15 ◇ 結婚の誓いは非公表(中編)ハンネエーラ視点
全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。
…………できた。
今まで何度も試行を繰り返してきたが、今日が最高の出来だ。
柔らかく編み込んだ髪と、そこにさらに埋め込み留めていった生花たち。
淡い黄色と赤色の花と、ほんのり香る白い花。さらに素朴で愛らしい霞草を、メインの花々を引き立てるようにそっと飾りつけた。
ラルダ様の花の咲くような温かい笑顔。あのお顔によく似合う、最高の髪型になった。
もちろん、見栄えだけではない。今は風も無い晴天だけれども、例え演説中に突風が吹こうとも、なんなら嵐になろうとも絶対にお髪が崩れないよう、見えないところはガッチガチにこれでもかというほどにピンで止めてワックスで固めた。見た目は柔らかいが、その実は金属の如き強固さだ。
ラルダ様は途中から私の気合いの入りっぷりに声をあげて笑っていらした。「はっはっは!ハンネエーラ、私は今からこの髪型で戦場にでも征くのか?暴風龍の風刃でも受けるのだろうか。」とおっしゃったので、私は「いかなる魔物が相手であろうと、このお髪は崩させませんわ。」と答えながらさらにピンを2本追加した。
完璧だ。
私は手鏡であらゆる角度からお髪を映しながら、ラルダ様に「いかがでしょうか?」と確認をする。
ラルダ様も満足そうに頷き「完璧だ。ありがとうハンネエーラ。」と言ってくださった。
ちょうどそのとき、扉をノックする音とともに、使用人の「ラルダ様。ゼン様がお見えになられました。」という声がした。
私とラルダ様は顔を見合わせて笑った。そしてラルダ様は扉に向かって声を掛けた。
「ああ、ちょうど良いタイミングだな。今支度が終わったところだ。入ってくれ。」
その言葉を聞いて、扉の横に控えていた若い侍女二人が内側から扉を開ける。
そこには、何年も着込んで少しばかり草臥れた魔導騎士団の団服を身に纏った、ゼン様のお姿があった。
◇◇◇◇◇◇
「おはよう、ゼン。よく来てくれたな。こちらに来てくれ。」
ラルダ様が可愛らしい笑顔でゼン様を呼ぶ。
ゼン様は使用人や侍女たちに固い表情のまま軽く頭を下げながら部屋に入り、ラルダ様のもとへとやってきた。
そして目を見張って、無言のまま口の形だけで「おお」という感嘆の声を……声にならない声を漏らした。
ラルダ様はそれを見てクスクスと笑う。私も思わずこっそりと笑ってしまった。
ゼン様は正式に婚礼式典の日取りが決まってから今日までの間に、三度ほどラルダ様のお部屋にいらしたことがある。私も毎回その場に居合わせていたが、ゼン様は一度も私たち侍女の前で笑ったり、何かを長く話したことはない。どちらかというと険しい表情のまま「どうも。」「……ッス。」と言うだけだった。
ラルダ様からお話を聞いていた通りの、極度の恥ずかしがり屋な御方。
今も、美しく着飾った花嫁の姿に驚き感動したものの、周りに我々他人がいるせいで素直に反応しきれなかったのだろう。
ご指示があったらすぐに我々は撤退しよう。きっとゼン様は、ラルダ様とお二人になられたところで、改めて感想をお伝えするに違いない。
ラルダ様はゼン様の感動と照れの狭間の中途半端な無言のリアクションを楽しんだ後、ゆっくりと立ち上がって、私に一つ指示をした。
「ハンネエーラ。例のものを持ってきてくれないか。」
「かしこまりました。」
私は部屋の隅の台に置いてあった、リボンの巻かれた大きめな薄い箱を持ってくる。
この中に入っているのは、ラルダ様が昨晩仕上げたばかりの花婿衣装。ゼン様の新しい団服だ。
ゼン様は少しだけ表情筋を動かして、不思議そうな顔をする。
ラルダ様は私から箱を受け取り、ゼン様の方へと向き直った。そして先ほどまでの可愛らしい笑顔とは違う、優しい微笑みをそのお顔に浮かべた。
「ゼン。これは今日この日に合わせて、私が新たに刺繍を施した団服だ。
ゼンは花婿衣装として、この団服を着て婚礼式典を共に迎えてくれないか。」
