堕ちた王子に救いはあるか?*メロディ視点
前話同様、メロディ悪女派&ルシフェル最低最悪地獄に落ちろ派の人はスキップすることをおすすめします。
次回はオリヴィアとリチャードのお話!ほのぼの!
私は、メロディ・プリムローズ。プリムローズ男爵家当主をやっている。
私の夫はルシフェルといって、元王子様だ。色々あってうちに婿入りしてきた。
まあその色々っていうのが割と厄介で、夫は断種されている。つまり、私は子供を産めないし、自分の産んだ子を抱っこすることもできない。
そしてその色々の所為で王子への好感度はそれほど高くなくて。
『私が君の人生を狂わせてしまったんだよね。ごめん』
彼はそう私に謝った。
でもそういうのって、簡単に受け入れられることじゃないんだよ。
だって、私も自分の子を抱きたかった。
ルシフェル様を見るたびにこみ上げてくるものがあって、私はルシフェル様の前で笑うことができなくなった。
ルシフェル様と話したくもなかった。
だけど、やっぱり時間っていうのは偉大なものでさ。
時間が経てば、少しずつ気持ちも落ち着いてくるんだよね。
だから、結婚してしばらくして、作り笑顔くらいはできるようになった。
長い時間を一緒に過ごしていれば、ある程度情は湧くし、『おやすみ、愛してる』と毎日私の背中に向かって囁かれればやっぱり絆されてもくる。
まだ私の心を渡せるくらいにはなっていないけれど、普通に話しかけることもまだ難しいけれど、夫として尊重しようという気持ちくらいにはなっていた。
そんな中、妹のカノンに子供が生まれた。
私は性別にかかわらずカノンの上の子を養子にもらうことになっている。どうせ親戚筋から養子をもらわなければならないなら、最も血の近い私の妹の子をもらうのが適切だから。
そして上の妹のアリアは商家の当代夫人なので、その子をもらうことはできない。
そこで白羽の矢が立ったのが、下の妹のカノンだった。
養子にもらいたい旨を話すときに、私は子供にカノンとその夫が産みの両親であることを伝え、育てるのにも関わって欲しいということを告げた。
カノンとその夫はその瞳に僅かに安堵を滲ませ、躊躇いなく頷いた。
平民に嫁いだといってもカノンとて貴族の子だし、その夫もプリムローズ男爵家に仕える騎士だ。プリムローズ男爵家にとって最善なのが二人の子を養子にすることだと理解している。実家のため、仕える家のために頷く以外の選択肢を彼女達は持たない。
自分達の子を手放すことになっても。
カノンは夫と生まれた子供のセレナードと共にうちにやってきて、その場でセレナードを渡した。
一度家に連れて帰ってしまえば、きっともうここに連れて来たくなくなるだろうからだと思う。
泣きそうなのを貴族として得た仮面の裏に隠し、カノンはベビーベッドにセレナードを寝かせた。
「それじゃ私は一旦帰るわね。すぐに戻ってくるわ。見送りはいいから、二人はセレナードについててあげて」
そう言ってカノンはセレナードにお乳をあげてから夫の付き添いで家に戻った。
カノンには、一般的にいう乳母の代わりをつとめてもらうつもりだ。私も妹も母乳で育てられたから、私も子供を母乳で育てたいと思っていた。私自身があげることはできないけれど。
「ふぇ」
ベッドの中のセレナードの顔が歪む。
「ふぇぇ」
あ、これは。
「びぇぇぇぇぇぇ!!!!」
サイレンのような泣き声が響き渡る。
「ああどうしよう」
私はおろおろしながらも、そうっとセレナードを抱き上げる。
少し揺らしてあげていると、泣き声は徐々に小さくなり、やがて泣き止んだ。
「そっか、ママがいなくなって不安だったのね……」
私がもう一人の母親になるのが分かっているのだろうか、セレナードは安心したように小さな寝息を立て始める。
「かわいい」
ずっしりと両腕にかかる重み。すやすやと眠る赤ちゃんに愛しさがこみ上げる。
けれどこの子は、私の本当の子ではないのだ。
私の本当の子を抱くことは、一生……。
「っう」
頬に温かいものが伝った。
涙がこの子の上に落ちてはいけない、そう思って私は慌ててセレナードをベッドに戻す。
けれど嗚咽はどうしても堪えきれなくて。
「メロディ……」
背後から聞こえたのは今最も聞きたくない声。
「ごめん。ごめんね、メロディ」
声の主が後ろから私を抱き締めた。
耳元でごめんと繰り返すその声には時折嗚咽が混ざっている。
