第18話 絵理沙先輩からの提案
「あん、浩平君の左のまぶた、腫れたままになっちゃった~! 浩平君のクリクリおめめが台無しよ~! 1週間も東京に行くのに、どうしよう~!」
東京? 和尚は修行の旅に出るって言っていたから、山ごもりでもするのかと思っていた。
違うのか? 東京に行って和尚は何をするんだ?
京香先生が和尚の顔の治療をしながら、甘い息をつく。
綾香、信二、春陽の3人が、和尚の治療が終わるのを待っている。
「確かに困ったことになり申した。まぶたが腫れては、テレビの収録に差支えがあるかもしれぬ」
東京? テレビ? 収録? よけいにわからなくなってきた。
「たぶんだけど、腫れは2日ほどで引くわ。でも、まぶたは青黒くなったままよ」
「そこはメイク担当殿の腕にまかせましょう。では、拙僧は行って参ります。最後に京香先生のご尊顔を拝見でき、拙僧の心に桜が舞っておりまする」
京香が頬をピンク色に染め、少し唇を尖らせる。
「もう~浩平君は口が上手いんだから、気を付けて行ってらっしゃいね」
信二が和尚の不思議そうに顔を見て、首を傾げる。
「東京に行って、テレビで和尚は何をするんだ?」
春陽もそれが気になった。
「それは内緒ということで。後で驚かせもうす」
和尚はニッコリと笑って椅子から立ち上がる。
「では、皆様! ご機嫌よう!」
保健室のドアを開けて和尚は颯爽と東京へと旅立った。
春陽は綾香を見る
「和尚は東京に何しに行ったの?」
「浩平くは、学校にも、それしか届を出してないの。だから私も京香も何を知らない。モヤモヤするね」
すごく心がモヤモヤする。でも、和尚は行ってしまった。このモヤモヤを解消することはできない。
「浩平君が後でわかるって言っていたから、それまで待ちましょう……エヘヘ」
京香先生が椅子から立ち上がる。すらりとしたきれいな脚をクロスさせている。
「さあ、信二君と春陽君は教室へ戻ってちょうだい。私と綾香も職員室へ戻るから。保健室は鍵をかけて閉めちゃうわよ」
京香先生に促され、春陽と信二は教室へと戻った。
京香先生と綾香は保健室に鍵をかけ、手を振って職員室へと戻って行った。
◆◆◆
春陽達4人が上級生のヤンチャグループを撃退したという噂はあっという間に桜ヶ丘高校中に広まった。
なぜか、優紀が一番活躍したことになっている。
これがイケメン効果なのかと、春陽は噂を聞いて驚いた。
優紀は何も言わず、窓の外を見て、顔を赤くして照れていた。
信二と和尚が勝手に2人で殴り合ったと説明しても誰も信じないだろう。誤解させておくしかない。
昼休み前に、圭吾先生が花壇で気絶しているという噂が流れた。
春陽も優紀も圭吾先生のことを、すっかり忘れていたことに気がついたが、謝りに行くこともできない。このまま知らないフリすることにした。
昼休憩のチャイムが鳴る。
絵理沙先輩と顔を合わせづらいが、色々なことがあったから、とにかく絵理沙先輩と話をしなくてはならない。
春陽は学食へと向かって、1人で歩いて行った。
学食に着いた春陽は唐揚げ定食をトレイに載せて、学食内を見回して、絵理沙先輩を探す。
絵理沙先輩は顔を真っ赤にして小さく手の平を振る。
絵理沙先輩の隣には、機嫌の悪そうな咲夜先輩が座っている。
春陽は咲夜先輩に頭を下げて、絵理沙先輩の前に座った。
絵理沙先輩は小さな声で、小さく頭を下げた。
「この間は暴走してゴメンなさい!」
一応は自分でも、自分の過激な行動を反省しているようだ。
咲夜先輩が険しい顔で春陽を睨む。そして小声で呟く。
「絵理沙から事情を聞いたわよ。絵理沙は後輩君が好き、後輩君が綾香先生が好きって図式になっているのね」
「簡単に言えばそうなります」
「それで綾香先生に絵理沙が話を聞きに行ったら、生徒と先生の恋愛はあり得ない説明されたのよね?」
「綾香先生はキッパリと言っていましたね」
職員室の中でも、ハッキリと綾香に断言されたことは心の傷として、春陽の心のトゲとなっている。
「それで熱くなっていた絵理沙が後輩君の心を振り向かせるって職員室で宣言した。こんな感じかしら?」
絵理沙先輩から、ある程度は話の内容の説明を受けているのだろう。
咲夜先輩が確かめていることに間違いない。
「それで朝の一連の騒動が起こったというわけね。後輩君達もやるじゃない。上級生のヤンチャグループを退けるなんて」
咲夜先輩がクスクスと笑う。
「俺は何もしていないですよ。仲間が庇ってくれましたから!」
「後輩君自身は体も華奢そうだし、体力もなさそうだもんね」
