プロローグ
私は中学生の頃から、
「経済的に自立した人」になりたかったです。
結婚して、子どもが生まれても。
人生にどんな壁が立ちはだかっても、
誰かに養ってもらわないと生きていけない人にはなりたくありませんでした。
これは現・夫への不満とかそういう話ではなくてですね。
ある瞬間から、
「もっと頑張れよ」という圧の強めな人格が脳内に住んでおりました。
その人がまあ、休みもなく、実によく働く。
そしてまた私のことも休ませてくれない。
困った住人です。
なので私は、働きました。
仕事に必要な勉強もし、資格も取りました。
キャリアアップの為の転職もしました。
任された仕事もやりました。
頼まれてもいない仕事まで拾いました。
今思うと、犬がボールを投げられるたびに全力で取りに行くみたいな働き方だった気がします。
誰も投げてないボールまで拾いに行ってたかもしれません。
評価されるのも、仕事ができる人と言われるのも、
純粋にできる仕事が増えるのも楽しかったです。
でも、ある時ふと気付いてしまいました。
私、既に経済的には十分自立している。
「経済的に自立したい」という目標を失ったあとも頑張ってるな、と。
本当は「安心」がゴールのはずでした。
ちゃんと働いて、一人でも生きていけると安心したかった。
それなのに気付けば、
もっと頑張らないと(トラブルがあったら今の生活が崩れるかも)
もっと稼がないと(家族に何かあったら今みたいに働けなくなるかも)
もっと評価されないと(仕事しないと居場所はない)
もっと市場価値を上げないと(子持ちのハンデがある分、魅力的なスキルをもっていないと)
そんなことばかり考えるようになっていました。
まるでゴールテープを切った瞬間に、
「はい次のゴールはこちらです」
と新しいコースを走らされるマラソンみたい。
しかも走らせているのは自分(の頭の中の人)。
ブラック企業ならぬブラック脳内上司。
最近よく聞く「頭の中の鬼コーチ」です。
今すぐ労基を呼べ。
仕事、育児、家事もして、
「がんばる」に終わりが見えない生活を続けていました。
気付けば心も体もすっかり疲れていました。
休職をして、退職もしました。
物理的に働けなくなって、私はやっとこさ自分と向き合いました。
私が欲しかったのは、
誰にも負けないキャリアじゃない(競う相手もいない)
もっと高い年収でもない(毎朝納豆ご飯食べられる程度に稼げればいい)
もっと立派な肩書もいらない(マネジメント経験をしてみたい好奇心はあるけど。あるのかよ。)
私はただ、
普通に仕事をして、
家に帰って、家族と笑って、
ちゃんと寝て、
また次の日を迎えられる。
そんな『当たり前の毎日を、誰にも凌辱されない安心』が欲しいと思っているだけ。
この話は転職活動の記録。でも、それだけではありません。
頑張りすぎてしまう人、
頑張ることが得意すぎる人、
頑張るのをやめるのが下手な人が、
人生を立て直していく記録でもあります。
これは、自分を壊すほど努力してきた私が、
「もう少し楽に生きてもいいのかもしれない」と思えるようになるまでの話です。




