第60話 ユイ・イイダ(飯田 唯)
およそ七年前、それは小学校の集団下校中に起こった。
途中まで20人超のグループで下校し、皆で手を挙げて横断歩道を元気よく渡っていたときだ。
突如としてその小学生たちを淡い光のサークルが包み込み、飲み込んだのである。そのサークルの中には、同行していた親御さんも二人いたが、消えたのは小学生たちだけだった。
あまりにも不可解な出来事。数人の目撃者がおり、更にはコンビニの防犯カメラにも、その一部始終が映っていたのだが、実際に見聞きしても到底信じられるようなものではなかったのだ。
この失踪事件は、当時メディアを大いに賑わせ、多くの学者や評論家があーだこーだと発言していたが、結局何の進展もなく、事件は迷宮入りとなった。
だが、それは仕方のないことである。
事件は日本で起きていたのではない。異世界『アークス』で起きていたのだから。
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私は小学5年生でこの世界にやってきた。魔法や剣、スキルなどがあるファンタジーな世界に。でも、この世界は簡単に人が死んでいくような残酷な場所だった。
私は体を動かすことが大好きで、あまりマンガやアニメのことはわからないんだけど、男子がこの世界のことを〝クソゲー〟と言っていた。なぜゲームに例えたのかもよくわからないけど、たしかにこの世界はクソ……末期だった。
邪神とかいう神の落ちこぼれが数十体以上も顕現し、各地で暴れ回っていたのだ。そのおかげで、この世界の住人は一気に数を減らしていった。ようやく争い合っていた国々が協力を始めたが、後の祭り。そもそも邪神なんて人類にどうこうできる存在ではないのだ。
でも、唯一対抗できるとしたら、ほんの一部の英雄級か研鑽を積み力を付けた勇者ぐらいのものである。ここ数年全く音沙汰のない〝最強の勇者〟がいない今、新たな戦力になりうる勇者を育成する他ない。
という感じのとにかく人類側が劣勢であるという話を、転移させられたばかりの私たちは長時間立たされたまま聞かされることになった。私たち小学生をだ。中には低学年の子たちもいたのだ。転移させられたその国──グロリア帝国自体も中々のクソだったことがわかるだろうね。
まぁ、幸い私たち勇者候補は、異世界召喚の際にスキルと共に精神保護、肉体強化の恩恵も受けているから、何とかその場は乗り切ることが出来た。そうでもなければ、半数以上があの場で泣き出していたに違いない。
グロリア帝国の召喚士は、若い肉体を多数喚び出した方がコストが良いとか何とかほざいていたが、私はそのとき変に冷静で、「あぁ、だから滅ぶんだ」とか考えていた。とても小学5年生女児の考えるようなことじゃないわね。
そこからは、地獄のような特訓が始まった。
大人がいない小学生約20人。その中で、上級生は私ともう一人、千歳しかいなかった。だから、負担も半端なかった。皆の心のケアをしたり、フォローしたり、グロリア帝国側との話し合いに呼ばれたりしていた。
心身共に疲弊し、それでも私は〝やるべき事〟を貫いた。皆を守り、そして、私だけでも強くなって邪神を倒し、皆で元の世界に帰る。帰って、お母さんに心配かけたことを謝る。強いお母さんのことだから、ずっと探してくれているかもしれないし……。
そうして気が付くと、グロリア帝国で特訓を始めて二年の月日が流れていた。こんな世界に巻き込まれていなければ、私は中学生になっていただろう。あぁ、中学校、高校ってどんなとこなんだろう。楽しいのかな。
私はそんなふうに日本に思いを馳せて、目的を見失わないようにした。この世界でしっかり力を付け、邪神を倒すために。その点で、グロリア帝国は意外とマシだった。クソな所もあるが、しっかりとした安全マージンにより、命が軽いこの世界で私たちは誰も失うことなく、順調に力を付けていけたのだから。
でも、悪夢は唐突にやってきた。
グロリア帝国内に出現した一匹の邪神により、帝国のありとあらゆる都市が壊滅させられたのだ。もちろん帝都から逐次援軍を派遣したが、邪神が相手ではまるで意味がなかった。
それでも時間を稼ぐことには成功し、邪神が帝都に姿を見せる頃には、帝国皇帝を含む首脳陣は数名の護衛を連れて帝都を放棄して逃げ延びていた。私たち勇者候補や帝国騎士などの戦える者はもちろん、帝都に住む民を残して──。
