16 ◇◆「ゼンの忘却とユンの罪」
ユンの「嘘」を知ってしまった当時のゼンが、ユンを守るために取ったある手段。そしてそれがユンの目にはどう映ったのかという話。
お互いを守るためにそれぞれ狂ってしまった兄弟二人が導き出した、生き方の答え合わせ編です。
これにて、すべて完結です。
満月が綺麗に王城の真上に浮かぶ夜。
俺たちは夜風に当たって酒の酔いを冷ましながら、のんびりと大通りを並んで歩いていた。
「いやー。今日は一日が長かったねぇ、兄ちゃん。」
俺がそう言うと、兄ちゃんは月を見上げたまま返事した。
「まあなー。……っつーか、ミリアとハルのせいで今日ほとんど何してたか忘れたわ。」
「昼間はパラバーナ家との顔合わせでしょ。その前、朝は兄ちゃんの銃買った。ついでに俺の双剣も。」
「そういえば買ったなー。忘れてた。」
兄ちゃんが本気で忘れてる訳じゃないのは分かってる。
兄ちゃんは要は「今朝のことが随分前に感じる」って言いたいんだと思う。
でも、俺は思わずしみじみしてしまった。
「あーあ。今回も俺、いい買い物しちゃったなぁー。」
それを聞いた兄ちゃんが笑う。
「お前、銃買った後に毎回それ言うよな。」
兄ちゃんは多分、毎回俺が値切った自分を自画自賛してると思ってる。
……まあ、実は違うんだけど。
「まあね。あんないい魔導銃をこんなに安く買っちゃって……俺って、罪深い奴だと思うよ。」
兄ちゃんの勘違いに乗っかりながら、俺はこっそり自分の罪を認めて吐き出す。
ずっと一人で抱え続けるのもまあまあしんどいから、こうしてたまにバレない程度に小出しにして、そっと消化したくなるんだよな。
特に、兄ちゃんの銃を買った後。
……また買っちゃったな。兄ちゃんの銃。
これで兄ちゃんはまた、銃を持ち続けることになる。
俺はまた今日も、兄ちゃんが銃を置くタイミングを奪っちゃった。
…………俺って、罪深い奴だよな。
◇◆◇◆◇◆
◇◆◇◆◇◆
兄ちゃんは実は、たった一つだけ、大切なことを忘れてる。
今日一日が盛りだくさんで、今朝の出来事を忘れちゃった──とか、そういう平和な話じゃない。
兄ちゃんにとって、一番辛くて苦しかった感情。
それを兄ちゃんは、いつの間にか忘れちゃったんだ。
ウェルナガルドの悲劇のあの日、兄ちゃんは俺と違って全部見てた。
父ちゃんと母ちゃんが目の前で喰われるのも、恐ろしい魔物たちが襲いかかってくるのも、町の人たちがみんな死んでくのも、町が焼けて崩壊していくのも。
全部全部、怖くて辛くて、兄ちゃんは本当に苦しかったと思う。
……でも、それだけじゃない。
本当は……兄ちゃんにとって一番辛かったのは、一番苦しかったのは──……
──初めて握った銃で「父ちゃんと母ちゃんを撃っちゃった」ことだ。
あの状況的に、兄ちゃんが撃ったのは「父ちゃんと母ちゃんの頭を喰いちぎった魔物たちの頭」なんだけど。
……でも、それでも兄ちゃんは、その父ちゃんと母ちゃんの頭を……毎日見てた父ちゃんと母ちゃんの顔を、姿を──……その手で撃って吹き飛ばしちゃったんだ。
それが、兄ちゃんにとっての一番の傷。
そのことに気付いているのは、俺しかいない。
だって、俺以外、気付きようがないから。
◇◆◇◆◇◆
そのことに俺が初めて気が付いたのは、ウェルナガルドから逃げて入った山の中で、野生の熊に遭ったとき。
そのとき兄ちゃんは、咄嗟に父ちゃんの銃を取ろうとして──……それをやめて、近くにあった石を拾って魔力を込めてぶん投げた。
