穏やかな恋は溺れるほどに*リチャード視点
前話のリチャード視点
私の名前はリチャード・ウォルシュ。
ウォルシュ侯爵家の跡継ぎ。それが私の肩書。
私にはずっと婚約者がいなかった。人間の性格なんて成人でもしなきゃ確定しないと言って、婚約を拒否してきたのだ。
しかし二十歳になって、そろそろ結婚しろと両親に言われるようになった。
確かにもうそろそろ引き延ばすのも良くない、だが良さそうな令嬢もいない。婚約者のいる令嬢を見てみても――勿論奪う気はないが――、あまり良いと思える女性もいなかった。
そこそこの侯爵家次期当主ごときにしては高望みなのだろうが、今現在政略も必要ないウォルシュ侯爵家なのだから、折角ならば良い人がいい。
「うーん、やっぱりペラーズ公爵令嬢かなぁ」
彼女は王子の婚約者であるオリヴィア・カールトンの次に立派な淑女だと言われている。それなのに婚約者がいないのはどうしてか分からないが、会ってみないことには分からない。
一応、両親や妹のティナことマーティナに、ペラーズ公爵令嬢に婚約者がいない理由を尋ねた。答えたのは意外にもティナだった。年が近いから知っていたのかもしれない。
「彼女から直接聞いた訳ではないから、確証はないけれどね、ペラーズ様ってルシフェル殿下のことが好きなのよ。それなのに他の男性と結婚するのは不誠実だと思っているのではないかしら」
他に好きな人がいるまま結婚する人なんて沢山いるのに、何とも珍しいことだ。
まあ一度会ってみよう、そう思ったのが、私がカールトン公爵令嬢と婚約を結ぶ数ヶ月前。
学院が春休みから抜けて新年度が始まってしばらく。
ルシフェル殿下とカールトン公爵令嬢の婚約の解消、ルシフェル殿下とプリムローズ男爵令嬢の婚約と、そこに至った事の仔細が発表された。そして少し期間を空けて、ペラーズ公爵家の降爵が発表された。
ここまであれば、ペラーズ公爵令嬢が元凶だということは容易に理解できる。勿論殿下が一番悪いのだが、ペラーズ公爵令嬢が大人しくしていれば起こらなかったことでもある。
一番可哀想なのは、とばっちりを食らったにも等しいプリムローズ男爵令嬢かもしれない。
まあそういうことで、ペラーズ侯爵家はこれから社交界で少し厳しい立場に置かれるかもしれない。となると、彼女を迎えるのはやめておいた方がいいだろう。
「お兄様はオリヴィア様についてはどう思っているの?」
「どう、とは」
「結婚相手として。ほら、今オリヴィア様は婚約者がいらっしゃらない状況でしょう?」
ティナに言われて私はカールトン嬢を思い出す。
パーティーの挨拶程度でしか話したことのない彼女だが、芯の強そうな顔立ちにすらっとした体、なかなか美しい人だった。所作も受け答えも完璧、まさに王妃に相応しいような人物。
「妻にできるのなら家にとっても万々歳だけれど、彼女がうちを選んでくれるだろうか」
「うーん、オリヴィア様だものね。お兄様がオリヴィア様と結婚してくれるなら私とオリヴィア様が姉妹になれるのだけれど」
そういえば孤立していたカールトン嬢に真っ先に話しかけたのはティナだった。
助けてくれてありがとう、とカールトン公爵家から贈り物が届けられたのは記憶に新しい。
「お兄様って、結構オリヴィア様のタイプだと思うのよ」
「そうか?」
「ええ、話をしていると分かるものね。そう、今度オリヴィア様とお茶をすることになっているのだけれど、そこでお兄様を紹介しましょうか?」
ふむ、と私は考え込む。
ウォルシュ侯爵家には勿体ないような人だが、私としても彼女が妻になるならこの上ない幸運だ。
「じゃあ、頼む。あまり期待するなよ」
「ふふ、期待しておりますね」
揶揄うように笑うティナに、私は渋い顔をして見せた。
そしてお茶会の日。
紹介すると言っていた割には遅い、と思いながら私はきちんとした服装をさせられ待機していた。
そこにようやく侍女が呼びにやってきた。
軽く服を整え、私はティナとカールトン嬢がお茶をしている場所に乗り込んでいった。
私のあまりに早い到着に驚く様子も見せず、カールトン嬢は普段通りの微笑みを浮かべたままだった。
「ご無沙汰しております。ウォルシュ侯爵が長男、リチャード・ウォルシュと申します」
「王家主催のパーティー以来ですわね。カールトン公爵が長女、オリヴィア・カールトンと申します」
やはりいつ見ても美しい女性だ。
殿下はどうしてこんな女性を手放してしまえたのだろう。私ならば絶対に捕らえて離さないのに。
