第28話 忍びよる陰
西日が差し込んでいる。部屋の中で布団に潜って考える。
圭吾先生と、駿先生は結局、学校の中に残った。
圭吾先生は反省しているようだが、駿先生は長期休暇を取っている状態だ。
たぶん、まだ綾香のことは諦めていないはずだ。
長期休暇を取った分だけ駿先生の動向がわからなくなって、駿先生がどういう行動に出るのかわからなくなった。
そういう意味では京香先生も今まで以上に警戒が必要と言っていた。
生徒と先生のまま、どうやって綾香を守っていけばいいだろう。
学校の中では今はジョディ先生と和尚が面白いことになっているので、このことを考えなくて済んでいる。
しかし、学校から帰ると、いつものように答えの出ないことを考えている。
春陽は今までが子供過ぎたのだと自分のことを思う。
どうすれば大人の考え方ができるようになるんだろう。
大人の考え方になれば、綾香を守ることができるんだろうか。
自分にできることは何だろう。綾香にしてあげられることは何かあるだろうか。
部屋にいるのがイヤで、部屋を出て、2階の廊下から夕陽を見る。
小さいアパートだから、見晴らしは良くない。丁度、目の前の家に2階が見えるぐらいだ。
しかし空は大きく、太陽に染まって赤くなっているのが見える。空も雲も真っ赤に染まっている。
もうすぐ梅雨の時期だというのに、まだ雨は降りそうにない。
生暖かい風が頬を撫でていく。
ふと、下の道路を見ると、こんな時期だというのに、春用のコートを着込んで、一眼レフカメラを首からかけている男性が立っている。
あまりにも奇妙な恰好なので春陽の目に止まる。
春陽はポケットからスマホを取り出して、カメラ機能を使って、数枚、不審人物の写真を撮る。
明らかに誰かを見張っているようだ。
方向から見て、「ほのぼの荘」の誰かを見張っていると考えたほうが良さそうだ。
駿先生の実家は諸星グループという企業グループだ。
駿先生は大金持ちの息子でもある。金で探偵を雇うこともできるだろう。
イヤな予感が当たっていなければいいけどと思いながら、アパートの階段を駆け下りる。
春陽が不審な男性に近寄ろうとすると、不審な男性がいきなり走りだした。
年齢の頃は30歳後半くらいだろうか。現役の高校生である春陽のほうが体力がある。
すぐにコートを着た男は道の隅に座り込んで、息をゼイゼイと吐いている。
「おじさん、「ほのぼの荘」を見張っていたよね。そのカメラで何を撮るつもりだったのかな?」
「別におじさんは何もしていないよ。お兄ちゃんが急に追いかけてきたから、驚いて逃げただけさ」
「フーン! じゃあ、今から警察呼ぶからさ! 言い訳は警察でしてくれるかな! 俺に関係ないんだろう!」
「ちょっと待ってくれ! 警察は止めてくれ!」
コートを着たおじさんは鞄からタオルを出して、顔とく首の汗を拭っている。
ポケットからスマホを取り出して、おじさんにスマホをチラチラと見せつける。
「アパートの上からおじさんの行動を写真に撮らせてもらったから、十分に証拠写真になると思うよ」
おじさんは顔を青ざめる。
「俺も警察署に付いて行って、証言してもいいし、俺も暇してたからさ。こういう展開ってドキドキしない?」
「おじさんを脅すのは止めてくれよ。最近の高校生はスマホを持ってるから厄介だな」
「色々なアプリをダウンロードすれば、便利なツールだからね。特に写真機能や録音機能に優れているしね」
おじさんは道路に座り込んだ姿のまま、諦めたように春陽を見る。
これでおじさんが正直に身元を明かしてくれれば、警察に連れて行く必要もなくて、楽なんだけどな。
「まずはおじさんの名刺を貰おうか?大人のおじさんが名刺を持ってないはずないよね。後、身分証明書、写真付きのモノも見せてくれるかな?」
「チッ! 最近のガキは変なところで頭が回りやがる! そんなモノは持ってねーよ!」
「じゃあ、警察に行こうか。俺も暇だから一緒について行くよ。おじさんの身元をキッチリと知りたいしさ」