父ちゃんの銃は銃身がちょっと曲がっちゃってて弾ももちろん切れてたけど、魔力を込めて撃つだけなら、兄ちゃんは銃が一番やりやすかったはずだった。
だって、銃でウェルナガルドの魔物を全部倒しちゃったんだから。
それでも、兄ちゃんは銃を取らなかった。
それから俺がそのことに確信を持ったのは、山を彷徨っている最中。ウェルナガルドを出て以来、初めて魔物に遭ったとき。
今思えばあれは小型の魔物で全然強くなかったけど、さすがに当時の俺たちじゃ石で倒すことはできなくて、兄ちゃんは父ちゃんの銃を手にして撃った。
──そのとき兄ちゃんは半泣きで、手はガタガタに震えてた。
それで、魔物を見事に撃ち殺した後、兄ちゃんはそんな自分を誤魔化すように、兄ちゃん以上にガタガタ震えてた俺に向かって、
「……大丈夫だ。兄ちゃんが守ってやっから、心配すんな。」
って言ってくれたんだ。
……別に兄ちゃんは、その小型魔物が怖かった訳じゃない。
……兄ちゃんは銃を撃つのが怖かったんだ。
ウェルナガルドから逃げるときは、必死で、死ぬ気でやってたから、そんなこと考える暇も感じる暇もなかったんだろうけど。
一晩経って、また一晩経って……兄ちゃんはどんどん怖くなってっちゃったんだと思う。
冷静になって、父ちゃんと母ちゃんを撃ったことをじわじわと思い出して、銃の感触を手に感じて……それで遅れて、辛くて苦しくて仕方がなくなっちゃったんだ。
それから何日掛かったか、ちゃんとは覚えていないけど、俺たちは何とか山を越えた。
……兄ちゃんはその間、ずっと震えながらも銃を手にして、俺を頑張って守ってくれた。
それで、ウェルナガルドから山一つ越えた池のほとりで兄ちゃんが一人で泣いてた日。
……俺が初めて、兄ちゃんが死ぬ夢を見ちゃった日。
あのとき、兄ちゃんは過呼吸になって、喉と胸を押さえて、ほとんど息だけの掠れた声で、父ちゃんと母ちゃんのことを呼んで泣いていた。
父ちゃんと母ちゃんが目の前で喰われちゃった衝撃、魔物たちが次々に襲いかかってきた恐怖、町の人たちが目の前で死んでいった絶望、町が焼けて崩壊していった光景。
……全部全部、兄ちゃんは一人で抱えて苦しんでた。
前に、そのときのことをちょっと兄ちゃんに話しちゃったとき──兄ちゃんはその「事実」を今でもちゃんと覚えてた。
──でも、相変わらずそのときの「感情」は忘れてるみたいだった。
本当は、兄ちゃんは「父ちゃんと母ちゃんを撃っちゃった」ことが何よりも辛くてどうしようもなかったのに。
銃を撃つのが怖くて仕方なくて泣いてたのに。
恐ろしく凄惨な「事実」の中の、たった一つの「感情」に、兄ちゃんは何よりも一番苦しめられてたのに。
何故か兄ちゃんはあの池のほとりで泣いてた日を最後に……数日後にはそのことを綺麗さっぱり忘れちゃったんだ。
◇◆◇◆◇◆
最初、俺は意味が分からなかった。
兄ちゃんが突然、平然と銃を持ち始めたから。
俺は「兄ちゃんが死ぬ夢」の怖さを知っちゃった次の日の朝から、なるべく兄ちゃんの前で泣かないように頑張った。
全く笑わないで気を張り続けてる兄ちゃんの代わりに、笑って話もし始めた。
兄ちゃんが少しだけ寝ている隙に「俺も戦えるようにならなくちゃ」って思って、こっそり父ちゃんの銃を触ってみたりもした。
……絶望的にセンスが無くて、すぐに諦めたけど。
とにかく何とか「兄ちゃんが死なないようにしなきゃ」って、よく分からない幼い俺なりの理屈で頑張った。
