記憶喪失と自殺志願者
イザベルと呼ばれた少女は、女医さんに首根っこを捕まれた状態で僕の元に連れてこられる。
「…あんた、無事だったんだ。よかったね」
イザベルさんは吐き出すように僕に言う。
「いきなりごめんなさいね。私はこの病院の医者、ネル・アンク。みんなにはネル先生って呼ばれているの。この子、イザベルの主治医でもあるのよ」
「主治医…?その子、どこか悪いんですか?」
「まあね」
パッとネル先生は手を離す。
ドサッと音を立ててイザベルさんの身体が床に落ちた。
いわゆる女の子座りの体制で、イザベルさんは僕を睨んだ。
「…名前は?」
「え?」
「あんたの名前」
名乗ろうとした。
瞬間、頭に鈍痛が走る。
「うっ…!」
「大丈夫!?」
踞った僕の頭をネル先生が撫でる。
まるで母さんみたいだ。
…ん…?
……あれ?
…僕の母親って…どんな人だっけ……?
「おかしいわね、治癒魔法は完璧のはずなのに…」
「…すみません。思い出そうとした瞬間、なんか、頭が…」
「記憶喪失ってやつ?名前も、忘れちゃった?」
イザベルさんが首を傾げる。
「…名前は…かろうじて覚えてます…」
口を開く。
「陽…って、呼ばれていました。姓は…わかりません…」
「ヨウ君、ね。ダンジョンに落っこちた経緯は覚えてる?」
「えっと……すみません…」
電車に引かれたことを言おうか迷ったが、ここで言ってもなんとなく信じてくれなさそうな気がして、黙った。
「家の場所は?家族は?」
「…ごめんなさい」
そこまでは思い出せない。
引かれた衝撃で記憶が飛んだのか、落下の衝撃なのか。
はたまた、別の何かのせいなのか。
「住むとこ、ないの?」
と、いきなりイザベルさんが口を開いた。
「はい…」
「お金もないの?」
「多分…」
そういえば学校の鞄とか何処だろう?
服装も制服じゃなく病院着だし。
「じゃあ、うち来る?」
「…え?」
一瞬、聞き間違えかと思った。
「うちで、使用人のアルバイトでもすれば?お給料も出すよ」
「…急にどうしたのよ、イザベル」
ネル先生は僕よりも驚いているようだった。
「別に。拾ったの私だから、面倒見ようと思っただけ」
「そんな、ヨウ君を動物みたいに…」
ため息を吐きながらも、どこか先生は嬉しそうだった。
「…でも、まあ、良い事よ。人間嫌いの貴方が使用人を雇おうなんてね。
…ねえ、ヨウ君。ヨウ君さえ良ければ、イザベルの家に勤めてもらえないかしら?」
「三食出るよ。個室もあるよ」
「…えっと…いいんですか?」
聞くと、イザベルさんは頷いた。
「じゃあ、よろしくお願いします…?」
「うん」
気のせいかもしれないけど、イザベルさんの顔が明るくなった気がした。
「よかったわね。そうだ、ヨウ君」
ネル先生は満面の笑みで言った。
「イザベルが自殺しようとしたら全力で止めてね」
「…え?」
「彼女、ちょっと目を離したら死のうとするから」
かくして、僕の異世界?での生活が始まった。