風雲急を告げる
京の街に涼しさが漂い始めた頃、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通は蟄居中の公家岩倉具視に接近していた。目的は武力による倒幕である。
彼らは幕府を朝敵とすることで攻撃する口実を得ようとしている。こちらが官軍であることを示す錦の御旗を造り始め、また朝廷から討幕の密勅を得るための動きを見せていた。
それを受けて慶喜は、土佐藩主山内容堂の建白を受け入れて大政奉還を決意する。慶応3年(1867年)10月14日、京の二条城にて諸侯の前で政権を朝廷に返上する旨を伝えた。
西郷たちは出鼻をくじかれるかたちとなった。大政奉還とほぼ時を同じくして討幕の密勅を得たが、その倒すべき幕府そのものがないのではどうすることもできない。それが慶喜の策であった。
大政奉還の報を聞いて小栗は震えが止まらなかった。自分が身命を賭して仕えてきた徳川幕府がたったの1日にして消えてなくなってしまったのだ。薩長に譲歩するべきではない、今幕府には強大な力があるではないか。弱腰になっている慶喜に対して歯がゆい気持ちでならなかった。
一方で勝は、慶喜の政略であるとはいえ自身の目指していた大政奉還が実現したことにひとまず安心した。このままスムーズに政権が移行していけば問題はない。
その翌月、勝の愛弟子であった龍馬が京の近江屋にて暗殺された。彼は薩長同盟に尽力した後は、武力ではない倒幕を目指して大政奉還の実現にも貢献した。それらの活動により幕府方からは危険人物と見なされていたのだ。
「もう少しで日本は変わるんだぞ。なんでそれまで生きれなかったんだ?」
勝は声を震わせていった。もう少しで自分の理想は実現する。しかしそのために何人の人間が死ななければならないのか、勝は虚空を睨みつけた。
幕府が政権を投げ出したといっても、長く政治に携わっていなかった朝廷は政治ができない。だからこれまで通り徳川が政治を執り行っていた。これも慶喜の計算通りで、新しい政治体制で徳川が中心に立てばよいと考えていた。
西郷や大久保、岩倉はそれには納得しない。12月8日、彼らはクーデターを起こして軍勢をもって御所をおさえ、天皇親政と新政権樹立などをうたう王政復古の大号令が出された。そして翌日の小御所会議にて慶喜の辞官納地が決定された。
西郷たちの最終目標はあくまで武力倒幕であり、戦をして徳川の息の根を止める必要があった。革命とはそういうものであると彼らは思っている。
しかし徳川を攻撃しようにも大義名分がない。そこで西郷らは三田の薩摩屋敷に収容されていた浪士たちに、民家への襲撃や城への放火といった挑発行為を繰り返させた。徳川方に戦をしたくなるように仕向けるためであった。
旧幕府側の兵たちは徹底抗戦を唱えて沸き立った。大阪城の兵たちは慶喜に挙兵を迫り、慶喜は宥めるのでやっとであった。
江戸城では小栗ら主戦派の声が大きかった。小栗は京の地で旧幕府軍と薩長軍で戦いが起きることを期待した。兵数からいえば旧幕府軍の方が勝っているのである。戦をして勝つ以外にこの状況を打開する策はない。
小栗は老中たちを相手に薩摩屋敷を攻撃するように迫った。
「奴らはいたずらに暴挙を繰り返して人心を惑わせています。薩長の者たちには国の安泰や民衆の幸福を憂う気持ちがない。ただあるのは自分たちが実権を握ろうという私欲のみでございます。奴らに国を任せるべきではない。この国に秩序を取り戻すためには、徳川が奴らを討ち果たすより他ございません。薩摩屋敷を焼き払い一戦交えるべきです」
一方で勝は少数派ながら薩長への恭順を唱え続けた。老中稲葉正巳に次のように説いた。
「公方様は私欲を捨てて大政を奉還され、自分の立場を強く主張されなかった。これはご英断でございます。そのご英断によって平和のうちに政権が移ろうとしているのです。それを江戸の抗戦派たちによって無駄にさせてはいけません」
しかし幕臣たちは、勝のことを薩長の廻しものだとして疑っている。だからこそ彼の恭順の姿勢も聞く耳を持たれなかった。
事態は抗戦派の思惑通り進む。小栗の献策通り、薩摩屋敷は大砲を撃ちかけて焼き払われた。また小栗はフランス士官に引率させた騎兵1大隊を京へ向けて出発させた。
薩摩屋敷が焼き払われたのを聞いて手を叩いて喜んだのは西郷である。これで戦を起こす口実ができる。
慶応4年(1868年)1月、鳥羽伏見の戦いにて薩長軍と旧幕府軍は激突するが、薩長側の勝利に終わる。また彼らは錦の御旗を掲げることで自らを官軍であることを強調し、慶喜は朝敵とされた。
大阪城にて慶喜はこの状況を打開する必要に迫られた。だが打開策などあろうはずがなかった。恭順しようにも大阪城内は戦意で溢れかえっている。しかし再び戦をしたとて結果は同じではないか。
追い詰められた慶喜はわずかな供を連れて秘密裏に大阪城を脱出し、軍艦で江戸城へ逃げ帰った。
薩長の軍勢は江戸へ向けて進軍を始めた。目指すは江戸への総攻撃である。天下の混乱は最高潮に達している。江戸城内では、抗戦か恭順かの選択を迫られていた。