それで兄ちゃんが生きてくれていれば、それだけで俺は大丈夫だった。
真面目で責任感の強い兄ちゃんと違って、俺はそれだけで普通に笑うことができた。
そうして俺たちはあの池からまた数日くらい、歩いて進んだ。
山は一つ越えたけど人里が全然見当たらなくて、そこから山の麓に沿ってうろうろしてた。それで、また次の山を越えなきゃダメなのかなーって絶望しかけてたら……俺たちはようやく、人の作った道を見つけた。
兄ちゃんもちょっとだけホッとして、ウェルナガルドを離れて以来、初めてちょっとだけ笑顔になっていた。
そのとき森の方からガサッと音がして、俺はうっかり怯えて「兄ちゃん!」って小声で叫んで兄ちゃんにしがみ付いてしまった。
そうしたら兄ちゃんは……全然、1秒も躊躇わずにサッと銃を取り出して、音のした方に銃口を向けた。
……全然、その手は震えていなかった。
「…………兄ちゃん?」
俺は思わず戸惑って兄ちゃんに声を掛けたけど、兄ちゃんは「……何だ、ウサギかよ。」って言って何でもないように銃を軽く一発撃った。
俺たちの食料にするために。あっさりウサギの眉間を撃ち抜いた。
はっきり言って、怖かった。
兄ちゃんが急に、普通に銃を使いだしたから。
父ちゃんの銃を見て「銃身が曲がっちまってんだよなー。もう使えねえな、コレは。」って言って、まるで次は別の銃を使おうとしているかのような口振りだったから。
俺は、兄ちゃんがついに狂っちゃったんだと思った。
……っていうか、あのとき兄ちゃんは実際に狂っちゃったんだと思う。
当時の俺は数日かけて、認めたくない、ある結論に至った。
──「兄ちゃんが狂っちゃったのは、全部、俺のせいなんだ」って。
◇◆◇◆◇◆
俺の人生最大の罪は、ウェルナガルドのあの日、泣いて怖がって「兄ちゃん」って呼び続けて、可哀想な兄ちゃんを無理矢理戦わせたこと。
その後も毎日泣いて兄ちゃんを追い詰めて、情けなく兄ちゃんを頼り続けて……熊が出たときも、魔物が出たときも、兄ちゃんばっかり戦わせ続けた。
そうやって俺が罪を重ね続けたせいで、兄ちゃんは忘れざるを得なくなっちゃったんだ。
弱い俺を守らなきゃいけなかったから、兄ちゃんは銃を握るのが怖いなんて言っていられなくって……それで、自分を誤魔化し続けているうちに……ついに本当に忘れちゃったんだ。
兄ちゃんが感じたものを。本当に辛かったことを。
そのことに気付いてから俺は、すごく慌てて頑張った。
今まで以上に兄ちゃんの前で泣かないように頑張ったし、俺も戦うように頑張った。
だけど俺は病弱で情けない泣き虫だったから、頻度こそ減ったものの結局兄ちゃんの前で何度も泣いたし、魔法は度々失敗して迷惑かけたし、短剣を手に入れてからもイマイチ上手く使いこなせなくて、しばらくはただの包丁係だった。
その間、兄ちゃんはずっと狂ったまま銃を使い続けた。
生き延びるために。食料を手に入れるために。金を稼ぐために。……何より、俺を守るために。
……それで、兄ちゃんはどんどん忘れた感情を思い出すタイミングを逃していった。
そうしていくうちに、俺たちは狩りと放浪に慣れていって、自然とまた笑い合えるようになっていった。
二人きりの生活が、自然と、当たり前になっていった。
だから俺は、今度はその状況を受け入れることにした。
兄ちゃんはこれでいいのかもって、何度も自分に言い聞かせた。
その方が兄ちゃんのためかもって、都合よく正当化してた。
言ったら兄ちゃんがショックで死んじゃうかも──なんて、勝手に兄ちゃんのせいにまでしてた。