ゼン様は少し驚いたようにラルダ様を見つめ、それからラルダ様に渡された箱に視線を落とした。
「……ああ。ありがとう。」
不意打ちの贈り物に呆然としながらも、ゼン様は近くの卓の上に箱を置き、リボンを解き、凝った包装紙を丁寧に剥がす……のを途中で諦めて割と豪快に破き、箱の蓋を開けた。
箱の中には、綺麗に畳まれた団服。そのままでは刺繍はまだ見えない。
ラルダ様は微笑みながらも、少し緊張したような声でゼン様を促した。
「よければ、広げてみてくれないか。」
ゼン様はラルダ様に言われるがままに団服の前のボタンを全て外し、左右の衿のところを両手で持って裏地が見えるようにして団服を広げながら持ち上げた。
「………………は、」
ゼン様が目を丸くして、両腕を伸ばして団服を広げた姿勢のまま固まる。
しばらく刺繍を見つめた後、ぽつりと呟いた。
「これ……ウェルナガルドの……お袋の?」
ゼン様はやはりお気付きになられたようだった。
当然だ。偶然にしてはあり得ないだろう。柄そのものはもちろん、柄の入り方も、色合いも、すべてがゼン様のお母様のエプロンを再現したものなのだから。
ゼン様は団服から目を外すことなく、ラルダ様に問いかけた。
「ラルダ……何でお前が知ってんだ?」
ウェルナガルドの伝統工芸の柄の詳細。お母様のエプロンの柄の詳細。
ゼン様が尋ねているのは、恐らく「どちらも」だろう。
ラルダ様はゼン様の疑問に、優しく静かに答えた。
「私がユンに協力をお願いしたのだ。
『婚礼式典の当日に、ゼンに花婿衣装の代わりに、新たにウェルナガルドの伝統工芸の柄の刺繍を施した団服を贈りたい。』と。
ユンは私の願いを受け入れて、ゼンに内緒でお父上の形見の銃を持ってきてくれた。柄はそこから写し取った。
……そしてユンが教えてくれたのだ。
『自分たちの母は、その柄の服が好きでよく着ていた。毎日着けていたエプロンもその柄だった。
父の形見の銃はあるが、母の形見は一つもない。けれど、この柄は母の形見代わりになるだろう。兄もきっと喜ぶだろう。』と。」
「ユンが……。」
ゼン様は伸ばした腕を曲げ、団服を胸下あたりで持って見下ろした。未だに信じられないものを見ているようだった。
「でも、あんな錆びた親父の銃で……こんな……、」
毎日形見の銃を側に置いているゼン様も、当然そのことには気付かれたようだった。
そう。再現などできたはずがない。
ここまで模様を綺麗に写し取れたわけがない。
……そうおっしゃいたいのだろう。
ゼン様の呟きに、今度はラルダ様は、静かに覚悟を決めるように、目を伏せながら答えた。
「それもユンのお陰だ。ユンが私に教えてくれた。」
「……は?……ユンが?」
ゼン様が呆然としたような表情でラルダ様を見る。ラルダ様はそんなゼン様を見ながら頷いた。
「ああ。ユンが私に描いてくれたのだ。ウェルナガルドの伝統工芸の柄のすべてのパターンと、その組み合わせ方の解説を。
それが無ければ、こうして完成させることはできなかった。」
「……は?何で……何で描けんだよ。こんなん。アイツが……いつの間に……」
ゼン様は呆然としたまま、再び手に持った団服の刺繍に視線を落とす。
その言葉にラルダ様が少しだけ意外そうに目を見開くのが分かった。私も私で、一人ひっそりと驚いた。
……ユン様がこの柄を描けることを、ゼン様は知らなかったのか。
ゼン様はしばらく固まって、それから団服の刺繍を見つめたまま呟いた。
「…………サラか。
……サラだ。サラだろ、絶対にそうだ。
ユン、お前、そんなに……そんなことまで、っ、そこまでアイツのこと……っ!
ユン……アイツ、まじで馬鹿だろ……!」
そしてゼン様の顔はどんどん歪んでいき、その目にはじわりと涙が浮かんできていた。
「ユン……、サラ……っ、アイツら……アイツらまじで、まじで馬鹿だろ……!馬鹿すぎんだろ!」
──サラ。アイツら。
ユン様に続けて、知らない女性の名前を口にするゼン様。
ゼン様はそのまま肩を震わせ、ウェルナガルドの刺繍が入った新しい団服で顔を覆い隠した。
「っ、サラ……!……ごめんっ、ごめんな……!本当にごめん……!