「チトセ、ユイ。すまないが、お前たちにも民の避難を手伝ってもらうぞ」
「バカなの?今の私たちじゃ、まだ邪神にはっ!」
「ちょっと、ユイ!」
「フッ、そうだな。あともう二年ぐらいは欲しかったかもな。だが、お前たちは仮にも勇者だ。目の前で死にゆく人々を見殺しにできるかな?」
「───っ」
グロリア帝国将軍ゼルア・シュトラウス。
なぜこんな国に忠誠を誓っているのかわからないような豪傑だった。当時の私が知る中で最強の人物であり、邪神の脅威を身を持って知っている人物でもあった。
そのときは完治していたが、邪神と相対して左腕と右足を欠損した瀕死の状態で見つかったという。世界でもトップクラスの英雄級であるこの男でも一度敗北した。その事からも邪神の強さが推し量れる。今の私たちでは持って数秒の足止めが限界。その後には、確実な死が待っているだろう。
それでも選択肢はなかった。
実は帝都に住まう人たちには、たくさん優しくしてもらっていたのだ。特訓で遠征する際には励ましの言葉を貰ったり、食べ物をサービスしてもらったり。皆の笑顔を思い出したら、私は逃げることは出来なかった。
ただ、今でも思う。
あれは間違いであったと。いくら優しくされても、所詮はこの世界の住人。私たちが命を張る必要はなかった。だって、だって………千歳。ごめんね。あなたは最後まで反対していたのに、私は安っぽい正義感で皆を巻き込んでしまった。
『唯。あんたの身勝手な正義感のせいで、私たちは死んだのよ。そんなあんただけが、日本に戻るつもりなの?』
『お姉ちゃん、痛いよ』
『唯お姉ちゃん、たすけてよ』
……………ハッ!!
私はガバッと身を起こす。陽の光が窓から差し込んで眩しい。最悪な目覚めだった。もう五年近く経つというのに、あの日のことを夢に見ない日はない。邪神の襲来により、グロリア帝国は滅んだ。避難が間に合ったのは僅か百名足らずで、ゼルアや多くの騎士、民が死んだ。そして、私たちも──
私は服を着替えて、両の腰に剣を差し、家を出る。
なぜ私だけが助かったのかは今でもわからない。しかも最低なことに、千歳たちの最期を何も思い出せない。ルイーゼさんが言うには、ショックで一時的に記憶が飛んでいるだけらしいが、もう五年経つ。
なぜ私は生きているのか、なぜ私はあの時逃げようと言わなかったのか。この五年間、そんな自問自答の繰り返しだ。いや、答えは持ち合わせてはいないけど。
「またいつもの夢ですか?ユイ」
「目付きが怖いぞ。顔を洗ってくると良いンダナ」
「あ?」
「ヒィ!睨むともっと怖いンダゾ……」
今私が行動を共にしている二人。
魔法使いのキエナ・アッシュリと私と同じ勇者である伍代康太。最初は二人共強いという噂だけを聞いて仲間に誘ったけど、なんだかんだ一年ぐらい一緒にいる。これは長く続いている方で、その前までは頻繁に仲間を入れ替えていた。
邪神を皆殺しにして、さっさとこの世界を出ていく。その為にも、使えない仲間はいらなかったからだ。
「今日も外回りかね?」
この集落の纏め役、ギアスという名前のエルフが近付いてきた。今はこの集落を拠点にして、付近の魔物を間引いているところだ。
幸い、この辺りに邪神はいないみたいだが、近頃悪魔が邪神の威を借りて好き放題しているらしい。羽虫風情の相手をしている場合じゃないのだが、放っとく訳にもいかない。
「はい。羽虫を倒したらすぐに出ていきます。皆さんにご迷惑はかけませんので」
「迷惑など。むしろ君たちが来てくれたおかげで、今は安全に外に出れているのじゃ。助かっておるよ」
「そうですか。ですが、私たちの目的はあくまで邪神の討伐です。長居はしないので、そのつもりで」
私はそれだけ言うと、キエナと康太君を伴って集落を出た。少し素っ気なかったかな。でも、この世界の人たちとはあまり過度な関係を築きたくないし、これでいいんだ。
「ユイ?」
「ユイ殿?」
「あ、んん。なんでもない。今日は東の方を探ってみようか」
空を見上げる。
心做しか空気が澱んでいる気がする。
私は、元の世界に帰るのを諦めない。千歳たちが私を恨んでいても、あなたたちが必死に生きた二年間を知っているのは私だけなんだから。
 




