どうしようもない気持ち(ユージーン殿下視点)
ユージーンは自身の執務室の椅子に座り、宰相子息シウスから報告を受けた。
「……そうか。あの3冊の本は、王妃陛下の差し金だったのか」
「はい。間違いありません」
本日の王妃教育の際、マタンは例の3冊の本を持ってきていたという。しかし帰り際にその本は、マタンの手元には無かった。おそらくその本は王妃陛下の部屋に陳列されているものなのだろう。
「小賢しい真似をしてくれる……」
ユージーンが母である王妃と過ごした時間は実は少ない。物心が付く頃には引き離され、当時の王である祖父から直々に教育を授かり、並々ならぬ期待を受けてユージーンは育った。たまに見る母の姿はいつも憂いに満ちていた。その様子はぼんやりとした赤子の記憶の中でも変わらず、幼いユージーンの心をいつもざわつかせていた。
執務に来ない父がどこにいるのかと疑問を持ち後をつけて見つけたのは、王宮の奥に隠された離宮であった。そこで見た父と知らない女性、そして黒髪の幼子の姿を認めたとき、ユージーンの中で何かが音を立てて割れた。
心から信頼できるものは、叔父と教育係のシウスだけだった。
しかし叔父は成人したら北の帝国にある聖地に赴かねばならなかった。その頃には父が王位を継ぎ、母は王妃としてーーーそれ以上にーーー執務に邁進するようになる。王妃としての振る舞いには昔のような陰りは一切なかった。だが既に、ユージーンと王妃には埋められない溝が出来ていた。
たまに会っても表面上でしか会話が出来なかった。
―――家族であっても信頼できない。
それがユージーンと父母との関係であった。
ユージーンはいつも机の上に置いてある小箱を手に取り弄びはじめた。
「何のためだと思う?」
マタンが愛妾の存在を知り『政略結婚に愛は無い』と勘違いするだけで良かったものの、あの書物にはこの政略結婚の重大さも、深く読み込めば分かってしまう場合もあった。
シウスは肩をすくめてユージーンの前に居直った。
「さぁ? それは分かりかねます」
全くの興味関心が無い様子に、ユージーンは苛立つ。
「見くびられたものだな……」
自身の子どもの婚約に関心など見せなかったと言うのに、ここに来てマタンに干渉してきたのはどう言う了見なのだろうか。
ユージーンは王妃の思惑を何通りも予測する。今回のことで痛かったことは、マタンが『愛妾』の歴代の存在と制度を知ってしまったことだった。
「……まさか私が、あの愚鈍と同じくなるなどと王妃陛下は思っているのでは無かろうな?」
ユージーンの父は王であるが必要最低限の執務しかしていない。ほとんどを離宮の愛妾と過ごし、対外的な公務の際しか表には出てこない。退位した祖父と王妃が政治を回しているのがこの国の現状だ。だからこそユージーンは早く大人にならなければならなかった。
「そう思われていてもおかしくは無いでしょう? ユージーン様は王妃様と公式の場でしか話されないのですから。それも会話は社交辞令のような上辺のものばかり……王妃様が心配なさるのは当たり前では?」
「心外だ」
有無も言わせぬ返答に、シウスは小さく笑った。
「フフッ……最近の貴方様は顔つきが似てきましたからね」
どちらのと言わないのが、余計にユージーン神経を逆なでした。
「今度そのようなことを言ったらその舌切り落とすぞ」
「おや? 私は事実を申しただけですよ?」
シウスはニコリと人好きしそうな笑顔を作り話す。
「これだけでそのように気が乱れてしまうなんて、ユージーン様もまだまだですね」
コツリコツリとシウスはゆっくり歩を進め、ユージーンとの距離を詰めた。執務机に手を置くと身をかがめ、ユージーンにだけ聞こえるほどの声量で事実を告げる。
「貴方が頑張らなければ、彼女は手に入らないのですよ? ―――宝玉を手に入れるためには、貴方は絶対なる王に成らなければいけないのですから……」
釘を刺すような言い方が気に食わず、ユージーンはギロリとシウスを睨んだ。しかしシウスはその視線を楽しむだけで、歯牙にもかけなかった。
「そんなことは分かっている……!」
柄にも無く、ユージーンは苛立ちを隠せなかった。手にしていた小箱を両手で持ち額に当てると、ユージーンは目を瞑った。婚約者の姿を思い出せば苦しいほどの感情が胸に席巻く。
(仕組まれた婚約であったのに……あれ程荒れたと言うのに……)
―――いつから本物になった?
