第二十章 今日も、勾玉はポケットに
第二十章 今日も、勾玉はポケットに
炊飯器が鳴るより先に、航平は目を覚ました。
腹の上に、陽太の足があった。
もう片方の足は布団の外へ出ている。
小春は向こうで、布団を抱えて眠っていた。
航平は陽太の足を下ろし、ゆっくり起き上がった。
文化祭は終わった。
今日は、普通に授業がある。
夕方にはバイトも入っていた。
*
台所へ行くと、母が弁当を詰めていた。
「おはよう。まだ寝ててもええのに」
「起きてもうた」
「文化祭、疲れ残ってへん?」
「大丈夫」
航平は茶碗を出した。
母が弁当箱に蓋をする。
「今日、私、少し早う帰れる。バイト行く前のおやつだけ、お願いしてええ?」
「うん。夕飯は?」
「私がする。昨日、下ごしらえしといたから」
「分かった」
航平は冷蔵庫へ目を向けた。
文化祭の紙は外され、代わりに父と母の帰る時間が書かれた紙が貼ってあった。
まだ、空いている日もあった。
決まったところだけ書いたのだと、母が昨夜言っていた。
毎日が急に楽になるわけではない。
けれど、今日は夕飯を作らなくてよかった。
*
双子を起こしに戻ると、小春はすぐに目を開けた。
陽太は布団へ顔を埋めた。
「起きてる」
「ほな、立って」
「足が……」
「足も起こして」
航平が言うと、向こうで小春が笑った。
陽太も顔を上げた。
朝食のあと、小春が自分の皿を流しへ運んだ。
陽太も続いた。
母に置き方を教わりながら、二人で皿を並べている。
航平は制服へ着替え、鞄を開いた。
机の端に、小さな箱があった。
蓋の隙間から、折り紙が少し見えている。
航平は指でそっと収め、蓋を閉じた。
その横に勾玉。
卑弥呼は、いつもの場所に立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
航平が返すと、卑弥呼は窓へ顔を向けた。
「今日は、雨になるかもしれません」
航平は窓を見た。
空はまだ明るかった。
「頭痛いん?」
「少し」
「ほな、双子に傘持たせなな」
鞄の脇へ、自分の折り畳み傘も入れた。
*
勾玉へ手を伸ばすと、卑弥呼が小さく尋ねた。
「今日は、こちらでお留守番をしていても……」
航平は手を止めた。
「ええで」
卑弥呼の顔が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
「母ちゃん、今日は早う帰るし」
航平は鞄を閉じた。
居間から陽太の声がした。
「今日、お城作る?」
「宿題終わってからな」
小春が答える。
「兄ちゃんの宝物も入れよ」
卑弥呼が居間を見た。
航平も見た。
二人とも、もう勾玉をすっかり気に入っている。
航平は机へ目を戻した。
卑弥呼が少しだけ袖を整えた。
「……お供いたします」
「ええの?」
「はい」
航平は勾玉を拾い、ポケットへ入れた。
*
玄関で、双子へ傘を渡した。
陽太が外を見た。
「降ってへんで」
「あとで降るかもしれん」
「兄ちゃん、分かるん?」
航平は少し横を見た。
卑弥呼がこちらを見ている。
「……分かる人に聞いた」
「誰?」
「物知りの人」
卑弥呼が目を下げた。
口元が、ほんの少し緩んでいる。
双子は傘を持ち、外へ出た。
航平も母から弁当を受け取り、鞄へ入れる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気ぃつけてな」
戸を閉めた。
卑弥呼も横へ出てきた。
*
双子と道の途中で別れ、航平は学校へ向かった。
小春も陽太も、傘を振らずに持っていた。
その背中を確かめてから歩き出す。
卑弥呼がそばにいた。
「お二人、傘を忘れずにお持ちになりましたね」
「俺が渡したとこやからな」
航平は笑った。
通りの店は、まだ閉まっているところが多かった。
少し先に、骨董店があった。
窓の中には皿と壺。
入口の脇に置かれていた木彫りの熊は、店の中へ入っていた。
航平がその前へ来ると、卑弥呼の足取りが遅くなった。
ポケットを見る。
店を見る。
航平は気づいた。
「百円のために、また怒られに行くかいな」
卑弥呼の顔が上がった。
「……そうですか」
「百円やと牛乳も買われへん」
「……それだけが理由ですか」
「ほかの理由、聞きたいん?」
「……いえ」
卑弥呼は少し目を下げた。
航平はそのまま歩いた。
航平は笑った。
*
学校へ近づくにつれて、制服の生徒が増えた。
卑弥呼は人が通るたび、そっと航平へ寄った。
見えていないと言っても、そこは変わらないらしかった。
航平はポケットの上から勾玉を押さえた。
バイト代も、家の食費も、石一つで増えたりはしない。
この人が来てから、出ていった小遣いのほうが多い気もする。
けれど、スーパーで五百円の原因を探したときも、小春の封筒を探したときも、横には卑弥呼がいた。
公園へ置いてきたときだけ、いなかった。
あの日は、一人になっても落ち着かなかった。
前から級友が歩いてきた。
「三浦、おはよう」
「おはよう」
「文化祭の写真、見た? 看板逆のやつもあるで」
「ほんまに撮ってたんか」
二人で笑い、校門へ向かった。
卑弥呼は少し後ろをついてきた。
*
教室へ入ると、窓の外に灰色の雲が見えた。
航平は席へ座り、教科書を出した。
卑弥呼が横に立つ。
「雨、来そうですね」
「うん。傘持ってきてよかった」
航平は小声で返した。
机の下で、ポケットへ手を触れる。
勾玉はそこにあった。
卑弥呼が黒板を見た。
一時間目は日本史だった。
教科書の表紙へ目を落とし、航平を見た。
「こちら、私のことも書いてあるのですね」
「うん」
「……何と?」
航平は教科書を開いた。
「授業終わったら、教えたるわ」
卑弥呼は少し困った顔をしたが、うなずいた。
チャイムが鳴った。
航平は前を向いた。
その横に、卑弥呼がいた。




