14 ◇ 結婚の誓いは非公表(前編)ハンネエーラ視点
全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。
王城のラルダ様のお部屋。
主が出掛けてしまった空っぽな部屋で、今日も私はせっせと掃除に精を出していた。
………………しかし。
どれだけ普段通りに振る舞おうと身体を動かしていても、なかなか心がそれについていかない。私はラルダ様の机を丁寧に磨きながら、その机の上に置かれた2枚の紙を見て溜め息をついた。
昨日、この部屋で王宮絵師が描いていった紙。
ゼン様とユン様のお父様の形見の銃に彫られている模様を写し取ったものだ。
……これでは、とてもではないが…………。
約12年前、血を浴びてしまった二丁の銃。それから何年も何年も、二人の少年の命懸けの旅に付き合い続けた銃。……保管状況も決して良いものとは言えなかったはず。
あの形見の銃の銃身には、辛うじて「何かがびっしり彫られている」とは分かったものの、その柄を正確に見て取ることはできなかった。
それでも王宮絵師は懸命に、浅めに彫られた緻密なウェルナガルドの伝統工芸の柄を読み取った。
そして昼食の間も惜しんで描き写した。恐らく、王都一の絵師としての意地だろう。その眼と手の持つ能力を最大限に出し切った。
よく頑張られたと思う。その緻密な柄を正確に紙に再現していた。
……ただ、あまりにもそれらは飛び飛びで、欠けがありすぎた。
本来はすべてが繋がっている柄。だというのに、虫食い部分が多すぎて、紙に描かれた絵はすぐに途切れてしまっている。
刺繍をする際に、錆で見えずに描き取れなかった部分を想像で補ったり、別の柄で埋めることもできるだろう。しかし、それでは「ウェルナガルドの伝統工芸の柄」ではなくなってしまう。
それこそ、冒涜と言えよう。
そんなことをするくらいなら、最初からすべて違う柄にすべきだ。
昨日お部屋にお戻りになったラルダ様がこの紙を見たときの表情……あのお顔を思い出すだけで、心苦しくなる。
ラルダ様も私と同じような感想を抱いたのだろう。一瞬お辛そうに顔を歪めた後、すぐにその感情を振り払うようにして首を振り「ご苦労だった。協力感謝する。……ありがとう、ハンネエーラ。」と、私を労ってくださった。
ただ、それからはいつもと違い雑談の一つもなかった。今朝もお堅い表情のまま「行ってくる。」という一言だけで魔導騎士団のお仕事へと向かわれた。
…………諦めるしかないのだろうか。
一縷の希望が無いわけではない。
昨日突然窓からいらしたユン様が、咄嗟に残していかれた言葉。
──「補足を紙に描いてラルダさんにお渡ししますね!」
ユン様もお父様の形見の銃を手に取ったとき、私や王宮絵師と同じことを思ったに違いない。ユン様がきっと、何か情報を増やしてくださるのだろう。
……だが、果たしてどうだろうか。
ユン様を疑うつもりなどない。しかし、現実的に考えると、そこに期待するのも間違っているように思える。
例えば、咄嗟に「ラルダ様のお部屋にあるティーセットの柄を説明してください。」と私が誰かに言われたとする。現物が手元になくても、毎日毎日、何千回何万回と目にして手に取ってきたそれを思い浮かべることは容易い。「持ち手と上下に金色の縁取りがされていて、側面には淡い赤と緑で薔薇の花と葉が描かれております。」と即座に説明できる。
けれど……「ではその金色の縁取りと、薔薇の絵柄を正確に紙に描いてください。」と言われて……できるかと聞かれたら、それは私にはできない。
私は絵師ではない。優れた観察眼を持たない私には、再現などできない。
……そしてそれは、ユン様も同じはず。
もしかしたら、ユン様は王宮絵師並の眼を持っているのかもしれない。しかし、そうであってもユン様がウェルナガルドの伝統工芸の柄を見て触れていたのは12年近くも前のこと。
これだけ緻密で難解な柄を正確に再現できるはずがない。稀に聞く「瞬間記憶」などの特殊な能力でもなければ。
ユン様のおっしゃっていた「補足」というのも、せいぜい私のティーセットの例えのような「柄の模様のモチーフは◯◯で、色合いは◯◯でした」程度のものかもしれない。そちらの可能性の方が高いだろう。
……ユン様を疑うつもりなどない。しかし、期待だけ膨らませても虚しいだけだ。
私は一人で悶々としながら、ラルダ様のお帰りを待った。
◇◇◇◇◇◇
その日、ラルダ様はお部屋にお戻りになって早々に、持っていた分厚い封筒から紙束を取り出し、その紙束を私に渡してきた。
「ハンネエーラ。……これを見てくれ。」
