運命の卒業パーティー 2
わたしは思わず、持っている真鍮のトレイを落としそうになる。
一番避けたかったことがこうして目の前で展開され、体が否応なしに震える。
ベイジル王太子殿下は、これみよがしにアデラインさまに人差し指を向け、
「アデラインがミレイ嬢に行ってきた悪行の数々は到底許せるものではない! きみは王太子である私の婚約者としてふさわしくない!」
会場が一際大きくどよめく。
ベイジル王太子殿下は憎々しげに顔を歪め、
「ミレイ嬢が大切にしていた手提げ袋を噴水に落としたり、彼女のドレスをわざと破いたり、ネックレスを盗んで粉々に壊したり、数々のいやがらせを行っていただろう! あまつさえ、階段から突き落とそうとしたそうじゃないか! ミレイ嬢が無事だったからよかったものの、すべてはまぎれもなくきみのしわざだ!」
誰もがベイジル王太子殿下とアデラインさまを交互に見やる。
怒涛の展開に誰もが固まって、事の行方を見守るしかない状況になっている。
その中でひとりほくそ笑んでいるのは、ミレイさまだ。
「──よって私の婚約者はミレイ嬢とする。この場のすべての者が証人になってくれるだろう」
会場が一気にしんと静まり返る。
わたしは唇を噛みしめ、急いでアデラインさまのほうを見る。
アデラインさまはやや緊張感をにじませながらも、凛とした姿勢を崩さず、ベイジル王太子殿下に対峙している。
やがてゆっくりと歩き出すと、広間の正面、ぽっかりと空いている空間に進み出た。王族に対する礼をとったあとですっと顔を上げ、
「お言葉ですが、ベイジル殿下。先ほど殿下が挙げられた数々の出来事については、事実無根であると申し上げます」
まっすぐに正面を見据え、よく通る声ではっきりと言い放った。
「はっ! 何を言うかと思えば、ここにきて開き直る気か!」
「アデラインさま、認められないお気持ちはわかりますが、嘘はやめてください!」
ベイジル王太子殿下は苛立ちをあらわにし、隣にいるミレイさまはふるふると肩を震わせている。
アデラインさまは冷静さを欠くことなく続ける。
「まず、ミレイ嬢の手提げ袋が噴水に落ちた出来事ですが、わたくしは偶然通りかかっただけで、彼女には指一本触れておりません。それは、そのときそばにいて一部始終を見ていたこちらのご令嬢方が証言してくれるでしょう」
すると、いつの間にかアデラインさまの後ろには、あの三人の取り巻き令嬢が立っていた。
北部の侯爵令嬢が胸に手を当て、
「ええ、家門に誓って証言いたしますわ! あのとき、アデラインさまはそちらのバーリー子爵令嬢には触れておりません」
と確固とした態度で言った。
次に西部の伯爵令嬢が、
「わたくしも家門に誓います! あのとき、アデラインさまの近くを通り過ぎる際、子爵令嬢が自ら手提げ袋を噴水に落としたように見えましたわ」
さらに南部の伯爵令嬢も声を上げ、ドレスのポケットから一枚の紙を取り出す。
「わたくしも家門に誓って、貿易を行う家門の者としてその証に書面もここに用意しておりますわ! 手提げ袋を噴水に落としたのは子爵令嬢自身で、アデラインさまではありません!」
アデラインさまを擁護する令嬢たちの証言で、静まり返っていた会場内が再びざわつき始める。
それを察したベイジル王太子殿下は声を荒げる。
「いいや! いくら証言しようとも、その者たちは普段からきみの周りにいる令嬢じゃないか! きみが命令すれば、そんな証言いくらでもできる!」
令嬢たちが『家門に誓って』と言っていたのが聞こえなかったのだろうか。それはつまり、嘘の証言であった場合は家門に影響が及ぶことも覚悟のうえだということだ。それでもアデラインさまの味方をしようとしている令嬢たちに、わたしの胸が熱くなる。すると、
「……あの! わたしたちも見ました!」
そう言いながらおずおずと前に出てきたのは、大人しめのドレスを着たふたりの令嬢だった。
彼女たちはお互いの顔を見合わせ、勇気を振り絞るように、
「男爵家なので誓えるほどの家門ではありませんが……、わたしたちもあの日噴水のそばにいました!」
「噴水の反対側にいて、偶然憧れのアデラインさまが通りかかられたので見ていたんですが、わたしたちの角度からもアデラインさまの手はそこにいるバーリー子爵令嬢には触れていませんでした……! あのときは勇気が出なくて声を上げられなくて……」
