第69話 一生の頼み (Side:シャロン)
「シャロン!!!」
優雅な夜会にはふさわしくない、切羽詰まった声が、音楽を切り裂いた。
びくりと肩が跳ねる。驚いて声の方を振り返り――思わず息を呑んだ。
「カルロ――!?」
いるはずのない男が、そこにいた。
群がる男たちを無遠慮にかき分けるようにして、漆黒の夜を纏った男が近づいてくる。
「何故……」
カルロとは、意図的に距離を取って、常に会場で正反対の位置にいた。万が一にも彼の視界に入らないように注意して、自分も彼を視界に収めないよう気を付けた。
どんな噂を立てられるかわかったものではないし――仲睦まじい婚約者たちを見るのは、やはり胸が痛んだから。
少し息が上がっているのは、会場の真逆から人をかき分け急いでここまでやってきたせいだろうか。ワイン色のクラバットを窮屈そうに緩めながら、こちらをまっすぐに見つめる。
燃えるような深紅の瞳を久しぶりに正面から見つめて、ドキリと心臓が跳ねた。
「シャロン。――一生の頼みだ」
口を開いたカルロは、迷うことなく私の目の前で片膝をつく。
「最後にもう一度だけ、チャンスが欲しい。話が、したいんだ。――どうか俺と、踊ってくれないか」
真摯な顔でカルロが手を伸ばすと、周囲がどよめいた。――当たり前だ。
片膝をついて懇願するようなこの体勢は、ダンスを申し込む姿勢ではない。
これは――結婚を申し入れるときの仕草だ。
「な――何を、言って――」
周囲の注目が集まり、喉の奥に声が張り付く。
唇が震えて、上手く言葉が紡げない。
この男は、一体、何を言っているのか。
ベアトリス嬢という女性がありながら、何のつもりでこんな衆目を集める愚かな振る舞いをするのか。
「話、などと――私には、貴方と話すことなどありません……!」
カラカラに張り付いた喉から、精一杯音を絞り出す。
馬鹿にするのも、いい加減にしてほしい。
どうしてそっとしておいてくれないのか。
――惨めな気持ちになる。
「フロスト嬢。……時間が」
「!」
隣からアシュビー卿の低い声が控えめに促すのを聞いて、ハッと我に返る。
パートナー探しの音楽が、もうすぐ終わろうとしていた。早くフロアの中央に行かなければ――
「申し訳ありませんでした。それでは、アシュビー様。私と――」
私は、身体ごとカルロから視線をはずすようにして、アシュビー卿に向き直る。
これ以上、彼を視界に入れていたら、冷静さを保てる自信がない。
胸の奥に未だ燻る未練を貴族の仮面で押し殺して、家の”利”をもたらすであろう男に手を伸ばすと――
ぐいっ
「!?」
アシュビー卿に届く前に、横から伸びた手が、私の腕を掴んで押しとどめる。
袖口にあしらわれた蔓草模様には、見覚えがあった。
「な――」
「っ……行くぞ」
問答無用で私の腕を掴んだカルロは、こちらの意思など無視をしてフロアへと歩き出す。
「な――何をするのですか……!?」
先ほどまではヒソヒソと控えめだった周囲の声が、興奮を隠し切れず、ざわざわと大きくなる。
好奇の視線にさらされ、私は蒼くなりながら目の前の長身の背中へ抗議した。
「あっ、貴方には、ベアトリス嬢というお相手が――!」
「エスコート役だからって、ダンスを絶対に踊らなきゃいけないわけじゃない。アイツは今日、社交デビューでもないんだ」
「そ、それは――ですがっ……!」
そんなのは、詭弁だ。他の令嬢――それも未婚で相手探し真っただ中の女の、ファーストダンスを踊るなど、常識外れにもほどがある。
「頼む。――今日、この曲をお前と踊るためだけに、何年も練習したんだぞ。ずっと、この日のことだけを考えて生きてきた」
「!」
「マナー違反なのは重々承知だ。でも――目の前で他の男に、ファーストダンスの相手役を奪われるなんて、死んだ方がましだ。いっそ殺してくれ」
「何を――」
本当に、何を言っているのだ、この男は。
有無を言わせず腕を引かれて、抵抗らしい抵抗も出来ずにフロアへ引き出されてしまう。
”パートナー探し”の音楽は、既に終わってしまっていた。
「頼む、シャロン。――これで本当に、最後にするから」
腕を離したカルロは私へ向き直り、礼をして、手を伸ばす。
ダンスを始める儀礼の挨拶。
――何百回と、練習をした――
「っ……」
ここまで来たら、逃げることは、出来ない。
ぎゅっと唇をかみしめて、私もスカートの裾を取り、礼をする。
柔らかな音楽の最初の一音に合わせ、私はそっと懐かしい掌に自分の手を重ねた。




