どこか色を失って見える。


明るさと暗さの狭間で、時間だけが止まってしまったようだった。


その正面に、五人。


焦る様子もなく。


距離を詰めることもなく。


ただ待っている。


偶然とは思えないほど整った陣形のまま。


しばらく、誰も動かなかった。


時間だけが妙に引き延ばされていく。


その静寂の中で、レンジは自分の呼吸が乱れ始めていることに気づく。


そして。


そのうちの一人が、ふっと笑った。


薄い。


嘲るような笑み。


そして妙に見覚えがあった。


絶対に繋がるはずのない状況なのに、どこかで一度見たことがあるような――そんな感覚。


わずかな間が落ちる。


ほんの一瞬。


だが、その小さな違和感だけで十分だった。


レンジの中で、何かが静かに切り替わる。


迷いから、確信へ。


そして次の瞬間――すべてが終わった。


「……」


不意に、静寂が降りる。


「勝者――The Red Devil」


すぐには歓声は起こらなかった。


熱狂もない。


ただ、奇妙な沈黙だけがアリーナ全体に漂っていた。


まるで誰も、まだこの結果を理解しきれていないかのように。


重く。


信じられないものを見るように。


やがて、その声は歓喜ではなく、長く押し殺されていた感情の噴出として爆発した。


「インチキだろ!!」


「こんなの普通じゃねぇ!!」


「なんだよ今の!?」


レンジは動かなかった。


最後の姿勢のまま、ただそこに立ち尽くしている。


その間にも、周囲の世界は少しずつ輪郭を失っていった。


観客の声は遠い反響へ変わっていく。


アリーナの光も、薄い膜を一枚挟んだみたいにぼやけて見えた。


身体は、まだここにある。


けれど思考だけが取り残されていた。


たった一つの問いに囚われたまま。


終わりもなく、頭の中を回り続ける。


どうしてだ?


そしてシステムのさらに深部。


誰の視線も届かない場所で。


目に見えない何かだけが、静かに動き続けていた。

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