「っ、私も、私も自分の子供を抱きたかった」
「うん、ごめん」
「私が、産んで、私が、お乳をあげたかった」
「うん、ごめん」
「私も!他の人と同じように、自分の子供が欲しかった!」
セレナードを起こさないように極限まで抑えられた自分の声は、それなのに大きく聞こえた。
「ごめん」
心に呼応したように冷たくなってしまった体にルシフェル様の体温は心地良くて、私は拒むことができなかった。
どれだけ泣いていただろうか。
私が泣き止むまでルシフェル様はずっと私を抱き締めていた。
ノックとともにカノン達が戻ってきたことが告げられた頃には、最初に訪れたとき真上にあったはずの太陽が既に沈みかけていた。
「お姉ちゃん、ルシフェル様、入っていいですか?」
「っ、うん」
侍女の手で目の腫れは収まっているはずだ、と私はカノン達を迎え入れる。
「眠ってるのね。泣かなかった?」
カノンが私を見る。一瞬ぎくりとしたが、すぐにセレナードのことを言っていることに気付く。
「ううん、カノンが出た後すぐに泣いちゃったのよ。私があやしたら泣き止んで眠ったけれど、びっくりしたわ」
「ちゃんとお姉ちゃんのこと分かってるのね。この人のことはまだ分かってないのに」
揶揄うようにカノンが夫を見る。夫君は不機嫌な表情を作り、すぐに苦笑に変えた。
「女性の方が安心するのでしょう」
「そうかしら?私とお姉ちゃんが母親だって分かっているからじゃない?」
「そうかもな」
ああ、そうだ。
例え私の本当の子じゃなくても、私はこの子の母親なのだ。
この子の母親になった以上、自分のことで泣いてなんていられない。
ある程度大きくなってからじゃなくて生まれてすぐに私に渡したのは、私がお母さんをできるようにというカノンの配慮があったのかもしれない。
「カノン、ありがとう」
「え?何が?」
きょとんとしたカノンに何でもないと首を振ってみせる。
「えー、気になるじゃない」
「ふ、ふぇぇぇぇぇ!!」
「あー!どうちたのセレナード、お腹すいたのー?」
カノンの頭上に浮かんだ疑問符は突然のセレナードの泣き声で吹き飛んでいく。
男性陣を追い出してお乳をやるカノンを見て、私は小さく微笑んだ。
私が産んだ子ではないけれど、セレナードは可愛い。
私は実の子のようにセレナードを愛し、カノン達とともに育てた。
セレナードは幼いながらに頭の良い才能溢れる子に育っていった。それは親バカではなくて、客観的に見てもそうだった。
ルシフェル様との関係は、それ程変わっていなかった。
セレナードの教育に悪いと考えて、セレナードの前では仲の良い夫婦を演じた。
だが、人をよく見るセレナードには分かってしまったらしい。
「ねえ父上、母上。どうしてお二人は仲が悪いのですか?」
仲が悪い、ということはないけれど、まあ仲が良くはないだろう。だが一応ルシフェル様が否定を返した。
「どうして?仲が悪くなんてないよ?」
「嘘。だって母上は父上のことが好きではないのでしょう?」
セレナードが首を横に振る。
本当に、よく見ている。
セレナードがいない場面での態度を見られてしまったのかもしれない。
けれどね、私はもう、ルシフェル様に絆されてしまったの。
最初は受け付けられなかったけれど、やっぱりずっと一緒に過ごしていたら情も湧く。心ではもう彼を受け入れていたのだろう。
けれど、それを表に出すことを頭が許さなかった。今更元に戻すことなんてできなかった。
――ああ、きっと。
「そうね、そろそろ潮時かもね」
私は嘆息に安堵を滲ませて、そう言った。
その夜、私はルシフェル様に頭を下げた。
「今までごめんなさい」
ルシフェル様はとんでもないと両手を振る。
しかしこの15年、ルシフェル様は辛い思いをしてきた筈だ。
自業自得の面もあるのだろうけれど、15年は長すぎたと思う。
私に冷たい瞳を向けられながらも、私を愛し続けてくれた彼に、誠意を尽くしたかった。
「セレナードのお陰、です。ルシフェル様、こんな私だけれど、仲良くしてくれますか?」
「ああ。私はメロディを愛してるんだ。何だって受け入れるよ」
きっと罪悪感も、ルシフェル様が態度を変えない理由の一つなのだと思う。
けれど、私を愛してくれているのもきっと事実。
まだルシフェル様を愛することはできないけれど、夫として大切にすることはもうできる。
その日私は初めて、背を向けずに眠った。