「これは……?」
「ユンが今日、私にくれたものだ。
形見の銃から写し取ったものだけでは足りないだろうが、この補足があれば、私ならば再現できるだろう──と言っていた。」
「そうでしたか。」
ユン様は昨日のお言葉通り、ラルダ様のために補足を書いてくださったのだろう。
私はラルダ様から受け取った紙束に目を落とした。
一枚目には、淡々と説明が書いてあった。
〈ウェルナガルドの伝統工芸の柄は全部で6通り。また、それぞれの柄の繋ぎ目のパターンが15通り。それらの組み合わせでできている。2枚目以降にそれらを描いた21枚の紙があるから参考にしてほしい。
父の形見の銃は銃身がひどく錆びていたから、王宮絵師による写し取りだけではすべてを網羅できなかっただろう。しかし、ところどころに見える6通りの模様さえ見つけてしまえば、あとは自分の紙の補足に従って柄を繋げていけば良いだけだ。
自分は絵が下手で申し訳ないが、それでも法則を伝えるだけならばこれで充分なはず。正しい模様は、王宮絵師の描いたものを見てほしい。
色使いについては、決まりはない。
ただ、自分の母は、明るい色合いのものが好きだった。エプロンの刺繍は、たしか緑、黄緑、黄、橙、赤、それからまた橙、黄、黄緑、緑。その連続を3回ほど繰り返していたと思う。一応、色の入り方も軽く図示しておくので、参考までに。〉
といった内容だった。
そして2枚目以降は、番号の振られた紙に一行ほどの簡潔な説明と、細かく描き込まれた複雑な……なんとも味のある特徴的な柄が描かれていた。
私は昨日、王宮絵師が描き取るのを横で見ていた。その絵師が観察し写し取った絵に比べて……ユン様のものは、個性を隠しきれない、独特な味のある……ご本人のお言葉を借りてしまうのであれば、たしかに少々……下手な絵ではあった。
……だがしかし、上手い下手ではない。
それ以上に──何も知らない私の心に訴えかけてくる、何かがあった。
王城に飾られている名画たちよりも、ユン様が描いたこの21枚の拙い模様たちに、私は強く胸を打たれた。
ユン様の紙束には、思い出語りの一つもない。エピソードも何もない。強いて言うならば、お母様のエプロンの色合いの説明があっただけ。
しかし逆に、何も書かれていないからこそ、強烈に感じるものがあった。
幼い頃のユン様には、まさか故郷が全滅するなどと予想できたはずもない。ユン様はただそこで穏やかに日常を過ごしていた一人の少年だったはずだ。
その幼い少年が、これほどの複雑な伝統工芸の柄を覚えて、12年近く経った今でも何も見ずに再現できるという事実。これが一体何を意味するのか。
優れた才能?記憶力?……もちろんそれもあるだろう。もしかしたら瞬間記憶の能力がユン様にはあるのかもしれない。
しかしそれが答えではないはずだ。
強い思い入れ。愛着。
……きっと、恐らく、これが答え。しかしそんな言葉の一つや二つだけでは、とても表し切れる気がしない。
……私のくだらない予想を遥かに超越した、ユン様の「補足」の紙束。
これを見たときに、本来ならば私は「よかった。これでウェルナガルドの伝統工芸の柄が再現できる。」という安堵を感じるべきなのに、何故かそれを微塵も感じることができなかった。
ただただ、ユン様が抱える深い悲しみと、強い思い入れと……お兄様と故郷への愛を感じることしかできなかった。
私が言葉を詰まらせていると、ラルダ様が私の考えを汲み取ったかのように静かに頷いた。
「私が今週の頭に、ユンに『私がウェルナガルドの伝統工芸の柄に触れることは許されるか?』と尋ねたとき、ユンは笑って『大丈夫だ』と言っていた。
……だが、私はユンから受け取ったこの紙束に描かれた模様の数々を見たときに、感じたのだ。
やはり、これは私が触れてよいものではない。
……いや。むしろ、想像以上だった。私が考えていた以上に、この柄はユンにとって、意味のある存在だったのだ。
ただの故郷の伝統工芸の柄というだけではない。この模様の背後には、たしかに彼の……ユンの大切な思い出が存在するのだ。
人か物かは分からない。だが、確実に何かがある。
そしてそれは……兄であるゼンにとっても、同様かもしれない。
私がウェルナガルドの柄の刺繍を施そうなど、最初から烏滸がましいことだったのだ。」
「ラルダ様……。」
私は苦しい気持ちのまま呟いた。
ラルダ様が、ゼン様との結婚の日を迎えるにあたり、何が良いか、何ならば喜んでもらえるかと、懸命に考え続けてきたお姿を見ていたからこそ、胸が締め付けられるような気分になる。
──それでは、こちらの柄は諦められてしまわれるのですか?