個人のことは放っておいてくれ。
絵理沙先輩は顔を赤くして俯いている。
「私のことで春陽君を巻き込んでゴメンなさい」
「別に絵理沙先輩のせいじゃないです。気にしないでください」
「でも……」
咲夜先輩が絵理沙先輩を制した。
「絵理沙が後輩君に謝っても解決にはならないわよ。後輩君はこれからどうするつもり?」
絵理沙先輩をフッても騒ぎになるだろうし、絵理沙先輩と付き合うフリをしても、大騒ぎになる。
絵理沙先輩が絡むと、この桜ヶ丘高校では大事になることだけは確かだ。
絵理沙先輩は派手な噂が流れるのをイヤがっているし、春陽自身もイヤだ。なるべく穏便に日々を暮らしたい。
騒ぎにならないようにするには、今までのように先輩と後輩の間柄でいることだ。
または絵理沙先輩と会うことを、これから一切、禁止するしかない。
どれを選べば、絵理沙先輩を傷つけずに、穏便な話をすることができるだろう。
黙ってしまった春陽を不安気な眼差しで見つめる絵理沙先輩。
テーブルの上を指の先でトントンと叩いて、咲夜先輩からは苛立ちの態度が見える。
「早く話しなさいよ。どうして黙っているの?」
「どうすれば絵理沙先輩が平和に暮らせるかを考えていました」
「なるほど。それで後輩君の考えはどうなの? 言って見てよ」
「絵理沙先輩は桜ヶ丘高校でもNO1の人気者です。だから絵理沙先輩に何かがあったら、必ず噂になります。絵理沙先輩が特別な行動をしても、必ず噂になります」
「後輩君のいう通りね。絵理沙が特別なことをすれば、必ず噂になるでしょうね」
「絵理沙先輩が噂がイヤなら、特別なことをしないことが最善策だと思います」
「後輩君って意外と頭の回転が速いのね。私も後輩君と同意見。絵理沙は高校にいる間、大人しく、皆の人気者になってるしかないと思う」
絵理沙先輩が真剣な顔を春陽と咲夜先輩に向ける。
「それは無理よ。私は春陽君のことが好きなんだもの。それに既に噂は広まっているわ。今から噂を消すなんて無理よ」
「絵理沙が大人しくしていれば、噂なんて2カ月ほどで消えるわ。噂なんてそんなもんじゃん」
咲夜先輩は肩を竦める。
「それなら、今、噂になっていることも、2カ月経ったら付き合っていたら、いつものことになるね」
さすが絵理沙先輩、頭の回転が良い。咲夜先輩の言葉を逆手に取った。
「綾香先生も、先生と生徒は恋愛禁止って言ってるんだし、絵理沙が焦る必要はないと思うけど」
「そんなの口では何とでも言えるわよ。女性は気持ちと感情よ。一度、春陽君の方向へ綾香先生の気持ちが動けば、綾香先生自身でも止められないわ」
「だからそうなる前に、大義名分が欲しいの。春陽君の彼女は私という、大義名分が欲しいの」
絵理沙先輩の思い通りにさせてはいけない。
「そういう意味で彼女になりたいと絵理沙先輩が言ってるのなら、俺は拒否します。お断りします」
春陽は真直ぐな瞳で絵理沙先輩を見つめる。
「俺は絵理沙先輩の好意は嬉しいです。好意は本当にありがたいです。しかし、誰とも付き合えません。今まで通り、先輩と後輩でいてください」
咲夜先輩は目を細めて、春陽に冷たい視線を送る。
「絵理沙の好意は受け取るけど、絵理沙を彼女にしない。先輩と後輩の仲でいてほしい。ずいぶんと後輩君にばかり都合が良い条件よね。それが通ると思ってるの?」
「普通は通らないと思っています」
「後輩君以外の男性なら、絵理沙から告白されれば、感激して感涙もんよ。後輩君は変わってるわね」
絵理沙先輩は黙ったまま、両手を膝の上に置いて、俯いている。
春陽からの提示はした。後は絵理沙先輩が考える番だ。
しばらくすると絵理沙先輩が顔をあげて、ふわりと笑う。
「ねえ、春陽君、既に私とのことで、春陽君も既に噂になってるわよね」
「そうですね」
「私も女性として、好きな男性にフラれたなんて、噂が広まるのはイヤなの。そのことはわかってくれるよね」
確かに絵理沙先輩ほどの美少女がフラれたという事実は、絵理沙先輩の心の傷になるだろう。
「もう私は春陽君に告白している。だから、春陽君にはYESの言葉を聞きたいの。仮に嘘だとしてもね」
「もう少し、簡単に説明してくれませんか。俺に理解できるようにお願いします」
「私は春陽君に本気だけど、春陽君は私に本気でなくてもいい。だから、学校では仮彼氏になってほしい。そうでないと私がフラれた女になっちゃうでしょ」
その言葉を聞いて、咲夜先輩は絶句して、片手で額を押えて、目を伏せている。
