第四話
出逢いをもたらすきっかけは同僚の女性社員がブログに私の手から生えた木を載せたことにあった。
そのとき、私は未だに安易に同僚たちに木を見せびらかしたことを後悔していた。彼らの興味は一時的なもので、翌日には声をかけられるどころか、距離を置かれるようになった。彼らにそのような排他的な行為をするつもりはないのかもしれないが、自然と感染に対する恐怖心が距離を置いてしまうようだ。
そんな私に声をかけたのは、うちの課の若手の女性社員。ブログに載せると言ってスマホで撮影した社員だ。彼女は「これ見てください」と私にいきなりスマホの画面をみせつけた。それはブログに対するコメントだった。そこには自分と同じような症状に苦しむ人々の切実な声が書かれていた。いや、これは切実ではない。彼らは新たな同士を見つけたような気持ちで私の記事を読んだのだ。
その後、私は彼女に頼み込んでブログの仕方を教えてもらった。自分のことをよく知ってもらい、同様の悩みを持つ人とコミュニケーションを図りたかったからだ。
その結果、私は多くの友を得た。意外にも私のような人間は多かったのだ。しかも、症状は私よりも重いのではと疑う者ばかり。ただ、どちらかというと悲壮感のようなものは見られなかった。それよりも現状を愉しんでいるような余裕が伺えた。
ある中年男は頭から盆栽のような松が生えた。禿頭に帽子が出来たようだと喜んでいた。私にはそれはどちらかというと丁髷のように見えたのだが、それには触れなかった。男は自分では手入れが出来ないのが悩みだと言った。
ある若い女性は腕から薔薇が生えたと言った。白く細い手に絡みつくような薔薇はまるでアクセサリーの類に見えた。本人はこれをファッションとして愉しんでいるらしい。ただ、棘が半端なく痛いと嘆いていた。
また、ある若い男は先端に二枚の葉がついた木の枝を咥えていた。まるで昔の野球漫画の登場人物のようである。ただ、それは咥えているのではなく、奥歯から生えていた。私は邪魔にならないのかと訊くと、「食事の時に舌を噛まないのと同じようなもの」と平気そうに答えた。
どうやら、苦労は多いが、それなりに愉しんでいるようだ。ただ、私は不満であった。私から生えた枝は何の面白みもない木の棒でしかないのだ。
しかし、私はすぐに意外な事実に気づくことになる。枝のところどころに蕾のようなものが出てきたのだ。それはまさしく桜の蕾であった。