口に出さないまま、私が心の中でそっと尋ねると、ラルダ様はまるでそれを聞いていたかのように、笑いながら私の顔を見て首を振った。
「いや。計画の変更はしない。
他でもないユンに、ここまで協力してもらったのだ。仕事を抜けさせてまでお父上の銃を持ってこさせ、さらにここまでの紙束を善意で描いてもらったのだ。
これほどの想いが込められたものを、私が日和って投げ出すわけにはいかない。
ユンはゼンのために、この柄を贈りたいと思ってくれたのだ。
大切なお母上の形見代わりとして。
ゼンの新たな門出を、お父上の銃と、お母上のエプロン──二つの思い出に見守らせたいと、心から思ってくれてのことだろう。
ならば私は、花嫁としての私欲を捨てて、手を動かすまでだ。
……私からの贈り物ではない。これは、ユンからゼンへの贈り物だと……そう思うことにしたんだ。」
私はラルダ様のお言葉を聞き、そっと頷き……それから少しだけ首を振った。
「ええ、必ず当日までに完成させましょう。私もできる限りお手伝いいたします。
……ですが、ラルダ様。そのような悲しいことはおっしゃらないでくださいな。」
「……何がだ?」
私はラルダ様に微笑みながら語りかける。
「ゼン様へウェルナガルドの伝統の柄の刺繍を贈ろうとお決めになられたのも、これから実際に手掛けられるのも、すべてラルダ様ですわ。
ユン様はラルダ様の御心に深く共感したからこそ、ここまで助力してくださったのです。
ユン様は……ラルダ様がゼン様にこの刺繍を贈ることを望んでくださったのです。
ですから、どうか胸を張ってくださいませ。この刺繍にラルダ様の想いがどれだけ乗せられていようと、ユン様とゼン様が嫌がるわけがございません。
ゼン様は花嫁であるラルダ様からの贈り物を、何よりも心から嬉しく思うはずです。」
……確信は持てない。
ユン様のあの紙束に触れてしまった今……ユン様とゼン様が抱える過去の一端に触れてしまった今……確信など持てなくなってしまった。
それはラルダ様も同じなのだろう。
しかし、だからといってラルダ様が退く必要はない。
「ゼン様は未来を共に歩む相手に、他でもないラルダ様を選んだのです。それはたった一つの揺るぎない事実です。
ですから、ラルダ様が花嫁としてのご自身の想いを隠される必要はございません。
僭越ながら……私めは、そう思いますわ。」
私の出過ぎた語りを聞いて、ラルダ様は静かに目を伏せた。
「……ハンネエーラの言う通りだな。ありがとう。
私は私なりに、一針一針、心を込めるとしよう。」
◇◇◇◇◇◇
あれから2ヶ月が経った。
今日はついに、ラルダ様の婚礼式典の日。
前日の夜から一晩中降り続いた土砂降りの雨も、夜が明けると同時にぴたりと止んだ。
早朝、ラルダ様のお部屋へと向かいながら空を見上げたときには、ちょうど王城の真上に朝焼けとともに大きな虹が掛かっていた。
まるで、空までもがラルダ様のご結婚を祝福しているようだった。
私が少し立ち止まって虹を眺めていると、王城にいる者たちが虹の話を聞きつけたのか、ぞろぞろと王城の中庭に集まってきた。
そしてその中には、ラルダ様もいらっしゃった。
「おはようございます。ラルダ様。」
私はラルダ様に横から声を掛けた。
「ああ、おはよう。ハンネエーラ。使用人に声を掛けられて来てみたのだが……見事な虹だな。」
ラルダ様が微笑みながら空を見上げる。
「ええ。このよき日に相応しい、美しい虹ですわね。」
特に何という訳でもないただの偶然ではあるが、晴れ渡った空に架かる虹に、不思議と感動してしまう。
しばらくラルダ様と並んで虹を見上げ、それから私はそっとラルダ様に尋ねた。
