【本編】Ep.23 口裂け女 エピソード0 「鏡の中の涙」
誰かのために笑い続けた少女が、
鏡の前でひび割れていく心と向き合う物語。
“ワタシ、キレイ?”という問いの奥にある、優しさと痛みの原点です。
1. 「笑えと言われた日々」
幼い頃から、笑うことを求められてきた。
写真を撮るたびに、誰かの声が飛ぶ。
「もっと口角を上げて」
「その顔じゃ可愛く見えないよ」
「ほら、笑って。女の子なんだから」
その声は、彼女を傷つけるつもりはなかった。
むしろ、周囲は“良かれと思って”言っていた。
だからこそ、彼女は逆らえなかった。
本当は、どんな時でも笑顔が絶えない子だった。
……でも、今では誰かが喜ぶなら、それでいいと思っていた。
だから、笑った。
疲れていても、苦しくても、笑った。
笑顔が褒められるたびに、
「これで誰かが安心するなら」
「喜んでくれるなら」
そう思ってしまう。
その優しさが、少しずつ彼女を削っていった。
いつからか、鏡を見るのが怖くなった。
鏡の中の自分が、
「もっと笑ってあげなきゃ」と言っている気がした。
ある日、笑顔を作ろうとした瞬間、
口元が勝手に震えた。
「もっと、もっと笑えば、キレイになれるよ」
その声は、責めるようでもあり、
どこか優しく寄り添うようでもあった。
まるで、彼女自身の優しさが形を持ったように。
胸の奥で、何かがひび割れたような気がした。
笑顔を作るたびに、そのひびが広がっていく。
そして、あの日。
鏡の前で笑おうとした瞬間——
世界が、静かに歪んだ。
2. 「キレイ?」
鏡に映る顔。
その問いが、声にならずに空気を震わせる。
静かな部屋の中で、光がゆらゆらと揺れる。
窓の外は暗く、薄明かりが壁に映るたび、影がひときわ大きくなる。
でも、鏡の中の自分は笑っていない。
口元は、いつもの笑顔とは違う形に見えた。
まるで、無理に笑おうとして疲れてしまったような、そんな形。
鏡の中の自分は、
少しだけ口角が足りなかった。
もっと笑わなきゃ。
もっと“ちゃんとした顔”にならなきゃ。
「……キレイ?」
その問いには、優しさが混じっていた。
誰かに否定されるのが怖いのではなく、
誰かを困らせたくないという、昔の癖のような響き。
答えはない。
ただ、重たい空気だけが、ひしひしと迫ってくる。
3. 「変わった瞬間」
あの日、鏡を見た瞬間。
それが全てだった。
顔が変わった。
人の目には映らない何かが、確かに変わった。
胸の奥がひんやりして、
周りの音が遠くに行ってしまったように感じた。
それでも、鏡の奥から聞こえる声は、
どこか優しく、彼女を責めなかった。
4. 「遠ざかる世界」
外の世界が、あまりにも遠い。
息をするたびに、空気が重く沈む。
誰かの視線が、背中を押すように迫ってくる。
目を合わせた瞬間、言葉にならない声が空気を震わせる。
通りの音も、どこかおかしい。
誰かの笑い声が、ひどく遠くで響いているように聞こえる。
まるで、心の中の叫びが漏れ出しているかのように。
それでも、彼女は誰かを恨んでいなかった。
ただ、もうどう笑えばいいのか分からなくなっただけ。
5. 「問い」
「ワタシ、キレイ?」
声は、静かな部屋に吸い込まれていく。
誰も答えない。
鏡の中の自分だけが、
不自然な笑顔を浮かべていた。
もし、
“キレイ”じゃなかったら。
私は、ここにいてはいけないのだろうか。
鏡の中の自分を見つめる。
顔は変わっている。
でも、それをどうしても信じられない。
鏡の中の口元は、
昔、誰かのために無理に作っていた笑顔の、
少し疲れた残り香のように見えた。
部屋の隅で、何かが震える音がした気がする。
振り向いても、誰もいない。
6. 「沈む空気」
問いかけるたびに、部屋の空気がぎゅっと縮まる。
呼吸が重くなる。
胸がきゅっとなる音が耳元で響く。
鏡の中の口元は、
光の加減で赤く見えたり、影に沈んだりする。
泣き腫らした目は紅く染まり、涙は枯れ果てた。
冷たい空気が頬に触れるたび、心が締め付けられる。
それでも、問いの奥には、
「嫌われたくない」という、かすかな優しさが残っていた。
7. 「残るもの」
もう一度、鏡の中の自分に問いかける。
答えは、いつまでも戻ってこない。
しかし、笑った瞬間、
鏡の中で、口角だけが耳元まで裂けていた。
光が揺れ、空気が震える。
口元から落ちた赤い影が、
床にぽつりと映る。
その感触すら、もう遠い。
それでも、問いだけが残る。
「ワタシ、キレイ……?」
その声は、誰かを傷つけたくないと願っていた、あの頃の優しい声のままだった。
次話:■怪異相談室⑧ 文化が重い
2026/5/13 20:00に更新します