私は、私とルシフェル様の間に起こったことをセレナードに教えるつもりはなかった。ルシフェル様が元王子であることだけを告げるつもりだった。
しかしルシフェル様は、全て伝えるべきだと言った。
「セレナードがそういう子じゃないのは分かってるけど、私の二の舞にはしたくないんだ」
ルシフェル様が弱弱しい笑みを浮かべる。
まあ確かに人がどうなるかなんて分からない。特に恋をしてしまえば。だってルシフェル様は、元々は人格容姿才能全て含めてとても優秀で次期王位はほぼ確定、賢王になるだろうと言われていたそうだし、私への嫌がらせをしていたペラーズ元公爵令嬢だって、元々は理性的でカールトン様の次に素晴らしい女性だって言われてたんだから。
ちなみに彼女はペラーズ公爵家から籍を抜かれ、修道院で大人しく慎ましい生活を送っているそうだ。ああそういえば一つ降爵されて今はペラーズ侯爵家になっているのだった。
陛下が下した罰は降爵だけだ。後は全てペラーズ侯爵家の判断である。
というのも、彼女の罰にするのは家の降爵が精一杯だろう。むしろ厳しすぎるかもしれない。何故なら王族やその婚約者に直接的に危害を加えた訳ではないからだ。というか、低位貴族一人をいじめただけ。そんなことはよくあることなのだから。
言ってしまえば、彼女はとばっちりを食らった訳だ。彼女のせいでこんなことになってしまった私としてはいい気味だという感じなのだが、客観的に見れば、低位貴族をいじめたら王子が庇いだしていつのまにか王子の婚約が解消されててびっくり、といことになる。まあいじめた理由は私と王子が親交を持ったからなのだが……。
それはおいておいて、「そういう人じゃない」というような人でも、突然変わってしまうこともある。
セレナードを信じているが、念のために言っておいた方がいいかもしれない。
まあ所詮男爵家、立場が低いから同じようなことにはならないだろう。必要以上に王族や高位貴族に関わるなくらいしか言うことはない。
それに、他人に聞かされるのもよくない。真実ならまだしも、事実でないことを教えられるのもまずい。
時期を相談し、セレナードの入学直前に言うことにした。
しかし、ルシフェル様が元王子だ、という話から始めたとき、セレナードの反応はとても薄かった。
「驚かないの?」
「いえ、驚きましたよ。驚かない訳ないではないですか。ただ、納得はできたのです。父上の所作は明らかに高位貴族のものでしたから。まさか王族だったとは思いませんでしたが」
「まあ」
セレナードの所作は高位貴族のものに匹敵し、私のものよりも遥かに美しい。
だからこそ気付いてしまったのだろう。
「でも今はもう王族籍を抜けているからね。その辺も含めて、セレナードには話しておきたいんだ。お前が幼い頃に尋ねてきた、私とメロディの仲が悪かった理由。そして、第一王子だった私が地方男爵家に婿入りしてきた理由、私の人生最大の失敗をね」
幻滅されるだろうなぁ、と苦笑しながら、ルシフェル様はカールトン様、いや結婚してウォルシュ侯爵夫人になった元婚約者のことと、学院で起こったことを一つずつ話していった。
話が進むにつれ、セレナードの眉が顰められていく。想像通りの反応だった。
「だから父上と母上は、私を養子にとったのですね」
子供ができない体質なのかと思っておりました、と呟く。
強ち間違いでもないのだが……。
「まあ、客観的に見れば父上は最低なことをやったのでしょうが、その頃について私は無関係です。罰も受けてらっしゃるようですし。母上に対する処置としては少々厳しすぎる気が致しますが……。まあ、そういうことなので私が何か言うことはありません。ただ……ウォルシュ侯爵家の私への反応だけは気になりますね」
「侯爵夫人は問題ないと思うわ。嫌厭することはないと私に仰っていたから。でも、侯爵は、やっぱり私達が許せないみたいで、表立っては何もしてこないけれど疎んでいるのは明らかね」
社交界に出れば、いつも私達を睨む。毎回夫人が諫めてはいるが、きっと一生このままだと思う。
「子供達が貴方にどう反応するかはさっぱり分からないの。覚悟はしておいた方がいいかもしれないわ」
ごめんね、と私はセレナードの頭を撫でる。いえ、とセレナードは首を振った。
「母上もウォルシュ侯爵夫人も、学院では針の筵だったのでしょう?ですから、私もできます」
「夫人は一年間、私は三年間だけ。貴方は四年間なのよ?」