「昨日はあれから、無事に仕上がりましたか?ゆっくりお休みになられましたか?」
昨晩のご就寝前、ラルダ様は例のゼン様へ贈る団服の刺繍の仕上げをするとおっしゃっていた。
この2ヶ月間、空いた時間をすべて刺繍に費やしておられたラルダ様。ウェルナガルドの伝統工芸の柄は細かく複雑であったため、職人並の腕をお持ちのラルダ様であってもかなりの時間を要してしまっていた。
しかしその努力の甲斐もあり、昨日見た段階でも団服の裏地の刺繍はそれは見事で鮮やかなものとなっていた。
「それがな、小一時間ほどで仕上げるつもりでいたのだが、結局三時間以上かけてしまった。
今日に備えて早く寝るつもりでいたのだが、なかなか上手くいかぬものだな。すっかり寝不足になってしまった。化粧で誤魔化すしかないな。」
そう言って笑うラルダ様。
そんなラルダ様を見て、私もつられてクスッと笑ってしまった。
「花嫁など、現実はそんなものでございます。私もそうでしたわ。
一番美しい姿で結婚式を迎えるつもりでいたというのに、結婚式前日は準備に追われてほとんど徹夜になってしまいましたもの。今となってはいい思い出です。」
ラルダ様も、きっと数年もすればこれもまた良い思い出だと思われることだろう。夫のために前日の夜遅く、ギリギリまで必死に刺繍を施した。素敵な思い出ではないか。
ラルダ様は笑いながら「そんなものか。」と相槌を打ち、軽く一息ついてから「さて、」と気を切り替えた。
「そろそろ私は朝食に行くとしよう。ハンネエーラ、今日はよろしく頼む。」
ラルダ様のご婚礼の式典。最初にラルダ様は国民へ向けてご演説をなさる。それがちょうど正午、つまり昼の12時。
午前9時から10時までの間にゼン様が王城にお見えになる予定なので、それに間に合わせるよう、ラルダ様はこの後朝食を摂られたらすぐにご準備に取り掛かられる。
今日この日のために作られた純白の花嫁衣装を身に纏い、可憐にお髪を飾りつけ、洗練されたお化粧でそのお顔を一層輝かせるのだ。
私は今日、一介の侍女でありながら大役を仰せつかった。
ラルダ様のご希望で、私がラルダ様のお髪を整えることになったのだ。
日頃のセットはもちろん、晩餐会などの王城内での国務の際には、私が担当することもある。しかし今日は一世一代の晴れ舞台。王都……いや、王国で一番の美容師を呼び寄せて然るべきところだ。
それでも、ラルダ様はそうはせずに私を指名してくださった。
私は思わず感激のあまりその場で年甲斐もなく涙してしまったが、ラルダ様のお気持ちをしっかりと受け止め、私にしかできない、最高の仕事をしようと心に誓った。
それから何回もラルダ様と相談と試行を繰り返し、ラルダ様らしい、凛々しくも可憐で愛らしい髪型を見つけることができた。
今日は本番。さらにそこに、希少で高価な特注の宝石の髪飾り──ではなく、柔らかく優しい生花を飾りつける。
ギリギリまでみずみずしさを保つために、まだ摘まずに王城の庭と温室に咲かせてある花々。数時間後にこの花々を持ってくるのは、私の夫の役目だ。
まさかこの歳になって、王宮庭師の夫と侍女である私が共同で仕事をする日が来るとは。それも今までで一番の大仕事。
人生とは幾つになっても何が起きるかわからないものだ。
今朝は私だけでなく、夫も緊張しながら仕事に向かっていた。今頃夫は、花々の手入れをしながら、一番美しく咲き誇っている花がどれか見極めていることだろう。
さあ、私の本番まではあと1時間と少ししかない。
ラルダ様がご朝食を摂られている間に、先にお部屋に行き、最後の確認と準備をしなければ。
私は気を引き締めて背筋を伸ばし、もう一度美しい虹を見上げてから、ラルダ様のお部屋へと向かった。