サラ、ありがとう……っ、ありがとな……、本当にごめん、ごめんサラ……!」
結婚式の当日に、自分のために着飾った世界一美しい花嫁を前にして、他の女性の名を呼びながら泣く花婿。
──ああ、なんて酷い。
──なんて……酷く、悲しいのだろう。
その「サラ」という女性は、きっとウェルナガルドに置いてきてしまった、ゼン様の大切な人なのだろう。
ゼン様の想い人だったのかもしれない。将来を誓い合った恋人だったのかもしれない。「アイツら」という言い方からすると、むしろユン様との関わりが深い方だったのかもしれない。
それか……その「サラ様」こそが、このウェルナガルドの伝統工芸を継ぐ御方だったのか。
私には答えを知ることはできない。ゼン様に聞くことなどできないから。
けれど、これだけは痛いほど分かった。
ゼン様は、呪われている。
ウェルナガルドに生きた人々に。サラ様と……ユン様に。
私は以前「ラルダ様にかかったウェルナガルドの呪いを解いてくれたのは、他でもないゼン様だったのだ。」と感じたことがある。
それ自体は正しかったのかもしれない。しかし……それだけではラルダ様の元から呪いが消えたことにはなっていなかった。
本当に呪われているのは、本当に救われていないのは、ラルダ様の隣に立つ……伴侶となるゼン様の方だったのだ。
きっとこれから先もゼン様は、人生で最高に幸せな日が訪れる度に、立ち止まり、振り返り、苦しみ、涙しながら彼らに謝り続けるのだろう。
──助けられなくてごめん。守れなくてごめん。見捨ててごめん。置いていってごめん。……俺だけが幸せになってごめん。
どれだろうか。どれも違うかもしれないし、すべて合っているかもしれない。何に謝っているのか、側からは推察することはできない。
でも本当は……サラ様もユン様も、ウェルナガルドの誰も……ゼン様を微塵も呪ってなどいない。
皆、生きて今日幸せになる花婿のゼン様を、心の底から祝福しているはずなのだ。
──おめでとう。良かったね。幸せになって。
ただ、それが分かっているからこそ、ゼン様はお辛いのだ。
皆が温かく自分の幸せを祝福してくれているからこそ、苦しくて仕方がないのだろう。
誰も呪ってなどいないのに、ゼン様はその凄惨な過去からの優しい愛情に、一生呪われ続けるのだ。
「……悪い、ラルダ。……っ、ごめん。悪い……っ、」
ゼン様が必死になって、震えながら目の前の花嫁に謝る。さすがに自分が酷い花婿だと自覚しているのだろう。顔は覆われたままでまだ見えないものの、なんとかして立て直そうとしているのが分かった。
ラルダ様はそんなゼン様を、ただひたすら温かく見守りながら、優しく背に手を添えて言った。
「大丈夫だ。ゼン。謝らなくていい。……大丈夫だ。」
ラルダ様も花嫁として、とてもお辛いに違いない。
想いを込めて作り上げ贈った花婿のための結婚衣装。けれど花婿の目に映っているのは、自分ではない。花婿が想って泣いているのは、自分ではないのだから。
それでもラルダ様は、健気に、静かに、そんなゼン様を受け入れていた。
ゼン様は、サラ様とラルダ様への謝罪と感謝を交互に繰り返しながら泣いている。
ラルダ様はそんなゼン様に寄り添いながら、私たち使用人へとそっと目配せをした。
ラルダ様の視線を受けた我々は、無言で礼をし、静かに部屋を出る。
婚礼式典のラルダ様のご演説まで、あと2時間。それまでにはゼン様もきっと、力を振り絞って前を向くことだろう。
◇◇◇◇◇◇
コンコンコンコン……。
「ああ。」
ラルダ様のお返事を受けて、私はラルダ様のお部屋の扉を開ける。
そこには、すっかり立て直した元通りのゼン様と、笑顔で向き合って座るラルダ様のお姿があった。
「そろそろお時間でございます。」
「分かった。それでは向かうとしよう。……行くか、ゼン。」
ゼン様はラルダ様に声をかけられて立ち上がる。
これからラルダ様は王城のバルコニーで国民たちに向けた演説を行う。ゼン様は我々使用人たちと、近くに控えてそれを見守るのだ。
花嫁姿のラルダ様と、新しい団服を羽織ったゼン様が並んで歩いて扉の方へとやってくる。
──そのとき。
部屋の窓の向こうから、小さく「パンッ」と二発ほどの音が聞こえた。
……花火だろうか?
今日は王都中で朝から色とりどりの花火が打ち上がっている。その数多の花火のどれかが今また上がったのかもしれない。
ラルダ様とゼン様が、音に気付いて何気なく振り返る。
その窓の向こうには、花火にしては珍しい、中心が茜色で周りが黒い火の華と、中心が焦茶色で周りが淡い金色の火の華が二輪並んで打ち上がっていた。
ラルダ様とゼン様の、お二人の色。
この色は花火職人には作れまい。魔法で誰かが打ち上げたのだ。
だいぶ近くで打ち上がっていたらしい。ラルダ様のお部屋の窓から見える近くの建物──……王立魔法研究所の屋上あたりからだろう。
……なるほど。あの御方か。
ご本人たちには見えても見えなくてもいい。届いても届かなくてもいい。
きっと彼は、そんな穏やかなお気持ちで、今の花火をそっと打ち上げたのだろう。
故郷からの解けない呪いを共に受け、共に苦しみを分かち合いながら生きてきた──誰よりもお互いの幸福を祈り続けるが故に、誰よりも強いお互いの呪いと化してしまった──世界でたった一人の「共有者」からの祝福。
それを見たゼン様が、また辛そうに、涙を堪えるようにして顔を歪ませる。一方でラルダ様は感慨深げに目を閉じて、それから幸せそうに顔を綻ばせた。
「ありがとう、ユン。……さあ、行こう。ゼン。」