……だって、俺は兄ちゃんが大好きで、兄ちゃんと二人で過ごしていた時間が……命懸けでも狩りして生きていた時間が、本当に本当に楽しかったから。
◇◆◇◆◇◆
そうして俺は自分の罪から目を背けて、兄ちゃんと二人で楽しく生きてきた。
その間にますます、兄ちゃんにそのことを言うべきなのか、黙っているべきなのか、俺はよく分からなくなっていった。
俺にとっての「正解」は、兄ちゃんのためになる方なんだけど……それを言うなら、俺はあの日に最悪な「不正解」をしてしまったから、もう正解なんて残ってなかったのかもしれない。
言ったとしても、黙っていたとしても……どっちも兄ちゃんを傷付ける気しかしなかった。
それで、悩んだり諦めたり見て見ぬふりをしているうちに、俺は兄ちゃんが目の前で銃を撃っているのを見ても笑っていられるほどに非道に成り下がった。
ただ、そんな俺でも、どうしても罪に向き合わなきゃいけなくなる瞬間がある。
──それが、兄ちゃんの新しい銃を買う瞬間。
新しい銃を買ったら、また兄ちゃんはその銃がダメになるまで使い続けることになる。
だから、その買い替えるタイミングで「俺が思い出させてあげるべきなのかも」って、実は毎回、葛藤してる。
(もういい加減、そろそろ兄ちゃんを解放してあげるべきなのかも。
兄ちゃん本人が忘れてるとはいえ、もしかしたら今でも引き金を引く度に、兄ちゃんの心は悲鳴をあげてるのかもしれないし。
今なら言えるのかもしれない。
「兄ちゃん。本当は、兄ちゃんは銃を撃つのが嫌なんじゃない?
この感触が、怖くて、辛くて、耐えられないんじゃない?
だったら、もう銃を持たなくてもいいよ。もう大丈夫だよ。
……今まで頑張ってくれてありがとう。」
って。)
そんなことを毎回、繰り返し考える。
それで、でもやっぱりやめようって諦める。
(やっぱり、言わない方がいいよな。絶対。
言ったら兄ちゃん、ショックで死んじゃうかもしれないし。
さらに狂って、精神が壊れちゃうかもしれないし。
……兄ちゃんの銃と一緒に戦うの、俺、けっこう楽しいし。
強くて格好良い兄ちゃんが、俺、本当に大好きだし。)
だいたいこんな風に考える。
……うん。やっぱり俺って、酷い奴。
でも、この葛藤は年々薄れていっていたはずなのに、今回は強烈に濃くなった。
それは多分……いや、絶対、兄ちゃんがラルダさんと結婚したからだ。
俺が、兄ちゃんの周りには頼れる人がたくさんいるってことを知ったからだ。
それと……弟の俺がようやく独り立ちしたからだ。
兄ちゃんはもう今は一人じゃない。ラルダさんっていう、強くて優しい人が側にいる。
だから兄ちゃんはわざわざ戦いにいかなくても、充分、幸せになれるはずなんだ。
もしあの感情を思い出してショックで気が狂いそうになったとしても、きっとラルダさんなら支えてくれる。兄ちゃんが壊れる前に救ってくれる。
それに、俺も魔導騎士団に入団してみて分かったけど、兄ちゃんにはラルダさんだけじゃなくてクラウス隊長っていう親友もいて、ドルグス副団長っていう上官もいて、第1部隊や後衛の仲間がいて……頼れる人たちがたくさんいる。
兄ちゃんは銃を握れなくなっても、剣を使ってもすごく強いし、もし二度と戦うことすらできなくなっても、ラルダさんや他の魔導騎士団の人たちが代わりに兄ちゃんを守ってくれる。
まあ、騎士団の戦力が大幅にダウンするのは痛いけど。そこは周りが頑張るとして。