コートを着たおじさんは立ち上がると、険しい顔をして春陽を見る。
「ここで俺を殴ると、傷害罪がもれなく追加されるけど、どうする?俺も一応は抵抗するし、絶対に警察が車で逃がさねーけど!」
とうとう、コートを着た無精ヒゲのおじさんは肩を落として諦めると、財布の中から名刺を取り出して春陽に渡す。
「どうせ車で来てるんでしょ。運転免許所も見せてね。名刺が偽造ってこともあるから。よろしくね、おじさん」
名刺には工藤進と書いてあった。工藤探偵事務所と書かれている。工藤自身が経営してりる探偵事務所だろう。
進は免許証も春陽に見せる。確かに工藤進本人に間違いない。
「へー! 1人で探偵事務所を経営してるんだ! 経営状態赤字でしょ!」
「うるせーよ! 人の事務所の経営状況なんか聞いてくんな! 頭が痛くなる!」
「で? 今回はどんな仕事を依頼されて、「ほのぼの荘」を見張っていたのかな?」
「そんな依頼内容まで言えるか! 探偵にも誇りがある! 守秘義務だ!」
進は春陽から顔を背ける。春陽は進に近づいて小さな声で進に話す。
「へー、じゃあ、警察になら話せるよね。若い女性の部屋を盗撮していたんだからな。言い訳しようないよね。警察には守秘義務は通用しないよ。この仕事はパーだね」
「ちょっと待ってくれよ。大口のお客様からの仕事なんだよ。毎日、少しずつ写真を撮ってるだけで、結構な金が稼げるんだ。待ってくれ」
「おじさんが依頼内容を正直に話してくれるなら、見逃してもいいよ。諸星グループに頼まれて、香坂綾香の身辺を調査してたって、正直に吐いちゃいなよ」
進は驚きで目を見張る。まさか春陽が依頼内容を知っていると、思わなかったのだろう。
「なぜ坊やがそれを知ってるんだ!今回は諸星グループっていう大企業グループからの依頼なんだ。だから金が良くってさ。見逃してくれよ。頼むよ」
「見逃してあげてもいいよ。その代わり交換条件だよ」
「本当か? 見逃してくれんのか?」
進が嬉しそうに顔を近づけてくる。進の体から大量のタバコの匂いがする。臭くてたまらない。春陽は顔を引きつらせる。
「香坂綾香の周辺には何も怪しい影はない。そう条件で、写真や聞き込みをした証拠物だけを諸星グループに持っていくこと。それだったら俺もおじさんの邪魔はしないよ」
「俺だってプロだぜ。そんなことできるかよ。依頼人の仕事をしてこそプロだろう。仕事は正確に、それが俺のポリシーだ」
「おじさん、経営難なんだろう。俺もおじさんに仕事を依頼するよ。毎月、ウソの報告をしてくれたら、毎月3万円、おじさんに払おう。これは仕事の依頼だよ。受けるかどうかは、おじさんが決めたらいい」
進は顎に手を置いて考えている。
諸星グループからの依頼は香坂綾香の身辺に男性の影があるかどうか調べるだけの簡単な仕事だ。別に誰もいないと報告してもいいと進は考えるはずだ。
ズルい大人ならそう考えるはずだと春陽は読んでいた。
そのうえ、偽装した報告をしているだけで、毎月3万円ももらえる。こんな楽な仕事はない。3万円でも進にとっては必要なお金だ。
天秤は必ず春陽の思うように振れるだろう。もし振れなければ、金額を引き上げればいい。
進はニヤリと笑って、春陽に手を伸ばして握手をしてくる。
「ガキのくせに大人との交渉を良く知ってるな。お前の依頼を受けてやるぜ。別に個人的に香坂綾香っていう女性に興味があるわけじゃねーしな。俺としては金になればいい」
春陽は進から受け取った、名刺と運転免許証を写真に撮って、進に名刺と運転免許証を返す。
「なるべく、おじさんと接触した証拠がないほうが、お互いのためにいいよね。ではおじさん、二重スパイ、頼んだよ」
春陽と進は念のため、お互いの連絡先番号とラインIDを交換しておく。
「坊主、お前は一体、何者なんだ?お前が俺に金を払う理由がわからん」
「俺は香坂綾香の生徒なんだよ。担任の先生が、妙に身辺調査されているのを見たら、気持ち悪いだろう」
「それだけか?」
