恋とはどんなものでしょう
「マタンはどうなの?」
「え? わ、私ですか?」
「これからずっと一緒に私と暮らしていく……と言うことに、何か思うことはないの?」
思うも何も、割り切ろうと思っていた矢先に「そうはならない」と言われたら、期待してしまうのが女子というものではないだろうか。考えあぐねていると、殿下の機嫌が少し悪くなった。
「…確かにマタンが言ったように、私が他の子に目を向けることがあったら、婚約は解消になるね。だけど………私は解消する気はないよ? 私はマタンを気に入っているからね」
「え、ええ?」
これは、私はどう返事をすれば良いのだろうか。同じように『気に入っている』だと臣下として何様な回答になってしまうし、だからといって『お慕いしている』と言っても本当にそうなのか今はまだよく分からない……。
私の煮え切らない様子に、殿下の機嫌は更に降下した。
「マタンは茶会で辺境伯の息子や、同い年の公爵子息達と仲良くしているよね? かっこいいなとか、気になるなとか……ないの?」
「ええ?!」
殿下の視線が私を射貫くかのように鋭くなる。
私は直ぐさま、
「考えたこともありません!」
と否定した。
いけない、思ったよりも大きな声が出てしまった。淑女失格である。
「……本当に?」
「勿論です! むしろ、殿下以上にかっこいい人なんて、この世にいるんですか?」
「え」
「え?」
殿下の頬がほのかに赤く染まった。口元を隠す仕草が妙にかわいい。つられたのか自分の顔にも熱が集まった。私は思わず下を向いた。殿下の顔を直接見るのも辛いし、自分の顔が赤くなっているのを見られるのも恥ずかしかった。
「あ、マタン…? 今の……は…?」
「はい。その……ええっと…」
自分が言った言葉なのに、その意味をうまく説明することが不可能だった。咄嗟に出たのは月並みな言葉のみ。
「だって皆さん口をそろえて言っていますわ、『殿下以上に素敵な人はいない』って」
殿下の様子が、苦い物でも食べたかのように明らかに落胆した。
「皆さん」
「はい」
「そうか……皆さんか…」
殿下の目元は猫のように細くなり、ふふふっと小さく笑った。
「フフ…君は本当に面白い」
そういう所を気に入っているんだと殿下はにこやかにおっしゃった。殿下は手元に用意されていた花の砂糖菓子を1つ摘まみ、口に含んだ。いつもはケーキスプーンを使って食べるのに、今日は少しワイルドだ。
高鳴る動悸を感じながら、私はさっきの殿下の言葉を反芻した。
「好きな人と結婚して良い。この婚約は政略結婚じゃない……」
と言うことは……
「私は、殿下のことを好きになっても良いんですか?」
きょとんと殿下は首を傾げ、「もちろんだよ」と優しい声で答えてくれた。
「本当の本当によろしいのですか?」
「本当の本当に良いんだよ」
「嘘ではなくて?」
「本当」
「神に誓って?」
「もちろん」
すると、ユージーン殿下は席を立ち、私の隣に腰を下ろした。優雅に私の手を取り持ち上げると、指先にゆっくりと口づけが落とされた。
「…神に誓って」
甘い響きが部屋中に満ちていく。殿下の視線に目がそらせない。長い余韻に私は浸った。その静寂は、全ての悩みを忘れるほどに心地よかった。
「…後悔、しませんか?」
「君と結婚できなかったときの方が後悔するな」
殿下が私の頬を撫でた。くすぐったさに、思わず笑みがこぼれる。
「私、まだ殿下を好きとはっきり言えませんが、殿下とずっと一緒にいたい気持ちは本当です」
素直にありのままの気持ちを私が述べると、殿下はクスッと笑った。
「今はそれでいいよ。少しずつで良いんだ。私に合わせようと背伸びをしなくても良い。私は君をゆっくり待つよ」
ユージーン殿下は、今度は私の額に口付けた。そしてそのまま、殿下の瞳の中に自分が映っているのが分かるほどの距離で見つめられた。
(ち、近い……!)
いつもより遙かに近い距離に、私は震え上がった。と同時に、殿下のまとう雰囲気に熱が上がり、のぼせそうだった。そのまま殿下の瞳に吸い込まれてしまいそうになった、その時―――
侍従の「ごほごほ」と咳こんだ音が聞こえ、我に返った。あわてて私と殿下は節度ある距離を取った。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。ユージーン殿下は軽く微笑んで、私の頭を数回撫でたのち、向かいのソファーに戻った。
羞恥心を隠して何とか紅茶を1口含む。殿下の方をチラッと伺えば、殿下は下を向いて笑うのを堪えているようだった。せっかく茶器を鳴らさないで持ち上げたのに、震えていた手は隠せなかったらしい。私は王妃様から言われた言葉を思い出し、殿下に誓う。
「殿下、待っていて下さいね。私、殿下の隣にいても恥ずかしくないよう立派なレディになりますから。必ず追いつきますから」
「フフ…楽しみにしているよ」
「はい!」
この先何があっても、私はユージーン殿下をいつも信じていこう。
今日は、その覚悟が出来た『区切りの日』だ。
(ちゃんと、殿下とこの婚約ついて話せて良かった)
モヤモヤした気持ちがスッキリした私は、皿に残っていたクマちゃんをパクッと食べた。やっぱり王室御用達のチョコレートは甘くて口の中でとろけて最高である。
私は「ふふっ」と自然に笑みがこぼれるのだった。