……弟の俺が一応ちゃんと自立できた今、もうバカ高い学費のための金はいらない。弱い俺を守るための力も、もういらない。
兄ちゃんが戦わなきゃいけない理由は、本当は、もうないんだ。
◇◆◇◆◇◆
◇◆◇◆◇◆
でも、今日も結局、買っちゃった。
実は朝、兄ちゃんを催促しながら「午前中は別行動にして、兄ちゃんが銃を買う場面に俺が立ち会わない……っていうのもアリかな」なんて、ちょっと言いながら思ったりもしたんだけど。
結局一緒に買いに行って、全力で値切って買っちゃった。
…………まあいっか。
今回も俺は罪を重ねてしまったけど、酷い俺は自分の都合のいいようにまた黙っていることにした。
けど──……
……これは俺の勘だけど、今回が最後のチャンスだったかもな。
ラルダさんと結婚して、弟の俺が自立した後の最初の買い物。
ここで言えなかったから、俺はもう多分、一生言えない。
…………やっちゃったなぁ。
でも、もう仕方ないか。
うん。そうだよな。仕方ない。……諦めよう。
今この瞬間、俺はそんな酷い自分を受け入れた。
それで俺は一生、この罪を背負って生きていくことに決めた。
………………。
もし、この俺の罪をみんなが知ったら、どうなるのかな。
俺が兄ちゃんにこんなにも酷いことをしてるって知られちゃったら、どうなっちゃうのかな。
…………………………………。
ラルダさんにこの話をしたら、多分「ユンは何も悪くない」って言って、夫の兄ちゃんに代わって許してくれるんだろうな。
セレンディーナ様にこの罪がバレても、多分「ユンは酷くなんかない」って言って、俺よりも先に泣いてくれるんだろうな。
──それで、セレンディーナ様はこんな最低な俺を……多分、変わらずに愛してくれるんだろうな。
きっと、誰も俺を責めてくれない。
きっと俺は、周りの人に受け入れられちゃうんだ。
大好きな兄ちゃんを狂わせたのは他でもないこの俺なのに、俺だけは勝手に一人で解放されちゃうんだ。
今でも狂い続けてる兄ちゃんを残して。
──……幸せで、辛いなぁ。
そんな俺への罰は、いつか後悔しても、投げ出したくなって苦しくなっても、一生この事実を誰にも言えないこと。
懺悔することすら許されない。これが俺の罪の償い方だ。
本当に辛くなったら、きっと俺はちょっと長めの休暇をとって、一人で荒れ果てた故郷のウェルナガルドに帰る。
それで実家のあった場所に行って、父ちゃんと母ちゃんの前で泣いて謝るんだ。
「俺が弱かったから、兄ちゃんのことを傷つけちゃった。
俺が兄ちゃんといたかったから、兄ちゃんの感情が消えちゃった。
兄ちゃんは俺を背負おうとしなければ、最初から魔物を撃たなくても、ただ走って逃げ切れたかもしれないのに。
俺がもっと強ければ、兄ちゃんはあの日を最後に、戦わなくても済んだのに。
全部全部、俺のせいです。父ちゃん、母ちゃん、ごめんなさい。」
そうやって涙が出なくなって飽きるまで泣きまくれば、多分、それで大丈夫。
◇◆◇◆◇◆
そんなことを考えていたら、突然兄ちゃんの声が横の上の方から降ってきた。
「ユン。お前、何考えてんだ?」
「……へ?」
……あ。俺、今けっこう長い間黙り込んで、いろいろ一人で考えちゃってたかも。
俺が兄ちゃんの方を見ると、兄ちゃんは静かに俺を見下ろしていた。
「……お前は馬鹿だから。どうせ馬鹿なこと考えてんだろ。」
「……何それ。兄ちゃん。」
俺は思わず笑ってしまった。
……兄ちゃん、もしかして何か勘付いたのかな?