彼女の屈託のない笑みに心を揺さぶられ。本当に欲しかったものを差し出され。ユージーンにとってマタンは、いつしかかけがえの無いものになっていた。
「その為ならーーー」
(彼女を手に入れられるのならばーーー)
「……なんだってやってやるさ」
ユージーンはもう、マタンを手放せない。
この気持ちがどれほどのものか呆れるほど理解もしている。
ユージーンは手にしていた小箱をギュッと握りしめた。
今はそれだけで、彼は満たされる思いを感じるのだった。
*****
小指ほどの紫水晶がランプの光でキラリと輝いた。部屋の中が暗くなり今はそれ程似ていないが、日に当てると光が乱反射しキラキラと揺れて輝く。
ユージーンは叔父から貰ったこの紫水晶がことさら好きである。自身の婚約者―――マタンの瞳によく似ているからだ。
(本物は……宝石の如く美しいが)
今日の中庭でのことを思い出し、ユージーンはクスッと笑った。
(マタンが悲しんでいると分かっていたのに、潤んで輝く瞳をもっと見たくてーーー)
泣き止んだマタンをわざわざ泣かせるために、ユージーンは彼女が最も欲しいであろう言葉を述べて労った。ユージーンの気持ちを素直に受け取ってくれる婚約者は、思った通りに目を潤ませ特別な瞳から涙をこぼした。
ユージーンがマタンを一目見ただけで特別な思いを持ったのには訳があった。
彼女の持つ白金ブロンドと紫の瞳は、教会のステンドグラスに飾られている西側諸国の始祖王と同じである。それは、ユージーンの祖先に当たる英雄ロイとは比べものにならないほどの意味を持っている。
始祖王―――北の皇帝―――の子らが各国の王となり、現在の西側諸国を形成している。そして各国の王位継承者には白金ブロンドと紫の瞳が必須で、聖地の大聖堂と北の帝国からも許可が要る。
しかし、その色を持った者が必ずしも優秀とは限らない。
前王朝を討った今の王家は周辺各国から長い間馬鹿にされてきた。王族は神の庇護とも呼ばれる白金を失っていたからだ。それでも存続が許されたのはメイヴィル家の存在が有ったからであった。
ユージーンの祖父は自国で英雄視されるロイでは無く、草原の騎馬民族に打ち勝った始祖王の英雄譚を何度もユージーンに読み聞かせた。毎日の祈りの中で繰り返し見上げるステンドグラス。騎馬民族を追いやった白金の勇姿に、少年のユージーンは憧れと尊崇の念を抱いた。
ーーーユージーンがマタンに惹かれるのは、『必然』であったのだ。
目を奪われ引き付けて止まないーーーこの気持ちが仕込まれたものだったと知ったとき、ユージーンは好きな勉強も武術も手が付けられなくなるほどに荒れた。父母の不仲の意味、自分が生まれた意味、これから成さなければいけない婚姻。全てが煩わしくて許せなかった。
それでもこの茨の道を歩き続けると決めたのは、マタンの存在故だった。
会う度に寄せられる何の裏も無い純粋な思いと眼差しに、ユージーンの心は震えた。会う回数を重ねていけば、自分が欲しかったものが何なのかが分かった。
『この子が欲しい』とユージーンは思った。
その為には、北の帝国と大聖堂を黙らせるほどの力をユージーンは手に入れなければならない。
『宝玉』にはそれ程の価値があるのだ。
ユージーンは紫水晶を指先で持ち、絹の布で丁寧に磨いた。
(……本当は誰にも見せたくないし、側に常に置きたい)
まだあどけない少女が持つ特有の可憐さに、ユージーンは最近どうしようも無い焦燥に駆られるようになっていた。部屋に閉じ込めて自分だけしか見られないようにしてしまおうかと思うほどだ。けれどそれが周囲にバレてしまった際はさすがにユージーンの外聞が悪くなる。ユージーンは自らを叱咤し毎度己を戒めるのだが、婚姻後はそれに近い状態にしたいと思っている。
「そう……ちゃんと手順を踏めば、『合法』だ」
清らかな彼女は必ず自分のものになる。
その日は確実に近づいてきている。
「それまではメイヴィル家の邸に帰ることを許してあげる」
嫁いだ後は帰れないのだから。
そしてそれは、遠くない未来なのだから。
「本当に君は……いつだって私を守ってくれる」
―――私の心を奮い起こしてくれる。
「最高の、劇薬だ」
ユージーンは磨いた紫水晶を赤いビロードが美しい小さなクッションの上に乗せ、丁寧に宝石箱―――小箱―――に閉まった。
カチリと鍵をかけることに、迷いはなかった。
マタンにとって、ユージーンは毒。
ユージーンにとって、マタンは薬。
お読み頂きありがとうございました。




