彼らのその後
後に繁栄の時代をもたらした名君と讃えられるユージーン王。
彼はメイヴィル伯爵家の令嬢マタンをこよなく愛し、王妃として迎えた。
前王朝の流れを汲むメイヴィル伯爵家との婚姻は、民からも歓迎される。
ユージーン王は歴代の王と違い、愛妾を持たなかった事でも有名だ。
王妃マタンとは相思相愛で、沢山の子宝にも恵まれた。
2人の仲の良さは民の憧れとなり、後世に長く謳われることとなる。
ユージーン王は領土拡大の功績でも知られている。
ユージーン王は、南西の国との国境にて起きた小競り合いで、自国に死者が出た事に憤り、南西の国に宣戦布告し自ら出兵する。制圧は短期決戦で、3ヶ月足らずで南西の国を制した。隣接する2国は服従を望んだので、ユージーン王はこれを了承し、統治下に置いた。
服従を望んだ2国の王族には公爵位を与え、南西の国は成長した2番目の王子を後に封爵する。
庇護下にあった西の国は、腐敗した財政を立て直せなかった為、ユージーン王自ら国を解体し、徹底して改めた。北の帝国に面した西の国は要所である。次代の王と目されていた長男が封爵を志願し、ユージーン王はこれを許した。
これ以降、西半島全域は我が国の領土として治められる。
長女は大森林と砂漠の先の東の国に嫁ぎ、次女は内海先にある南の国に嫁いだ。どちらも自分の親と変わらぬ程年上の王で、文化の違いにより沢山の妃の1人して迎えられている。
3女は北の帝国に愛妾に。3男と4女は、帝国にある聖地で枢機卿をしているユージーン王の叔父の養子に入った。5番目6番目の姫は新参の2公爵に嫁ぎ、7番目8番目の姫は新たな同盟先の上位貴族に嫁いだ。
王位を継いだのは4男だった。宰相家が婿に望み、宰相自ら赤子の頃から手塩を掛けて育てた子だった。皮肉にも、兄達が次々と宮殿を離れたことによって、彼は宮殿に戻ったのだ。勤勉な姿は譲位をされても変わらず。上の兄達は弟をよく支え、仕えた。
5番目の王子は武芸に秀で、爵位授与のほかに騎士の称号を与えられる。宰相家に婿入りしたのは6番目の王子になった。
かくして、ユージーン王は賢君と讃えられるが、一方で、子供の人生を10になる前には決めて簡単に手放す姿は、親として『非情』と言われた。
結局、14人の子供を生んだ王妃の手元近くに残ったのは、赤子の頃に手放した4番目の王子だけであった。
歴史家は語る。
『ユージーン王の御子達は、王から逃げるように自ら遠い地に行ったのではないか』
『ユージーン王と王妃マタンは、幸せな結婚生活を送ったと本当に言えるのだろうか』
2人の子供達の方がよく理解していたことだろう。
政略結婚に、愛を求めてはいけないと。
(fin)