ふたりの令嬢は相当な覚悟を持って発言してくれたのだろう。緊張で頬が紅潮していることからもそれがよくわかる。
アデラインさまを慕う令嬢たちの行動に感謝しながら、わたしは周囲がざわざわと落ち着かないこのタイミングを狙って動いた。持っていたトレイを手近なテーブルの上に置くと、騒ぎを収拾しようとする給仕を装って人垣をかき分け、背後から可能なかぎりアデラインさまに近づく。
ベイジル王太子殿下はわずかに言葉を詰まらせるも、すぐに切り替えるようにふんっと鼻で笑い、
「いずれも自分よりも下位の家門の者ならば、いくらでも自分の都合のいいように指示できるだろう、きみはウェイレット侯爵家の令嬢なのだからな! だったら、ほかの事件はどう弁解するつもりだ? それもそこにいる者たちに証言させるつもりか?」
その言葉に取り巻き令嬢たちは相手が王族であることも忘れるほど、「なんてことを……」とそれぞれ怒りに震えながら言葉を吐き、勇気を出した下位貴族の男爵家の令嬢ふたりは手を取り合って怯えている。
アデラインさまは右手を広げ、背後の令嬢たちをかばうように前に出る。そのあとで姿勢を正すようにすっと背筋を伸ばすと、よどみなく話し始めた。
「それぞれ説明させていただきます。まず、ダンスレッスンの最中にミレイ嬢のドレスの裾が破けたという出来事ですが、そのドレスを調べたところ、不自然に破れた箇所を雑に縫い合わせていた跡があったとお針子が申しております。それでは本人が踏んでも破けていたでしょうし、そもそもわたくしはミレイ嬢のドレスを踏んでもおりません」
「不自然に破れていた跡だと──⁉︎ そんなわけあるか! あれは私が特別に作らせたものだ、不手際などあるものか! そうだろう、ミレイ嬢?」
ベイジル王太子殿下が声を上げ、真意をたしかめるようにミレイさまに目を向ける。婚約者でもない令嬢にドレスを贈ったと自ら宣言しているが、そのことには気づいていないようだ。
ミレイさまは確認してくるベイジル王太子殿下に対して、一瞬冷めた表情を見せた気がしたが、すぐに潤んだ瞳で殿下を見上げ、
「ええ、ベイジルさまからいただいたドレスですもの、そんなことあり得ません! そもそもドレスを調べたとアデラインさまはおっしゃいましたが、わたしのドレスをどうやって調べたというのでしょう? まさかひと目を忍んで我が子爵邸においでになられたことがあるのでしょうか?」
会場にいる人の中からは、「それもそうだ」「いや、まさか」「調べるために盗むなんてこと」などと異なる意見が漏れ聞こえる。
アデラインさまは、ベイジル王太子殿下とミレイさまを見つめたまま言葉を続ける。
「ミレイ嬢はご存知でいらっしゃらないのですね。そのドレスをあなたのバーリー子爵家に勤めるメイドが、我がウェイレット侯爵家に連なる家門が手がける衣装店に持ち込んでいたことを。店では買取りも行っていて、ある程度の価値のあるドレスを買取りする場合、盗難防止のため身元をあきらかにしていますが、そのメイドが偽っていたので調べたところ、バーリー子爵家に勤めている人物だと判明しました。
多額の借金を抱えていたため『ドレスは処分するように言われたが、どうせ捨てるのならほとぼりが冷めたころに売ってお金にかえようとしただけだ。子爵家には言わないでほしい、見逃してほしい』と言っていたそうですが?
そしてその持ち込まれたドレスが、わたくしが破ったと疑いをかけられた問題のドレスと同じものだったというのは偶然でしょうか?」
「まさか、そんなこと……! あり得ません……!」
ミレイさまは口に手を当て驚く。
「あとで我が家にドレスがきちんとあるか確認してみます。もちろん、そのメイドも探し出し訊いてみます……! ただそうは言っても、アデラインさま側でも似たようなドレスと勘違いなさっている可能性もあるのではないでしょうか……?」
と疑うような視線を投げる。
「いいえ、ミレイ嬢、あのドレスは王室御用達の高級衣装店で作られたものです。万が一同じようなドレスがあったとしても、生地や縫製、刺繍の刺し方などを見れば、職人は自ら手がけたドレスかどうか判別できます。それに……」
アデラインさまはベイジル王太子殿下を見やり、
「それこそ殿下自らドレスに細かく注文をつけていらっしゃったそうですので、ご自身が贈ったドレスかどうかはご覧になればわかるのではないでしょうか?」