…………うーん。どう返そうかな。
俺は一瞬だけ考えて、中途半端に正直に答えた。
「今度休み取って、ウェルナガルドに帰ろうかなって。父ちゃんと母ちゃんと、町のみんなの墓参りに。……墓無いけど。」
そうしたら兄ちゃんは微妙に納得のいってなさそうな顔をしつつも追及はしないことにしたらしく、溜め息をついて頭を掻いた。
「なら、俺も行くわ。」
「えぇー?」
兄ちゃんも来ちゃったら、一人でこっそり泣いて謝ることすらもできないじゃん。
「何だよ。文句あんのかよ。」
「一週間の野宿の旅でもしたくなったの?兄ちゃん、金銭感覚狂うの早いね。」
とりあえずさっきの話の延長上に軌道を戻して、俺は兄ちゃんに笑いながら聞いてみた。
すると兄ちゃんは、呆れながらそれを否定した。
「バーカ。違えよ。
お前、ウェルナガルド行ったらどうせ昔みたいに体調崩すだろ。」
「…………え?」
「一人で行ってそうなったらお前、下手したら死ぬぞ。あの辺りは今はもう魔物の生息地の一部になってんだろうし。」
予想とはだいぶ違う返答だった。
「え?何で兄ちゃん、そんなことが分かるの?」
俺は疑問をそのまま口にした。兄ちゃんはそれに対し、あっさりと答えた。
「お前、ウェルナガルド離れてから全然病弱じゃなくなったじゃねえか。体調もほとんど崩さなくなったし。
……ってことは、あの土地の空気が単にお前の体質に合わなかったっつーことだろ。
夢見杉とか、近くの鉱山とか。知らねえけど多分、そこら辺のせいじゃねえの。」
「たっ……たしかに!!?」
言われてみれば。あの頃は生き延びるのに必死で自分の体調の変化なんて全然考えてなかった。
「うわぁー……気付かなかった!兄ちゃん、いつの間にそんなこと考えてたの?…………天才?」
兄ちゃんは無言で半目になった。なんか、呆れてるような、馬鹿にしてるような、ちょっと俺を憐れむような、不思議な目。
……ん?俺、そんなに間抜けだったかな?
そう思っていたら、兄ちゃんは何か吹っ切れたように投げやりにガキっぽく言い放った。
「サラだよ、サラ。ぜーんぶサラ。」
「………………は?」
俺が首を傾げると、兄ちゃんは不貞腐れまくった顔をして白状した。
まるで、サラ姉と喧嘩して言い負かされて帰ってきたときの、あの頃の幼い兄ちゃんみたいに。
「サラが言ってたんだよ。
『ユンの体調が悪いのは土地の空気のせいじゃないか』って。
『ユンはウェルナガルドを出たら絶対に元気になる』って。
『ユンは頭が良いから、絶対に学校に行った方がいい』って。
そんで『そうすればユンは学者だか医者だかになって、将来絶対に金持ちになれる』って。
だから今のお前の体質の話も、俺がずっと『学校行け』っつってた話も、もとはと言えば、ぜーーーんぶサラ。
ただのサラの受け売りだっつの。」
「……えぇーぇ???」
兄ちゃん…………まじで?
っていうかサラ姉……俺について、そんなことまで言ってくれてたんだ。
サラ姉、めっちゃすっごい天才じゃん。
「………………やっぱ俺って、センスあった?」
いろんな感情が追いつかなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。
それから遅れて、もう一つ言葉が俺から出てきた。
「ていうか、兄ちゃん……急に吹っ切れたじゃん。」
今まで俺が何度話を振っても、サラ姉やナナリー姉ちゃんのことは絶対に言おうとしなかったのに。
ずっと俺ばっかりが思い出して喋ってて、寂しいなー、虚しいなーって、正直思ってたんだけど。
……なんだ。兄ちゃんこそ、ずっとサラ姉の言ってたことを覚えてて俺に言い続けてたんじゃん。
めっっっちゃ影響されてんじゃん。
俺は思わず笑っちゃって、そのまま笑いながら兄ちゃんに聞いてみた。
「ねえ、兄ちゃん。もう隠さずに全部言うことにしたの?兄ちゃんは。」
兄ちゃんは俺の質問を受けて、月をもう一度見上げて、それからすっごく投げやりに答えた。
「んな訳ねえだろ。
お前に言えねえことなんて、まだまだ死ぬほどあるっつの。
今のはどうでもいい話。あとはお前が死ぬから言えねえよ。」
「ぶっは!何それ、兄ちゃん。」
絶対笑うところじゃなかったけど、俺はうっかり吹き出した。
兄ちゃんが怪訝そうに俺を見てきたから、俺は素直に感想を言った。
