第26話 入院
もちろん、俊介はあれで終わりではありません。
次の回で、再び現れる予定です。
「朱美っ!!」
病室のドアを勢いよく開けた恭介が、血相を抱えて入室する。
彼の視線の先では、ベッドの上で上体を起こして読書をしている朱美の姿があった。
彼女は、本を閉じて恭介に顔を向けると、いつものおっとりした口調で話す。
「あら。意外と早かったわね。今日は大事な会食に呼ばれてるって話だったのに」
「だ、だだだ、大丈夫なのかっ!?道で倒れてるところを救急車で運ばれたって聞いたんだがっ」
「うふふ。大丈夫よ。だから、ちょっと落ち着きなさい」
朱美はクスクスと上品に笑いながら、恭介を椅子に座らせて、とりあえず水を飲ませた。
「ふぅ~。悪い、取り乱した。でも、本当に大丈夫なんだよな?何かの病気とかじゃ……」
「精密検査を受けたけど、どこも異常はなかったそうよ。ただひとつ、子育てのストレスの可能性を示唆されたけど、自覚はないのよね」
「じゃあ、何で倒れたのかわからないのか?」
「ええ。倒れたときの記憶もあんまりなくて」
「そうなのか。………あっ!!」
突然、何かを思い出したように大声を出す恭介に、朱美はびっくりする。
「な、何よ、急に」
「祐也と琴那、家だよな。どうすっか………ちょっと電話かけてくるわ」
どうやら、『子育て』というワードで、子供たちのことを思い出したらしい。
朱美は、自らの夫の忙しなさに多少呆れつつ、立とうする恭介を留める。
「電話ならもうしたわよ。『ゆっくり日頃の疲れを癒してきてね!』って言われちゃった」
「……祐也がか?」
「他に誰がいる?」
「「………………」」
無言で見つめ合っていたふたりは、同じタイミングで苦笑いを溢した。
相変わらず言葉遣いは子供らしいが、内容が達観しすぎていることに呆れたのだ。
「でも、それでも心配だから、あなたはもう帰ってあげて。倒れた原因が分からず、記憶も曖昧だから一週間ぐらい検査入院するみたいで。明日、着替えを持ってきてほしいのよ」
「なるほど、わかった。明日、ふたりを連れてお見舞いにくるよ」
「ええ。明日が日曜日で良かったわ」
「平日だとしても休んで来たさ。じゃ、お大事にな」
恭介が去った病室では、頬を朱色に染めて嬉しそうな朱美の姿があったとかなかったとか。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
翌日───。
俺は琴那を抱っこしながら、恭介と共に朱美が入院している病室を訪れた。
窓から入ってくる風が、白のカーテンをユラユラと揺らし、その手前に配置されているベッドでは、白いセーターを着ている朱美が読書をしている。
なんだか、前世で出会った虚弱体質な姫様と被る儚さがあった。
そういえば、朱美の実家とか過去の話とかあまり聞いたことないが、良いところの出なのかもしれないと今更ながら思う。
「ママ。きたよー」
「いらっしゃい。昨日は大丈夫だった?」
「うん。パパのハンバーグかなり焦げてたけどね。余程心配だったんだと思うよ」
「へぇ。そうなの、あなた?」
「お、おい。余計なこと言わなくていいんだよっ」
そんな感じで他愛もないお喋りをしていると、琴那が泣き出した。
どうやら、お腹が空いたらしい。
ベッドをカーテンで遮り、朱美が琴那に母乳を飲ませる。
もうそろそろ断乳しなければいけない時期にきているらしい。
そう。俺がいつでも抱っこできる期間も、もう残り少ないということだ。
そう思うと少し残念だが、成長したらしたで他にもっと楽しみもある。
食事を終えた琴那を朱美から受け取り、軽く揺らしながら抱っこしていると、恭介が口を開いた。
「それで、どうだ?あれから、何か思い出したのか?」
ギクッ。
できれば、それは思い出してほしくないな。
「それが、全然」
朱美は首を軽く横に振ってから。
「でも、昨日の夜、少し面白い夢を見たのよ。あまりにも突拍子もないもので」
「へぇ。どんなだ?」
「河合先生に誘拐されてる夢」
ぶーーーーー!
普通に覚えてるじゃねぇかっ!
夢に置き換わってるが………。
「河合先生っていうと……祐也の幼稚園の?」
「ええ。そんなことするような人じゃないのに、夢って面白いわね」
「案外、正夢だったりしてな」
正夢っていうか、その夢とやらを見る前だがな。
「それで、誘拐された続きはあるのか?」
「あるわよ。手を縛られて襲われそうになったから、つい返り討ちにしたの」
「……それは、河合先生もツイてないな」
おっと、なんか脚色が入ってきたぞ。
まぁ、夢だからそういうのもあり──。
「“女帝“に手を出すなんて」
………?じょてい?ジョテイ?jotey?
「恭介?」
突如、朱美から刺すような殺気が放たれる。
それを受けた恭介は、慌てて手で口を押さえて、必死にブンブン首を左右に振っている。
………“禁句“だったのかもしれない。
琴那を愛でながらふたりの話を聞いていた俺と、突然朱美の目が合う。
顔はニッコリ笑っているが、目が笑っていない。
「ゆうや。今の聞いてた?」
「き、聞いてない」
「……そう。なら良かったわ」
だが、女帝ってなんだ?
めっちゃ気になる。
病院からの帰り道。
それとなく恭介に聞いてみると、遠い目をしながら「聞かないほうがいい」と言われてしまい、なんだか悶々とする一日を過ごす羽目になった。