「構いません。それに父上がいる限り表立っては何もしてこないでしょう。孤立くらいはするかもしれませんが、その程度です」
我が子ながらすごいと思う。私ならば、四年間孤立すると分かっていれば絶望くらいしていたと思う。
「では私はそろそろ。失礼致します」
「ああ」
美しい礼をしてセレナードが自室に戻る。
何となく、理解してしまった。
「本当なら――私達の養子になっていなければこんなことにもなっていなかったのだろうね」
「……そうね。でもあの子は絶対に文官向きだわ」
「まあそうだけれど」
私は敢えて論点を逸らした。
セレナードの運動神経は、決して悪くないが騎士として上を目指せる程ではない。一方で座学の方は非常に飲み込みがよく、一を聞けば十を理解し、一度学べば全て頭に入れる。
セレナードの父親は騎士だ。私達の養子になっていなければ、多分騎士の道を進んでいただろう。一日全てを剣に費やしていれば流石に騎士になれるだろうが、団長になれる程の実力は持てないだろう。団長や副団長になろうと思えば、努力だけでなく圧倒的な才能が必要だ。セレナードにはそれがない。
「でもやっぱり貴族は別だろう?騎士の方が気楽だし、文官には平民でもなれる」
「セレナードは貴族として十分やっていけるタイプの人間よ。むしろ貴族に向いてるわ。感情を隠すのも上手いし考え方も貴族寄り、返答にも時間をかけない。まあ、平民の方が気楽なのは事実だけれどね。ただセレナードは文官にはならなかったでしょうね。騎士の息子は大抵騎士だもの」
騎士の息子は父親に剣を叩きこまれる。そうなると、文官になろうという考えも持たないだろう。何故なら平民は座学をほとんどやらない。まあセレナードは聡明だから文官の道も考慮するかもしれないが……。
「私も申し訳ないとは思っているわ」
私はぽつりと呟き、もう寝るわと言って寝室に向かった。
⁑*⁑*⁑
学院最初の長期休暇。
学院生は原則寮生活だが、休日には家に帰ることができる。
ただプリムローズ男爵家はタウンハウスを持たず、王都に出てくるときには基本的に貴族専用の宿に泊まる。
週に二日休日があるが、プリムローズ男爵家は王都から馬車で片道一週間。なので私達がセレナードの顔を見るのは半年に一度の長期休暇のみとなる。
「父上、母上。ただいま帰ってまいりました」
成長期の子供は、少し見ないだけで別人のように変わる。
声変わりの時期に入り少し話しにくそうにしながら礼をしたセレナードは、身長も伸び、顔つきも少し大人びたように感じる。
……いや、気のせいかもしれない。
「お帰り、セレナード」
「お帰りなさい」
照れたようにはにかんだセレナードは、執事に促され着替えをしに自室に向かう。
「大きくなりましたね」
「ああ。この調子だとすぐに身長を抜かれてしまいそうだ」
ルシフェル様はそこそこ身長が高い。180cmにほんの少し届かないくらいだ。だが、セレナードの産みの父親はさらに高く、180cmを余裕で超えている。セレナードの身長が高くなり抜かれてもおかしくない。
見た感じ、現在のセレナードの身長は160cmに届かないくらいだろう。私の身長が158cmなので、私とほとんど同じくらい。
セレナードが着替えて戻ってきた頃には夕食の時間になっていた。
すぐに夕食が運ばれてきて、私達はテーブルを囲む。
前菜を食べ終わったくらいでセレナードが口を開いた。
「学院で」
そしてにこりと微笑む。
「特に孤立とかはしませんでしたよ。普通に友人もできました」
私とルシフェル様は安堵の表情を浮かべた。
やはり籍を抜かれてもルシフェル様は元王子。下手な手出しは危険だと親に言われたのかもしれない。
それに、セレナードは好かれやすい性格だと思う。貴族らしさはきちんと持ちつつ、けれど朗らかで明るい。気が利いて空気を読むのも上手い。
「よかったわ。本当に、よかった」
私とルシフェル様を見る目で好意的なものは少ない。だが、セレナードに罪がないことは理解しているのだろう。
親の罪に子は関係ない、それが今の貴族の世界の考え方だ。勿論直接的に何かされれば家ごと嫌うこともあるけれど、そうでなければ例え親が不正をしても子が関わっていなければ影響が及ぶことはない。
この考え方は私達にも適用されるようだ。
私達はなんと言われてもいい。
大切な我が子に影響がなければ、それでいい。