「奇遇だね、兄ちゃん。俺も死んでも言えないこと、兄ちゃんに対しては山ほどあるよ。」
さっきの兄ちゃんが忘れちゃった感情のこともそうだけど。
……たしかに兄ちゃんの言う通り。まだまだ俺にも、いろいろあるな。
そうだなぁ。例えば──
あのウェルナガルドが無くなる数日前、兄ちゃんが父ちゃんについて山に行ってた日。
ナナリー姉ちゃんが珍しく家の前でコソコソしてて、俺が「何してんの?」って聞いたら「今週ゼンが暇な日を教えてくれない?」って言ってきたこととか。
ナナリー姉ちゃんは兄ちゃんをピクニックに誘って、そこで兄ちゃんに告白をするつもりだった。俺に「ゼンには内緒ね!絶対に内緒ね!あと、サラにも内緒ね。私が自分で伝えるから。」って一生懸命言ってたこと……とか。
俺たちの初恋はちゃんと終わってる。うん。それは絶対、間違いない。
……でもそれはそれとして、今さら兄ちゃんに「実はナナリー姉ちゃん、あのとき兄ちゃんに告白しようとしてたんだよー。」なんて言ったら、兄ちゃんは撃沈して1週間……いや、1ヶ月は再起不能になりそうだし。
終わった初恋を今さら抉って傷つける必要はないもんな。うんうん。
──とかとか。
考えてみると、けっこうあるな。
兄ちゃんには言えない、みんなの秘密。バレちゃいけない、俺の罪。
もしかしたら兄ちゃんもこんな風に、俺に気を遣ってて言えないこと、たくさん抱えてるのかもしれないな。
「お互い辛いね。兄ちゃん。」
俺が笑ってそう言うと、兄ちゃんは軽く苦笑した。
「お前のせいでまじで辛えわ。やってらんねー。」
……そっか。兄ちゃんも大変なんだ。ごめんね、兄ちゃん。
俺はそれを踏まえて、改めて少し考えた。
「ねえ、兄ちゃん。そういうときこそ墓参りだよ。
ウェルナガルドに一緒に行って、各自で父ちゃんと母ちゃんに吐き出そうよ。
防音魔法して交代制で、秘密の報告でもしておこう。そうすれば多少は楽になるんじゃない?」
何の解決にもならないけど。
苦しいことには変わりないけど。
それでも少しは、生きやすくなりそう。俺はもちろん、兄ちゃんも。
……うん。けっこういい案じゃない?
一週間の野宿の旅も兼ねて、一石二鳥。
──王都で生きる今の自分たちに疲れたら、故郷に帰省をすればいい。
落ち着いて考えると当たり前なことだけど、俺にとっては、目から鱗の大発見だった。
◇◆◇◆◇◆
俺の提案に兄ちゃんが笑ったところで、夜の王都に魔導騎士団の鐘が鳴り響いた。
──1回。3回。少し間を置いて、また1回。3回。
「おおー……第1部隊と第3部隊だ。
初めてだね。兄ちゃんと一緒に討伐遠征に行くの。」
「だなー。」
「……あ、そういえば今日まだ風呂入ってない。服も着替えなきゃじゃん。うわー……風呂は諦めるしかないのかな。」
俺はちょっとげんなりしかけたけど、兄ちゃんは余裕そうだった。
「お前の寮の部屋、シャワーあんだろ?」
「うん。」
「だったら5分で浴びて速攻で着替えれば余裕だろ。点呼まで30分あるしな。
俺も使うわ。あと、お前の部屋に荷物置いてく。」
……まあ、そっか。急げば普通に大丈夫か。
緊急召集ってまだ慣れてないせいか、妙に慌てちゃうんだよな。
「そういえば、兄ちゃんが職員寮の俺の部屋に来るの、初めてじゃない?なんか新鮮だね。」
俺がふと気付いたことを口にしていたら、兄ちゃんがバシッと俺の背中を叩いた。
「ぁ痛っ!」
「おい。呑気に感想言ってねえで、さっさと行って準備すんぞ。」
「はーい、兄ちゃん。」
そうして俺たちは走り出した。
王都の家々の屋根の上を全力で駆け抜けて、堅苦しい貴族服を寮の部屋の床に脱ぎ散らかして、爆速でシャワーを交代で浴びて、お互い団服に着替え終えた。
「お前なー。どうせ乾かさねえしろくに拭きもしねえんだから、いい加減その長え髪切れよ。」
兄ちゃんが俺を見て呆れてる。
「最近はちゃんと乾かしてるよ。この後も騎士団施設まで走りながら魔法で乾かす予定だもん。
髪を切っちゃったら俺の調子が狂うからやだ。」
ウェルナガルドを出てから約5年間、ずっと伸ばしてた俺の髪。これはもう、俺にとっては戦闘時の装備品の一つみたいな感覚だ。
背中を守られてる感があるし、動きもよくなる気がするんだよな。
……別に俺の髪には、盾の機能も触角の機能も無いんだけど。これはただの気分の問題。
「そうだ、兄ちゃん。今日買った銃、持って行く?
