【番外編SS】その夜の出来事
「──お帰りなさいませ、旦那さま」
夜更けに屋敷へと急いで帰ってきた主人を、忠誠心の高い老齢な家令が出迎える。
「まだ、おいでではないな?」
旦那さまと呼ばれた特徴的な赤い髪の毛をした精悍さのある男、ウェイレット侯爵が矢継ぎ早に尋ねる。
「ええ、まだでございます。あと旦那さま、それとは別にご報告がございます。じつは……」
家令が言いにくそうに、今日の夕方、侯爵の愛娘であるアデラインの身に起こったことを手早く伝えた。
それを聞き終えると、侯爵は安堵とともに息を吐き出す。
「……アデラインは?」
「少し前にご自身のお部屋へお戻りになられて、今は仮眠をとられているようです。付きっきりで看病なさっていたのでずいぶんとお疲れでいらっしゃるのに、それでもおそばを離れようとはされませんで……。お嬢さま付きの侍女が何度もお声がけしてようやく……」
「そうか……、無理もないが、なるべくゆっくり休ませてやってくれ」
「承知いたしました」
娘の心情を思えば休んでもいられないのだろうが、それでも父親としては心配してしまう。
「それならば、しばらくその客間には誰も近寄らせないようにしてくれ。その件かもしれない」
「そのように手配しております」
すでに自分の意図を汲んでいた家令の的確な判断にひとつ頷くと、侯爵は急ぎ足で廊下を進む。
そのとき、ひとりの使用人が慌てた様子で家令に駆け寄り、耳打ちした。家令は侯爵に向き直る。その視線だけで侯爵はすべてを察する。
「わかった、すぐに行く」
そう言うと王都でも一際広大な侯爵邸、その端にある裏口へと向かう。主に使用人たちが使う出入り口だ。
しばらくして着くと、戸口の向こうにはフードを目深に被っているマント姿の客人の姿が見えた。
客人のそばには、護衛も兼ねた従者らしき者がふたり控えている。
その従者たちと比べると客人は小柄だった。無理もない、まだ十代前半の幼い少年なのだから。
客人である少年は、このイーズデイル王国の第二王子、レスターだった。
出先で多忙を極めている自分のもとに、使者を通じて『今夜侯爵邸を非公式に訪ねたい』との申し出を受けたのは、今日の夕方のこと。
出先の自分の居場所を知る者はかぎられているはずだった。突然の申し出に加え、連絡をよこした相手が数年以上も公式には会っていない彼だと知り、さらに驚いたのは無理もないことだ。よほどのことだろうと思い、急ぎ屋敷に戻り、こうして出迎えたのだった。
非公式な訪問と聞いていたため、仰々しいあいさつは控え一言二言交わしただけで、早々にレスターを屋敷の中へと招き入れる。
彼はそばにいる従者たちにここで待つように伝え、自分ひとりだけ戸口をさっとくぐった。
ひと目を忍ぶように深夜に訪れた彼のため、あえて薄暗くしている廊下を侯爵が案内する。
「──こちらです」
やがて到着したとある客間のドアを開け、侯爵は抑えた声音で言った。
部屋の中に進み入ったレスターが、おもむろにマントのフードを上げる。漆黒の黒髪と淡く澄んだ空色の瞳に、部屋の隅に置かれたオイルランプのオレンジ色の光がかすかに反射する。
「──けがの具合は?」
レスターがわずかばかり振り返り、感情を抑えるような声音で素早く尋ねる。
「医師によれば、骨に異常はなく、幸いにも打撲程度とのことです」
「そうか……」
心底安堵するように息を吐き出した相手を見て、侯爵は少しばかり目を見張る。
しかし無用な詮索はせず、寝室のほうから意識を離さないレスターに向かって、
「今は深く眠っているようです。おそらく明日には目を覚ますのではとのことですが、……どうされますか?」
寝室のベッドには、ひとりの少女が深い眠りについている。
おそらく、今夜突然レスターが侯爵邸を訪れたのも、彼女の安否確認のためなのは間違いない。王子であるレスターとその少女がどういう関係なのかはわからないが、顔を見て安心したいだろうとも思えた。だから、もし寝室に入るなら止めはしない、という意図を込めて伝えた。
少女は、侯爵の娘であるアデラインと最近親しくしている貴族学院の生徒で、東端部のヨーク男爵家の娘だと把握している。
そして、その少女がアデラインをかばって学院の階段から転落したと家令から聞かされたのは、先ほど屋敷に戻った直後のことだ。少女を危険にさらしてしまった申し訳なさを感じると同時に、親としては大事なアデラインを守ってくれたことに対して深く感謝の念を覚える。
レスターは一瞬ためらうそぶりを見せたが、ふっと肩の力を抜くと笑みを見せ、
「……すまない」
一言そう言うと、壁際にあったランプを手に取り、静かに寝室へと入っていく。
侯爵はそっと前に進み出て、開け放たれた寝室のドアのそばに立つ。
王子である彼が不埒な真似をするとは思わないが、ベッドで眠っているのは若い令嬢だ。その身を預かっている立場としては、ふたりきりにするわけにはいかない。それを彼もわかっているのだろう、こちらを気にする様子もなくベッドへと近づいていく。
その背中を侯爵はじっと目で追う。
第二王子であるレスターは、幼いころに王位継承権の放棄を申し出て、周辺諸国へ外遊に出たと聞いている。以後、王国には帰ることはほとんどないという情報だ。なぜ彼が幼くして国を出たのか、その理由を知る者は少ないが、第一王子のベイジルとの継承権争いを生まないためだろうということは、侯爵にはわかっていた。
幼いながらもレスターの優秀さは群を抜いていた。あのまま王国内に留まっていれば、早々に凡庸なベイジルとの差があきらかになるのは目に見えていた。
そして、そのベイジルの婚約者に据えられているのは娘のアデラインだが、最近では学院内でベイジルからあまりよくない態度をとられている状況にあることは把握していた。
しかし高位貴族の筆頭であるウェイレット侯爵家といえど、王族との婚約を覆すことは難しい。だからといって、このままの状況が続くようであればこちらにも考えがある。娘が不幸になるとわかっていて王妃にするつもりはない。
娘には幸せになってもらいたいと思うが、王国内でウェイレット侯爵家と釣り合う家柄はそう多くない。
侯爵はちらりとレスターを見やる。
彼が一時的に王国に戻っているらしいという情報はつかんでいた。もしこのまま王国内に留まり、それなりの地位を築くならアデラインをとも思っていたが──。
「リゼ……」
そう言ってレスターが手を伸ばし、慈しむように眠っている少女の頬にそっと触れている。
その心配そうに見守る背中を見た侯爵は、自らの考えを実行するのは難しいと察する。ふっと微笑むと、あっさりとその考えを捨てた。
時系列的にはリゼが学院の階段から落ちた直後、第三者目線(侯爵視点)のお話でした。
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