セイレーンの歌 Ⅸ
勢いよく開いた扉の音に、廊下を守る衛兵から視線を向けられる。
少し離れた部屋の前で、衛兵とビュッセルが何か問答を繰り広げているようだが、今はそれに構う余裕はない。
俺は廊下へ躍り出ると、そのまま全力で自分の前室に向けて駆け出した。
自分の部屋までのわずか数リールの距離がとてつもなく長く感じるのは、普段から体を動かしていないからだけではないだろう。部屋の前にたどり着く頃にはアゼルにすっかり抜き去られ、彼は不審に思い止めに入った衛兵を振り払いながら体ごと扉へぶつかった。
アゼルの鍛えられた肉体にぶつかられた木製の扉は、バキッ!という乾いた音をたて内側へ向けて大きく折れ曲がる。
「ウィロット!」
室内を除き込んだアゼルが声を上げ、それと同時に俺の目には、竈門の前で倒れているウィロット、そして部屋の奥で疼くまるイザベラとその侍従達の姿が飛び込んできた。
「アゼル!布で口を押さえて奥の窓を破れ!」
アゼルは勢いよく室内へ駆け込み、俺は袖で口を押さえながら倒れるウィロットの元へ駆け寄った。
有機毒物でよく上げられる青酸カリが、体重1キロあたりの致死量はおよそ150mg。それに対して夾竹桃の毒物は0.3mgと、毒性でいえば数十倍危険だ。
しかしこの広い室内であれば、命の危険があるのは竈門の煙を直接吸い込んだウィロットだけだろう。
実際にイザベラ達はうずくまってはいるものの動いており、こちらにも反応しているところを見ると意識はありそうだ。
しかしウィロットは、直ぐそばに嘔吐した形跡が見られ、完全に意識を失っている。
俺がウィロットの元にたどり着くと同時に、窓ガラスが激しく割れる音が聞こえ、外から風が流れ込んでくるのがわかった。
俺はウィロットと抱えようと彼女の体の下に潜り込むが持ち上げられず、結局アゼルの力を借りて彼女を部屋の外へ運び出すことができた。
部屋の外には騒ぎを聞きつけた人が集まってきており、その中にはビュッセルの姿も見える。
「どうされたのですか!?」
「アゼル、ウィロットをここへ寝かせて!ビュッセル殿、部屋の中のイザベラ様達を見てください!」
俺はビュッセルに簡単に指示を出すと、ウィロットの脈拍と呼吸を確認する。
「クソッ・・・!呼吸が止まってる!」
ウィロットの呼吸は停止しており、脈拍は微かに感じ取れるがそれは極めて早く、脈動は今にも消えそうなほど弱々しいものだった。
「ウィロット!起きろ!」
アゼルの声が響きわたる。
「アゼル!ウィロットを呼び続けろ!」
俺はもう一度ウィロットの状態を確認する。
体温がまだ高いところを見ると、心臓が正常な動きを停止した直後だろう。
夾竹桃の毒は確かに強いが、フグ毒のような神経毒とは違い、吸い込んで直ぐに心臓が止まる類の物ではない。
最初に起こる症状は嘔吐と呼吸障害だ。
つまりウィロットの今の症状は、嘔吐により吐いた物が気道につまり、呼吸障害と合わさって酸欠を起こしたと考えられる。
「誰か!水と炭を持って来てください!あと、麻痺の魔法が使える人を呼んでください!」
俺の声に応えて、数名の人がバラバラと散っていった。
俺は乱暴にウィロットを抱えると顔を下に向け、近くにあった燭台の油を指に纏わりつかせると、その指を彼女の口から喉へ突っ込んだ。
指先は喉のを塞いでいる吐瀉物にあたり、それを指で無理矢理掻き出す。
彼女の口から酸と油の臭いが混じったどろりとした物体が、流れ出した。
そのままウィロットを横たえらせ、彼女に心臓マッサージを施す。
「誰か!心肺蘇生が分かる人!」
心臓マッサージをおこないながら周りに問いかけるが、どよめきが走るだけで手を上げる者はいなかった。
心肺蘇生法が生み出されるのは前世でももっと未来の話なのだから当然だろう。
しかし、このままでは1人で心臓マッサージと人工呼吸を交互に行わなければならず、その場合は蘇生の成功率は大きく下がる。
足跡でも誰かに教えてやってもらうか?いや、予備知識無しでいきなり指示を出しても、そうそうできるものではない。
その時、2人の男女が俺たちの元に駆け寄ってきた。
「麻痺の魔法を使える者を連れて来ました!」
俺は女性の姿を確認すると、ウィロットの服を力いっぱい引き裂いた。
「ウィロット、すまん!」
ブチブチと上着のボタンが飛び、亜麻布の巻かれただけの肌着が現れる。
それを解くと、小ぶりな乳房が2つ露になった。
「ユケイ様!」
突然のことにアゼルから声が上がる。
「黙ってウィロットを呼び続けろ!」
俺はアゼルを叱責すると、手伝いに現れた女性の手をとって、ウィロットの胸の中心と左脇へそれぞれの手を導く。
「この状態で、麻痺の魔法を使って下さい!なるべく強く、一瞬の間だけ!」
「え・・・!?わたし癒しの奇跡なんて使えません!」
「癒しの奇跡ではなく、魔法だ!早く!」
「は、はい・・・!」
女性が麻痺の魔法を発動すると同時に、ウィロットの体が微かに動いた。
先日の実験で、麻痺の魔法は体内に電流を流しているのではないかという予測が立っている。
であれば、適切に使えればAEDのように心臓の乱れた脈動を正せる可能性は十分にあった。
「どいて!」
女性を退かすと、俺は再び心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。
数度心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した後、再び女性の手を借りてウィロットに電気ショックを与えた時・・・。
「ゴホッ!・・・ゴホッ!」
ウィロットが咳き込むと、喉の奥に残っていた吐瀉物の残りが流れ出した。
「ウィロット!」
アゼルが叫ぶ。
「炭を砕いて!早く!」
そういえば、前は俺がマリーに助けられたんだな・・・。
真っ白だったウィロットの顔色が微かに戻り始めるのを見ながら、俺はそんなことを思い出した




