【番外編SS】頭ぐりぐりは無意識でした
「なんて呼べばいいの?」
わたしはイーズデイル王立図書館で、最近知り合ったばかりの黒髪の少年に向かって尋ねる。
数名が座れる閲覧用の大きな机、わたしが座っている向かいに彼は腰を下ろしていた。
図書館に隣接する王立貴族学院に通うわたしは、お昼の休憩時間に昼食を食べ終えたあと、残りの時間はたいていここで自習して過ごすことにしている。
目の前の席に座っている少年と知り合ったのは、彼が書架の上段の本を取ろうとした際に梯子から落ちたのを助けたのがきっかけだ。
その後、よく顔を合わせるようになったので、わたしは早い段階で名乗ったのだが、彼の名前はまだ知らなかった。
おそらくどこかの貴族令息で、しがない男爵家のわたしよりも格上だろうと思っているものの、本人が語らないので詳しくは知らない。さらに、こちらの砕けた言葉遣いや態度も指摘されないので、改めるきっかけも失ったままだ。
しかし、やはり名前を知らないと呼べないので不便だった。
少年は手元に広げている本から目を離さない。
艶やかな黒髪の前髪がはらりと落ち、彼の淡く澄んだ空色の瞳を少し隠している。
それでもわずかにわたしの声に反応した指先を見れば、聞こえていないわけではなさそうだ。
わずかに逡巡するような間があってから、
「──レイ」
少年が口を開く。顔を上げ、
「レイでいい」
と言った。
家名はなく、本当の名前なのかもわからなかったが、そんなことは関係ない。
わたしはにんまり笑う。
「そう、レイだね。教えてくれてありがとう、今度からそう呼ぶね! あ、わたしのことは──」
そのとき、昼休憩の終わりを告げる鐘の音が聞こえた。もう一度鐘が鳴ると授業開始になるため、その前に教室に戻らなくてはいけない。
「あ、ごめん、もう行かなきゃ!」
わたしは机の上に広げていた本やノートを素早く片付けると立ち上がり、
「じゃあね、レイ!」
と言って、まだ馴染みのない彼の名前を呼んで手を振る。
そのまま急いでレイの横を通り過ぎようとした瞬間、引き止めるようにぐいっと手首をつかまれた。
「──リゼ、だろ。そう呼ぶ」
そう言うなり、レイはぷいっと顔を背ける。
(わたしの名前、覚えてくれてたんだ……)
それまで名前を呼ばれたことがなかったので、純粋にうれしさが込み上げる。
まるで友達への第一歩を踏み出すようなぎこちなさに、なんだかむず痒いものを感じつつ、胸がじんわりあたたかくなる。
「うん、リゼ。そう呼んで」
わたしは微笑んで言った。
レイがわずかに顔を上げる。
「……また明日、リゼ」
その言葉に、わたしの胸がきゅっとなる。
なんだろう、警戒心の強かった猫がすり寄ってきてくれたときの感動に似ているような……。
気づけば、わたしは両手を伸ばし、レイの頭をぐりぐりと撫で回していた。
「な──っ!」
頭がボサボサになったレイが大きく目を見開き、呆気にとられた顔でこちらを見ている。
(あ、しまった──!)
わたしはハッとして我に返る。
「あ、あははー、つい、無意識に! えっと、ごめん! じゃあ、行くね!」
そう言うと、わたしは視線をそらしながら、怒られないうちに一目散に走って逃げたのだった。
本編の裏側、出会ったばかりのエピソードでした!
楽しんでいただけるとうれしいです(*´▽`*)




