第32話 指輪
朝からニヤニヤが止まらない。
自分が今、どんな顔をしているのか想像する。みっともない顔になっていることが容易に想像でき、とても恥ずかしい。
それでも、このむず痒い、こそばゆい感じはどうにもこうにも抑え切れない。
(いやいや、今から会社に行くのに、こんな顔してたらイジってくださいって言ってるようなもんじゃない。)
軽く両頬をパンパンと叩いて気合いを入れる。
「よし、行ってきます!」
◆◇◆
会社に着いた。いつも通りの時間。エントランスやエレベーターで他の部署の人達と顔を合わせたりしたけど、特にいつもと変わりはなかった。
(案外気付かれないものね……。まぁ、当たり前か。こんなん気付いたら目ざとすぎるもんね……。)
右手の薬指。
隼人さんから貰った指輪を早速着けている。会社に着けてくるのは始めてだ。小さな石の付いたシルバーリング。特別高価なものではないけど、彼氏からの初めてのアクセサリーだから、ものすごく嬉しくて。
(だ、ダメだ。思い出したらまたニヤついてしまう。)
グッと唇を噛み、笑いを堪える。
エレベーターがシステム開発部のフロアに着いた。降りたところで隼人さんに出会う。
「おはよう。」
「おはようございます。」
隼人さんが右手を少し挙げて挨拶してくれた。それに連られて、私も右手を少し挙げて挨拶した。それを見た隼人さんは「おっ」という顔をしたあと、目を細めて微笑んだ。
(あっ、指輪。)
隼人さんは私の右手の薬指の指輪を見て微笑んだんだ。
(いやーん。ハズカシイ。照れちゃう。)
会社の廊下だから、お互いに平静を装って、いつも通りにしているけれど、私の脳内ではもう、床にうつ伏せに寝転がって手足をジタバタさせて悶えまくっている。
自席に着いて、パソコンを起動する。起動する間に、スケジュール帳を開いて、今日の予定の確認をする。
(今日は部内のプロジェクト報告か……。私からの報告はないけど……。ああ、先週の報告書を三浦さんに出しておかなきゃ。)
先週の障害についての報告書をまだ作ってなかったことを思い出した。誕生日だったというのに災難だった。
報告書を手早くまとめ、三浦さんにメールで送信する。忙しい人だから、一応、印刷したものも直接手渡しで渡しておく。
「三浦さん、これ、先週の報告書です。」
「あ?ああ、ありがとう。どれどれ……。」
三浦さんは私から報告書を受けとると、早速読み出した。今、ちょうどキリの良いところだったのかもしれない。
「ん、大体こんなもんで良いんじゃない。ありがと。今日の午後、プロジェクト報告だから、配布物を印刷しといてほしい。今日の出席者は……、二十五部くらいかな。」
「わかりました。いつものフォルダに置いてますか?」
「うん。」
「わかりました。わからないところがあったら聞きに来ます。」
「はい、よろしく。で、指輪、かわいいね。」
「えっ!?あっ!えっ!?」
ニコニコしながら三浦さんが続ける。
「アクセサリーとかほとんど着けたことないのにさ、キラキラの指輪着けてるんだもん。ニヤニヤしちゃうよ。」
「に、似合わないですか……?」
おそるおそる、小声で聞いてみた。
「そんなことない。よく似合ってるよ。……あんまり言うとセクハラとかパワハラになっちゃうのかな?」
「いえ、ありがとうございます。似合うかどうかはあんまり自信ないんですけど。」
「自信持って良いよ。若いんだし、常軌を逸しない範囲でおしゃれしてくれたら。」
「ありがとうございます。ほどほどに頑張ります。」
流石、妻帯者三浦さん。目ざとい。
自席に戻りながら、ふと思う。浜野さんも妻帯者だけど、気付くかな?気付いたとして、言うかな?
「うーん。」
「どうした?」
唸った私に浜野さんが声を掛けてきた。心の中で唸ったつもりが声が出ていたらしい。
「いえ……。午後の資料、今から印刷しても良いか、考えてたんです。」
「そうだなぁ。」
まさか、思ったそのままを言えるわけもなく、適当な理由をでっち上げて会話を続けた。浜野さんは穏やかでお人好しな人なので、件のフォルダの中身を覗き込んで、どれから印刷しようかと思案し始めた。
(浜野さん、良い人。ごめんなさい、ほんとは印刷順なんかどうでも良い……。)
そう思ったのも束の間。
「で、指輪。落とさないように気を付けなよ。」
「はわわ。浜野さんまで!」
「突っ込まないわけないでしょ?……ちょっと躊躇したけど、三浦さんも突っ込んだから大丈夫だと思って。」
ははは、と笑いながら、浜野さんはコーヒーを淹れるために席から立ち上がった。
こりゃ、午後のプロジェクト報告でも突っ込まれ放題になるぞと思い、指輪を外そうとしたところで、「そのまま!」と釘を刺されてしまった。
案の定、午後のプロジェクト報告でも、何人かから指輪を誉められたのだった。
数少ない女性社員。
みんなの娘、みんなの妹状態のあすかさん。
そりゃ、まぁ、みんな突っ込むと思うわ。