「絵理沙、自分が何を言ってるかわかってんの?絵理沙は後輩君のことが好きで、後輩君は自由なんて、後輩君に都合良すぎるでしょう。それに学校だけの仮彼氏なんて、意味があるの?」
「学校の中で仮カップルになれば、春陽君は私と一緒いても不自然じゃない。春陽君が綾香先生を想うのは自由。でも、私には春陽君を振り向かせるチャンスが増える。それにしつこい男子生徒達からも逃げられるし。良い案だと思うの」
絵理沙先輩の答えを聞いて、春陽が頭がクラクラする。そういう手段を考えてくるとは思わなかった。
咲夜先輩も頭の中で何回も絵理沙先輩の言ったことを繰り返し考えて、理解したようだ。
「なるほどね。その方法だと、絵理沙はフラれたことにならない。後輩君は綾香先生を想っていられる。 学校では仮彼氏だから、絵理沙にもチャンスがある。しつこい男子生徒達を排除できる。なかなか妙案ね。さすが絵理沙だわ。私はそれでいいわ」
春陽は何回も絵理沙先輩の答えを、繰り返して考える。理解すればするほど、春陽に逃げ道がない。
これは大変なことになった。
「私の学校だけの仮彼氏になってください。綾香先生を想う気持ちが変えなくていい。私が春陽君に振るり向いてもらうように頑張るから」
「いつまでも俺が綾香先生のことを想っていても、絵理沙先輩はそれでもいいんですか?学校だけの仮彼氏に俺がなればいいんですか?」
「うん、そうよ。今は1歩でも春陽君に近づくことが、私の想いだから」
絵理沙先輩が辛そうで哀しそうな顔で春陽を見つめる。
絵理沙先輩が本気で春陽のことが好きだという気持ちが伝わってくる。
春陽と一緒にいるためなら、仮彼氏でも何でもよいと絵理沙先輩が言っているのだ。
「絵理沙先輩の仮彼氏に俺がなればいいんですね。絵理沙先輩には降参です。でも……」
「でも、何かな?」
「綾香先生を俺に近づけさせないための仮彼氏なら拒否します。さっき、絵理沙先輩、言ってましたね。もし綾香先生の気持ちが俺に傾いた時、彼氏という大義名分があれば止められるって」
絵理沙先輩が小さな舌を少し口元からだす。バレたかというような顔をしている。
「本当に春陽君は頭の回転がいいね。私の負け。綾香先生がもし、春陽君のほうへ心が傾いたら、私は素直に身を引くわ。これだけは約束します。それまでは私に幸せな夢をみさせてほしい。ただそれだけなの。私のお願いを聞いてほしい」
「わかりました。俺、絵理沙先輩の仮彼氏になります」
「ありがとう。嬉しいわ」
春陽が仮彼氏になることを承諾したことで、絵理沙先輩のは両手をギュッと胸の前で握って、感激している。
身体全身をピンク色に染め、本当に嬉しそう顔して、清楚で淑やかに微笑んで、絵理沙先輩の表情は、とても幸せそうに上品に落ち着いている。
「俺からも1つ提案したいことがあります。俺が絵理沙先輩の仮彼氏だって知っている者も必要だと思います。証人です」
「証人なら私がなるわよ。後輩君のほうでも信用のおける友達に説明しておけばいいんじゃん」
咲夜先輩が簡単に証人になるという。咲夜先輩は絵理沙先輩の親友だ。親友を庇う可能性もある。
「後輩君が私のことをどう思っているかは知らないけど、私はウソや騙しごとが大嫌いなの。だから絶対に正直に証言する。そのことは信じてほしいわ」
咲夜先輩はそう言って、胸を張って、春陽に体全身で表現する。
「わかりました。咲夜先輩のことは信用します。でも、俺のほうでも証人になってくれそうな人を探します。絵理沙先輩、それでいいですか?」
絵理沙先輩はやっと自分の言い分が通って、スッキリとした顔で、頬を赤らめて微笑んでいる。
「もちろん、それでいいわ。これで私と春陽君は仮カップルだね。とても嬉しい」
「……」
絵理沙先輩は目を潤ませて、幸せそうな笑みを深める。
咲夜先輩が冷めた目で春陽を見る。
「絵理沙は辛い道を進んでると思うな。もっと自分を大事にしてほしいわ。こんな後輩君のどこがいいんだろう? 私にはわからないわ」
春陽も絵理沙の思考回路がわからない。咲夜先輩と同意見だった。
夜、綾香に会って、説明するしかない。
そして絵理沙先輩の仮彼氏になったことを綾香に素直に報告して、素直に状況を説明するしかない。
春陽は変に誤魔化したような説明で、綾香と積み上げてきた関係を壊したくないと思った。
夜、綾香に会って、このことを1番に、素直に相談しよう。
このことが優紀達にバレたら、またクラス内が大騒ぎになるだろうな。
春陽は優紀達の顔を思い浮かべて、深いため息をついた。
早く、夜になって綾香に会いたい。