しかしかつては殿下もそう思っていたと、私は知らない。
私達が席に着くと、入れ替わるようにティナが席を外した。
最初にどんな話をするかは予め決めていた。
「カールトン嬢は、犬と猫、どちらが好きですか?」
結婚後のこともあるけれど、一番は彼女がどんな反応をするのかを知りたかったのだ。
これまで数多の男性と話す機会があっただろうが、こんな突飛な話題から始める男はいなかっただろう。
「オリヴィアで、結構ですわ」
表情はほとんど変わっていないが、動揺したように瞳が揺れた。
それといい返答といい、『王子の婚約者』から降りて随分気が抜けたらしい。
単純に、可愛いな、と思った。
ああ。
この女性を妻にしたい。
「ではオリヴィア嬢と。私のこともリチャードとお呼び下さい」
「わかりました、リチャード様」
小さな口から可愛らしい声で紡がれる私の名前に、自然と笑みが零れた。
「それで、犬と猫、どちらの方がお好きですか?」
オリヴィア嬢が、え……という顔をする。
返答は、猫。私も猫の方が好きだ。
だって、柔らかくてふわふわでもふもふだから。
結婚した暁には是非飼ってあげよう。いや、私を放置するのも許せないからやっぱりやめておこうか。
私が少し意識を逸らすと、オリヴィア嬢がここぞとばかりに話題を変えて来た。
話の主導権を握られるのはお好きではないらしい。可愛い。
趣味を尋ねてきたので、領地経営と答えてみた。
嘘ではない。ただ、令嬢に趣味を尋ねたときはいつも乗馬と答えている。領地経営と述べてしまえば、確実に話が途切れる。それは紳士のすることではない。
けれどオリヴィア嬢はかつての王妃候補。きっとついてこられるだろう。
そして案の定、オリヴィア嬢はきちんとついてきてくれた。……のだが、わざとらしくにっこりと笑って言ってきた。
「ただ私はごろごろ寝ているのが最も楽しいので、わざわざ領地経営に携わりたいとは思いませんが」
王子の元婚約者とは思えない台詞だ。
けれどきっと彼女は、殿下を想えばこそ積極的に婚約者をやっていたのであって、殿下に恋愛感情がなければ嫌々婚約者をやっていたことだろう。
そこまで想ってもらえて、どうして殿下は。
「私は出仕する予定はないので、領地経営は私に任せておいて下さい。妻はベッドでごろごろしていてもらって構いません。領地の状況を把握しておいて頂けるなら、領地経営にも手を出して下さって結構ですが」
優良物件だと思いますが、とアピールしてみる。
退屈なら手伝ってくれればいいし、元より妻に求める役割は社交のみ、それさえこなしてくれれば何をしてくれていても構わない。
確かに優良物件だ、とオリヴィア嬢は笑って頷く。
「まあ、少し考えてみて下さい。一応今日中に申し込みの手紙は送るつもりですが、返事はゆっくりで構いません」
「ではお言葉に甘えて」
彼女が受け入れてくれればいいのに。
オリヴィア嬢がこうやって私と話してくれているのは、ティナが友人だからというただそれだけ。そうでなければ気にも留めてもらえなかっただろう。ウォルシュ侯爵家は弱小貴族ではないが強い家という訳でもない。
微妙に叶う可能性の低そうな願いを胸に秘めつつ、私はオリヴィア嬢と話を続けた。
翌日。
「リック!」
王宮勤めでないために家にいる父上の大声が鼓膜を痛めつけた。
なんとも騒がしい人だが、尊敬できる父親だ。
私は耳を抑えながら父上の元に向かう。
「何でしょう、父上」
「朗報だ、よくやった!」
歓喜の笑みを湛えた父が封の開いた封筒を渡してきた。
差出人は、カールトン公爵家。
「……っ」
縁談を受けたい。
そう書かれていた。
「ようやく……ようやくだ……!もうこの家はどうなるものかと思っていた!ああカールトン嬢には感謝しかない!ああありがたい!」
恍惚ともいえるような表情を浮かべた父上に僅かに気持ち悪さを感じながら、しかし私の口元も笑みにかたどられた。
「所詮そこそこの侯爵家の次期当主だというのに高望みばかりしてと思っていたが……まさかまともな嫁を捕まえてくるとは思ってもみなかった!それも、予想の遥か上!本当によかった……」
父上が喜んでいるのは、格上かつ大きな力を持ち今回の婚約解消で王家にもさらなる発言権を得たカールトン公爵家と縁続きになれることではない。いつまでたっても婚約者を作らなかった私に相手ができたことだ。
思ったより父上は私の結婚について気にしていたらしい。主にお家存続が理由で。
