第1話 輝ける「かつての空想」
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深夜二時。
都内の雑居ビルの一室。
静まり返ったオフィスに響くのは、使い古されたキーボードの打鍵音と、冷え切ったエアコンが唸る微かな稼働音だけだった。
「……やっと終わった。これで、ようやく帰れる……」
俺は深く椅子に背を預け、凝り固まった首を鳴らした。
モニターの右下、日付が変わった時計が告げている四十一歳の誕生日は、デスクの上で空になった三本の濃厚エナジードリンクの缶と共に、祝われることもなく過ぎ去っていた。
ふと、デスクトップの片隅に置いたままのショートカットアイコンに目が留まる。
レトロゲーム愛好家たちが有志で公開している、DRPG『ダンジョンズガーディアンズ』――通称『ダンガン』。
三十年以上前、俺がまだランドセルを背負っていた頃、狂ったように熱中した伝説の鬼畜ゲーのPC移植版だ。
数日前にダウンロードしてからまだ一度も開いていない。
「懐かしいよな……。せっかくだし、キャラメイクだけでもしてから寝るか」
自分へのささやかな誕生日プレゼントのつもりで、マウスでクリックした。
その瞬間、モニターが網膜を焼くような激しい明滅を放つ。スピーカーからは割れんばかりの爆音で、あの古臭い電子音が響き渡った。
視界が急速にドットの渦へと分解され、平衡感覚が消失する。
意識がホワイトアウトする寸前、俺は確かに、モニターの向こう側から何かに引き込まれる感覚を味わった。
――次に目を開けた時、俺は「死」の匂いを嗅いでいた。
「……っ、げほっ、ごほっ……!」
喉を焼くような、極寒の冷気。
鼻を突くのは、長い年月を経て堆積した湿った土の匂い、岩肌に張り付いた苔の青臭さ、そして……どこからか漂う、鉄錆のような獣の血の臭い。
「なんだ……ここは……何処……だ?」
立ち上がろうとする自分の手の平を見て言葉を失った。
四十路を過ぎた中年男の、カサついた肌ではない。
節くれ立っていながらもしなやかな筋肉を宿した、若々しい男の手。
視線を巡らせれば、そこは石造りの巨大な回廊だった。
壁に掲げられた松明の火がパチパチと爆ぜ、不気味に揺れる影が、奥の見えない漆黒の闇をさらに際立たせている。
「もしかして……迷宮?」
かつてのゲーム画面では数ピクセルの「茶色い四角」で表現されていた壁は、今や指先に冷たさと湿り気を伝える、無慈悲なまでのリアリティを伴っていた。
そして俺の傍らには、見ただけで魂が凍りつくような不吉な紫の波動を放つ、一本の長槍が立てかけられていた。
「……『魔槍・ゲイボルグ』……? いや、まさか……」
震える手でその柄に触れた瞬間、脳内にあの聞き慣れた、しかし決定的に「進化した」システム音が鳴り響いた。
「……ステータス表示?」
目の前に、半透明の淡い光を放つウィンドウが浮かび上がる。
かつての『ダンガン』は、文字と数字が数行並ぶだけの、極めて不親切なUIだった。だが、目の前にあるのは――。
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【ステータス詳細:ユニーク個体】
名前:ムクロウ
職業:魔槍皇(レベル:99 / カンスト)
【基礎能力値】
HP:9999 / 9999
MP:999 / 999
STR(筋力):255(極)
AGI(速さ):255(極)
【常時発動スキル】
神速: 行動速度を極限まで上昇。対象の知覚外からの攻撃を可能にする。
空間断裂:物理・魔法を問わず、あらゆる防御障壁を完全に無視する。
魔導の理:敵対的な魔法効果をすべて無効化、または吸収する。
超再生(極):毎秒HPの5%を自動回復。欠損部位も瞬時に再生する。
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「……おいおい、どこの現代RPGだよ! 当時はこんな『パッシブスキル』なんて概念なんてほとんど無かったかっただろ!」
あまりの情報の多さに、思わずツッコミを入れる。
だが、この「数値をいじった」としか思えない圧倒的なステータスは、間違いなく俺がかつて人生を捧げて作り上げた、あの最強データのままだ。
呆然とする俺の耳に、岩壁を隔てた向こう側から、賑やかな声が響いてきた。
「よーし! ついにここまで来たね。みんな、気合入れなきゃ損だよ!」
心臓が跳ねた。聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあるはずがない。
その声は、かつて俺が脳内で再生し続けていた「彼ら」の声そのものだったからだ。
俺は岩陰に身を潜め、音もなく広間を覗き込んだ。
そこには、四人の若者がいた。
茶色い髪にまだ少しあどけなさが残る青年、剣の柄に手をかける王道主人公な剣士、アルヴィン。
「あはは、アルヴィン、気合入りすぎ! 鼻息で松明消えちゃうよ?」と快活に笑い、腰に一振りの刀を下げた東方の女侍、ナツメ。
「やれやれ。俺が後ろからしっかり見ててやらないとな」と、爽やかな笑みで皆を見回す兄貴肌の僧侶、カイト。
そして、皆を一歩引いた場所からクールな瞳で見守る、絶世の美貌を持つエルフの女魔術師、ルナリア。
「ああ……ああああああ……っ! なんて事だっ!」
俺は岩壁に後頭部を預け、顔を覆って悶絶した。
生きてる。動いてる。喋ってる……。
彼らは俺が小中学生の頃、夢中になって作り上げた、自由帳の中にだけ築き上げていた「俺だけの英雄たち」だ。
俺は知っている……。
アルヴィンの快活な笑顔の裏に、『実はカエルがめちゃくちゃ苦手』という設定があることを。
ナツメがいつも明るいのは、『悲しい顔をすると亡き主君が心配するから』と誓っているからだということも。
ルナリアがクールなのは、『感情が昂ると魔力が暴走するから』であって、本当は人懐っこくて寂しがり屋だということを……。
「……信じられない。俺の黒歴史が……いや、俺の夢(妄想)が、こんなに美しく躍動してるなんて」
戸惑いは、一瞬で爆発的な歓喜へと塗り替えられた。
彼らはまだ、この迷宮に来て日が浅い新参者だろう。その動きや装備を見れば分かる。
これから待ち受けるダンガンの鬼畜仕様に立ち向かうにはまだまだあまりに心許ない。
だが、彼らの目は希望に満ちている。
自分たちがこの地獄の迷宮で、残酷に使い潰される「駒」だなんて微塵も思っていない。
俺の拳に思わず力が入る。
「守る。絶対に、俺が……!」
俺は魔槍を握り直し、深呼吸した。
この世界は、俺が愛した『ダンガン』だ。
どれほど彼らが俺の中で輝いていても、このゲームの神は、たった一歩のミスで彼らを「灰」に変える。
「……行かせねえよ。あんなクソゲー……いや、鬼畜ゲー仕様のシステムに、俺の『夢』を傷つけさせてたまるか」
最強の魔槍使いによる、世界一過保護で、世界一孤独な「推し活」が今、幕を開けた。
ありがとうございます!
第二話以降もよろしくお願いします。