「後、おじさんに依頼してきたのは諸星駿って奴だろう。そいつ、綾香先生のストーカーでさ、学校でも問題になった奴なんだ。だから俺は嫌いなんだよ」
「そうだ。駿ってイケメンから依頼を受けた。あいついけ好かねー性格だと思ったら、ストーカーだったのか。もう少しで俺もストカーの片棒を持つ所だった。助かったぜ」
進は駿先生のことを思い出したのだろう。厳しく真剣な顔をしている。
進はマルボロを口に咥えて火を付ける。タバコの匂いが辺りに充満する。
「おじさん、タバコ止めてくれよ。時代じゃねーよ。時代遅れだよ」
「うるさい、俺達の頃は探偵と言えば、タバコとバーボンだったんだよ。探偵物語を見てねー世代はこれだから、探偵物語を見ろ」
「今はテレビの時代じゃねーし。おじさんアナクロすぎだよ。いつの時代の人間なんだよ」
工藤進は顔は厳ついが、話すと気の良いおじさんだった。二重スパイすることも快く了解した。
最後に春陽はにっこりと笑って、スマホを取り出して、再生ボタンを押す。
すると今まで進と春陽が話していた会話が全て録音されていた。
進の顔が段々と青ざめる。そして暗い顔で、春陽を睨む。
「俺は根本的に大人を信用しない。笑顔で聞き分けの良い大人ほど、信用しない。だから証拠として録音させてもらった」
「チッ、用心深いガキだな。こっちのやりそうなことは全てお見通しか。全くやりにくいガキだ」
「俺を騙して、綾香先生の個人情報を売っておいて、おじさんが俺にウソをつくことだってできるからね」
進はタバコの煙が消えていくのを静かに見ている。煙は空中で霧散していく。
「笑顔には自信があったんだけどな」
「笑顔が上手い人間ほど、信用できない。駿先生がそうだったからね。良い勉強をさせてもらった」
「参った。参った。おじさんの負けだ。キチンと無駄な仕事をして帰るよ。月に1回はお前にも報告する。お仕事だからな。お前もキチンと金を払えよ」
「おじさんと違って、人を騙すほど世慣れてないよ。報告の時、駿先生のことも知らせてくれるとありがたい」
「ああ! 駿って奴のことは俺も気に入らねーから、協力してやるよ! じゃあな坊主!」
進は春陽に背を向けて歩き出した。
西日は傾いて、建物に半分以上隠れている。段々と辺りは暗くなってきている。
春陽は自分の部屋に戻って、布団の上に大の字になる。
果たして、これで良かったのだろうか。
大人になるって、どうすれば成れるんだろう。
今日の自分の行動は正しかったのだろうか。
綾香を守ることができているんだろうか。
布団の上で、薄暗くなった天井を見て、春陽は悩む。
しかし、答えは出ない。
どうすれば、綾香を守れるのだろう。
どうすれば、綾香を幸せにできるのだろう。
どうすれば、春陽が大人になれるのだろう。
春陽は考え続ける。
しかし答えは暗闇の中のように、何が正しい答えなのか、春陽にはわからなかった。
隣の201号室の扉が開いた音がする。綾香が帰ってきたみたいだ。
春陽は綾香に「おかえり」を言いたくて部屋を出て201号室のインターホンを鳴らす。
「は~い!」
いつもの少し幼い可愛い声が部屋の中から聞こえてくる。
綾香は部屋のドアを開けて、顔を見せると花が咲き誇るように満開の笑顔を見せる。
「やっぱり春陽君だ~! ただいま~!」
「おかえり! 綾香!」
玄関のドアを閉めて、すぐに綾香の体を抱きしめて、首に顔を埋める。
この綾香の香りが一番、落ち着くんだよな。春陽はホッと安堵の吐息を漏らす。
「春陽君?」
綾香が両手で春陽の肩を持って、体を少し離すと、クリクリした瞳で春陽の顔を覗き込んでくる。
「今日は、何かあったでしょう? 正直に私に言いましょう! 春陽君の態度がおかしい! 怪しいよ!」
綾香は春陽のこととなると段々、色々と敏感になっているような気がする。今日は別に何もしてない。ただ綾香に抱き着いただけなのに、どうしてバレたんだ。
「私は春陽君のことなら何でも知っていないと気が済まないの。隠し事は禁止です。話してください」




