━━━案件78 竜司郎とセリーネ 海の上で出会う━━━
「ダメですお嬢! これ以上進みません……!」
甲板で船長が叫ぶ。船長の視線の先には歯噛みする一人の少女。セリーネはヴィクトーリア号に乗せられていた最後の魔石を握った。
大海蛇に傷つけられたにもかかわらずヴィクトーリア号は本当によく持ってくれた。船員たちの奮戦。必死の応急処置と水の汲み出し。そして彼女の水を止め、風を操る精霊魔法。それでどうにか大海蛇の縄張りから抜け出すことができたのだ。
なによりも死者が出ていない。負傷者も港に辿り着けば、フィーズ教神官たちに『治癒』を『強化』もせずに治せる程度の傷だ。奇跡と言っていい。
大海蛇と死者ゼロという、海の神の気まぐれでこれ以上状況がこじれないうちに、港に辿り着ければ……
海風で、セリーネの深青色の長い髪がたなびいた。普段は後ろでまとめている髪も、立て続けの難事で解けてしまい結わえる暇もなかったのだ。
風があるのに、浸水と積み荷で船が進まない。
あと少し。ロナーシアの町は見えているのだ。
「ロナーシアが、遠い……」
手旗信号は通じていた。見張りが望遠鏡越しに港の様子を伝えていた。港にはこちらの窮状は伝わっているのだ。救援は来る。だが間に合うのか。
船が沈む。その可能性を考え、護衛団と負傷者を救命ボートに移した。持ち出せる金品や貴金属、魔導契約書や海図、通行許可証などの重要書類が入ったケースも、護衛団長のヴェスタに持たせた。
セリーネは掌の魔石を見つめた。艶やかな虹色の魔石がセリーネの紅玉色の瞳を反射する。セリーネの魔力はとうに枯渇していた。魔石は、取って置きの拳サイズの大きな魔石だ。
この最後の魔石で、水を操って汲み出すか。風を操って船を進ませるか。
「船長! 港から何か来ます! なんだ……あれは……!」
檣楼から見張りが大声を出す。船長とセリーネは、見張りが望遠鏡を向ける右舷に移動した。
久しぶりの水上バイク、そして久しぶりの海だった。だが感慨に浸ることも無く、竜司郎はモリンと共に異世界の海を疾駆した。
港から船まで、海面下の岩礁も、砂州もない。水上バイクのナビゲーションシステムは、全て青。竜司郎のヘルメットのインナーバイザーで見る周囲の環境も、青だ。
「フルスロットルでこんなに遠慮なく走ったのは、初めてだぜ……」
竜司郎が軽口をたたく。モリンがチラリと振り向いて笑った。
「いいんッスか? あんまりスピード出してると、ローファイン卿に睨まれまスよ」
「緊急走行だから大丈夫だよ」
竜司郎は船の方を見た。ややマストが傾いている。救命ボートは降ろされており、ボート上に小さく人が見える。去り難いのか船のそばにとどまったままだ。
船が近づくと、ヘルメットのインナーバイザーに船の諸元、状況が分析されて表示された。特権的アイテムの面目躍如である。
……そのデータを読み取った竜司郎に、ある重機が思い浮かんだ。天啓か。女神さまの啓示か。
「モリン、魔法でスリングベルト編めたよな?」
「できますよ御主人。なんなら玉掛けスキルも持ってまスよ!」
「上出来だ。作戦を変更する。浮き輪で時間稼ぎは次善の策にする」
竜司郎は速度を落としながら、モリンに作戦を話した。
救命ボートに乗った船員たちと護衛団が、船へと疾駆するものに気づき始めた。護衛団長のヴェスタは思わず短槍を掲げて立ち上がった。
「黒衣の……騎士……?」
人だ。体格からして男だろう。だが乗っているのは何だ。海のモンスターとも違う。しいて言うなら都で見た魔導二輪車に似ているが……。
黒衣の男はゆっくりと船に近づくと、大声で呼びかけて来た。
「バイテンさんとカイロンさんの依頼で、皆さんを助けに来ました!」
「来ました!」
獣だ。黒衣の男の前に獣が乗っていた。しかも人語を話している。聖獣である。ということは、黒衣の男は聖獣の契約者、もしくは聖者ということか。
驚いて返答に窮したヴェスタの上から声がした。強い意志を乗せた、音楽的な声。竜司郎は声の方に顔を上げた。陽光に煌めく深青色の長い髪の少女。
「お父様と、お兄様の依頼というのは本当ですか?」
「あなたがセリーネさんですね。初めまして、飛野竜司郎と言います。こいつは俺の相棒のモリン」
「よろしくお願いしまッス!」
「……まぁ!」
セリーネの驚きの声は船員たちの驚きの声を通して竜司郎とモリンに届いた。
「これから皆さんと、この船を助けるために俺のスキルを使います」
「……この船も?」
セリーネの隣の船長が驚く。竜司郎は船長にも伝わるように大きく頷いた。
「助ける……と言ってもただの時間稼ぎです。バイテンさんやカイロンさんが救援の船を寄越してくれるまで、俺のスキルで、この船を支えます」
竜司郎は船長、セリーネと視線を移し、声を大きくした。
「少しデカいスキルを使います。船員さんたちとボートの方々に、安全なところまで避けるよう言ってもらえませんか?」
竜司郎は口調と表情に「俺を信じてくれませんか?」と乗せた。あのバイテンとカイロンの血縁者なら、伝わると思ったからだ。
セリーネは竜司郎の予想よりはるかに早く決断し、船長に何やら指示を出した。
船長はすぐに船上の船員たちを集めて指示を出し、救命ボートを船から話した。船長の指導力もさることながら、セリーネの決断力も並ではなかった。
「御主人!」
「俺がスキルを展開したら、作戦通り船に上ってスリングベルトを最大魔力で頼む」
「はいッサー!」
竜司郎は水上バイクの上で立ち上がった。深呼吸。与えられた特権的スキルと、女神さまの啓示と、自らの決断を、竜司郎は信じてみることにしたのだ。
「浮きクレーン展開! 魔力……最大!」
青白い巨大な魔力の球。
フォークリフトやバックホウを展開する時のボール大の球体どころではない。竜司郎がすっぽり入ってしまうほどの巨大な魔力の球体だ。
収束しきれなかった魔力が衝撃波のようにあたりに広がった。わずかに揺れる救命ボート。船長の帽子が吹っ飛び、セリーネの髪が大きくたなびく。
魔力はまずフロート部分を形成する。船の隣に巨大な正方形のフロートが形成され、さらにその上に旋回体が形成され始める。
(フォークリフトもトラックも、とうに形成できているレベルの魔力量なのに、まだ旋回体すら形成できてない……!)
竜司郎は形成に集中している。モリンが心配そうな目線を投げかけているのが分かった。目線は形成に集中しつつ、大丈夫だ、といわんばかりに無理に笑顔を作ると、竜司郎はさらに両掌に魔力を込めた。
ほどなくして旋回体は形成を完了し、今度は長大なトラス構造のジブが形成され始めた。
(……嘘だろコイツ、まだ俺の魔力を持っていくのかよ……!)
竜司郎は浮きクレーンに持っていかれる魔力に軽い怒りを感じた。異世界に来ても、クレーンは飛野家に呪うようである。