俺は新しい双剣をさっそく使うけど。今のやつ、もうすでに折れそうだし。」
普通は新しく武器を変えたら、まずは訓練とかで試してちゃんと慣らして、それから実戦で使うんだと思う。
でも、そんなもの、俺にとっては今さらだ。
長い間ずっと金欠だったから、壊れるまで武器を使い込んで、壊れたら値切ってなんとか次の武器を手に入れて、それでまたいきなり狩りに繰り出すのが当たり前だった。
新しい武器をいきなり戦場で使うことに抵抗はない。戦いながら慣らすのが一番早い。
……あ。でも、そんなんじゃ「意識が低い!」って周りに怒られちゃうのかな。
俺はもう魔導騎士団に入ったんだし。もっと他の部隊員に迷惑かけないように、慎重になっていかなきゃダメかもな。
──って思っていたら、兄ちゃんが「たしかに。俺も新しいやつ持ってくか。いやー、まじでちょうどいいわ。実戦で慣らすのが一番手っ取り早えしな。」って、俺と同じく慎重さの欠片も無いことを言ってきた。
………………うん。
騎士団の先輩がそう言うなら、俺もそんな感じでやっちゃっていいや。
俺たちは買ったばかりの新しい武器を持って、揃ってまた走り出す。
「……ねえ兄ちゃん。」
「何だよ。」
──今日の狩りも楽しみだね。兄ちゃんと一緒に戦えるの、嬉しいな。
なんとなく思った言葉はちょっと違う言葉を、俺は兄ちゃんに笑って伝えた。
「今日は一日が長くて疲れるね。……俺、ちゃんとまともに戦えないかも。」
そうしたら優しくて強い兄ちゃんは、俺の本音なんてお見通しかのように軽く笑って、昔みたいにこう言った。
「大丈夫、大丈夫。兄ちゃんが守ってやっから。心配すんな。」
拙作を読んでくださった皆様、ありがとうございました。長くなったこの物語も、これにて完結となります。
もし評価やご感想を完結まで待ってくださっていた方がいましたら、こちらでお願いいたします。長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。
また、通りすがりでここまで読んでくださった方も、ありがとうございます。ふと立ち止まって見るにしては量が多かったかと思いますが、時間を割いて読んでいただけたことをとても嬉しく思います。
皆様のお陰で、当初投稿するかどうか迷っていた第二部、第三部の内容も無事に書き切って公開することができました。自己満足ではありますが、小説執筆に挑戦してみて良かったと心から思えた、愛着のある初作品になりました。
今後はもし投稿したとしても、気が向いたときや何かご要望があったときに小話を投稿する程度になるかと思います。(もし何かご希望やリクエスト等ある方がいらっしゃいましたら、活動報告の方をご一読の上、そちらにご連絡いただければと思います。)
それでは。改めて、最後までお読みくださり本当にありがとうございました!
〈追記〉
思いのほかここまで読んでくださった方々、温かいお声をかけてくださった方々がいらっしゃり、それがとても嬉しかったので、第三部以降や登場人物の裏話などをつらつらと小話や関連作品にて放出しております。
どこまで書き切るかを前向きに模索しつつ、気の向くままに足していきますので、お気軽に覗いていいただければと思います。