「私にとっては勿体ないような女性です」
「当たり前だろうが、誰から見てもお前には勿体ないわ!だがこの良縁、決して逃してなるものか!さあ一刻も早く婚約を!」
今にも踊りだしそうな父上を見て苦笑いしながらも、私の心は父上と同じくらいに歓喜していた。
「それでは改めて。私はリチャード・ウォルシュ。私のことはリックと呼んで下さい」
「オリヴィア・カールトンと申します。敬語は結構です。私のことは……そうですね、愛称で呼ばれたことがないのです。オリヴィアだと、オリィかヴィアになるのでしょうか」
あの馬鹿王子はこの可愛い女性に愛称で呼ぶこともしなかったというのか。
私としては、オリィよりもヴィアの方が彼女の凛とした清廉な雰囲気に合っているような気がした。あとヴィアの方が呼びやすい。
「私に敬語がいらないのなら、君も敬語はいらないよ。そうだね……私としてはヴィアが一番呼びやすいかな」
「それではヴィアでお願いします――じゃなくて、お願いするわ」
「うん」
オリヴィア嬢――ヴィアは照れたように微笑んだ。
その淡く朱に染まった頬を撫でたい、そんな衝動的な気持ちを抑えつける。
「ヴィアと婚約したことを家族に言ったら皆諸手を挙げて喜んでくれたよ。特にティナの喜びようはすごかったね。『オリヴィア様と義姉妹になれるのですね!』って言ってここ最近ずっとご機嫌だよ」
嘘ではない、というかこれでもオブラートに包んだ方だ。父上も母上も暇さえあればヴィアに思いを馳せているし、ティナはスキップして歩いて侍女に叱られている姿をよく見る。
「まあ!とても嬉しいわ」
「因みに決め手は何だったの?ティナ?それともゴロゴロ生活かな?」
「リックと話しているのが楽しかったからよ」
予想外の台詞に目を瞠る。
「光栄だね。でもどうして?」
「最初のつまらない男アピールは、私を試していたんでしょう?」
クスクスと笑うヴィアは全て分かっていたらしい。
私は眉を上げて肩を竦める。
「ん、バレていたんだ?」
「当たり前ね。私を誰だと思っているの?」
「元王妃候補のオリヴィア様だね」
揶揄うように笑うと、ヴィアは楽しそうに笑い、つんと澄ました表情を作った。
「そうよ、舐めないで欲しいわ」
「これはこれは申し訳ございません、姫」
私の妻になる人は、なんて可愛いんだろう。
「君が私を選んでくれて本当に良かったよ。どうせなら話していて楽しい人がいいよね。どうやら私には普通の令嬢は合わないみたいなんだよ」
「そうでしょうね」
ヴィアが真顔で頷く。
でもね、本当はちょっと違うんだ。
――私の身も心も君に捧げたい、そう思ってしまったんだ。
「政略以上恋愛未満の結婚だけれど、上手くいきそうでよかった」
「ええ、そうね」
微笑みながら私を見つめてくるヴィアに見惚れる。
早く君を私のものにしたい。
こんなに執着してしまうだなんて思ってもみなかった。
まだきちんと顔を合わせたのは二回目だというのに、
私はもう、君に堕とされてしまったんだ。
特にスピード婚をした訳でもない。
約一年半の婚約期間を経て、私達は結婚した。
相変わらずヴィアは可愛いが、実は私はまだヴィアに好きだと伝えていない。
ヴィアは多分、私のことを夫として大切にしてくれているが、私に恋慕の情を抱いている訳ではない。そんな中私がヴィアに愛していると伝えて離れられてしまったらどうしようと考えてしまうのだ。
ヘタレ?そんなことは分かっている。それでも私は、今の穏やかな関係を維持したい。それが崩れるくらいなら、一生言えなくてもいい。
私は王宮勤めではないので基本ずっと家にいるが、それでもたまに登城することがある。そんなときは絶対に遅くとも19時には帰るようにしている。早くヴィアに会いたいから。
でも今日は、ちょーっと位の高いお方に引き留められてしまった。
「申し訳ありません、そういうのは控えておりまして」
「少しだけなら構わんだろう?」
「いえ早く帰りたいのです。可愛い可愛い妻が待っておりますので」
ヴィアのことを考えるだけで顔が緩む。
憎い狸は面白そうに髭を撫でた。
「君の奥方は確か元カールトン公爵令嬢だったか?君の表情をそれほどに変えるとはなかなか。ちょっとくらい話を聞かせてくれてもよかろう」
笑いながらばしばしと私の背を叩く狸。
身分は私の方が低い。つまり、二度は断れない。それも無茶な命令でもないのだ、ちょっと飲もうという軽いお誘い。
「少しだけなら構いませんが、愛しい妻に早く会いたいもので」
「ははは、そう遅くまで引き留めはせんよ」
さあさあと促され、私は心の中で盛大に顔を顰めながら狸についていった。
私が狸の元を去ることができたのは、18時を大きく回ったころだった。
「ああ、ヴィア。早く帰らないと」
そう、そのときの私は強い酒を飲まされてちょっぴり酔っていたのだ。
だから、心の中なんて口からだだ漏れだった。
「ああヴィア、会いたかった。早く帰りたかったのに、あの狸、放しやがらない。いつか復讐してやる……」
「リック!?」
いきなり抱きついた私にヴィアが驚いて目を真ん丸にした。
ああ可愛い。大好き。愛してる。
「ふふ。可愛い。ほんと好き。大好き。あー可愛い、私の嫁ほんと可愛い」
「ちょ、リック、重い」
「愛してるよ」
私は心のままにヴィアにキスをする。
こんな可愛い女性が妻なのだ、いくらキスをしても足りない。
「っん、お酒臭い……」
「可愛い」
ヴィアが眉を寄せる。可愛い眉間に皺が寄ってしまっているが、それもまた可愛い。
つんつんとつついてやると、またヴィアが顔を顰めた。
「リック、取り敢えず水を飲んで湯浴みをしましょう」
「水?ヴィアが飲ませてよ」
そう言うとヴィアはコップに水を注いで持って来て、慎重に私に飲ませようとする。
「違うよヴィア。こういうときは、口移しをするんだよ」
「もうリック、酔いすぎ。ほら、飲んで」
ぐいぐいとコップを押し付けられ、私は仕方なく自分で水を飲んだ。
「それじゃ湯浴みしてらっしゃい」
「ん?ヴィアが洗ってくれるんじゃないの?」
ぽんっとヴィアの顔が真っ赤になり、その頭から煙が出た。
「何言ってるの!早く行ってらっしゃいませ!」
「え、ちょっと、ヴィア」
ヴィアは私を執事に押し付けぷいっと立ち去ってしまった。
「若様、諦めて下さいませ」
いっそ慰めるような執事に頬を膨らませ、だが私は諦めてヴィアの手を借りずに湯浴みをした。
夕食もそこそこに、私はヴィアをベッドに引っ張り込んだ。
「リック!ちょっと」
可愛い抵抗をするヴィアに構わず私は体中にキスをする。
「ああ、なんて可愛いんだ」
本当に私の妻は可愛い。
可愛い可愛いと囁きながら彼女を求めると、彼女は顔を真っ赤に染める。
すごく可愛い。
その夜がいつのも数倍濃いものになってしまったことは言うまでもない。
ぐっすり眠って、朝を迎えた。
その頃には私の酔いはすっかり醒めていて、昨日のことを思い出して真っ青になった。
いつもは先に起きて仕事を始める私だが、今日に限ってはそんなことはできなかった。
酔っている間の世迷言ととられては大変だ。
「その……ヴィア。ずっと言ってなかったことがあって」
「うん?何?」
「昨日のは、お酒が入ってたからとかじゃなくて。お酒の勢いだったのは否定できないけど、嘘は一つも言ってないんだ」
私が言うと、彼女は大きく目を見開いた。
やっぱり誤解しかけていたようだ。本当に危なかった。
「ヴィア、私は、ヴィアを愛してる。一人の女性として。言おう言おうと思いながら、言ってしまえば関係が崩れるんじゃないかとか色々考えてしまって、勇気もなくて、結局言えないままずるずるここまで来てしまった。好きだよ、ヴィア」
彼女の髪をそっと撫でる。
もう言うしかなかった。例え今までの穏やかな関係が崩れてしまおうとも、誤解で崩れるよりはずっとずっとましだった。
「わ、私も、リックが好き。愛しています」
返ってきたのは予想外の言葉で。
顔を真っ赤に染めたヴィアは本当に可愛かったが、今はそれよりも安堵の方が大きかった。
「そ、か。ありがとう」
ぎゅっとヴィアを抱き締める。
その体の柔らかさに、欲が出た。
「え、ちょっとリック」
「恋愛成就の記念に、ね」
朝からだなんて!とじたばた暴れたヴィアだったが、私が何度も何度も口づけていると段々大人しくなった。
愛の言葉を交わしながらの行為は、何もかもが別格だった。
⁑*⁑*⁑
子供ができたみたい、と嬉しそうに私に告げたヴィアを、反射的に抱き締めた。
「そっか、子供が」
こんなに可愛いヴィアの子だ、半端なく可愛いに違いない。
そんな考えは的中していて、可愛くて賢い女の子と、可愛くて賢い男の子の双子はすくすくと大きくなっていった。
その二人も幸せな結婚をして、幸せそうに抱いた子供を私に手渡してくれた。
愛しいヴィアにそっくりな孫は、とてもとても可愛かった。




